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桜くんは僕を知らない
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僕には、好きな子がいる。
隣のクラスのかわいい男の子。
男だけど、可憐で華奢で、同性の僕が見てもうっとりしてしまう。
今は、そんなかわいいかわいい彼を物陰から見つめているところ。
彼は男友達と楽しそうに談笑しているようだ。
鈴が鳴るような笑い声を上げて、鮮やかなスカーレットの瞳を細める。
ああ、とてもかわいい……彼を見つめるだけで、ううん、彼のことを思うだけで、胸が苦しくなる。
愛おしさのあまり涙がこみ上げてきそうだ。
彼を初めて見つけたのは、今年の春。入学式の日に、桜が舞う坂道ですれ違ったのが全ての始まり。
ありがちなシチュエーションだけど、それでも、彼の真っ白な髪色と薄紅の花弁のコントラストに見惚れてしまった。
この十数年のうちに見てきたどの光景よりも美しいその瞬間は、今でも鮮明に頭に残ってる。
彼は、宮田 桜くん。その名前にピッタリな出会い方をしてしまった。これはもう運命なのかも……いや、運命に違いない。運命だ。
僕は彼_______桜くんの身長も体重も血液型も誕生日も趣味も特技も宝物も住所も電話番号もメールアドレスも家族構成も部屋のレイアウトもお気に入りの服も一番最近買ったものも好きな女の子のタイプも愛用の香水も当然その他のことだって全部全部知ってる。桜くんのことで知らないことなんて何もないんだから。
でも、桜くんは僕のことを何も知らない。名前はおろか、この存在自体を知らないんじゃないだろうか。それものそのはず、24時間366日ずーっと桜くんのことが頭から離れないくらい桜くんが好きなのに、一回たりとも話しかけることが出来ないのだ。
毎日こうして影から見つめるだけ。
あーあ、こっちを向いてほしいな。話したいな。触れたいな。抱きしめたいな。かわいいかわいいかわいいかわいい。かわいいよ桜くん。
なんとかして、この気持ちを伝えたいな。でも話したこともないからな。声をかけるのは照れちゃうな。
そうだ!ラブレターを書こう。
桜くんが気に入りそうな便箋を買って、ありったけの想いを込めて!
ふふ、届くかなぁ、僕の気持ち。
なんて言うかなぁ、桜くんは。
フラれちゃったらどうしよう。
ううん、それでも構わないや。
桜くん大好きーって気持ちを知ってもらえればそれで十分。
_______なんて、思えない。
桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん。
かわいいかわいい桜くん。
誰よりも大好きな桜くん。
僕の愛しの桜くん。
愛してるよ桜くん。
僕のことを愛してよ桜くん。
僕を見て僕だけを見てその綺麗な目を僕に向けて白くて細い繊細な指で僕に触れて艶やかな唇でキスをして。
桜くん、ねえ桜くん。
どうかこの想いよ、桜くんに届いて。
翌日。桜柄の、金箔が押されたかわいらしい便箋を桜くんの下駄箱に入れる。桜くんは花が好きって言ってたからね。
溢れ出しそうな気持ちを抑えつけて、『今年の春に出会ってから、ずっと桜くんが好きでした。この想いに応えてくれるなら、今日の放課後、桜の木がある坂道で待っていてください。』と、それだけ書いておいた。
名前も知らない人からこんな手紙を貰っても、当然答えられるはずないって、そう分かってた。でも桜くんは人からの頼みを断るのは苦手らしいから、少しでも桜くんの気が楽なように、こうやってフるのも簡単なようにしておいた。
……とはいいつつ、たんに面と向かってフラれるのが怖いだけだけど。
でも、せめて、文章だけは読んでほしいな。いつ来るかなぁ桜くん。
ドキドキしながら、少し離れたところで様子を伺う。
……あ、桜くん!
人が混雑する中央玄関でも、桜くんの神々しすぎるオーラは消せない。桜くんが高身長というのもあるが、まだ眠たそうにあくびをしながら下駄箱へ足を進めて行く姿が、遠くからでも分かった。
おはよう桜くん、なんてあいさつをする勇気はないけど。それでも、今日も来てくれてよかったと思いつつ、桜くんの行動をじっと眺める。
桜くんが、白く細い指で下駄箱を開ける。
そして、下駄箱の中に手を伸ばし、次に見た時は、桜色の便箋をその手に持っていた。
僕の、僕からの手紙。
桜くんが、桜くんが、僕の手紙を手にとってくれた。触れてくれた。それだけで、十分に嬉しかった。
そっと便箋を開け、中の手紙を読む桜くん。
ドキドキする。いつもいつもドキドキしてるけど、今はそんなモンじゃない。胸の鼓動が早まりすぎて、くらくらしてしまう。
ああ、まさか読んでくれるなんて。
桜くん。桜くん。どう思ったのかな桜くん。桜くん_______
_______桜くん?
嘘
嘘だ
見間違いだろ
そんなはずない
桜くんが
桜くんが
桜くんが、笑った。
桜くんが、僕の、他ならない僕からの手紙を読んで、確かにその口角を緩めたんだ。
ひとしきり手紙を読み終えると、その穏やかな微笑みのまま、大事そうに鞄にしまうのが見えた。
…なんで?なんで???
初めて見る名前でしょ?どんな奴かもわからないでしょ?名前や筆跡なんか見るからに男でしょ?
なんでなんでなんで?
まるで、夢を見てるようだ。
桜くん、桜くん
桜くんは何を考えてるの
何を思って笑ったの
なんのつもりで鞄にしまったの
すぐ横にゴミ箱があるのに
絶対、絶対捨てられると思ったのに
絶対引かれると思ったのに
なんで
なんでそんなに
嬉しそうにしてるの
幸せそうにしてるの
誰かと勘違いしてるんじゃないの
なんでなの
たくさんの思いや疑問が一瞬の間に頭の中を駆け巡った。
ぐるぐるかき回されて、もうわけがわからなかった。
_______なんでも知ってる桜くんに、一個だけ知らないことができてしまった。
桜くんの気持ちがわからない
知らない
知れない
でも、今そんなに考えても仕方がない。
きっと、全部放課後に分かるはずだから。
無理矢理頭をリセットして、僕は教室に走って行った。
そして、待ちに待った放課後。
もうずっと気にかかりすぎて、授業内容が一切頭に入ってこなかった。
食欲もわかず、弁当は一口も手をつけられていない。
帰り支度を済ませ、全力疾走で廊下を駆けて行く。
早く、早く行かなきゃ。
僕なんかが桜くんの眼中に無いならそれでいい。でもそれだけじゃなかった。曖昧な疑問だけ残されてる。
早く知りたい、桜くんの、唯一知らないこと。あの坂道に桜くんがいなくても、直接本人の元へ行って問いただしたい。
一心不乱に走り続けて、ようやく坂道が見えてくる。
そこには_______
そこには、誰もいなかった。
分かってたさ、来てくれないなんて。眼中に無いなんて。
……じゃあ、なんであの手紙を読んで笑ったの?
ああそうか、きっと手紙が嬉しいんじゃない。バカにしたんだ。名前も知らない僕を。雲の上の存在である桜くんに、ラブレター(笑)なんて渡しちゃう、哀れでバカな僕に対する嘲笑だったんだ。
なんでその考えが浮かばなかったんだろうか。呆れて笑いも出ない。
はあ……と、大きなため息を吐いた。
_______その時だった。
ふっと、視界が暗くなる。
先ほどまでは、太陽の光が鬱陶しいほど眩しかったのに、何の前触れもなくいきなり闇に包まれる。それと同時に、ふわりと漂ってくる甘い香り。
驚きのあまり、体が動かない。
ふと耳元で誰かの囁く声が聞こえた。
「だーれだ」
誰?
……なんて、考える必要はなかった。
聞き慣れた声。落ち着く声。
僕が、一番大好きな声。
その声の主は……
「_______桜、くん…?」
絞り出したようなか細い返事をすると同時に、ぱっと視界が開ける。
状況がつかめないままゆっくり振り返ると、案の定、桜くんが立っていた。
「正解」
肩を竦めて、にっといたずらっぽく笑う桜くん。
あり得ない。何もわからない。
桜くん………本当に桜くん?
いや、この僕が間違えるはずない。
あの甘い香り、安心する声、そして、この笑顔。他の何者でもない、正真正銘の桜くん。僕の大好きな桜くん。
でも、なんで桜くんがここにいるの?桜くんの家は、この坂とは反対方向なのに。
「さ、桜くん」
「なぁに?」
あう。桜くんが、あの憧れの桜くんが、僕に返事をした。キラキラした表情で、凛とした声で、確かに返事をした。どうしようどうしよう。
「えと、どどど、どうして、ここに……?」
全身の震えを抑えてぎこちなく問いかけると、桜くんは不思議そうに首を傾げた。
「『どうして』って、君がここに呼んだんでしょ?」
「……はい?」
つられて僕も首を傾げる。
一体何を言っているんだか。
「え、あの手紙の差出人、君じゃないの?」
きょとんとした様子で返してきた。
あの手紙_______って、僕が入れたラブレター?そんな馬鹿な。でも、それ以外考えられない。
信じられない。本当に?本当に、来てくれたの?僕のために?
「ぼ、く、です、けど」
途切れ途切れにしか言葉が出てこないし、語尾に行くごとに声のボリュームが落ちていく。そのくらいに動揺していた。
「やっぱりそうだよね!君以外あり得ないと思ったもん」
桜くんは、すぐさまぱちん!と手を叩き、眩しい笑顔を見せてくれた。ころころ表情が変わるところがあるのも、僕が桜くんを好きな理由のうちの一つだ。
……でも、今はそうじゃなくて。
桜くん、今なんて言った?
僕以外あり得ないってどういうこと?
僕が何も返せないでいると、桜くんは満面の笑みからやわらかな微笑みに表情を変えて話し始めた。
「ぼくね、ずっと前から君のこと知ってるよ」
え?
「けど、君は自分のこと知られてないって誤解してたでしょ」
そうだけど。
「残念、ちゃんと知ってるよ」
なんで?
「なんで?って思うでしょ?でもさ、あんなに毎日毎日背後で見つめられ続けてたら、さすがに気付くよ?」
……
嘘。
嘘嘘嘘嘘嘘。
バレていないものだと思ってたのに。気付かれてないと思ってたのに。
人間、バレていないと思っているウソの8割はバレてる、なんて話は本当だったんだ。
「ご、めん」
「え?」
「ごめん、ごめんね、ごめんごめんごめん……っごめん、なさい……っ」
僕は必死に謝った。きっと、ずっとずっと不快な気持ちにさせてたんだ。
桜くんに言われてようやく気が付いた、僕とんでもないことしてた。
ああもう駄目だ、確実に嫌われた。
もはや死ぬしかない。そう決心した、その瞬間。
「_______え……?」
「謝らないでよ、もう」
こぼれそうになった涙が途端に引っ込み、頭も目の前も真っ白になった。
だって、だってだって。
桜くんが、桜くんが、僕を、僕を。僕を、抱きしめてくれたんだから。
花のような甘い香りで満たされていく。優しい温もりで包まれる。自分の鼓動が伝わってくるほどドキドキして苦しい。だけど、なんだかすごく幸せだった。
「誰が『嫌だ』なんて言ったのさ。むしろ嬉しいくらいだ」
僕を抱きしめる腕にぎゅっと力が入った。
……嬉しい?どうして?
「初めて君を見つけた時はね、面白い子だなぁって思ってたんだ。こっちに来て話しかけてくればいいのに、ずーっとそこで見てるだけなの」
そりゃあ、まさに高嶺の花って感じの桜くんに話しかける勇気なんてないに決まってる。
でも、それってつまり……
「もしかして、僕が話しかけるの待ってた?」
いや待て、思わず聞いてしまったけどそんなはずはないだろう。勘違いも甚だしいわ。
「そう。いつになったら話しかけてくれるのかなって」
先ほどまでと何も変わらないトーンでさらっと答えてくる。
待て待て待て。
「僕から話しかけようともしたんだけどね、それじゃつまらないかなぁって。何より、君から話しかけて欲しかったし」
もう何が何だかわからなかった。キャパシティオーバーなんて言葉じゃ足りない。待ってた?話しかけて欲しかった?そんな夢みたいなことにわかには信じられない。というか、信じちゃいけないような気までしてきた。
桜くんに僕のことを知ってもらって、こうして抱きしめてほしかった。けど、いざその夢が叶うと現実だとは思えなくて。
「でも驚いたな。初めて君がくれた言葉が『好きでした』なんて告白だとは」
そう言って楽しそうに笑う桜くん。
「……嫌じゃ、ないの」
「なんで?」
なんでって、僕みたいな……その、ストーカーから告白されたって、嬉しいはずないでしょ。
「常にぼくのそばにいて、でも話しかけるわけじゃない。周りと比べて明らかに異様で、でも_______」
「でも、一番ぼくのことを知っていて、ぼくのことを愛してくれて。
そんな君に、いつしか惚れていたんだ」
「あ……え……」
ふっと離れて、しっかりと僕の目を見て桜くんは言う。
「大好きだよ」
さく、らくん
桜くん
桜くん桜くん桜くん。
僕を知らない桜くん。
僕の知らない桜くん。
「でもね、あのラブレター、一個だけ気に食わないところがあるの」
「な、に」
もうなんでもいい。どうにでもなれ。
「口で言ってくれなかったところ!手紙も当然嬉しいけどね、でも直接言ってほしいな」
つまり……?
「ほら、早く」
少し熱っぽい瞳で、桜くんは催促してくる。
「さ、桜くん」
「はい」
幸せそうな甘い声。
「だだだ、大好きです!!」
桜くんは僕を知らない。
そう思っていたのは、僕だけのようで。
隣のクラスのかわいい男の子。
男だけど、可憐で華奢で、同性の僕が見てもうっとりしてしまう。
今は、そんなかわいいかわいい彼を物陰から見つめているところ。
彼は男友達と楽しそうに談笑しているようだ。
鈴が鳴るような笑い声を上げて、鮮やかなスカーレットの瞳を細める。
ああ、とてもかわいい……彼を見つめるだけで、ううん、彼のことを思うだけで、胸が苦しくなる。
愛おしさのあまり涙がこみ上げてきそうだ。
彼を初めて見つけたのは、今年の春。入学式の日に、桜が舞う坂道ですれ違ったのが全ての始まり。
ありがちなシチュエーションだけど、それでも、彼の真っ白な髪色と薄紅の花弁のコントラストに見惚れてしまった。
この十数年のうちに見てきたどの光景よりも美しいその瞬間は、今でも鮮明に頭に残ってる。
彼は、宮田 桜くん。その名前にピッタリな出会い方をしてしまった。これはもう運命なのかも……いや、運命に違いない。運命だ。
僕は彼_______桜くんの身長も体重も血液型も誕生日も趣味も特技も宝物も住所も電話番号もメールアドレスも家族構成も部屋のレイアウトもお気に入りの服も一番最近買ったものも好きな女の子のタイプも愛用の香水も当然その他のことだって全部全部知ってる。桜くんのことで知らないことなんて何もないんだから。
でも、桜くんは僕のことを何も知らない。名前はおろか、この存在自体を知らないんじゃないだろうか。それものそのはず、24時間366日ずーっと桜くんのことが頭から離れないくらい桜くんが好きなのに、一回たりとも話しかけることが出来ないのだ。
毎日こうして影から見つめるだけ。
あーあ、こっちを向いてほしいな。話したいな。触れたいな。抱きしめたいな。かわいいかわいいかわいいかわいい。かわいいよ桜くん。
なんとかして、この気持ちを伝えたいな。でも話したこともないからな。声をかけるのは照れちゃうな。
そうだ!ラブレターを書こう。
桜くんが気に入りそうな便箋を買って、ありったけの想いを込めて!
ふふ、届くかなぁ、僕の気持ち。
なんて言うかなぁ、桜くんは。
フラれちゃったらどうしよう。
ううん、それでも構わないや。
桜くん大好きーって気持ちを知ってもらえればそれで十分。
_______なんて、思えない。
桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん桜くん。
かわいいかわいい桜くん。
誰よりも大好きな桜くん。
僕の愛しの桜くん。
愛してるよ桜くん。
僕のことを愛してよ桜くん。
僕を見て僕だけを見てその綺麗な目を僕に向けて白くて細い繊細な指で僕に触れて艶やかな唇でキスをして。
桜くん、ねえ桜くん。
どうかこの想いよ、桜くんに届いて。
翌日。桜柄の、金箔が押されたかわいらしい便箋を桜くんの下駄箱に入れる。桜くんは花が好きって言ってたからね。
溢れ出しそうな気持ちを抑えつけて、『今年の春に出会ってから、ずっと桜くんが好きでした。この想いに応えてくれるなら、今日の放課後、桜の木がある坂道で待っていてください。』と、それだけ書いておいた。
名前も知らない人からこんな手紙を貰っても、当然答えられるはずないって、そう分かってた。でも桜くんは人からの頼みを断るのは苦手らしいから、少しでも桜くんの気が楽なように、こうやってフるのも簡単なようにしておいた。
……とはいいつつ、たんに面と向かってフラれるのが怖いだけだけど。
でも、せめて、文章だけは読んでほしいな。いつ来るかなぁ桜くん。
ドキドキしながら、少し離れたところで様子を伺う。
……あ、桜くん!
人が混雑する中央玄関でも、桜くんの神々しすぎるオーラは消せない。桜くんが高身長というのもあるが、まだ眠たそうにあくびをしながら下駄箱へ足を進めて行く姿が、遠くからでも分かった。
おはよう桜くん、なんてあいさつをする勇気はないけど。それでも、今日も来てくれてよかったと思いつつ、桜くんの行動をじっと眺める。
桜くんが、白く細い指で下駄箱を開ける。
そして、下駄箱の中に手を伸ばし、次に見た時は、桜色の便箋をその手に持っていた。
僕の、僕からの手紙。
桜くんが、桜くんが、僕の手紙を手にとってくれた。触れてくれた。それだけで、十分に嬉しかった。
そっと便箋を開け、中の手紙を読む桜くん。
ドキドキする。いつもいつもドキドキしてるけど、今はそんなモンじゃない。胸の鼓動が早まりすぎて、くらくらしてしまう。
ああ、まさか読んでくれるなんて。
桜くん。桜くん。どう思ったのかな桜くん。桜くん_______
_______桜くん?
嘘
嘘だ
見間違いだろ
そんなはずない
桜くんが
桜くんが
桜くんが、笑った。
桜くんが、僕の、他ならない僕からの手紙を読んで、確かにその口角を緩めたんだ。
ひとしきり手紙を読み終えると、その穏やかな微笑みのまま、大事そうに鞄にしまうのが見えた。
…なんで?なんで???
初めて見る名前でしょ?どんな奴かもわからないでしょ?名前や筆跡なんか見るからに男でしょ?
なんでなんでなんで?
まるで、夢を見てるようだ。
桜くん、桜くん
桜くんは何を考えてるの
何を思って笑ったの
なんのつもりで鞄にしまったの
すぐ横にゴミ箱があるのに
絶対、絶対捨てられると思ったのに
絶対引かれると思ったのに
なんで
なんでそんなに
嬉しそうにしてるの
幸せそうにしてるの
誰かと勘違いしてるんじゃないの
なんでなの
たくさんの思いや疑問が一瞬の間に頭の中を駆け巡った。
ぐるぐるかき回されて、もうわけがわからなかった。
_______なんでも知ってる桜くんに、一個だけ知らないことができてしまった。
桜くんの気持ちがわからない
知らない
知れない
でも、今そんなに考えても仕方がない。
きっと、全部放課後に分かるはずだから。
無理矢理頭をリセットして、僕は教室に走って行った。
そして、待ちに待った放課後。
もうずっと気にかかりすぎて、授業内容が一切頭に入ってこなかった。
食欲もわかず、弁当は一口も手をつけられていない。
帰り支度を済ませ、全力疾走で廊下を駆けて行く。
早く、早く行かなきゃ。
僕なんかが桜くんの眼中に無いならそれでいい。でもそれだけじゃなかった。曖昧な疑問だけ残されてる。
早く知りたい、桜くんの、唯一知らないこと。あの坂道に桜くんがいなくても、直接本人の元へ行って問いただしたい。
一心不乱に走り続けて、ようやく坂道が見えてくる。
そこには_______
そこには、誰もいなかった。
分かってたさ、来てくれないなんて。眼中に無いなんて。
……じゃあ、なんであの手紙を読んで笑ったの?
ああそうか、きっと手紙が嬉しいんじゃない。バカにしたんだ。名前も知らない僕を。雲の上の存在である桜くんに、ラブレター(笑)なんて渡しちゃう、哀れでバカな僕に対する嘲笑だったんだ。
なんでその考えが浮かばなかったんだろうか。呆れて笑いも出ない。
はあ……と、大きなため息を吐いた。
_______その時だった。
ふっと、視界が暗くなる。
先ほどまでは、太陽の光が鬱陶しいほど眩しかったのに、何の前触れもなくいきなり闇に包まれる。それと同時に、ふわりと漂ってくる甘い香り。
驚きのあまり、体が動かない。
ふと耳元で誰かの囁く声が聞こえた。
「だーれだ」
誰?
……なんて、考える必要はなかった。
聞き慣れた声。落ち着く声。
僕が、一番大好きな声。
その声の主は……
「_______桜、くん…?」
絞り出したようなか細い返事をすると同時に、ぱっと視界が開ける。
状況がつかめないままゆっくり振り返ると、案の定、桜くんが立っていた。
「正解」
肩を竦めて、にっといたずらっぽく笑う桜くん。
あり得ない。何もわからない。
桜くん………本当に桜くん?
いや、この僕が間違えるはずない。
あの甘い香り、安心する声、そして、この笑顔。他の何者でもない、正真正銘の桜くん。僕の大好きな桜くん。
でも、なんで桜くんがここにいるの?桜くんの家は、この坂とは反対方向なのに。
「さ、桜くん」
「なぁに?」
あう。桜くんが、あの憧れの桜くんが、僕に返事をした。キラキラした表情で、凛とした声で、確かに返事をした。どうしようどうしよう。
「えと、どどど、どうして、ここに……?」
全身の震えを抑えてぎこちなく問いかけると、桜くんは不思議そうに首を傾げた。
「『どうして』って、君がここに呼んだんでしょ?」
「……はい?」
つられて僕も首を傾げる。
一体何を言っているんだか。
「え、あの手紙の差出人、君じゃないの?」
きょとんとした様子で返してきた。
あの手紙_______って、僕が入れたラブレター?そんな馬鹿な。でも、それ以外考えられない。
信じられない。本当に?本当に、来てくれたの?僕のために?
「ぼ、く、です、けど」
途切れ途切れにしか言葉が出てこないし、語尾に行くごとに声のボリュームが落ちていく。そのくらいに動揺していた。
「やっぱりそうだよね!君以外あり得ないと思ったもん」
桜くんは、すぐさまぱちん!と手を叩き、眩しい笑顔を見せてくれた。ころころ表情が変わるところがあるのも、僕が桜くんを好きな理由のうちの一つだ。
……でも、今はそうじゃなくて。
桜くん、今なんて言った?
僕以外あり得ないってどういうこと?
僕が何も返せないでいると、桜くんは満面の笑みからやわらかな微笑みに表情を変えて話し始めた。
「ぼくね、ずっと前から君のこと知ってるよ」
え?
「けど、君は自分のこと知られてないって誤解してたでしょ」
そうだけど。
「残念、ちゃんと知ってるよ」
なんで?
「なんで?って思うでしょ?でもさ、あんなに毎日毎日背後で見つめられ続けてたら、さすがに気付くよ?」
……
嘘。
嘘嘘嘘嘘嘘。
バレていないものだと思ってたのに。気付かれてないと思ってたのに。
人間、バレていないと思っているウソの8割はバレてる、なんて話は本当だったんだ。
「ご、めん」
「え?」
「ごめん、ごめんね、ごめんごめんごめん……っごめん、なさい……っ」
僕は必死に謝った。きっと、ずっとずっと不快な気持ちにさせてたんだ。
桜くんに言われてようやく気が付いた、僕とんでもないことしてた。
ああもう駄目だ、確実に嫌われた。
もはや死ぬしかない。そう決心した、その瞬間。
「_______え……?」
「謝らないでよ、もう」
こぼれそうになった涙が途端に引っ込み、頭も目の前も真っ白になった。
だって、だってだって。
桜くんが、桜くんが、僕を、僕を。僕を、抱きしめてくれたんだから。
花のような甘い香りで満たされていく。優しい温もりで包まれる。自分の鼓動が伝わってくるほどドキドキして苦しい。だけど、なんだかすごく幸せだった。
「誰が『嫌だ』なんて言ったのさ。むしろ嬉しいくらいだ」
僕を抱きしめる腕にぎゅっと力が入った。
……嬉しい?どうして?
「初めて君を見つけた時はね、面白い子だなぁって思ってたんだ。こっちに来て話しかけてくればいいのに、ずーっとそこで見てるだけなの」
そりゃあ、まさに高嶺の花って感じの桜くんに話しかける勇気なんてないに決まってる。
でも、それってつまり……
「もしかして、僕が話しかけるの待ってた?」
いや待て、思わず聞いてしまったけどそんなはずはないだろう。勘違いも甚だしいわ。
「そう。いつになったら話しかけてくれるのかなって」
先ほどまでと何も変わらないトーンでさらっと答えてくる。
待て待て待て。
「僕から話しかけようともしたんだけどね、それじゃつまらないかなぁって。何より、君から話しかけて欲しかったし」
もう何が何だかわからなかった。キャパシティオーバーなんて言葉じゃ足りない。待ってた?話しかけて欲しかった?そんな夢みたいなことにわかには信じられない。というか、信じちゃいけないような気までしてきた。
桜くんに僕のことを知ってもらって、こうして抱きしめてほしかった。けど、いざその夢が叶うと現実だとは思えなくて。
「でも驚いたな。初めて君がくれた言葉が『好きでした』なんて告白だとは」
そう言って楽しそうに笑う桜くん。
「……嫌じゃ、ないの」
「なんで?」
なんでって、僕みたいな……その、ストーカーから告白されたって、嬉しいはずないでしょ。
「常にぼくのそばにいて、でも話しかけるわけじゃない。周りと比べて明らかに異様で、でも_______」
「でも、一番ぼくのことを知っていて、ぼくのことを愛してくれて。
そんな君に、いつしか惚れていたんだ」
「あ……え……」
ふっと離れて、しっかりと僕の目を見て桜くんは言う。
「大好きだよ」
さく、らくん
桜くん
桜くん桜くん桜くん。
僕を知らない桜くん。
僕の知らない桜くん。
「でもね、あのラブレター、一個だけ気に食わないところがあるの」
「な、に」
もうなんでもいい。どうにでもなれ。
「口で言ってくれなかったところ!手紙も当然嬉しいけどね、でも直接言ってほしいな」
つまり……?
「ほら、早く」
少し熱っぽい瞳で、桜くんは催促してくる。
「さ、桜くん」
「はい」
幸せそうな甘い声。
「だだだ、大好きです!!」
桜くんは僕を知らない。
そう思っていたのは、僕だけのようで。
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日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
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