僕と彼の小さな話。

酒田(塩)

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薄紫の散り際

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   ———今の時代より、少し前の話。
   とある春の日の休日。暇を持て余していた僕は、一人暮らしにしては無駄に広すぎる自室で窓の外を眺めていた。窓から見える桜の木は、見頃を終え散り始めている。今年はろくに花見もしていないなあ…などとぼんやり思いながら、ちらりと壁掛け時計の方を見やった。現在時刻は午後2時。近場なら、今から出かけても差し支えない時間帯だろう。
    そういえば、徒歩で行ける距離に藤棚があったっけな。振袖を着た女性にも例えられる淡い紫の藤の花は嫌いじゃない。このまま1日を終えるのもなんだし、散歩がてら行ってみよう。
「ふふ、楽しみかも」
   なんてひとりごとを呟いて、上着を羽織った。


「おお…!」
  いざ行ってみると、想像していたよりも遥かに綺麗な光景だった。一歩歩み寄れば、甘く優しい香りで満たされていく。夢のように幸せだった。
    ただ、人が少ない……どころか、自分以外誰もいないように見受けられるところがひとつ気になった。
    こんなに綺麗なのに、来ないなんてもったいないな、なんて思った矢先。
「わっ……と」
   横を見渡しながら歩いていたせいか、誰かにぶつかってしまった。誰もいないと思っていたので、完全に油断していた。
「ご、ごめんなさい!」
   慌てて謝りつつ、自分よりも背が高いその人の顔を見上げた。
「ああ、気にしないでおくれ。このくらいどうってことないさ」
    そう言って微笑むその人は、整った顔の落ち着いた男性だった。
「藤の花は綺麗だからね。見惚れて不注意になるのもわかるよ。私もそうだからね」
    大丈夫、というように首を傾けると、藤の花のような薄紫の髪が揺れた。
「君は藤の花が好きかい?」
「えっと……はい、好きです」
   唐突に質問をされてうろたえながらも、肯定の返事を返した。
   本当は桜の方が好きなのだけど。
   でも嫌いではないし、否定する理由はなかった。
「そうかそうか!なら私と君とは仲間だな」
   するとその人は、無邪気にきらきらと目を輝かせた。
   ———仲間。そんなことを面と向かって言われる事なんてそうないからなのか、何故だかくすぐったいような、こっ恥ずかしいような感じがする。だが、その人の目を見ていると、不思議と悪い気はしない。
「はい、仲間です」
   笑顔でそう返すと、その人も嬉しそうに笑い返してくれた。


   それから数十分。少し会話をしつつ、藤を見て回った。
「さて、そろそろ私は帰ろうかな」
   ぴたりと足を止め、こちらに振り向いた。
「はい。あの、なんと言いますか……ありがとうございました」
    随分と失礼なことをした僕にも、まるで友人かのように気さくに接してくれて。なんというか、とても優しい人なんだなぁなんて思った。
「礼を言われるようなことはしてないよ。でも、ここで出会えたのは何かの運命かもしれないね」
「運命……ですか」
   優しいけれど、なんだか不思議なことを言う人だ。なんとなく気になって『運命』とやらについて詳しい話を聞いてみようとしたが、それよりも前に「またどこかで会えたらいいね」と言い残して去って行ってしまった。
    また会えたら……か。そう言われると、なんだか照れくさくなってしまうな。でもまあ、あんなに優しい人と親しくなれたらいいな、とは思う。
    また明日も、来てみようかな。
 

    そして翌日。今日もあの人がいたりして……などとぼんやり思いながら、再び藤棚へ来ていた。
    あの人の姿を探して周りを見渡していると、背後から「おや!」と陽気な声が聞こえた。その声を聞いた途端、ぱっと視界が、開けるような気分になり、勢いよく後ろを振り向いた。
「まさか、今日も会えるだなんてねえ。待っていたよ」
「あはは、待っていてくれたんですか」
   にこりと微笑むその人。本当に来ているとは思っていなかったし、ましてや『待っていた』だなんて。
「本当に、優しい方ですね」
   なんの意識もせず、ついぽろっと口から出てしまった。
    いきなりこんなことを言われて困惑しない方がおかしい。絶対に変な反応をされるぞ……と身構えていたが、実際は「そんなことはないさ」と、笑われただけで終わった。僕にとってはより一層優しい人度が上がっただけのような気がする。
「ああ、そういえば。藤の花言葉に『優しさ』というものがあったのを思い出したよ」
   目線の少し上を見上げながら、その人は話を切り替えた。
「優しさ……」
  その話を聞いて、なんだか貴方みたいだ、と真っ先に思った。
   容姿も雰囲気も、どこか藤の花を連想させるような可憐さがあって。
   だからどうということもないのだけど、そんな花言葉を知れて少し気分が上がったような気がした。


   それからと言うもの、暇があれば藤棚へと足を運び、あの人と他愛もない話をする日々。なんでもない毎日が途端に色付き、1日が楽しくて仕方がなかった。ふと気がつくとあの人のことを考えていたり、数日間見かけないと不安になったり。なんだか、ただの友人にしては少し過干渉というか、重たいというか……。とにかく、そんな感情をあの人に対して抱くようになっていた。
「そろそろ花も散ってしまいますね」
   見頃がほんの一瞬で終わってしまう藤を見つめながら呟いた。
「ああ。少しさみしいね」
「はい」
   よく考えてみれば、こうして僕らが立ち話をしているのも、藤の花が理由で。この花が散ってしまえば、多分僕らは来年まで会わなくなってしまう。
    そう考えると、さみしい程度の言葉じゃあ足りなくなってしまう。
   かすかに目頭が熱くなるような感覚に襲われている僕に、その人は声をかけた。
「少しじっとしていてくれ」
「へ……?」
    何かと思って顔を上げると、その人は僕の頬にそっと触れた。
   一体どうしたというのか。いきなりのことに混乱して、滲みかけていた涙は引っ込み、今はその人が触れている頬の方が熱い。
    のぼせたようにくらくらして、頭の中がその人でいっぱいになる。
    するりと手が離れ、ようやく我に返った。時間にすれば、それこそほんの一瞬だったのだろうけど、僕にとってはとても長い時間に感じられた。
「えっと……」
    わけも分からず混乱していると、「おっと、驚かせてしまったかな」と軽く謝られた。
「いやなに、髪に花びらがついていてね」
   その人の手元を見ると、確かに薄紫の花弁がにぎられていた。
「あ、ああ。すみません」
「いやいや」
   ああ、とてつもなく恥ずかしい。花びらを取る際に少しばかり指が触れたからって、ここまで顔が赤くなるとは。変に思われたに違いない……。
   だが、よく考えると変なのは確かだ。そんなに気に留めるような事でもないはずなのに、どうしてこうも動悸が激しくなるのか。
   自分自身でも理解できない感情がもどかしくて、モヤモヤしてしまう。
   この人は、ただ出会ったばかりの友人のはずなのに。それなのに、僕は、この人に———


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