俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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 西日が差し込む時刻になって、玄関先に座り込んだままスニーカーの紐を結んでいる白い背中をじっと見つめる。スニーカーを履き終えすっと立ち上がり、トントン、と爪先で床を叩いて。くるりと智が私を振り返った。

「じゃ、行ってくるから」

 さらり、と、黒髪が揺れ動いた。困ったように細められたダークブラウンの瞳と、視線が交差する。

「うん、気をつけてね」

 にこりと笑みを浮かべて、緩やかに手を振った。智が大きい手のひらで私の髪をそっと撫でていく。そうして私の髪からそっと手を離して、申し訳なさそうに視線を彷徨わせ大きな手で後頭部をガシガシと掻いた。

「ごめんな。休みの日だけど、……まぁ、これも部長の仕事だろうな。やってくるから」

 智のその声に、「ううん、大丈夫よ」と笑みを浮かべ、こくん、と小さく頷いた。


 土曜日である今日は、こうして夕方から外出。池野さんの後任となった智は、彼女と同じように部下である営業マンたちの相談に乗りやすい環境を作りたいと願い、これまであまり接点がなかった人たちとも、時折自分のできる範囲でこうやって積極的にコミュニケーションを取りに行っているのだ。

 相談しやすい環境を整えるのも確かに上に立つ人間の仕事。私も三木ちゃんや小林くん、南里くんの教育を経て感じていること。それに対して不満に思っているなんてことは無い。けれど、智は私とのプライベートの時間を割いてしまっていることにひどく罪悪感を抱いているようだった。


「ほら、そろそろ行かないと、花火観れなくなるよ?」

 気にしないで、というように笑顔を浮かべて、智の身体をくるりと反転させるように腕を伸ばした。


 今日は7月に行われる、花火大会の日。それに合わせて、智は職場の若い子達と夏祭りに行く、ということになっているらしい。智と浅田さんを主軸に20代の子たちと一緒にお酒を飲んで花火をみる、という有志でのプチ納涼会のようなもの。藤宮くんのように『恋人がいる』という子たちは出席しないようだけれども、それでも10名近く集まったと聞いている。


 黒川さんの不正事件があって、池野さんの退職があって。衝撃的な出来事が立て続けに起こって、社員さんたちはどれだけ不安に思っているだろう。私を巻き込もうとしていた黒川さんの不正事件については、複数の商社を巻き込んだその全容が明らかになった時には私もかなり動揺したのだ。起点となってしまった三井商社に勤める方々の不安は計り知れない。その不安感の払拭は新たに『長』となった智の手腕にかかっているわけだから、頑張ってほしいと思っている。


 促すような私の言葉に、智が左腕を持ち上げて腕時計をちらりと見遣って。

「……そうだな…」

 その言葉を小さく呟いて、ふぅ、と、智が小さくため息をついた。ダークブラウンの瞳と、視線が交差する。

「じゃ、行ってくるからな……」

 智はそっと頭を下げて、私の額に小さくキスを落とした。そうして、そのまま玄関の扉を押し開いていく。その扉を支え、廊下に身体を半分出して。智がエレベーターに乗り込み、扉が閉まる瞬間に私を見つめて手をあげた。私も右手を上げて、智のその様子にひらひらと手を振った。

 智の姿が見えなくなり、パタン、と玄関を閉めて。

「……よし。浴衣、作ろう」

 ぐっと身体の前で拳を握り締めて、小さく気合をいれた。

 私が智の風邪を貰ってしまい、倒れてしまったあの日から2週間が経った。智がずっと看病をしてくれたから、翌週には完全に回復。本当に感謝しかない。

 けれど、智は私が心配だからという理由で、先週と今週は残業を早めに切り上げて帰って来ていた。浴衣を手縫いで作っていることはサプライズにしておきたいから、智の前では浴衣を作るなんて素振りすら見せられない。故に、浴衣を作る時間が無くて作業がほとんどストップしてしまっている。こうして智が休みの日に外出するのは、私にとってはある意味僥倖と言わざるを得ない。だからこそ、本当に気にしないで欲しいのだけれど。

(……ま、でも、やっぱり気になっちゃうよね…)

 衝撃的な出来事を経て乱れかかっている部下達の統率を整えるためとはいえ、休日を割いてまですべきことなのか。部下たちのプライベートにどこまで触れるべきなのか、智の中ではそういう葛藤もあるのだろう。管理職としての『邨上智』はどう立ち回るべきか、というのも、智の中で試行錯誤中なのだと思う。

(なにかアドバイス出来ればいいんだけどな……)

 私は困ったことにそういった面でのアドバイスは全くできない。こればかりは仕方ないのかも知れないけれども、恋人が困っているというのに力になれないというのはなんとも歯痒いものだ。

 カチャリ、と、玄関先の物置になっている部屋に滑り込み、仕舞い込んでいたコンパクトミシンを取り出す。今日は花火が全て上がってしまうまでを見てから帰ってくる、ということだから、智の帰宅時間まで相当時間がある。しばらくはリビングに広げていてもバレやしないだろう。

 ミシンと裁縫道具、そして反物を身体の前に抱えてリビングに移動する。リビングの扉を開けると、ふわり、と、冷房に冷やされた風が肌に吹きつけた。

 硝子天板のローテーブルに抱えていた全てを置いて、ソファにそっと沈み込む。ミシンの電源を入れて、智の浴衣からミシンで縫える部分をざっと縫い付けた。低温に設定したアイロンで縫った箇所をプレスしながら、チクチクと三つ折りぐけ縫いをしつつ縫い代を隠していく。

『洋裁は針を動かすけど、和裁は布を動かすとよ(動かすのよ)』

 入院中のお母さんから教わっていた学生の時の記憶を思い出しつつ、右手に持った針では無く左手に持った布を動かすように進めていく。

 手に持つ針の位置は固定したまま、もう片方の手で生地を上下させる。それと同時に針を持つ手の内に生地を手繰っていくことで針が進み、生地が縫われていく、という仕組み。けれど、久しぶりだからか、思いっきり苦戦してしまっている。

「んん~……ちょっと、余った反物で感覚を取り戻そう……」

 せっかく智に似合う柄の反物を選んで買ったのだ。どうせなら見栄えも良く作りたい。そう独りごちながら、一度通した糸を糸切りリッパーで取り除いて縫いつけた浴衣を軽く畳んで傍によける。裁断して余った反物を取り出して軽くミシンで縫いつけて、その反物の縫い代をぐけ縫いにしていく。

「……ん、行けるかも」

 和裁の感覚が戻ってきた気がする。一度思い出せば後は簡単。しばらく自転車に乗っていなかったとしても自転車のサドルに腰掛ければすぐ漕ぎだせるように、身体に染み付いた感覚というのはすぐ思い出せるものなのだろう。傍によけていた智の浴衣を手元に引っ張り、いざ、本番。

 着物の縫い目は一見どこに糸が通ってるのか表面から見るだけでは全然分からないけれど、それはこの三つ折りぐけ縫いのおかげなのだ、ということもお母さんから習った様な気がするな、とぼんやり考えながらも作業を進めていく。

 おくみと前身頃を繋げた縫い代をぐけ縫いにし、後身頃に縫い代からはみ出ない程度の切り込みを入れて衿を縫いつけたところで、リビングの壁掛け時計を見遣る。

「………ん。進み具合もいい感じ」

 これなら智の浴衣はあと数日で仕上がってしまいそうだ。テレビをつけて適当なバラエティ番組の音声を聞き流しながら、今度は袖の縫い代をチクチクと縫い進めていくと、テーブルに置いていたスマホが震えた。バイブレーションのパターンから、メッセージアプリの通知だろうと推測する。

 手に持っていた針を針山に刺し、反物も一度テーブルに置いてスマホを手に取った。ロックを解除してメッセージアプリを起動すると。

『お疲れ様です。休日にすみません。主任のおかげで綺麗に着付けられました!』

 キラキラした星の絵文字とともに、加藤さんからメッセージと浴衣を身に纏った写真が届いていた。

「か~わいい…!」

 先月下旬に彼女と約束した通り、先週は通関士の勉強も兼ねて彼女の自宅まで行き着付けの練習をしたのだ。私が体調不良で寝込んでしまったから練習は先週の一度きりになってしまった。けれど、彼女はやはり仕事だけでなくこういった面でも飲み込みが早かった。

 写真をタップして確認すると、加藤さんの艶のある長い黒髪は綺麗に纏められていて、右の耳元の赤いお花の髪飾りが黒髪に対比するように映えている。大きな花柄が特徴的な紺色の浴衣。帯は髪飾りと同じ赤。オフホワイトの籠バッグがやわらかい印象をさらに引き出していた。はっとするような彼女の美しさに、ほう、とため息をつく。

 藤宮くんはきっと、こんなに綺麗な加藤さんの姿を見て顔を真っ赤にしているだろうなと考えると、思わず笑みが零れる。

『綺麗!花火、楽しんでね』

 そう打ち込んで送信ボタンをタップすると、外からドォンと大きな音がして。花火が始まったことを認識した。

「……ベランダから見えるかな?」

 智や加藤さんが足を運んでいる花火大会は、この自宅からそう遠くない場所だ。ベランダの位置関係からすると、もしかしたら見えるかもしれない。慌ててリビングの明かりを消してベランダに出る。

「わ…!結構見える!」

 花火大会の会場から見る花火からしてみれば迫力は劣るだろうけれど、時折、身体の芯まで届くような大きな音が響いて、色とりどり、大きさも様々な花火が上がっているのをベランダの柵に身体を預けて眺めてみる。

「……一緒に行けたら良かったんだけどな…」

 こればかりは、仕方ない。冬を越し春を過ぎて、夏の定番イベントを楽しみにしていたけれど。管理職に昇進したばかりの智に花火大会に行く余裕なんて正直ないだろう、と予想はしていた。実際は花火大会に行っているけれど、これも広義で見れば業務の一環だから。

 それは先月末から自分にも言い聞かせてきたことだ。来年、再来年に一緒に観に行けたら、それでいい。

「………」

 心に浮かんだ、言葉にできない淋しさを抱えながら。夜空に浮かぶ色鮮やかな光の束を、ただただ独りで眺めていた。
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