俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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「……」

 硝子天板のローテーブルに置いた私のスマホ。そのスマホにストップウォッチ画面を起動させて、リビングに立ったままのダークブラウンの瞳に視線を合わせた。
 私のスマホの隣には智のスマホも置いてある。こちらは録音画面を起動させている。それぞれのスマホのディスプレイに表示された『スタート』ボタンを、両手で慎重に、同じタイミングでタップする。

「響介さん、雛子ひなこさん。ご結婚おめでとうございます。並びにご両家の皆様、本日は誠におめでとうございます。こんなに素晴らしい結婚式でおふたりをお祝いすることができて、とても嬉しく思います」

 智の溌剌とした声が、リビングに響いていく。手に持った原稿を朗々と読み上げていく様子を眺めつつ、智の真後ろにある、泣き出した空から落ちてくる水滴がたくさん付いた窓ガラスに視線を移した。


 あっという間に、浅田さんの結婚式まで1週間、という日曜日を迎えた。智は友人スピーチを頼まれているとのことで、先週からこうして何度か読み合わせ練習に付き合っているのだ。

 原稿は招待状が届く前に完成させていたようだけれども、こうやって読み合わせに付き合うと、重ね言葉があったり、もう少しソフトな表現に変えた方が、と感じる部分があって。それらをいくつか指摘した上で、こうしてストップウォッチで所要時間を計り、早口でないかとか、録音機能を使って声のトーンについてだとか、そう言ったことを確認する最終段階になっていた。


「これから嬉しいこともたくさん、中には大変なこともあると思いますが、どんな時でもお互いを信じて、幸せな家庭を築いていってください。おふたりならきっと、あたたかく明るい家庭を築いていけると思います」

 智の声が、そこで一瞬詰まった。何度も読み合わせに付き合っている私は、その先の言葉を知っているから。智の胸の中に込み上げている、浅田さんへの感謝の気持ちで……声が詰まったのだと察する。思わず、私も貰い泣きしそうになるのを、唇を噛んで堪える。

「……壁にぶつかったときは、いつも力になりたいと思っている友人がいることを忘れないでください。これをもちまして、おふたりへのはなむけの言葉とさせていただきます。ありがとうございました」

 締めくくりの言葉が智の薄い唇から紡がれたの確認して、テーブルに置いたふたつのスマホのディスプレイに表示された『ストップ』ボタンをタップする。

「……うん、4分25秒。いい感じなんじゃないかな?」

 私のスマホに表示された時間を読み上げる。友人スピーチとして、長すぎず短すぎない、適切な長さなのではないだろうか。先ほどの練習では意識してゆっくり話していたから5分を超えてしまったけれど、今回は完璧に近いと思う。
 私の言葉に、ほぅ、と。智が安堵のため息をついて、身体がゆっくりと弛緩していく。

「安請け合いするもんじゃねぇなぁ、こんなに大変だとは思わなかったぞ……」

 がっくりと肩を落とす智の姿に苦笑しつつ席をたち、録音画面を起動させていた智のスマホを手に取ってするりと手渡した。

「ちゃんと録れてると思う」

「ん、ありがとな」

 そっと顔をあげると、ふわり、と。智がやわらかい笑みを私に向けてくれていた。そうして、困ったようにガシガシと頭を掻いて、言葉を続けた。

「池野課長、主賓スピーチもする上に明後日の株主総会の練習もしてんだろなー。やっぱすげぇや、あの人」

 そう。池野さんも、浅田さんの結婚式にお呼ばれしているらしい。そして浅田さんは、池野さんに主賓スピーチをお願いしているのだそうだ。その上に、彼女は明後日に開かれる、三井商社の株主総会にも出席するそうで。
 株主総会では黒川さんが引き起こした不正取引事件の顛末の報告と、新部門のプレスリリース会見を担当するそう。池野さんは三井商社を動かす幹部陣、所謂役員という立場とはいえ、矢面に立つ場が多くて今は大変な時期だろう。

「録音、確認してね。じゃ、着替えてくる」

 今日は日曜日だから、智のスピーチの練習が終わり次第、日用品等の買い出しに連れて行ってもらうことにしていたのだ。朝起きて軽く家事をして、そのままスピーチの練習に付き合っていた。私が身支度を整えている間に、複数回録音した音声を聞いてもらっていた方が合理的だろうと考えて、敢えて寝間着から着替えることもせずにいた。

 智が長い足を捌いてソファに歩み寄り、腰を下ろしてするりと足を組んだ。そのまま、テーブルの上に無造作に置かれていたイヤホンを手に取りスマホに接続して、イヤホンを耳につけている様子を視界の端で確認しつつ、脱衣所に足を踏み入れていく。

 洗面台に立ち、顔を洗って化粧水をパッティングしていく。

(……スピーチとか凄いなぁ。私、絶対緊張して噛んじゃうと思うな…)

 私は緊張しいなタイプだから、智に付き合ってもらってどんなに練習したって、きっと噛んでしまうだろう。さっきスピーチの練習をしている智は緊張しているようには見えなかったけれど、終わった後に身体が弛緩していたのを見ると、それを表に見せないだけで緊張していたのだろうか。

(……そういえば、帰省した時にお父さんに挨拶するときも。直前まであんなに緊張していたみたいだったのに)

 あんなにも緊張しているのが、運転席に座っていた真横の私にも伝わるくらいだったのに。あの時の饒舌さを思い出すと改めて感心してしまう。やはり智にとってはポーカーフェイスはお手の物、なのだろう。

 もう梅雨入りしてしまったけれど、来週は晴れるといいなぁと心の中で呟きながら手早く着替えてリビングに戻り、私の自宅から持ってきた白い化粧台でメイクを施していく。

 今日は初夏らしく青みがかったシフォンのトップスに深い藍色のスキニージーンズを合わせた。足下はウエッジソールの白いサンダル。メイクはパープル系で纏めて、口紅はいつもの優しげな赤を選ぶ。

(……仕事中もずっとこの口紅だから、もう無くなりそう。今日の買い物リストに追加しておこう…)

 去年のクリスマスにこの色の口紅を手にしてから、他の色の口紅を纏うと少しだけ違和感があるように思えて。それ以来ずっとこの色だ。スマホのメモ機能を起動させて、買い物リストに手にした口紅の品番を打ち込んで。

「準備できたよ~」

 くるりと身体を反転させてリビングに顔を向けると、智がイヤホンを外して、その長い指で手に持ったイヤホンをくるくると巻いているところだった。切れ長の瞳が優しく細められて……ゆっくりと、視線が絡み合う。

「よし、行くか」

 智が楽しそうに笑いながら、ソファから身体を起こした。私も自分の外出用の鞄を手に持って、智から贈ってもらったイヤリングを付けながら、ふたりで玄関に向かう。智が車の鍵を持ったのを確認して、玄関の鍵を閉めた。









 パラパラと。空から落ちてくる雫が、私たちそれぞれが差している傘に当たって反響していく。

「……来週、晴れるといいねぇ…」

 ほう、と。ため息をつきながら、さっき身支度を整えていたときに考えていたことを、隣を歩く智に小さく問いかけた。

「やっぱり晴れてないと出来ないセレモニーもあるから。あのホテル、確かチャペルの前の大階段でフラワーシャワーをするんだったような気がするもの」

 智がノルウェー出張中に届いた、浅田さんの結婚式の招待状。出欠ハガキの返信期限のこともあるから開封して返信しておいてと日記アプリで伝えられて、代理で開封して返信したときに、式場の場所も念のため確認させてもらっていたのだ。

 この辺りではランクの高いホテルでのお式。ホテルの奥に、ギリシャ神話を彷彿させるような大階段がある荘厳なチャペルや、そのチャペルの前に噴水広場があってここ最近とても人気の式場なのだそう。

 あのホテルでは、挙式後はその大階段を降りてくる新郎新婦に向かって、フラワーシャワーをすると聞いたことがある。大階段をサラサラと降りていくウエディングドレスの長いトレーンに花びらがヒラヒラと舞い散る様子は、目を見張るくらいとても綺麗なのだろうと容易に想像がついた。

 私ももう、25歳。友人の結婚式に数度参列したことはあるけれど、やはり雨が降るとフラワーシャワーはチャペル内に変更になっていた。それもそれで綺麗だったのだけれど。

「そうだなぁ……ま、でも、雨降って地固まる、とも言うだろ?俺は雨だろうが晴れだろうが、どっちでも最高の日だと思うぞ」

 パラパラと、雨が傘に当たる音に反響して智の声が耳に届く。紡がれたその言葉に、それもそうか、と納得しかかるけれど。

「う~……でも、やっぱり晴れて欲しい。智の誕生日だし」

 むぅ、と。口の先を尖らせながら、隣を歩く智を見上げる。

 そう。来週は浅田さんの結婚式だけれども、智の誕生日でもあるのだ。せっかくだから、雨じゃなくて晴れて欲しいと切に願ってしまう。

 私の不満気な表情を見た智が、ふっと口の端をつり上げた。

「知香。来週、雨だったら……迎え来る時、家に置いてるあの青い傘持ってきてくれねぇ?」

「へ?」

 智の口から紡がれたお願いに、一瞬、なんの意味があるのかわからずに目を瞬かせた。

 来週はお昼の挙式で、披露宴は13時から。夕方にはお開きを迎える。会社関係でお呼ばれしているのは、池野さんと智、そして智とも浅田さんとも仲が良い藤宮くんだけ。黒川さんの一件で浅田さんにも藤宮くんにも私のことは伝えてあるから、私が迎えに行って顔を晒すことになっても差し支えが無くなった。だから、終わる時間に会場となったホテルのロビーにあるカフェで待ち合わせよう、と言われていた。

 智が持ってきて欲しい、と言ったあの青い傘。確か、普通の傘よりは大きくて、普段使いには向いていない。出張帰りにスーツケースまでカバーできるような大きめの傘なのだと聞いている。そこまで考えて、ハッと気がついた。

(あ、そっか。引き出物とかもらって帰ってくるから、雨で濡らしたくないんだ)

 そういう意図があるのか、なるほど、と、心の中でひとりごちていると。ダークブラウンの瞳が細められて、「知ってるか?」と、問いかけられた。

「人間の声が一番綺麗に聞こえるのは雨が降ってる時の傘の中なんだ。人間の声の音波が雨粒に反射して、傘の中で共鳴するから」

「……?」

 唐突に始まった智の雑学の解説。智の瞳が細められたことや、告げられた雨天時の声の雑学について。それらが意味するところが掴めなくて、私の頭上にはハテナマークが乱立する。

「特に雨量が多く、囁くような声の時が最も美しく聞こえる」

「………はぁ」

 なんだか話が繋がらない。大きめの傘の話しはどこに行った。
 訝しげに智の顔を眺めていると、智はいつもの……私を揶揄うような、意地悪な表情を浮かべた。

「つまり、な?は、お互いにとってっつうワケだ」

「……!?」

 告げられた言葉が意味するところを察して、一気に顔が赤くなる。


「プレゼント。決まってなかったんだろ?……俺にとって最大の誕生日プレゼント。その日、雨だったら。相合傘してくれね?」


 ダークブラウンの瞳が細められて、意地悪く……私を揶揄うように、笑ったまま。こてん、と、智が小さく小首を傾げた。

 私は、ただ。真っ赤になった私の顔を見て、くすくす、と。愉しそうに笑う智の姿を、パラパラと雨音が響く傘の中から見つめるしか、なかった。
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