俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第二部

111 星空を、いつまでも見上げていた。

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「よりによって黒川に……」

 はぁ、と、形の良い妖艶な唇からため息が漏れた。

 ホワイトデー当日。終業後の池野課長を捕まえて、出張前の打ち合わせと称して応接室に呼び込んだ。

「……会議の際にご忠告を頂いていたにも関わらずこのようにご心配をおかけする形になってしまい」
「起こったことは仕方ないわ。これからどうするか、よ」

 池野課長が俺の声を遮るように口を開いて、すうっと、足を組んだ。

 ……この人の、考え事をする時の、癖。

 最年少幹部のこの人は。幹部の仕事をもこなしながら、これまで散々営業部の俺たちの尻拭いをしてもらった。だからこそ、早いところ、この人に肩の荷を降ろしてほしい、と、考えていたのに。自分の不注意で、厄介事を増やしてしまった。

 申し訳ない、面目ない。どの言葉もしっくりこない。……己の無力さを噛み締める。


 そうして、黒川の出自の事を伝えられた。命の恩人の息子。その言葉の意味を噛み砕くのにしばらく時間を要した。

 初めに湧き上がった感情は、くだらない、だった。自力で勝ち取ったモノでもない、そんな曖昧なモノに縋り付いて生きている黒川を、心底軽蔑した。

 人間は、動物と違って理性がある。だからこそ、自分の意思で生きていくものだ。環境や誰かに流されるものでもない。自分を形作るものは、自分なのだから。

 俺は、この会社が好きだ。食は、人間には欠かせないもの。それを供給することを生業としている、この会社が、好きだ。それだけじゃない、尊敬する池野課長がいて、可愛い後輩がいて。会社の雰囲気自体も……好きだ。



 ―――そんなくだらないモノが纏わりついているこの会社を。俺が、変えてやる。



  そんな思いを閉じ込め、ぐっと拳を握って、琥珀色の瞳を見据えた。

「早いところ幹部に上がります。それが……これからの俺にできる唯一のこと、だと思うので」

 今は『幹部候補』だからこそ妬まれている。幹部に上がってしまえば、俺は会社を回していく側になる。いくら上層部と繋がりがある黒川でも、簡単には手出しが出来なくなる、はず。

 感情の見えない琥珀色の瞳が、すぅっと細められた。

「そう……ならば、あなたになら、伝えてもいいかしらね」

 そう呟いて、池野課長が組んだ足を崩しながら、センシティブな話しよ、と切り出した。

「黒川は…学生時代から問題ばかり起こしていたわ。警察沙汰もよくあったそうなの。それを毎度手助けしていたのよ、社長が。よくわからないけれど、命の恩人に対して何かしらの負い目があるのだと思う」

 ほぅ、と、ため息をついて。池野課長の声が、一気に低くなる。

「私たちですら彼を持て余している、ということはわかってもらえたかしら」

 その声色に、思わず背筋が伸びる。

「……はい。肝に銘じます」
「ひとまず。あなたの出張中は私も目を光らせておくわ。彼が商談で外に出ないような仕事の采配をしておくわね」

 それから、と、池野課長が付け加えた。

「彼とことを考えすぎてイタリアでの交渉が上手くいかないなんてことは許されない。……わかっているわね」
「……はい」

 その言葉を最後に、池野課長の顔がゆっくりと歪んでいく。









(…な……?)


 何が起きているのか、把握できなかった。ゆっくりと、自分の手のひらすら認識できない、暗闇の中に……墜ちていく。









 暗闇の中、煌々と光るカンテラを手に持った知香の姿が浮かび上がる。




「奪っちゃうね?」


「この女を抑えれば」




 左右から、恐れていた声が響いて―――














 ガシャンッ!と音を大きな立てて、カンテラが砕け散った。
















「っ、!」

 急に目の前が明るくなった。に意識を取り戻すと、着陸体勢に入ったアナウンスが流れていた。

 心臓が有り得ない速度で鼓動を刻み、じっとりと冷や汗を書いている。

(……いつから寝ていたんだ…?)

 少しだけ後ろに倒していた背もたれから、がばりと上半身を起こした。日本からイタリアへの往路は約13時間。初めの7時間ほどは記憶があるが、その後の記憶が先ほどのシーンだったことを考えると、かなり寝入っていたらしい。

(しくった……)

 そう考えながら身体を伸ばして動かしていく。現地に着けば午後2時ごろ。夜は眠れず時差ボケが加速するパターンだろう。そうならないために、昨晩は知香を抱くこともせず、早々に眠りについたというのに。




 池野課長との会話現実にあったことを夢で見るのは、絢子と別れた時以来だ。その後にみたあの悪夢。それほどまでに、俺は…あの悪夢の出来事が現実になるのを恐れている、ということだろう。




 ゆっくりと呼吸をして、跳ねた鼓動を元に戻そうと努める。ふっと、知香の顔が、思い浮かぶ。



 ……知香は、今頃どうしているだろう。残業を終えて夕食を取っている頃だろうか。

 片桐や黒川に追い回されてはいないか。

 ひとりで泣いてはいないだろうか。寂しい想いをさせていないだろうか。

 知香のやわらかい髪に触れたい。俺の名前を呼んで屈託なく笑う、あの笑顔が見たい。



 離れてから半日程度だというのに、こんなにも―――恋しい。

(……帰りてぇな…)

 あんな夢をみたあとだから。特にそう思ってしまう。

 ゆっくりと、背もたれを元の位置に戻す。手荷物を握って、隣の席に視線を向けた。俺と同じように寝入っている人物に声をかける。

浅田あさだ。着くぞ」

 畜産チームの担当である彼は5年前に中途採用で入社した。俺と同い年で、今、ぐいぐいと営業成績を伸ばして行っている男だ。

「んん…」

 短く切り揃えられた短髪に、二重のぱちりとした瞳が印象的だ。もっとも、その瞳は今は閉じられているが。

「あー。ヤバい。彼女の夢みてた。帰りてぇ」

 目をごしごしと擦りながら紡がれた言葉に、同じことを考えていた俺は思わず動揺した。

「…まだ着いてもないぞ……」

 自分に言い聞かせるように、浅田に声をかける。俺の言葉に、めんどくさそうに浅田が声を上げた。

「わかってるよ。ま、たった1週間だもんな……気長に頑張ろうぜ」

 そう。たった1週間なのだ。何ヶ月も離れるわけではない。この無性に込み上げる不安感は、何ヶ月も続くわけではない。

 さっきの夢のように、池野課長に釘を刺されたこともある。知香と一緒に幸せになるために…イタリアでの交渉をポシャらせるわけにはいかないのだ。

 何より。俺は―――社長まで登り詰めると、そう決めたんだ。

 手のひらを握り締めながら自らを奮い立たせ、浅田とともに飛行機を降りた。






 降り立った空港で円からユーロに両替を行い、通訳と顔合わせをした。ホテルに行く前に、市街地を軽く案内される。今日は移動日だから、特に顧客との商談も入れていない。

 どこか行きたいところはあるかと聞かれるが、プライベートで来るならまだしも、今回は仕事だったから、特にピックアップもしていなかった。

「浅田。行きたいところはあるか?」
「ん~。彼女となら行きてぇところ山ほどあるけど、ヤロウ3人で行きたかねぇや。特にないからお前の好きにしろ、俺はここで煙草吸って待ってる」
「ま、それもそうだな」

 浅田の投げやりな返事に苦笑しながら返答する。暫く考えこんで、通訳に向き直った。

「……もし可能であれば、乾燥食材などを取り扱っている問屋などがあれば立ち寄ってみたいのですが」
「乾燥食材? 確か、ファーマーズマーケットのなかにあったはず。案内するよ」

 着いてきて、というジェスチャーとともに、石畳が広がる街に足を踏み入れた。

 日本の比ではない人並みに圧倒される。

 あちらこちらで交わされるイタリア語と英語。その一言一言が、右から左に流れていく。

(……英語くらいは話せるようになりてぇな)

 これから社長を目指すのだ。それくらいはこなせなければならないだろう。帰国したらまず手始めに英会話の勉強から手をつけるか。

 そう言えば、知香は通関部だから、軽い英会話なら出来ると言っていた。知香に……習う、という手もあるだろう。

 ぼんやりと思考を巡らせながら通訳について行くと、あっという間に目的の店の前に辿り着いた。

「……すげぇな」

 伝手のある企業からサンプルを取り寄せたりはしていたが、実際に目の前に広がる食材の幅広さは圧巻と言わざるを得なかった。店の看板を見遣ると、かなり古い看板だ。おそらく、この店主はこのマーケットの中で乾燥食材一本で商売をしてきたのだろう。その店主と思しき人物に話しかけ、通訳を通じて、日本から来たこと、日本の企業として今後乾燥食材を取り扱いたいことを説明する。

「ひとまず、考えさせてくれ、だとさ。名刺渡しておくか?」

 急な飛び込みの交渉。断られることも承知の上だった。検討してくれるだけでも十分だ。名刺を店主に手渡し、こちらの誠意を見せるためにいくつかの乾燥食材を手に取って購入する。

 会計の際に店主に呼び止められた。俺自身が営業、だというのに。通訳に任せるしかない自分が、ひどく歯痒かった。

(……やっぱり英語だけでも習得するか)

 通訳を通す会話は、言葉のニュアンスなども変わってくる。これまで、取引先との会話を重視しての営業スタイルを確立させ、そのメソッドを使いこなし商談成立を掴み取ってきたからこそ、通訳という存在がいなければ成り立たない今の状態が、悔しい。内心、歯噛みをしながら通訳と店主の会話を見守った。

「前向きに考えるから、待っててくれ、だとさ。名刺のメールアドレスに連絡するそうだ」

 そのあとは頑張れよ、と、ぽん、と背中を叩かれた。

(悔しいな……)

 手渡された商品が入った紙袋を握りしめて、店主にお礼を言い、通訳の背中を追った。








 日も落ちて、ホテルにチェックインした。割り当てられた部屋に足を踏み入れ、そのまま荷解きもせず速攻で有線LANにPCを繋ぐ。

 知香はもう眠ってしまっているだろうが、日記アプリだけはチェックしたかった。跳ねる心臓を抑えて日記アプリのウェブブラウザにログインする。

『こうして日記にするのは初めてだね。なんか緊張しちゃうや。今日は残業で、ご飯は有り合わせで作ったよ。あ、片桐さんは早退してたから、付き纏われたとかもなかったよ。黒川さんも接触なかった』

 最後の一文を読んで大きく安堵の息を吐く。機内であんな夢を見てしまったから。不安で仕方がなかった。ゆっくりと、その先の文章を目で追った。

『それからね、帰りの電車の中で久しぶりにあの曲を聴いたの。溺れる、って智さんが訳したところ、やっぱり何度聴いてもいいね』

 あの曲。昨年大流行りした洋楽だ。知香と二年詣りに行った帰りに、FMで偶然流れた曲。

 知香が聴いた、と言うなら、俺も聴きたい。なんとなくそう思いながら、PCにダウンロードしていた曲を適度な音量で流し出す。

「……~♪」

 流れてくるメロディに合わせながら鼻歌を歌いつつ、荷解きをしていく。

 知香が詰め替えてくれたシャンプーとリンスが入ったトラベルケースを手に取った瞬間、知香の甘い香りが漂った気がして。

「……会いてぇなぁ…」

 トラベルケースを握りしめ、そう呟いた。

 まだ、1日目だというのに。会いたい、という思いが募る。

 つぃ、と。部屋の窓に目を向ける。窓際に歩み寄り、その窓に手をかけて、窓を開け放った。






「……繋がってるはずなんだよな、空だけは」







(この景色も、知香と見れたらよかったのにな)





 そう心の中で呟きながら。

 イタリアから見える星空を、いつまでも見上げていた。
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