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本編・第三部
【幕間】ほんの、些細な気持ち。 ~ end of spring.
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目の前に広がる、真梨さんの手料理。大量の小鉢の色鮮やかさに劣らない、春を連想させる料理の数々。思わず感嘆のため息が漏れる。
「……すごいですね」
まだ実家に住んでいた頃。叔父に連れられて行った九十銀行の融資先の、五つ星の有名な料亭で口にしたような。
そんな本格的な春の懐石料理が、目の前に広がっていた。
真梨さんが、普段俺が立っているはずのキッチンとリビングを、せわしなく行き来している。その度に、ふわり、と、三木さんの明るい髪が揺れ動いている様子を、目の前に広がる料理に箸をつけながら視線だけで追っていく。
最後の料理と思われる『止め椀』に、伊勢海老の味噌汁が目の前に置かれて、真梨さんが俺の隣に座り込んだ。そうして、少しだけ不機嫌な様子で口を開く。
「先輩を断りなく泊めたことは謝るけど。今日、あんたに食べさせる前に。……なんていうか……その、」
そこまで勢いよく口にして、言いづらそうに口の先をすぼめた。ちらり、と横目で真梨さんを見遣ると、耳や首筋がほんのり赤くなっている。
「……」
真梨さんのその表情で、なるほど、と。なんとなく合点がいった。小さく息をついて……素直じゃない真梨さんからの返答はないとわかっていながらも、小さく言葉を紡いだ。
「俺に食べさせる前に、試作品を一瀬さんに食べてもらったってことですね」
だから、俺に一瀬さんを泊めると言わなかった。というより、言えなかった。
この料理を、いわば―――サプライズのように、俺に食べさせたかったから。
その推測を口にしながら、真梨さんが注いでくれた日本酒をちびりと呷る。ふたたび、ちらり、と真梨さんの表情を盗み見ると、真梨さんはさらに赤くなって、頬を膨らませている。
むすっとしたような真梨さんの表情が、なんだかおかしくて。少しだけ口元が緩む。
「……なによ。私の顔になにかついてる?」
真梨さんを横目でじっと眺めていたのがわかったのだろうか。真梨さんがテーブルの上の小鉢に手を伸ばして。浅田に向けていたようなじとっとした目で、隣に座る俺を見上げている。
真梨さんの真っ赤になったその表情に、なんともいえない、こそばゆい感情が湧き上がってきて。ふたたび日本酒の入ったグラスに、そっと口をつけた。
「………先輩に出したメニューとは、一部…作り変えてあるわ。それと、浅田には私の料理を食べさせたことは一度も無いし、……6月25日にはアイツの結婚式があるの」
「……」
響介、ではなく。浅田、と。真梨さんは口にした。それはきっと。いや、紛れもなく。俺への配慮だろう。
真梨さんが。ぎゅう、と。手に持った淡いピンク色の、桜の形をした器を握りしめて。隣に座る俺とは反対の方向に顔を逸らせた。
「……その。お、男の人に…料理をっ、食べさせたの、は……」
そこまで口にして、言い淀んだ真梨さんが逸らした顔を更に俯かせる。キラリ、と。俺が贈ったネックレスが、紅い華がチラチラと咲き誇る首筋に、その存在を主張するかのように煌めいた。
「……た…達樹が、は、じめて……だから……」
絞り出すような。真梨さんの隣に座っている俺の位置でないと、聞き取れないような。そんな、囁くような小さな声が、ふわりと春の風だけが吹き抜ける静かなリビングに響いた。
それはまるで。その赤い唇から紡ぎだす俺の名前が、恥ずかしくて仕方ない、というような。そんな、素振りだった。
その素振りに。ちっとも素直じゃない真梨さんは、恥ずかしさを必死に堪えながら。俺の不安を、俺の嫉妬を。そのすべてを包んでくれようとしている、と気がついて。
俺はふたたび、少しだけ口元を緩ませた。
歪な関係から始まった……とんでもなく口下手な俺と、とんでもなく素直じゃない真梨さんという、有り得ないほど不器用な組み合わせの俺たちは。
俺たちなりの速度で、ゆっくりと。時にすれ違いながら、時に嫉妬しながら。時に、想いをぶつけ合いながら。
それでも、一歩ずつ。
不器用なお互いを、補うように。どちらかが先を歩くのではなく、一緒に。こうして、隣に寄り添って。
俺たちの速度で、俺たちの思うように……ずっとふたりで。歩んでいければいい。
そう、素直に思った。
ふわり、と。開け放ったリビングの窓から、春の穏やかな風が吹き抜ける。
その風に乗って。散ってしまった桜の、最後の甘い香りが漂ったような。
そんな、気がした。
「……すごいですね」
まだ実家に住んでいた頃。叔父に連れられて行った九十銀行の融資先の、五つ星の有名な料亭で口にしたような。
そんな本格的な春の懐石料理が、目の前に広がっていた。
真梨さんが、普段俺が立っているはずのキッチンとリビングを、せわしなく行き来している。その度に、ふわり、と、三木さんの明るい髪が揺れ動いている様子を、目の前に広がる料理に箸をつけながら視線だけで追っていく。
最後の料理と思われる『止め椀』に、伊勢海老の味噌汁が目の前に置かれて、真梨さんが俺の隣に座り込んだ。そうして、少しだけ不機嫌な様子で口を開く。
「先輩を断りなく泊めたことは謝るけど。今日、あんたに食べさせる前に。……なんていうか……その、」
そこまで勢いよく口にして、言いづらそうに口の先をすぼめた。ちらり、と横目で真梨さんを見遣ると、耳や首筋がほんのり赤くなっている。
「……」
真梨さんのその表情で、なるほど、と。なんとなく合点がいった。小さく息をついて……素直じゃない真梨さんからの返答はないとわかっていながらも、小さく言葉を紡いだ。
「俺に食べさせる前に、試作品を一瀬さんに食べてもらったってことですね」
だから、俺に一瀬さんを泊めると言わなかった。というより、言えなかった。
この料理を、いわば―――サプライズのように、俺に食べさせたかったから。
その推測を口にしながら、真梨さんが注いでくれた日本酒をちびりと呷る。ふたたび、ちらり、と真梨さんの表情を盗み見ると、真梨さんはさらに赤くなって、頬を膨らませている。
むすっとしたような真梨さんの表情が、なんだかおかしくて。少しだけ口元が緩む。
「……なによ。私の顔になにかついてる?」
真梨さんを横目でじっと眺めていたのがわかったのだろうか。真梨さんがテーブルの上の小鉢に手を伸ばして。浅田に向けていたようなじとっとした目で、隣に座る俺を見上げている。
真梨さんの真っ赤になったその表情に、なんともいえない、こそばゆい感情が湧き上がってきて。ふたたび日本酒の入ったグラスに、そっと口をつけた。
「………先輩に出したメニューとは、一部…作り変えてあるわ。それと、浅田には私の料理を食べさせたことは一度も無いし、……6月25日にはアイツの結婚式があるの」
「……」
響介、ではなく。浅田、と。真梨さんは口にした。それはきっと。いや、紛れもなく。俺への配慮だろう。
真梨さんが。ぎゅう、と。手に持った淡いピンク色の、桜の形をした器を握りしめて。隣に座る俺とは反対の方向に顔を逸らせた。
「……その。お、男の人に…料理をっ、食べさせたの、は……」
そこまで口にして、言い淀んだ真梨さんが逸らした顔を更に俯かせる。キラリ、と。俺が贈ったネックレスが、紅い華がチラチラと咲き誇る首筋に、その存在を主張するかのように煌めいた。
「……た…達樹が、は、じめて……だから……」
絞り出すような。真梨さんの隣に座っている俺の位置でないと、聞き取れないような。そんな、囁くような小さな声が、ふわりと春の風だけが吹き抜ける静かなリビングに響いた。
それはまるで。その赤い唇から紡ぎだす俺の名前が、恥ずかしくて仕方ない、というような。そんな、素振りだった。
その素振りに。ちっとも素直じゃない真梨さんは、恥ずかしさを必死に堪えながら。俺の不安を、俺の嫉妬を。そのすべてを包んでくれようとしている、と気がついて。
俺はふたたび、少しだけ口元を緩ませた。
歪な関係から始まった……とんでもなく口下手な俺と、とんでもなく素直じゃない真梨さんという、有り得ないほど不器用な組み合わせの俺たちは。
俺たちなりの速度で、ゆっくりと。時にすれ違いながら、時に嫉妬しながら。時に、想いをぶつけ合いながら。
それでも、一歩ずつ。
不器用なお互いを、補うように。どちらかが先を歩くのではなく、一緒に。こうして、隣に寄り添って。
俺たちの速度で、俺たちの思うように……ずっとふたりで。歩んでいければいい。
そう、素直に思った。
ふわり、と。開け放ったリビングの窓から、春の穏やかな風が吹き抜ける。
その風に乗って。散ってしまった桜の、最後の甘い香りが漂ったような。
そんな、気がした。
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