俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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「………」

 智よりも、少しだけ…背が低い彼の横顔。彼よりも背の高い片桐さんを、じっと見返している。

 通関部から畜産販売部へ異動となった彼。あの夜に、やっと前に進める、と口にした彼が、ここで割り込んでくるとは予想だにしなかった。彼の横顔に浮かぶ黒い瞳を見つめて思わず目を数度瞬かせる。

「………やぁ、小林くん。君はもうのはずだけど?」

 へにゃり、と。片桐さんが人懐っこい笑みを浮かべた。そうして、ヘーゼル色の瞳が、すぅ、と。僅かに細められる。片桐さんの口から転がってきた『無関係』という単語に、小林くんが小さく身動ぎした。

「……無関係、ではあります。ですが、強引に迫られ方を庇うのは、ひとりの人間として当然の行為かと思いますが」

 静かに、でも確かに低い声で、小林くんが片桐さんと対峙している。

「………あはは、なるほどねぇ。そうきたか」

 片桐さんが長い指で頬を掻いた。そのまま、するりと手のひらを額に当てて、困ったように眉根を動かしている。

「んん~、これは小林くんに一本取られちゃったね~ぇ?」

 その言葉を紡いで、少しだけ考え込むように、じっと。小林くんの睨みつけるような表情を、見つめている。

 しばらくの沈黙の後。くすり、と。片桐さんが声を上げて笑った。

「……こうなっちゃうと、俺はもう退散するしかないよね~ぇ?小林くん、騎士ナイトとして彼女をしっかり守るんだよ?」

 軽いウインクを小林くんに飛ばしながら、戯けたように発せられた言葉。それはまるで小林くんに言い聞かせるかのようで。私も小林くんも、一瞬、虚をつかれた。

 片桐さんがひらりと背広の裾を翻した。背後の螺旋階段に繋がる扉に手をかけ、ギィ、と。蝶番が軋む音がエレベーターホールに響いて、片桐さんの背中がその扉に消えていった。

 彼の背中が見えなくなるのを見届けて安堵のため息を小さくつきながら、間に入ってくれた小林くんに声をかける。

「小林くん、ありがとう。ここのところ毎日こうだから、本当に助かったわ?」

 謝意を口にしながら、私はぺこりと頭を下げた。

 本当に助かった。この2週間、付き纏われるのはエレベーターホールから最寄駅のホームまでだけれども、今日はもしかしたら自宅まで着いて来られたかもしれなかった。その場面を想像して、思わず眉間に皺が寄る。

「………いえ。ご無事で何よりです」

 小林くんが、片桐さんが消えていった扉をじっと見つめながら、私の言葉に小さく頭を下げる。チン、と軽い音がして、エレベーターの到着音が響いた。

 ふたりで到着したエレベーターに乗り込んで、畜産販売部から依頼されている通関に係る業務上の会話を交わしていく。

「この前の……三井商社の手違いで産地が違った輸入の件。商売決まったの?」

 ゴールデンウィークに入る直前に、小林くんから税関への不服申し立てを依頼されたあの件。ゴールデンウィークが明けて無事に通関が切れ、輸入手続きが完了したという報告を、水野課長に向けて西浦係長が行っているのは把握していた。でも、それから小林くんとも全くやり取りしておらず、その先の商売の行方が気になっていた。

 隣に立つ小林くんに問いかけると、独特の浮遊感があって1階のエントランスに到着したことを認識する。小林くんが『開』ボタンを押してくれているのを確認して、「ありがとう」と頭を下げる。小林くんはそのまま淡々と言葉を紡いだ。

「あぁ、はい。この辺りのスーパーに卸している小売業者に」

「そっかぁ……良かった」

 無事に商売が成立している、というこの一言で、無関係だった私までほっと胸を撫で下ろすような感覚になれるのだから、当の本人である小林くんは相当ほっとしただろう。

 エントランスを抜けて正面玄関に向かう。自動ドアが開くと、夏に向かう若々しい緑の風が吹き抜けて私たちの髪をサワサワと揺らしていった。目の前にある交差点に向かい、最寄駅へ降りていく階段に足を踏み入れていく。


 ずっと光が沈まない、この街の雑踏。上京してきた時はこの光景に圧倒されたし、こうして夜になっても、街の灯りで夜空の星が見えにくいことにひどく衝撃を受けたけれど。
 最近は目が慣れてきたのか、この街の夜空に浮かぶ星たちもこの目に映せるようになってきた。高層ビルの隙間から昇り始める白い月が黄金色に染まっていく、なんとも言えないシーンは胸を打つものがある。

 地元のあの夕焼けは世界一綺麗だと思う。けれど、都会の……夜が深まっていく群青色も、それに負けず劣らず綺麗だ。そんな些細なシーンをこの目に映せる、という、幸せ。

 ひとりだった頃には、持ち得なかったこの感覚。智と出会ったからこそ……感じられる、日常の些細な幸福。


 そんなことを考えながら、ゆっくりと。ホームに繋がる階段を降りていく。

 ホームに降りると大きく風が吹き付けて、ふわりと私のフレアスカートが膨らんだ。視線を前に向けると、私たちが乗り込む方向の電車が滑り込んで来て、その風を生み出しているようだった。

「あっ!小林くん、電車来てるよ!」

 到着している車両を認めて、隣を歩く小林くんに視線を向ける。小林くんの自宅は私が帰る方向と同じ方向。この駅から二駅のところに小林くんは住んでいたはず。そうして弾かれたように走り出そうと足を踏み込むと。

「……すみません、えっと…俺、ちょっと、向こうの交差点で待ち合わせしていて」

 小林くんがあどけない少年のような顔立ちを困ったように歪めて、すっと人差し指を向ける。目的の車両に向けて走り出しそうな身体が、見えない糸に引っ張られるように停止した。

「えっ、そうだったの?」

 小林くんが指さした方向。それは、年始に片桐さんの歓迎会兼新年会をしたお店がある方向だ。この駅からは反対方向にあたる。

「ごめん、その人と待ち合わせしてる時間とか大丈夫だった?」

 真っ直ぐに帰るだろうと思い込み、彼の予定も確認すらせず、彼に離れる時間すら与えずに問答無用でこちらにグイグイ歩いてきてしまったけれど。待ち合わせているその人にも気の毒なことをしてしまった。
 今日は金曜日。南里くんが徳永さんとデートの約束をしていると予想したように、小林くんも何かしらの予定があるに違いない。例えば、藤宮くんと飲みに行く、とか。彼らふたりは大学の同期で、あの合コン以降よく飲みに行っているようだったから。

「一瀬さん」

 小林くんに悪いことをした、という焦りから、あちらこちらに散らばった思考が、小林くんの凛とした声で現実に引き戻される。その声にはっと我に返って、目の前にある黒い瞳を見つめた。

「………片桐の、目。以前に比べて、なんというか…違和感があるような気がして」

「……え?」

 片桐さんの、目。違和感がある、というのは、どういうことなのだろう。目を瞬かせていると、小林くんが戸惑ったように視線を彷徨わせた。

「………俺には、片桐の真意はわからないです。でも…なんとなく、そう感じただけなのですが…」

 小林くんにしては歯切れが悪い。彼の中でも表現しようのない違和感だったのだろう。

 ぐっと。小林くんが拳を握り、ふい、と。一度視線を足元に落として。ゆっくりと顔を上げて、言葉を紡いだ。

「……とにかく、色々と。気をつけてください」

 普段から感情を表に出さない小林くんの、黒曜石のような澄んだ瞳が。ふるふると小さく揺れ動いているのが、印象的だった。







 小林くんに別れと改めて謝意を短く伝えて、滑り込んできている電車に乗りこんだ。

(……片桐さんの、目…)

 小林くんの言葉を心の中で反芻しながら、つり革に手を伸ばしていく。

 片桐さんが私に向けていた目は、いつもと同じように感じた。何を考えているのかわからない……蛇のような、ヘーゼル色の瞳。

 じっと考え込んでいると、何となく……視線を感じる。探るような、それでいて好意に近い何かを孕んだ視線。

 視線を感じた方向に顔を向けると、三木ちゃんにそっくりの二重の瞳と視線がかち合う。視線が絡んだ彼が誰なのかを瞬時に理解して、先ほど感じた視線の意味を悟る。

 動き出して左右に揺れる車内でバランスを崩さないように慎重に足を運んで、そっと彼に近寄った。

「浅田さん、お久しぶりです」

 にこり、と、営業スマイルを向けながら小さく頭を下げた。浅田さんの近くに寄ると、浅田さんの身体で隠れていた大型犬のような彼とも視線がかち合った。

「藤宮くんも。久しぶり」

 先ほど別れた小林くんは藤宮くんと待ち合わせているのではと思っていたけれど、ここに藤宮くんがいるということは、私の予想は外れ、ということなのだろう。

「やっぱり一瀬さんだった。お疲れさまです」

 浅田さんも藤宮くんも、にこりと外向けの笑顔を向けてくれている。そのふたりに視線を合わせて、改めて頭を下げた。

「今回の一件に関して、ご協力いただいて本当にありがとうございました。そして、私たちのこと、ずっと黙っていてすみませんでした」

 黒川さんの不正を暴くにあたって、浅田さんと藤宮くんの協力を得るために、彼らにだけは私のことや私たちに起こった出来事の全てを話している、と、智から報告を受けていた。だから、こうして彼らと偶然でも遭遇できたのは本当に僥倖だと感じる。いつかは自分の口でしっかりお礼を伝えたい、と思っていたから。

「とんでもないです。アレは邨上との確執が生まれる前から手を染めていたようでしたので。それがエスカレートして尻尾を掴めた。今となってはアレを排除できる良い結果に繋がったと思っています」

 にこり、と、屈託のない笑みが私に向けられて、短く切り揃えられた短髪が揺れる。その動作にほっと一息ついた。


 そう。あの日以降、池野さんや他の役員さんたちが調べたところ、黒川さんは智との決定的な確執が生まれる昨年夏よりもずっと前から、架空取引を行っていたのだそうだ。三井商社として発表した決算を過去に遡って訂正を行なっていることもあり、智は連日その作業にも駆り出されているようだった。


「まぁ……今、邨上は虚偽の理由で鍵を預かったことの懲罰として、池野にかなりこき使われてますけれどもね」

 浅田さんはそう口にして、頬を掻きながら苦笑いを私に向けていた。


 あの時の智は、故意ではないとはいえ、かっとなって黒川さんに喧嘩を売る形になり、智自身を引き摺りおろすために黒川さんが不正取引に手を染めたのだと考えていた。だから自分が秘密裏に動いて暴くべきだ、と考えていたのだろうけれども。……嘘をついてまでそうやって動いたのは、やっぱり私は間違っていると思う。

 智に下される予定だった処分。減給や賞与査定への影響については、この決算訂正の業務に関わることで相殺になる、と、智からも聞いている。

 嘘をついた罰はあって然るべき。だからこそ、私はこの連日の残業も仕方ないことだと納得しているし、償いとして頑張って欲しい、と思っている。


 ふい、と。浅田さんの向こう側に立っている藤宮くんに視線を向けた。

「藤宮くんも。ありがとうございました」

 彼は小林くんの大学の同期。社会人2年目で、社会の闇とも言える部分に触れて……驚いただろうし、どんなに怖かっただろう。ぺこり、と、ふたたび頭を下げると、浅田さんが戯けたように肩を竦めた。

「や、コイツはいいんです。解決したあと邨上の胸の中でビービー泣いてましたから」

「え、ええ?」

 浅田さんは三木ちゃんを彷彿とさせるような悪戯っぽい笑みをその顔に浮かべながら、藤宮くんを指さした。紡がれた言葉に思わず目を瞬かせる。

「ちょっ、浅田さんっ!酷いっスよ、そんなこと女性の前でバラさないでくださいよ!」

「んだよ、本当のことだろ~?」

 藤宮くんが慌てたように浅田さんの腕を掴んで揺らした。その頬は僅かに赤らんでいる。
 そんな藤宮くんを心底愉しそうに見遣っている、ぱちりとした二重の瞳。ふたりのそのやり取りがなんだかおかしくて、くすりと笑みが溢れた。

 ゴールデンウィーク前に、浅田さんと智のやり取りをこうして電車の中で耳にした時……智は浅田さんに対してかなり心を開いていて、全幅の信頼を寄せているのだと感じた。
 藤宮くんと智のやり取りも、私が智と出会ったあの合コンの場で耳にしている。藤宮くんに対しても同様なのだろう。

 ふたりを眺めていると。ふたりの間に、智が立って、3人で会話をしているようなシーンが脳裏に再生された。その映像には違和感が全くない。

(……いい人たちに巡り会えて、仕事が出来てるんだね…)

 辛いことも苦しいことも。吐き出せる、仲間がいる。智が私と離れて過ごしている時間の一部に触れられたような気がして。

 小林くんに…気になる言葉で忠告されて、少しだけ冷えていた心が。ほんわりと…あたたかくなったのを感じた。
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