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早すぎる失恋

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「すみませーん、ヒロムさんの代理で来ました」

 店の奥に向かって声を掛けると、怠そうな顔をした千代さんが出てきた。

「ん、あー、ヒロムのお使いか……ご苦労さん」

 この前見た時よりどことなく顔色が悪いような気がする。気になってしょうがないが、聞けるような度胸も関係性もオレには無い。

「…………そういや、花束どうだった? ヒロムの客取れた?」
「え! あ~無理でした! ヒロムさんの客はハードルが高いっすよー」
「そっか、まぁ次頑張れよ」

 また悪い顔で笑う。
 その顔に一々ドキドキしてしまう。
 本当は誰にもあげたくなくて、こっそり持って帰ったなんて口が裂けても言えない。

「そう言えば、千代さんはヒロムさんといつからの付き合いなんですか?」

 せっかく向こうが口火を切ってくれたのだ。
 このチャンスを逃す手は無いと、オレは話を振った。

「…………トウカ」
「へ?」
「俺の名前。冬に火って書いて冬火」
「え、じゃあ千代って言うのは……」
「千代川ってのが俺の名字。女と間違われるから千代って呼ぶなって言ってんのに、アイツ全然俺の言うこと聞かねぇの」

 文句を言っている割には顔は嬉しそうでソワソワする。仲が良いだけだと思いたいが、何か引っかかる。

「お前の名前は?」
「結城……ナナトです」
「それって本名?」
「本名は…………兼重、小太郎……です」

 あまり口に出したくない自分の名前を、東京に来て一番初めに披露するのが初恋の人だと思わなかった。

「小太郎かー。…………小太郎ってしば犬の名前一位なの知ってる?」
「ぅ……知ってます。だから言うの嫌だったんですよー」
「なんだ、知ってたのか」

 冬火さんは残念そうに呟くと、ヒロムさんに頼まれたものなのか、ピンク基調の花束にこれまたピンクのリボンを掛け始めた。それを見ただけで、何となく誰用の物なのか想像がついた。

「ピンクの花にピンクのリボンってセンス悪いと思わねぇ?」
「………………え」
「いくらピンクが好きって言ってもさぁー限度があるでしょ。ヒロムがコレで良いって言うんだから多分正解なんだろうけど、」

 一応、ヒロムさんのホストとしての腕は分かっているのか納得している様子だったが、それとは別に花屋としてのプライドが見え隠れしている。

「その……花束を贈る相手知ってるんですけど、なんて言うか、贈り物がピンク以外だとわたしの事分かってない! って暴れ出す感じの客なんで……」
「はぁー、アイツまだそんなのの相手してんのかよ……自分がしんどくなる前に切れって言ってんのに……」

 二人の関係性が徐々に見えてきた気がした。
 少なくとも、ヒロムさんは仕事の話を冬火さんにしていて、冬火さんはヒロムさんを心配している。
 そんな関係が羨ましいと思った。

「あ、さっきの質問の答えだけど、ヒロムとはアイツがホスト始めた頃からの付き合い。新人の頃に雑用押し付けられてウチに来たのがきっかけ」

 今ではそんな想像は出来ないが、ヒロムさんにも新人の頃は勿論あって、先輩ホストの手伝いをしていた。当たり前のことだが、言われて初めて気がついた。
 自分が想像も及ばなかった時代からの付き合いに、圧倒的な壁を感じる。

「…………仲良いんですね」
「仲良いっていうか、」

 不意に言葉を切った冬火さんの顔が僅かに歪んだのが分かった。
 いつもは鈍感なはずの自分のセンサーが赤く光るのを感じた。人の感情の機微なんて気付いたことは無かったのに、なんで、よりにもよって、今。

「あ、もう準備終わりそうですか? すいませんちょっと時間押してて」
「え、あぁ、悪い。すぐ準備する」

 弾き出してしまった答えをうやむやにするかのように力無く笑う。
 店に入ったばかりの頃、笑顔をヒロムさんに褒められた。ナナトの笑顔見てると落ち込んだ自分の気持ちも晴れるようだと。それから出来るだけ笑ってきた。辛いことがあっても笑って誤魔化した。
 だけど、今まで出来たことが今日はうまくいかない。ムードメーカーの自分が笑えなくなったら価値がなくなってしまうと思った。
 だからもう一度、今度は大袈裟に口角を上げてみた。
 
「オレ…………応援します!」
「え、なんの話?」
「勿論、ヒロムさんとの事っすよ!」

 一瞬、瞳を大きく見開いた冬火さんは大きな手で顔を覆い隠した。隠し切れていない耳が赤くなっているのが、長い髪の隙間から見える。

「………………俺ってそんなに分かりやすい?」
「あー……どうなんでしょう……」

 もしかしたら他の人には分からないかもしれない。好きな人だからたまたま分かっただけなような気もする。
 照れた顔も好きだな、なんて思いながら首を傾げる。

「いや、そのーなんて言うか……、俺が一方的にアレなだけだから……」
「他言無用ですか?」
「そんな感じでお願いしたいんだけど」

 普段はクールな印象の切れ長の目が参ったように僅かに細められる。こんな顔もするんだ、と興味深く見つめていると、大きな手で視線を遮られた。

「そんな顔で見んな」
「オレ、どんな顔してました?」
「おもちゃ見つけたしば犬みたいな顔」
「え、そんな顔してました……!? ってか犬扱いですか!? ひどい」

 早すぎる失恋にもっと心が痛むかと思ったが、想像よりも平気でいられた。自分の失恋よりも、冬火さんに幸せになって欲しい気持ちが強かったからだろうか。

「あ! マジで時間ヤバい!」

 さっきの時間押してる発言はただの言い訳だったが、今度は本当に時間が迫っていた。
 
「悪い、すぐ準備するから待ってろ」
「いや、オレが話振ったから――」

 手早く花束を纏めた冬火さんは、ビニール袋に入れてオレの前に差し出した。と、同時にぐしゃぐしゃとオレの頭を撫でる。
 完全に犬扱い。でも動き出そうとする尻尾を止められない。

「また暇なときに遊びに来いよ」
「あ、はい!」

 冬火さんはニッ、と笑うと手を振ってくれた。
 振り返していいものなのか、悩んだ末にオレは下の方で小さく手を振り、店を出た。
 名残惜しい気持ちをどうにかしようと振り返る。
 真夜中フラワーの看板が文字通り、夜の闇に包まれ始めていた。
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