俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

142 溶け込んで、いった。(上)

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 大きなため息が漏れていく。

「この前からお前、ひっでぇ顔しかしてねぇなぁ、邨上」

 そんな俺の様子に、この企画開発部のブースに書類を取りにきた浅田が揶揄うように声をかけてくる。

「っせぇ」

 思わず浅田に殺気立った視線を向けた。
 その瞬間、怖ぇよお前、と浅田が肩を竦める。

「ま、同情はするぜ。お前が今抱えてる仕事、多すぎだ。っつうワケで、手伝いに来てやったんだ、感謝しろよ?」

 ニヤリ、と。浅田が笑いながら、予備のデスクに腰掛けて、俺のデスク上に置きっぱなしにしていた印刷済みのプレスリリース原案を手に取り目を通し始めた。

 文章はある程度完成させたものの、校正を後回しにしていたから浅田の申し出は正直助かる。誤字や言葉の言い回しは自分では気がつかない部分もあるだろう、と、帰宅してから知香に見せつつチェックしようと考えていた。

 ……けれど。浅田がなんの見返りも無しにこういう申し出をするヤツではない、ということは把握している。ギブ&ギブは彼女にしかしない、と公言する男だからだ。俺と一緒にイタリアに出張している時もその話しをしていた。

「……浅田。お前何企んでる?」

 じとっと斜め前の浅田を見遣る。俺の視線に浅田が苦笑したように俺に視線を向けた。

「バレたか。実はさ、俺、土曜日に入籍したんだ」

「は?」

 結婚前提の……学生時代から付き合っている彼女がいる、というのは聞いていた。俺と同じように長い春にならなければいいと願っていたから、入籍した、という報告に思わず笑みが溢れた。

 ……と、同時に。浅田の魂胆がチラチラと見え始める。にこり、と、わざとらしい笑みを貼り付けて浅田に視線を合わせた。

「よかったじゃねぇか。おめでとう。……で、まさかとは思うが、俺にスピーチを頼みてぇってことか?」

 俺のわざとらしい微笑みに浅田が同じようにわざとらしく笑いながら応戦してくる。

「そそ。6月に結婚式すんの。邨上にスピーチ頼めねぇかなって」

 浅田の結婚は喜ばしいことだ。社会人となってから得た親友。その存在がいかにありがたいことか。本音も弱音も、全て曝け出して話せる貴重な人間だ。

 とはいえ、現在俺が抱えている仕事量を鑑みると、今のこの状況ではスピーチの文章を作ることまで手が回るかどうか。

 恐らくそれすらもわかっていてスピーチをして欲しいと口にする浅田も、俺と同じように俺のことを貴重な存在だと思ってくれているのだとは思う。

「……お前、俺が抱えてる仕事量わかっててそれ言ってんの?」

「お前だったら出来るだろ~?先週突然作れって言われたプレスリリースの原案だってここにもう仕上がってんだ、それくらい楽勝だろ?」

 俺の問いかけに浅田が愉しそうに笑いながら、手に持ったプレスリリース原案の資料をひらひらと振っている。

 先週の金曜日……決算の日に、池野課長にぶん投げられたプレスリリースの原案。あの池野課長のことだ。正直、年明けから何かしらを投げられるだろうなとは考えていたから、ある程度文章を纏めてしまっていた。だからこそ手早く原案を纏められただけであって、今回のように全く別方向から投げられるとは予想もしていなかった。

「お前はあれか、池野課長か?揃いも揃って俺を崖っぷちに追いやるのが好きだな」

 呆れたように浅田のぱちりとした二重の瞳を見つめ、手に持ったペンを置いて椅子に深く沈み込んだ。

 今俺が口にした、崖っぷちに追いやる、という言葉が『是』を意味する、と、浅田には伝わるだろう。

 浅田の結婚は喜ばしいし、スピーチももちろん請け負う気ではいる。が、この状況では文句のひとつくらい言ってやっても罰は当たらないだろう、と考えての言葉。

「ま、お前は断らねぇってわかってたよ。よろしくな、親友」

 幸せそうな笑みを浮かべる浅田。その幸せオーラにあてられて、少々気分が落ち込む。





 俺が知香に―――プロポーズ出来る瞬間はいつ訪れるだろうか。

 今はお互いに非常に仕事が立て込んでいる。知香は知香で、片桐や小林が抜けた通関部を支える大黒柱のような存在だ。今日から配属となるはずの新入社員の教育も行うと言っていたし、通関士の勉強もしている。

 お互いに、そういう時期ではないと考えている。だからこそ……予約済、というような曖昧な言葉しか、知香に伝えられない。

 今は本当にそういう時期ではないのだ。俺と知香の関係を新部門が軌道に乗る前に公にしてしまえば、三井商社は極東商社に便宜を計ってもらっている、だから新部門を軌道に乗せられたのでは、と、疑惑の視線を向けられてしまう。

 結局は、どう足掻いたってこの新部門を軌道に乗せてからの話、だ。

 落ち込んでいく気分を振り払うように、ふるり、と、頭を軽く振って、結婚式の日締め切り日を確認する。

「で、式はいつだ?」

「6月25日。日曜日だ」

 告げられた日付けに思考が一瞬停止する。

 6月25日。俺の、誕生日。

 前日の24日は知香と付き合い始めて半年になる記念日。株主総会がその4日前の6月20日……俺の仕事も一旦落ち着くだろうと考えて、知香と近場の温泉街に1泊旅行にでも行こうかと考えていた。

「……了解」

 仕方ない。親友である浅田の頼みだ。知香には違う形で埋め合わせを考えるしかない。知香に心の中で小さく謝って、目の前の浅田に視線を向けた。





「んで?あれから眠れてんの?」

「……」

 浅田の言葉に返す言葉もなかった。ふい、と、浅田から視線を外す。

 知香の様子が気になって、毎晩度々起きて知香の様子を確認している。それ故に、慢性的な寝不足になっていることは自覚している。

 イタリア出張で浅田と打ち解け、あっという間に親友と呼べるような親しい間柄になった。それこそ、今回のようにスピーチを依頼されるような間柄に。故に、浅田だけには……今回の顛末がもたらした俺の中に巣食う黒い感情を吐き出せた。

 浅田が悲愴な面持ちをする俺に呆れたように言葉を投げつける。

「いつまでも逃げていられるもんじゃねぇよ、そんなんは。彼女にはお前の本音言ってねぇんだろ?」

「言えるか、こんな情けねぇこと」

 知香に、こんな情けないことは言えない。手を引くと言われた片桐の影に怯えている、など、情けないことは。

 あのなぁ、と。浅田が大きくため息をつく。



「お前も彼女もエスパーやテレパスなのか?」



 浅田のその言葉に一瞬息が詰まった。

「俺も嫁と喧嘩した時にいつも言われる事なんだけどよ?俺ら、テレパシーが使えるわけじゃねぇだろ?思ってることはちゃんと言わねぇと伝わんねぇんだ」

「……」

 正論だ。ぐうの音も出ない。 

 すれ違いをしたあの日。身体だけでなく、言葉も重ねようと約束した。それでも。

「……万が一……拒絶でもされたら…それこそ、取り返しのつかないくらい傷つけるような酷い事をしちまうかもしれねぇ………」

 知香の中に片桐が刻まれているかもしれない。そう考えるのは、知香を守りきれなかった自分への怒りがあるからだ。知香が俺をしっかり見ていると自分でも納得出来れば、この感情は消え失せるはず。

 ……そう、考えていた。時を経るごとに、この感情の揺れ幅が大きくなってしまうとも知らずに。

 はぁ、と、大きなため息をついて、手元の出張報告書に目を落とす。新部門は実行フェーズに移った。それもこなしつつ、出張報告書も完成させなければならない。イタリア出張を終えて1週間にもなるというのに、報告書は真っ白なまま。

 出張報告書に手をつけるたびに、あの夜の出来事が蘇って、手がつけられずにいたのだ。結局、その他の業務……プレスリリースの原案を先に作り上げてしまって、ずっと……出張報告書だけは、こうして後回しにしてしまっている。

 浅田が再び呆れたように声をあげた。

「いい加減にしろ。子どもじゃあるめぇし。いい大人だろうが」

 浅田が書類を持っていない右手を真っ直ぐにのばして、スコン、と。手刀を軽く頭に落としていく。そうして、それともあれか?と、面白そうに声をあげた。

「池野課長に雷落とされねぇとお前はだめか?」

「……それは勘弁してくれ」

 入社当時に幾度も向けられた、あの柔和で般若のような笑みを脳裏に浮かべるだけで背筋が凍る。

「だろ?だったら、一歩踏み出せ。そして元のお前に戻れ。リーダーらしく堂々としてろ。今度は水産チームとノルウェーでの商談が待ってるんだろ」

「……ん」

 今月の末……ゴールデンウイークの直前には、今度はノルウェー出張が控えている。イタリア出張の時と同じく1週間という短期間とはいえ、ふたたび知香と離れてしまう。それまでに、きちんと知香と向き合わなければ。己の恐怖と向き合わなければ。
 短期間とはいえ、言葉を交わすこともできない間に、知香の気持ちが離れてしまって……本当に、知香が俺の手から離れていってしまうかもしれない。

「……」

「愛しているからこそ失うかもしれねぇって思っちまって怖くなるのもわかるけどな。……愛しているからこそ彼女に向き合ってやれよ。俺らは、テレパスやエスパーじゃねぇんだ」

 先ほどと同じような突き放すような口調で浅田が俺に言葉を投げつけてくる。その浅田なりの優しさに、強く込み上げる感情があって。のろのろと顔を上げて、ゆっくり頷いた。

 じゃぁな、と、浅田が手を上げて、バタン、と。廊下へ繋がる扉を締めて、浅田の足音が遠くなっていく。

 浅田が俺のデスクに返したプレスリリースの原案。いつの間にか、赤字でいくつかチェックマークが入っていた。その原案を手に取り、じっと眺める。

「……」

 知香の、今年の誕生日まで。それまでには、いろいろなことに決着をつける。

 知香がこちらに引っ越してきた時に改めて決めた、俺の中の、期限。

 同棲は、あくまでも期間限定。1年を目安に、結婚に踏み切れるように。俺と絢子のように、長い春にならないように。自分の中でそう決めたのだ。

 それまでに新部門を軌道に乗せ、課長に上がる。幹部になれば、黒川は俺に手出しができなくなるはずだ。

 片桐のことについては……俺の中の、問題。ノルウェー出張に出るまで……そのタイムリミットまでには、己の中の恐怖と向き合わなければならない。


 知香の、今年の誕生日までに。全てを、片付ける。


 改めて心に決めて、赤字訂正が入ったプレスリリース原案に目を通そうとした瞬間、内線が鳴った。緩慢な動作で受話器を取り上げる。

 内線は電話交換室からだった。極東商社通関部から池野課長宛てに。池野課長は今日は外出しているから、次席の……課長代理である俺に繋いでも良いか、とのことだった。

 恐らく、朝方に池野課長が水野さんにメールを送った移入承認申請の件だろう。俺宛にもCCで飛んできていたメール。
 ということは、電話の相手は水野さん。そう踏んで、こちらに回してくださいと告げ、接続音が途切れたと同時に、電話応対用の声をあげた。

「申し訳ありません、池野が外出しておりますのでわたくし邨上が承ります」

 電話の向こう側で不自然な空白があった。電話機の調子が悪くて俺の声が途切れていたのだろうか。再度名乗ろうとした瞬間。

『……極東商社通関部の一瀬です。池野さまからご依頼頂いていた移入承認申請の件でお電話いたしました』

 思わずひゅっと息を飲んだ。さっきまで脳裏に浮かべていた知香の声が電話口で響いている。

「……あ、はい」

 知香の仕事用の落ち着いた声が響いている。どくりと心臓が跳ねた。

 内容が左から右に抜けていきそうになるのを必死に堪えてメモを取っていく。

 カチャリ、と、受話器を置いて。

「……焦らせんなよ…まじで……」

 がっくりと、デスクに上半身を寝そべらせた。

 さっきまで、知香に関することを考えていたから。思わず焦ってしまった。
 知香に営業のイロハを教えているが、口酸っぱくして伝えているポーカーフェイスだなんて、今の俺には難しい。


 なにより。急に聞けた愛しいヒトの声。


 それに心臓が走らないわけもない。


「……はぁ………」


 今は俺だけが在籍する企画開発部。

 そのひとりだけの空間に、小さなため息が。

 ゆっくりと……溶け込んで、行った。

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