俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第二部

92 拳が、震えていた。

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 久しぶりに足を踏み入れた営業2課の空気は最悪だった。……まぁ、十中八九、こいつの所為だろうが。そう考えながら、目的の人物のデスクまで歩いた。

黒川くろかわさん。新部門のことで明後日の会議に出席して頂きたいのですが」

 数日は風呂に入っていないような、ベタついた髪の脂がてらてらと光っている。清潔感の無さは、食品商社の営業マンとしてあるまじき姿だと思っている。が、こいつに言っても無駄だろう。

「え……俺?」

 俺の顔を見てかなり動揺しているようだ。面長の顔に汗が浮んで、視線があちらこちらに彷徨っている。……あのまち針が仕込まれたチョコレートの差出人は、恐らく。

「はい」

 知香の白魚のような指に膨れ上がった紅い珠が脳裏に浮かんだ。ともすれば目の前の男に殴りかかりそうになる自分を、コイツと決まった訳じゃない、と心の中で言い聞かせ必死で抑える。逃げ道を塞ぐように強い視線を送った。

「いや……お、おれより適任がいると思う、けど」

 仕事以外のことでは強気に出るくせに、なぜ仕事となると弱気になるのか。逆ならわかるが。心のうちで軽くため息をついた。

「いえ。今、グァテマラからの冷凍ブロッコリー輸入の業務を担っているのは黒川さんと聞きました。新部門の農産方面では、コーヒー豆を生豆で仕入れ日本の個人焙煎店への卸しを展開し、その焙煎されたコーヒー豆をブランド化して販売したいと池野課長が仰っています。まずはグァテマラを攻めたいと。そのためには黒川さんの伝手が必要です」
「……そ、そうか…池野課長が」

 にへら、と。気持ちの悪い笑みを浮かべた。自分の仕事のことを褒められたからか。いや、褒めた訳ではないのだが。

「………という訳で、明後日の会議、よろしくお願いいたします」

 それだけを告げて、俺は営業2課のブースをあとにした。










 まち針が仕込まれた、チョコレート。知香がこちらに引っ越して来る前に処分するつもりだったが、バレンタイン翌日からほぼ定時上がりで帰宅する知香の目の届かないところで処分したかった。

 週が明けての月曜日。今日は運良く、俺が定時あがり、知香が残業、というタイミングだった。

「………開けるか」

 ひとまず、中身を確認する。中身は、本当に……どこにでも売っている、普通のチョコレートだった。外箱がキャラメル包装式であることから、しっかり未開封であるらしい。

「……外側の包装紙だけに細工したのか。小賢しい」

 大きく舌打ちをして、ソファに沈み込む。

 ……本当に知香に大きな怪我が無くて良かった。
 まち針ではなくカッターの刃など、もっと鋭利なモノが仕込まれていた可能性だってあったのだ。

 今日の俺と相対した時の様子と、カッターの刃等ではなく、まち針を選んだある種の気弱な点を考慮するならば、コレの差出人は、恐らく。

「黒川、だろうな………」

 はぁ、と、大きくため息をついて、ガシガシと頭を搔く。



 黒川大輔だいすけ。入社時に配属された営業1課の畜産チームで一緒だった、俺の2期上の先輩。今は営業2課の農産チームに所属している。
 営業マンらしからぬ気の弱さがあり、ミスの後処理等の面倒事は全て他人任せ。商談で仕入原価を暴露し成約を逃す、商談をダブルブッキングさせ顧客を逃す、などの失態も数えきれないほどある。
 その癖、後輩には大きな顔をして人生観などを語り、女性社員を口説くのだから、ウチの会社で唯一大っぴらに嫌厭されている人間だ。

 なぜこんな男がウチの会社に在籍できているのか不思議なくらいの人間だった。

 元々折り合いが良くなかったのもあった。が、絢子と別れたことを昨年夏の納涼会でお前が浮気でもしたのだろうと揶揄されて、女性社員を口説きまくっている黒川さんには言われたくないとオブラートに包んで吐き捨てたのが悪かったのか、それ以降ことある事に俺に粘着してくるようになった。



 再び大きなため息を吐いて天井を見上げた。

「めんどくせぇ……」

 黒川は入社10年になるにも関わらず、主任のまま。対して2期下の俺は、課長代理。恨まれない方が、おかしいというものだろう。

 個人的には、営業成績で勝負しにきて欲しいものだが。こてんぱんにしてやり返してやれるのに。

「池野課長に相談するにもなあ……証拠がねぇんだよな……」

 そう。証拠が、ないのだ。これを準備したのが黒川だという、証拠が。

「……様子見、か」

 未開封のチョコレートを捨てるのはしのびない。食品を扱う商社の営業マンだからこそ、なおさらだ。

 けれど、キャラメル包装式とはいえ、中に下剤や睡眠薬などを仕込んでこのキャラメル包装を黒川が自分で行った可能性も捨てきれない。

「……ごめんな…お前らも棄てられるために作られたわけじゃないのにな」

 チョコレートに向かってそう口にしながら、キャラメル包装を開封し、紙とプラスチック、そして食品ゴミに分別した。










「貴重なご意見もいただく事ができお礼を申し上げます。それではこれにて企画開発部プロジェクト会議を終了する事といたします」

 1課の畜産チームからは、イタリアのホエー豚を仕入れ、ハムに加工。
 2課の農産チームからは、コーヒー豆を生豆で仕入れ、個人焙煎店へ卸す。
 3課の水産チームからは、ノルウェーのサーモンを仕入れ、スモークサーモンに加工。

 それぞれの加工商品を三井商社でブランド化、スーパーや量販店へ販売し、総合的な一貫サービスを展開する。それが、今のところの新部門の事業だ。

「ところで、邨上。あなたの夢は見つかったの?」

 会議を終えて、会議室に池野課長とふたりきりとなった。とんとん、と資料を纏めつつ俺に視線を向けてくる。赤い唇が妖艶に言葉を紡いだ。

「株主総会を終えた6月にはこの企画開発部も本格稼働よ?あなたの夢も、そろそろ準備していかなければ、ね?」

 この人は部下を崖っぷちに追い込むのが上手い。まるで、獅子の子落としのようだ。

 6月まで、あと3ヶ月と半月。そこまでに形にできるかどうかは……正直、わからない。会議に使ったプロジェクターを片付けながら言葉を紡いだ。

「……見つけは、しましたが」
「あら。思っていたより早かったわね? 進捗は?」

 ふわり、と。池野課長が柔和な笑みを浮かべた。恐らく池野課長を知らない人が見れば、母性溢れるような微笑み。

 けれど。長年の付き合いの俺からしてみれば、全く柔和ではない。試されているような、値踏みされているような。そんな視線を向けられている。

「……乾燥食材の、部門を作りたいのですが」
「ふぅん。それで?」

 感情の見えない琥珀色の瞳がすぅっと細められた。

「池野課長もご存知かと思いますが。私は営業課に居た時代は自分で商品を買い取って調理し、その商品の強み、弱みを研究して顧客にプレゼンし、営業成績に繋げてきました」
「……」

 柔和な笑みが崩れない。発想自体が不合格、ということだろうか。プロジェクターを箱に仕舞い、拳を握りしめて池野課長に向き直る。

「それ故に、調理の手助けになれるものを取り扱いたいと考えました。軌道に乗れば、この新部門を巻き込み、一貫したセット商品などの取り扱いも可能になるかと」

 じっと、琥珀色の瞳を見つめる。

「今から立ち上げる原料取引の伝手と製品加工の伝手を使って………乾燥食材を国内で製造するグループをさせ、三井商社のトータルブランド化を図りたいと考えています」

 この人は、俺を進化させようとしている、のだろう。

 進化とは世代間に生じた遺伝子の変異が生存競争等を通してある一定の方向へ収束される現象だ。その環境により適した形態を持つ子孫が繁栄することによって、集団全体の平均が変化していく。環境に完全に適応している生物はほとんど進化しない。厳しい環境にさらされた集団は急速に環境に適応するよう変化していく、という理論だ。

 厳しい環境に追い込んで、俺を、進化させようとしている。その目的は、恐らく三井商社の世代交代のため。

 現幹部連中は、三井商社の黎明期を支えた人物ばかりだ。池野課長はその中でも最年少。周りの役員はもう還暦に近い。


 ―――三井商社の今後の舵取りを任せられる人材を育てろ。


 それが、最年少幹部の池野課長自身が。他の幹部連中から課せられた課題、なのだろう。そのために、新部門のリーダーに抜擢された俺が、目をつけられた。俺を厳しい環境に追い込み、進化させようという腹積もりなのだろう。

「……そう」

 ほぅ、と。長いため息が、赤い唇から漏れ出ていく。俺はそこに立ったまま、池野課長を見つめた。

 しばらく、池野課長が遠くを見つめるような目をして、言葉を紡いだ。

「……まぁ、アラはあるようだけれど。 合格、ということにしておきましょう」
「っ、ありがとうございます」

 その一言に、柄にもなく目頭が熱くなった。軽く頭を振って誤魔化す。

 正直、プレッシャーしか感じていない。現幹部連中が築き上げたものを壊さないよう、それでいて革新的な新しい事業を興し、三井商社を引っ張っていくのは、邨上智お前だと言われたようなものなのだから。

「まずはこの企画開発部のプロジェクトを軌道にのせてから、ね。それまでに自分の中で引っかかっている部分をピックアップしておきなさい。興す時が来たらすぐに動けるように」

 さらり、と、アーモンド色の髪がゆれ、池野課長が席を立ち、会議室を退出しようと俺に背を向けた。

「はい。ありがとうございます」

 その背中に唇を噛み締めたまま頭を下げる。

「あぁ、それからね?」

 背を向けた池野課長が唐突に、首だけを俺に向けた。

「彼女さんのこと、話しを広めないのはいい選択だと思うわ?」
「………は…?」

 何故、今、知香の話しになるのか。意味がわからず呆けたような声が出た。

「最年少で、幹部候補だもの。恨み辛みがあなたに向けられるならまだしも。が行く可能性もあるのよ」
「っ」

 池野課長の言葉の意味を理解して顔が強ばった。琥珀色の瞳と視線が交差する。無機質な声が会議室に響いた。

「人間の感情はどう動くかわからないわ。言動に気をつけなさい」

 アーモンド色の髪がなびいて、バタンと音を立てて扉が閉まる。カツカツと、池野課長のヒールの音が遠くなっていく。








 今回は、俺に向けられた悪意に、偶然知香が触れてしまった。
 次は………その悪意が、直接、知香に向けられるとしたら?

「……はぁ…」

 思わず、大きなため息をつく。頭を搔いて、天井を見上げる。オフィス特有の細長い蛍光灯が視界に映る。

 考えたくもない。今回の件だって巻き込んでしまって申し訳ないという思いばかりが募っている。



 知香を、幸せにしたい。知香とともに歩いていきたい。
 けれど……けれど。こんなことに巻き込んでしまうくらいなら。




 ―――俺ではない男と歩んでいくほうが、知香が傷付くことも、ないのでは。




「……ネガティブ思考に引っ張られてんな、落ち着け…」

 大きく息を吸い、目を瞑った。


 知香の気持ちは俺にある。だから、俺が隣に立つべきなのだ。

 ……巻き込むかもしれない。傷付けるかもしれない。


 心の内がグラグラと大きく動く。

 初めは小さな小石を投げられて生まれた、小さな波紋だった。それが次第に大きな波となり、俺の心によせては返す。



「……知香は、俺のもの。俺は、知香のもの。知香から、俺を逃がさないって、言われたんだぞ?」

 天井を睨み上げながら、誰に聞かせるでもなく、小さな声で絞り出す。

「だから、俺からも…手放すつもりなんて、さらさら、ねぇんだ」



 自分で自分に言い聞かせるように。
 その言葉を呟いて、拳を握りしめる。



 ざわざわと。言いようのない感情が溢れ出す。



 それはまるで、自分の中のなにかと闘っているように。

 握りしめた拳が、震えていた。
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