僕と彼の小さな話。

酒田(塩)

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薄紫の散り際 弍

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 悶々と考えているうちに、あっという間に夕刻になってしまった。
「もうすぐ日も暮れるね。そろそろ帰ろうか」
    その人は、昨日と同じように僕に笑いかけた。でも、僕は昨日のように、素直に「はい」と言えなかった。
   なんだか少し寂しいような感じがして、まだ帰ってほしくなくて。
   気付けば僕は、その人の着物の袖を掴んでいた。
「おやおや、どうしたんだい?」
  一瞬驚くような顔をしたように見えたが、すぐにいつも通りの柔らかな表情に戻る。
   どんな反応をされるかわからないため、「離れたくない」なんて素直には言えない。でも、なるべく気持ちが伝わるように、かつ妙な顔されないように……。考えた結果、ようやく出た言葉は、
「こうして今日も会えたのも、きっと何かの縁です。よければうちでお茶していきませんか」
    なんて、ありきたりな台詞だった。
    手も、声も、震えている。なんて情けないのだろうか。何を言われるか分からず、不安で俯いていた顔をゆっくりとあげると、目の前にはきょとんとした様子のその人がいた。
   当然だよな、と思い「すみません、やっぱり忘れて……」まで言いかけたところで、言葉を遮られた。
「おお、良いのかい!ははは、遠慮なくお邪魔させてもらうよ」
    楽しそうに笑いながら、僕の肩をぽんぽんと叩く。先ほどのその人のように、僕もきょとんとしてしまった。
    確実に引かれているものだと思っていたから、そう明るく笑い飛ばしてくれたのはとても意外だった。
    でも。
「じゃ、じゃあ早く行きましょう。まさか本当に来てくれるだなんて!」
    でも、嬉しいのは事実で。
「はは、そりゃあ行くさ。大事な『友人』からの誘いだからね」
  『友人』。確かにその人は、そう言ってくれた。本当はもう天にも上がれるような気分なのだが、さすがにここで狂喜乱舞したら次こそ確実にドン引かれること請け合いなので、無理矢理平常心を装った。
   肩を並べて、ふたりで黄昏時の街を歩く。それだけのことでも、十分に幸せだった。ちらりとその人の方を向くと、その人もこちらを振り返る。なんだかきゅんとくすぐったいような感じ。こんなに、もっと近付きたい、もっと親しくなりたいと願う人は初めてだ。一歩、また一歩と足を進めながら、味わったことのない感覚を噛み締めた。


    そして、僕の家に到着してから。
「すみません、そう立派な家じゃありませんけど……」
    お茶を運びながら話しかけると、その人はこちらには目もくれず感嘆の声を上げながら目を輝かせていた。
「なんと綺麗な部屋なんだ!ははは、花瓶の花も美しいじゃないか……!」
   あちこち歩き回りながら褒めちぎっている。無駄に広いだけで、そう特別に手を施したりした覚えはないのだが。
「気に入っていただけたのなら嬉しいです」
「なに、気に入った?バカなことを言うな」
   一声かけると、ぴたりと足が止まり、途端に冷たげな目でこちらを見てくる。
「はい?」
    あまりの唐突さに目を丸くしていると、
「気に入ったなどという言葉じゃあ足りない!なんならここで暮らしてもいいくらいだ!」
    と、もの凄い剣幕で熱弁してくる。一応褒めてもらえた、ということなのだろうか?
「あ、ありがとうございます……?」
「ああっ、驚かせてしまったようですまないね」
    はっと我に返り、呆れたように笑う。おとなしい人だと思っていたのだが……なんというか、意外と快活で賑やかなところもあるのだろうか?


「いやあ、それにしても。こんな屋敷に一人暮らしなんて、羨ましい限りだ」
   落ち着きを取り戻し、普段通りに話をするその人。
「でも、少しさみしくなったりはしないかい?」
「さみしく、ですか」
    当然、図星だった。数年ほど前からここに一人でいるが、やはりいまだに人恋しくなることがある。
「なんなら一緒に住んでやろうか?」
「へっ!?」
   そんなことを言いながら、こちらへ身を乗り出してくる。向こうは軽く言っただけだが、こちらとしてはうっかり茶をこぼしそうになるほど動揺してしまっている。
「ははは、冗談だ」
   こちらの動揺をよそに、いたずらっぽく笑う。
「な、なんだ、冗談か……」
   胸を撫で下ろしながらそう言ったが、まだ鼓動は収まらない。ただの冗談なのに、どうしてこうも挙動不審になってしまうのか。
「おや、顔が赤いね?」
   自分は何も知らない、というような表情をしてくるが、正直言うとあなたのせいだ。というか、動揺していたのは自覚していたが、顔が紅潮するほどとは思っていなかった。とても恥ずかしい。
   羞恥心でさらに顔を赤く染めていると、その人は「そういえば」と思い出したように話を切り替えた。
「藤に『優しさ』という花言葉があると教えたことがあったね」
「ああ、ありましたね」
   どういった意味で、とは言わないが、素敵な花言葉だと感心したのを覚えている。
「最近、もうひとつ面白そうなものがあると知ったのだよ」
「へえ、どんなものなんですか?」
   興味津々で聞くと、その人は「ふふ」と少し笑ったあと、しっかりと僕の目を見つめて答えた。

「『恋に酔う』、だよ」
「え……」

   それは、今の僕そのものだった。
   恋なんて考えたこともなかったけど、僕がこの人に対して抱いているこの感情は、おそらく恋なのだろうと思う。
   だが、なぜ今その話を?
「変な話だが、本当は君とはただの友人でいたかったんだ。けれども、自分の意思とは反対にどんどん君に惹かれていった」
    淡々と語るその人から目が離せない。友人でいたかっただなんて、僕もそう思っている。それでも———
「私は、いわば君に酔っている。君はどうかな」
    ほんのり薄紅に頬を染め、やさしく微笑むその人。当然、答えはうんと前から決まっている。
「僕も、あなたに恋をしていました」
   これまでにないほど鼓動が騒ぐ。でも、たまらなく嬉しくて、幸せで。いっそのこと、このまま時が止まればいいのにとも思う。
「嬉しいよ」
   それはきっと、その人も同じ気持ちなのだろう。それから少しの間、愛おしそうに僕を見つめてくれた。




———とある春の日。桜の見頃が終わってすぐ、暇を持て余していた僕は、近所に藤を見に行くことにした。
「準備はできたかい?」
  廊下から声がする。
「はい、ばっちりです!」
   上着を羽織り、部屋から出る。
   一人きりだったちょうど1年前の今日。でも、今は違う。
「ふふ、楽しみです」
「ああ、私もだ」
   やわらかく微笑むその人の手を、ぎゅっと握った。
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