俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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番外編/Bright morning light.

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 耳に当てたスマホから、池野課長の楽しそうな声が響いていく。くすくす、という笑い声とともに紡がれた言葉が遠くに聞こえているが、俺が聞き取れない音量ではなかった。
 
『じゃぁ、予定変更。マサには兄さんに納めるコーヒー豆じゃなくて、を任せることにするわね』
 
 聞こえてきた言葉は日本語だと言うのに、さっぱり理解が出来なかった。思わず「は?」と間抜けな声が己の口から漏れ出ていくと同時に、左の耳元からも『は?』と。俺の声に被せるように。初めて聞く片桐の素っ頓狂にも思える声が耳に届いた。


 夜を切り取る仕事。どういう意味、なのだろう。何を言われているのかさっぱり掴めない。ぽかん、としていると、斜め前の椅子の背もたれに重心を預けていた浅田も、わけが分からない、という表情を浮かべていた。

 電話を取った片桐との会話に意識を持っていかれていたが、池野課長に依頼すればいいという発案は目の前の浅田だ。はっと我に返り、左耳からスマホを外してハンズフリーに切り替え、デスクの上に置いた。


『ほら、私、マサをヘッドハンティングする時に言ったでしょ?夜を切り取る仕事をしてるって』

 まるで、楽しそうに歌っているかのようなその声。先ほど電話を取った片桐は、池野課長は運転している、と言っていた。狭い車内での会話だからこうも彼女の声を拾っているのだろう。最近のスマホは国際電話であろうと通話品質が高いのだな、と、目の前で繰り広げられている会話とは全く違う話題が俺の脳内を駆け回っている。

『……ちょっ、カナさん? そもそも夜を切り取る仕事の話、俺詳しく聞いてないんだけど』

 これもまた初めて聞く少しだけ上ずった片桐の声とともに、ふたたび踊るような池野課長の声が響いていく。

『タンザナイトっていう宝石、知らない? それの採掘と販売』
「……タンザ…ナイト?」

 聞いたことがあるような、無いような。朧気な記憶を辿りながら思わず眉根を寄せて耳に届いた単語を復唱すると、浅田が背広のポケットからスマホを取り出してそれを操作し始めた。数秒もしないうちに、そのスマホが俺の顔の前に伸ばされる。ふっと視線を向けると、ディスプレイに表示されているのはタンザナイトの詳細が記載された情報集約サイト。

(……鉱石の色が…タンザニアの夜空の色に、似ている)

 その一文で。池野課長が『夜を切り取る』と表現した意味を、何となく悟った。視線だけを動かして浅田が持っているスマホの文面を追っていくと、さらに発見した一文に息を飲んだ。

「12月の……誕生石……?」

 知香を捨てた元カレの時と被らないように、ダイヤモンド以外で婚約指輪作って贈りたい、と。そう思っていた。けれどもダイヤモンドに代わる宝石なんて、見当すらついていなかった。……誕生石、という発想は女性ならではの視点だろう。

 さらに視線を動かしていくと、地球上の一ヶ所のみでしか採掘されないことや、光源や角度を変える度に青や紫が強くなったりする多色性を有していること、ルースにも多色性の強弱があり、加工されたルースは世界に一つだけのルースとなること。それに、石言葉が『誇り高き人』であることを知った。

(……ピッタリだ)

 俺の誇りでもある、知香に……プロポーズするために用意するに相応しい宝石だ。タンザナイトの基本情報を知ってしまえば、これ以上に適任となる宝石などこの世界にありはしないとまで思えてくる。

 ふっと口元が緩むと、ぱちりとした二重の瞳と視線がかち合った。俺の表情を確認した浅田が、ニッと口角を上げる。するり、と、目の前に拳が差し出された。

 声に出さずに、「さすが俺の親友だ」と口を動かした。斜め前の浅田は得意げな表情をしたまま、「だろ?」と。同じように口だけを動かしていく。そのまま、コツン、と。拳を軽く合わせた。


 浅田が池野課長に商談を持ちかけよう、と提案してくれなければ、最上の答えには辿り着けなかっただろう。本当に、浅田には頭が上がらない。そして、池野課長にも足を向けて眠れない。


 そんなことを考えていると、ハンズフリーにしたスマホからはぁっという大きな吐息とともに、呆れたような、それでいて切羽詰まったような片桐の声が聞こえてきた。

『……それを任せるって、正気? 俺、宝石関係は全く知識ないし、納期のことを考えても俺じゃ力不足だと思うよ?』
『あら、マサ、さっきスワヒリ語がわからないから困った、って話をしていたじゃない。採掘現場の人たち、ほとんどスワヒリ語なの。タンザナイトの仕事に触れれば否応なしにスワヒリ語を覚えられるでしょう?』

 畳み掛けるような池野課長のセリフ。その口調は、まだ彼女が三井商社に在籍していた頃を彷彿とさせた。きっと今の彼女は、柔和で、それでいて試すような……そんな視線を片桐に向けているはずだ。

 この人は部下を崖っぷちに追い込むのが本当に上手い。やはり獅子の子落としのようだ。企画開発部が本格稼働する以前の会議の際に、プロジェクターを片付けながら彼女と相対したときのような空気感がこのブースに漂っているような気がして、思わずふるふると頭を振った。

「……相変わらずスパルタだな、池野課長…」

 俺に見せていたスマホを引っ込めた浅田が、俺にしか聞こえない音量で小さく呟いた。その言葉に思わず苦笑いが零れていく。

 俺たち営業課に配属された営業職は入社直後、誰しもが池野課長にこうして仕込まれていた。その時と一片も変わらないスパルタな指導法が目の前で展開されている。浅田が変わらない、と形容するのも頷けてしまう。

「突拍子もないことを言いだして俺らを振り回すのも変わっちゃいねぇ。……けど、それが最っ高の成果に繋がる、っつうことも」

 ぽそぽそと囁くような浅田の声に、こくりと首を振る。彼女は俺たちの理解の範疇を超えた規格外のひとだ。彼女が口にする発想は下についている俺たちにとっては突拍子もないことかもしれないが、この人の中ではその先の成果に必ず繋がっている。最終的に、点と点が線で繋がっていくのだ。

『とりあえず、マサ。今回の依頼、タンザナイトをあしらった婚約指輪を、ということでいいか聞いてくれないしら』 
『……』

 唐突に会話のボールがこちらに投げられる。電話口の片桐は思わぬ展開に声を失くしているようで、池野課長のその問いに対する反応はない。きっと片桐は助手席に沈み込んだままで俺が見たこともない表情をしているのだろうと想像すると、ふっと口元が緩んだ。

「……片桐。それで頼みたい、と、池野課長に伝えてくれ」

 自分を取り戻せないでいる片桐の表情は想像するしか出来ないが、恐らく池野課長のペガサスっぷりを初めて目の当たりにして、ぽかんとしているのだろうと思うと……堪えきれない笑いが零れていく。


 あの病室でも感じたが、本来の片桐は人一倍表情豊かで、人一倍人間味溢れる男なのだろう。愛した人間を失くし、家族や仲間を失くし、己の心を護るために、自己防衛として……感情を読ませないための仮面を被り続けていただけで。


 デスク上に置いたスマホから、長いため息が盛大に聞こえてきた。

『……カナさん。それでお願いする、だそうです』
『じゃぁ、マサ。当面の間はタンザナイトの商売をやってもらうわね。よろしく』

 彼女の間髪をいれない回答とともに、がさがさと不思議な音が聞こえてくる。きっと、片桐が唐突に投げられた仕事に当惑したまま頭を掻いている音だ。

『~~~っ、あぁ、もう…………わかったよ……』

 観念したかのようなセリフとともに、ふたたびはぁっとため息が溢され、そののちに―――淡々とした片桐の声が響いていく。

『今の話、聞こえてたでしょ? 俺が窓口になったから。俺に出来る精一杯をやるよ』

 耳に届いた声色に、不覚にも少々驚かされたように感じた。……自らが想いを寄せていた女性に対する決定的な話を聞かされ、しかもその指輪の選定を一任されたというのに。スピーカーから響いたのは、はっきりとした意思を孕んだ……曇りのない、与えられた仕事に真っ直ぐに向き合うというを実直さを感じる声色。

「……ん、頼む」

 面会に行った日の病室で向けられたような。曇りのないヘーゼル色の瞳が目の前にあるように思えた。俺が―――黒い感情を抱えているような気がする。なんとも言えない居心地の悪さに目の前のスマホから視線を外しながら、遠い異国の地にいる片桐へ向かって正式な発注の言葉を返した。

 その後、指輪のサイズについてや池野課長が当たりをつけていた納期について、そしてタンザニアからの送料を含めた予算について等の打ち合わせを軽く交わした。

 片桐と言葉を交わしているうちに、……ざらりとした表現しようのない違和感が湧き上がってきた。けれどもその違和感の正体を思考の片隅で考えている間に滑り込んできた、『目ぼしいルースを見つけたらマサからメールをさせる』という池野課長の一言で。……俺は片桐と腹を割って話せぬまま、電話を切った。

「……」


 片桐は知香を心から想っていたからこそ。悪者扱いされようと、……『虚構の片桐柾臣自分』を追い求める、という片桐なりの正義を貫き、知香を護ったのだ、と。そう思っていた。それこそ、生命すべてを投げ打つことも厭わないという覚悟の上で。

(……違う)

 けれども。会話を交わしていた片桐は……ではない、ような気がする。説明を求められても、正確には表現など出来ない。そういう類いの、違和感。


(……納品までに、片桐と話しをする機会は…まだ、あるはず)

 通話が途切れ真っ黒になったディスプレイをじっと見つめていると、斜め前の浅田からふっと吐息が零れていった。

「邨上。やっぱりお前、表情豊かになったよな。まるで別人だ。人間らしいっつうか」
「は?」

 しみじみと語る親友を前に、己の喉から素っ頓狂な声が漏れ出ていった。人間らしい、とはどういう意味だろう。俺は生まれてこの方人間を辞めたつもりもなく、まして宇宙人でも何でもないし、俺は俺のはずなのだが。

 当の浅田は、軽く頭を振り苦笑しつつ、それでも何ということもない、という風に言葉を続けていく。

「いんや? 部長に上がる前の邨上は……なんだろうな。人間なのに人間じゃねぇ気がしてた」
「……はぁ」

 要領を得ない浅田の言葉に思いっきり顔を顰める。俺のその表情を見遣った浅田がするりと腕を組んだ。

「俺はお前の入社当時を知らん。俺が池野課長に引き抜かれた時、一番に引き合わされたお前の第一印象は何を考えてるかわからねぇヤツ、だった。営業成績は飛び抜けてっし、知識量も仕事にかける情熱も半端ねぇのは理解してたが。……個人行動が好きなんだろうって思ってたし。藤宮を指導してるの見て実は面倒見がいいんだなって内心驚いたくれぇだ。ポーカーフェイスしてるかと思えば変なところで気が短ぇ部分もあったし。俺はこんなめんどくせぇヤツとは相容れねぇって思ってた」
「……」

 笑いを噛み殺したような顔を向けてくる浅田に、俺は言葉が出なかった。

 昔の俺は、そんな……人間だっただろうか。今となってはハッキリとは思い出せない。

百面相、昔のお前は会社ここではぜってぇしなかったし、まして誰かを頼るなんて発想もなかったろう?」

 俺のことをよくわかっている、親友から飛んできた思わぬ指摘。呆気に取られたままでいると、浅田は組んだ腕を崩した。

「俺は今のお前みたいな人間らしい部長のほうが下もついて来やすくなる、と思ってるよ。……お前が抱えてる葛藤も理解は出来るが、俺は間違いなくと思ってる」

 ぱちりとした瞳を優しげに細めて、腰掛けていた椅子から立ち上がりこちらを見ている浅田の最後の言葉の意味を―――噛み砕けないはずも、無かった。
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