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本編・第二部
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「ねぇ、知香ちゃん。知香ちゃんが智くんを好きって気持ち、それが智くんによって意図的に作られたものだったら……どうする?」
意図的に、作られた、気持ち。その言葉の意味が飲み込めずに、身体が固まる。
「………ちょっと、片桐さん。失礼なこと言わないでください」
数秒後、我に返ると同時に、やっぱり片桐さんは根本から失礼な人だと怒りの気持ちが湧き上がってきて、ぎゅっと目の前のヘーゼル色の瞳を睨みつける。
「さっき、徳永ちゃんに話してた、付き合う前の話し。あれね…割と有名な心理学の応用なんだ」
そのヘーゼル色の瞳が、真っ直ぐに。真摯な光をその目に宿して、じっと。私を貫いていく。
片桐さんの声が、すっと、低くなる。
「……付き合っちゃだめ、と思えば思うほど、付き合いたくなる。それは、カリギュラ効果っていうやつ」
「かりぎゅら……?」
低く、低く、響く声。聞き慣れない言葉に、思考がまるで知恵の輪のようにこんがらがっていく。
「どっちが告白するかの勝負、だっけ。あれはね、ふたつの心理学的技法が組み合わさっている。ひとつは、ドーパミンの分泌を促進するための焦らし。ふたつめは、認知的不協和の解消」
次々と、私の人生では触れないような専門的な用語が飛び出してくる。
「ドーパミンは脳内麻薬って言われるもの。ドーパミンっていう単語だけは聞いたことあるでしょ? 『幸せホルモン』っても言われるね。この先になにかイイことが起こる、って感じた時に分泌される。だから、智くん自ら告白せず焦らした」
つらつらと告げられる衝撃的な内容に、混乱して、呼吸が乱れていく。話の内容に、理解が……追いつかない。
「認知的不協和の解消、っていうのは、自分の中で認知している事象と事実の間に矛盾が生じると、その矛盾を解消するために、脳は事実を都合のいい解釈に捻じ曲げちゃうんだ。これは人間の本能だよ。知香ちゃんは智くんと出会った時、恋愛感情は無かったんだよね? それからのデートで、智くんに振り回されている、翻弄されている、と感じた。すると、好きでもない男に振り回されている、という矛盾が生じる。だからこの矛盾を解消するために、私はこの人に惚れてしまってるんだ、って脳が認知して、ゼロの感情が好きに上振れしていく」
「え……え、と……すみません、よく、わからなくて……」
ちょっと待って欲しい。紡がれた言葉を理解するための時間が欲しい。そう考えて、クラクラするような頭を必死に上げたままにしていると。
「あとさ。込み入った話を聞くけど。智くんって、セックスうまいでしょ?」
再び、衝撃的な言葉が飛び出してきた。その言葉に、一瞬で全身が沸騰していく。
「なっ、なんてこと聞くんですか…!?」
耳まで真っ赤にして返答する私の様子に、やっぱりね……と、ヘーゼル色の瞳が視線を落とす。
「人間って、苦痛には耐性があるんだけど、快楽には耐性が無いんだ。煙草なんかがいい例だよ。煙草を吸うと快楽を感じるホルモン…そう、さっき言ったドーパミンが出る。出なくなると、苦痛に感じる。だから、煙草がやめられない。快楽には抗えない。それと同じ。……心理学的な要素を使って知香ちゃんの気持ちを勘違いさせて、身体で絡めとった。それは、洗脳、に近い」
「せ、洗脳……?」
私の復唱に、「そう」と、片桐さんが呟いた。
「これはカルト宗教にも使われる手口。言ったでしょ? 俺は宗教学専攻だったから、こういうのも……複合的に学んだ。……ねぇ、知香ちゃん。そんなの、愛とか、恋じゃ無いと思うな、俺は。偽物の気持ちを利用する、なんて」
「カルト……?」
可哀想に。ヘーゼル色の瞳が、憐憫の光を宿して私を貫いた。
私が智さんに抱く気持ちが、偽りの気持ちだったかもしれない。そんなことって、本当にあるのだろうか。
心臓が痛いくらい跳ねている。呼吸が乱れていく。
「自分の欲望を叶えるために知香ちゃんを囲い込むばかりじゃなくって、知香ちゃんのこともちゃんと考えてくれる人と付き合ったほうが幸せになれると思うよ」
考えれば考えるほど、深みに嵌る。まるで―――抜け出せない、沼に堕ちてしまったみたいに。
「まぁ、このネタ有名だから営業にも使えるし。智くんはかなり出来る営業マンっぽいし、智くんは知香ちゃんを手に入れるために無意識に使っていたのかもしれないけれどね」
そして、はっと気がついた。
『知香を、落とす時。俺、かなり用意周到に罠を張ってた。知香は気づいてねぇだろうけど』
引っ越した日。そんな風に言われながら、リビングで抱かれたことを、思い出す。燦燦と降り注ぐ真昼の光の中で、智さんの汗が、私にポタリ、と、落ちてきたあの光景が―――ふたたび、脳裏をよぎった。
私が、自ら髪を切るように仕向けられたのも。何かしらの、心理学的要素が働いていたのだろうか。
智さんは、用意周到に、罠を張っていた。
それは、簡潔にいうと。
(わ、たしを………私を、洗脳、していたって、こと……?)
私の、この好きという気持ちが作られたものだったら。智さんが身につけた、心理学を利用して……出会った時からそういう答えに導かれるように、仕組まれていたことだったとしたら。
智さんの今までの行動の全てが、計算され尽くした罠だったとしたら。
私は。
ほんとうは……だれを、すきなの?
「またなにか気付いたことあったらいつでも話してね」
私が、智さんを好きだというのは、本当の、気持ちなはず。だって―――そうじゃなきゃ、困る。
眩暈がする。視界が明るくなったり、暗くなったり。ゆっくりと、明滅して……暗転していく、私の世界。
「あ、あれ……?」
視界がぐわりと歪んでいく。脈拍が上がっている。体温が、かなり上昇しているのが自分でも分かる。
「あ~らら、ごめんね? 飲ませすぎたかな」
私の正面に座っていた片桐さんがすっと立ち上がって、長い脚を捌きながら、私の隣に座る。そうして、片桐さんが私の左手をその手に取って、私の脈拍を測っていく。
「……ん…脈、速いね。ごめん、今の話、知香ちゃんには刺激的すぎた。さっきの話しは忘れて? 智くんが迎えに来るまでに、ちょっと落ち着こう。深呼吸して落ち着こうか。俺に続いて?」
そう告げられて、それに従いゆっくりと深呼吸をする。
「大きく吸って~…………大きく吐いて……」
頭がクラクラする。なにも考えられない。混濁した意識の中で、ただただ、左耳に囁かれるように紡がれる言葉に従っていく。
「そう……上手。吸って…吐いて……吸って…力は出来るだけ抜いておこう?」
目の前の人の言葉に従いながら深呼吸をすると、頭がぼうっしてくる。
「ほら、智くんの顔を思い浮かべて。幸せで胸がいっぱいで、頭の奥まで、身体の奥まで、幸せな感覚で満たされていく。ぼうっとして来て……その事しか考えられなくなって……幸せ。とても……心地良い」
智さんの、ヘーゼル色の瞳が目の前にある。そう、いつも……私を愛して、翻弄してくる、瞳。
「お風呂に浸かっている時ってどんな気持ち? 段々と体が温かくなるよね? リラックスしているから、血流がしっかり回って、身体の奥までポカポカして。気持ちよくなれる。ほら、智くんがもうすぐ迎えにくるよ? だから、そうやってリラックスして、無駄な力を抜いて、可愛い知香ちゃんで智くんを迎えてあげよう?」
ぼうっとしているのに、頭は回転し思考を続けている。必死なのは変わらないけれど、なぜか脳内に、自宅の湯船にゆっくりと浸かっている自分が思い浮かぶ。
「どう? 身体が楽になって来たかな?」
その言葉に、ゆっくりと頷く。鼓動は早いけれど、さっきみたいな、視界が歪むような、クラクラするような感覚はもうない。
「知香はリラックスして俺の言葉を聞いてて、な? 人間って、いろんな面を持ってんだ。笑うのも、怒るのも、悲しむのも、全部、偽りの姿でもあるし、本当の姿でもある。偽りの姿、っつうのは、人間はその気になれば演技ができるってこったな。なぁ、知香。俺がこうやって知香に話しかけている俺は、演技してる俺? それとも真実の俺?」
目の前にいる人が、私の目を見ている。
(……な、んだろう…この、変な感じ…)
酷く、既視感を感じる。
―――私を見ているのに、私を見ていない。
「俺だけを見て、知香」
私を捕らえて―――離さない。私は、もう、目の前の人から逃げられないと知っている。
「俺の目を見つめて? さぁ、俺の名前を呼んで?」
名前? ……なんだっけ、この人の、名前…私を逃してくれない、人の名前…。
「なぁ、知香。今朝、何食べた?」
「…え…?」
朝…何食べたっけ。
パンっと、手を叩く音がして、身体がびくりと震えた。
「だから、言ったろ? 知香は、俺から、逃げられない」
目の前の人が、誰かはわからない。だけど、この人から逃げられないのは、本能的にわかる。だって……3ヶ月間、ずっと、この言葉をくれた人だから。
「ほら……知香。眠ろう。俺と一緒に」
この人の横で眠るのは心地いいはず。だって…ずっと、一緒にいてくれた人、だから。
「階段を降りていくよ。一段、もう一段……ゆっくり、降りていく」
頭の中に、地下に繋がる階段が広がっていく。この人と一緒に、歩いていく。
「……ほら。おやすみ、知香…」
ぼんやりとした意識が、ゆっくりと、沈んで。瞼が降りて―――視界が暗く。ゆっくりと、暗くなっていく。
くすり、と、目の前の人が、わらった声がしたような、気がした。
遠のく意識の向こう側で。悲痛な声で、私の名前を呼ぶ誰かの声がしたけれど。
(……もう、眠いの…)
だって、さっきから、訳の分からない話しばかりで。目の前の人の瞳のことだって、全然わからない。
頭が混乱して、仕方ないから…ちょっとだけ、休ませてほしい。
ゆっくりと。暗くなった空間に、意識を―――この身を委ねていく。
「やぁ。-----くん」
暗くなる意識の中で、目の前のひとが、誰かの名前を、呼んだ。
意図的に、作られた、気持ち。その言葉の意味が飲み込めずに、身体が固まる。
「………ちょっと、片桐さん。失礼なこと言わないでください」
数秒後、我に返ると同時に、やっぱり片桐さんは根本から失礼な人だと怒りの気持ちが湧き上がってきて、ぎゅっと目の前のヘーゼル色の瞳を睨みつける。
「さっき、徳永ちゃんに話してた、付き合う前の話し。あれね…割と有名な心理学の応用なんだ」
そのヘーゼル色の瞳が、真っ直ぐに。真摯な光をその目に宿して、じっと。私を貫いていく。
片桐さんの声が、すっと、低くなる。
「……付き合っちゃだめ、と思えば思うほど、付き合いたくなる。それは、カリギュラ効果っていうやつ」
「かりぎゅら……?」
低く、低く、響く声。聞き慣れない言葉に、思考がまるで知恵の輪のようにこんがらがっていく。
「どっちが告白するかの勝負、だっけ。あれはね、ふたつの心理学的技法が組み合わさっている。ひとつは、ドーパミンの分泌を促進するための焦らし。ふたつめは、認知的不協和の解消」
次々と、私の人生では触れないような専門的な用語が飛び出してくる。
「ドーパミンは脳内麻薬って言われるもの。ドーパミンっていう単語だけは聞いたことあるでしょ? 『幸せホルモン』っても言われるね。この先になにかイイことが起こる、って感じた時に分泌される。だから、智くん自ら告白せず焦らした」
つらつらと告げられる衝撃的な内容に、混乱して、呼吸が乱れていく。話の内容に、理解が……追いつかない。
「認知的不協和の解消、っていうのは、自分の中で認知している事象と事実の間に矛盾が生じると、その矛盾を解消するために、脳は事実を都合のいい解釈に捻じ曲げちゃうんだ。これは人間の本能だよ。知香ちゃんは智くんと出会った時、恋愛感情は無かったんだよね? それからのデートで、智くんに振り回されている、翻弄されている、と感じた。すると、好きでもない男に振り回されている、という矛盾が生じる。だからこの矛盾を解消するために、私はこの人に惚れてしまってるんだ、って脳が認知して、ゼロの感情が好きに上振れしていく」
「え……え、と……すみません、よく、わからなくて……」
ちょっと待って欲しい。紡がれた言葉を理解するための時間が欲しい。そう考えて、クラクラするような頭を必死に上げたままにしていると。
「あとさ。込み入った話を聞くけど。智くんって、セックスうまいでしょ?」
再び、衝撃的な言葉が飛び出してきた。その言葉に、一瞬で全身が沸騰していく。
「なっ、なんてこと聞くんですか…!?」
耳まで真っ赤にして返答する私の様子に、やっぱりね……と、ヘーゼル色の瞳が視線を落とす。
「人間って、苦痛には耐性があるんだけど、快楽には耐性が無いんだ。煙草なんかがいい例だよ。煙草を吸うと快楽を感じるホルモン…そう、さっき言ったドーパミンが出る。出なくなると、苦痛に感じる。だから、煙草がやめられない。快楽には抗えない。それと同じ。……心理学的な要素を使って知香ちゃんの気持ちを勘違いさせて、身体で絡めとった。それは、洗脳、に近い」
「せ、洗脳……?」
私の復唱に、「そう」と、片桐さんが呟いた。
「これはカルト宗教にも使われる手口。言ったでしょ? 俺は宗教学専攻だったから、こういうのも……複合的に学んだ。……ねぇ、知香ちゃん。そんなの、愛とか、恋じゃ無いと思うな、俺は。偽物の気持ちを利用する、なんて」
「カルト……?」
可哀想に。ヘーゼル色の瞳が、憐憫の光を宿して私を貫いた。
私が智さんに抱く気持ちが、偽りの気持ちだったかもしれない。そんなことって、本当にあるのだろうか。
心臓が痛いくらい跳ねている。呼吸が乱れていく。
「自分の欲望を叶えるために知香ちゃんを囲い込むばかりじゃなくって、知香ちゃんのこともちゃんと考えてくれる人と付き合ったほうが幸せになれると思うよ」
考えれば考えるほど、深みに嵌る。まるで―――抜け出せない、沼に堕ちてしまったみたいに。
「まぁ、このネタ有名だから営業にも使えるし。智くんはかなり出来る営業マンっぽいし、智くんは知香ちゃんを手に入れるために無意識に使っていたのかもしれないけれどね」
そして、はっと気がついた。
『知香を、落とす時。俺、かなり用意周到に罠を張ってた。知香は気づいてねぇだろうけど』
引っ越した日。そんな風に言われながら、リビングで抱かれたことを、思い出す。燦燦と降り注ぐ真昼の光の中で、智さんの汗が、私にポタリ、と、落ちてきたあの光景が―――ふたたび、脳裏をよぎった。
私が、自ら髪を切るように仕向けられたのも。何かしらの、心理学的要素が働いていたのだろうか。
智さんは、用意周到に、罠を張っていた。
それは、簡潔にいうと。
(わ、たしを………私を、洗脳、していたって、こと……?)
私の、この好きという気持ちが作られたものだったら。智さんが身につけた、心理学を利用して……出会った時からそういう答えに導かれるように、仕組まれていたことだったとしたら。
智さんの今までの行動の全てが、計算され尽くした罠だったとしたら。
私は。
ほんとうは……だれを、すきなの?
「またなにか気付いたことあったらいつでも話してね」
私が、智さんを好きだというのは、本当の、気持ちなはず。だって―――そうじゃなきゃ、困る。
眩暈がする。視界が明るくなったり、暗くなったり。ゆっくりと、明滅して……暗転していく、私の世界。
「あ、あれ……?」
視界がぐわりと歪んでいく。脈拍が上がっている。体温が、かなり上昇しているのが自分でも分かる。
「あ~らら、ごめんね? 飲ませすぎたかな」
私の正面に座っていた片桐さんがすっと立ち上がって、長い脚を捌きながら、私の隣に座る。そうして、片桐さんが私の左手をその手に取って、私の脈拍を測っていく。
「……ん…脈、速いね。ごめん、今の話、知香ちゃんには刺激的すぎた。さっきの話しは忘れて? 智くんが迎えに来るまでに、ちょっと落ち着こう。深呼吸して落ち着こうか。俺に続いて?」
そう告げられて、それに従いゆっくりと深呼吸をする。
「大きく吸って~…………大きく吐いて……」
頭がクラクラする。なにも考えられない。混濁した意識の中で、ただただ、左耳に囁かれるように紡がれる言葉に従っていく。
「そう……上手。吸って…吐いて……吸って…力は出来るだけ抜いておこう?」
目の前の人の言葉に従いながら深呼吸をすると、頭がぼうっしてくる。
「ほら、智くんの顔を思い浮かべて。幸せで胸がいっぱいで、頭の奥まで、身体の奥まで、幸せな感覚で満たされていく。ぼうっとして来て……その事しか考えられなくなって……幸せ。とても……心地良い」
智さんの、ヘーゼル色の瞳が目の前にある。そう、いつも……私を愛して、翻弄してくる、瞳。
「お風呂に浸かっている時ってどんな気持ち? 段々と体が温かくなるよね? リラックスしているから、血流がしっかり回って、身体の奥までポカポカして。気持ちよくなれる。ほら、智くんがもうすぐ迎えにくるよ? だから、そうやってリラックスして、無駄な力を抜いて、可愛い知香ちゃんで智くんを迎えてあげよう?」
ぼうっとしているのに、頭は回転し思考を続けている。必死なのは変わらないけれど、なぜか脳内に、自宅の湯船にゆっくりと浸かっている自分が思い浮かぶ。
「どう? 身体が楽になって来たかな?」
その言葉に、ゆっくりと頷く。鼓動は早いけれど、さっきみたいな、視界が歪むような、クラクラするような感覚はもうない。
「知香はリラックスして俺の言葉を聞いてて、な? 人間って、いろんな面を持ってんだ。笑うのも、怒るのも、悲しむのも、全部、偽りの姿でもあるし、本当の姿でもある。偽りの姿、っつうのは、人間はその気になれば演技ができるってこったな。なぁ、知香。俺がこうやって知香に話しかけている俺は、演技してる俺? それとも真実の俺?」
目の前にいる人が、私の目を見ている。
(……な、んだろう…この、変な感じ…)
酷く、既視感を感じる。
―――私を見ているのに、私を見ていない。
「俺だけを見て、知香」
私を捕らえて―――離さない。私は、もう、目の前の人から逃げられないと知っている。
「俺の目を見つめて? さぁ、俺の名前を呼んで?」
名前? ……なんだっけ、この人の、名前…私を逃してくれない、人の名前…。
「なぁ、知香。今朝、何食べた?」
「…え…?」
朝…何食べたっけ。
パンっと、手を叩く音がして、身体がびくりと震えた。
「だから、言ったろ? 知香は、俺から、逃げられない」
目の前の人が、誰かはわからない。だけど、この人から逃げられないのは、本能的にわかる。だって……3ヶ月間、ずっと、この言葉をくれた人だから。
「ほら……知香。眠ろう。俺と一緒に」
この人の横で眠るのは心地いいはず。だって…ずっと、一緒にいてくれた人、だから。
「階段を降りていくよ。一段、もう一段……ゆっくり、降りていく」
頭の中に、地下に繋がる階段が広がっていく。この人と一緒に、歩いていく。
「……ほら。おやすみ、知香…」
ぼんやりとした意識が、ゆっくりと、沈んで。瞼が降りて―――視界が暗く。ゆっくりと、暗くなっていく。
くすり、と、目の前の人が、わらった声がしたような、気がした。
遠のく意識の向こう側で。悲痛な声で、私の名前を呼ぶ誰かの声がしたけれど。
(……もう、眠いの…)
だって、さっきから、訳の分からない話しばかりで。目の前の人の瞳のことだって、全然わからない。
頭が混乱して、仕方ないから…ちょっとだけ、休ませてほしい。
ゆっくりと。暗くなった空間に、意識を―――この身を委ねていく。
「やぁ。-----くん」
暗くなる意識の中で、目の前のひとが、誰かの名前を、呼んだ。
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