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子育て幽霊
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「さぁて、これからどうやって生きていこうかなぁ」
昔みたいに独りで生きるか、それとも他の誰かとして生きるか。
私はただ、家族が欲しかっただけなのに、唯一の人を不幸にしてしまった。いっそ酷い言葉で罵られて別れた方が未練が残らずに済んだのに。
少し涙ぐんで思い切り鼻を啜った。いつまでもうじうじしていられない、現実を受け止めなくては。
「ところで、その子は宵ノ口さんのお子さんですか?」
子連れで仕事をするなんて大変だ。面倒を見てくれる人がいないのだろうか。すっかり目が覚めて、宵ノ口さんの膝の上で小さな指をいじっている。
「違いますよ」
「え、じゃあ誰の子なんですか?」
「永遠子さんへ人生紹介するにあたり、キーパーソンとなる子ですよ。すでに現在あなたの中で独りで生きる選択をしているのなら、僕達は黙って去ります」
何となく、彼の狙いは予想できたが、あえて白々しくわからないふりをした。
「どういうことですか?」
宵ノ口さんは女の子を抱き上げて私の方へ近づけてくる。黒くつぶらな瞳には、子どもが欲しくて欲しくてたまらない1人の女が映っている。
盗賊が金塊に自分の顔を映したら、きっとこれと似たような表情をするんだろう。
「今日1日、試しにこの子の母親になってみませんか?」
女の子名前は、こはなちゃんと言った。まだ3歳で、母親はシングルマザー。
今まで2人で暮らしていた。しかし母親は脳の病気を患っていて、1週間前に大きな病院で手術を受けた。しかし、術後意識が戻らず眠ったままなのだそうだ。
ちなみに宵ノ口さんと母親は、病院内にあるレストランで知り合ったらしい。
なんでも宵ノ口さんがうっかり転んで右足を捻挫して受診した際、昼食をとったレストランでの席がたまたま隣同士だったという。
母親は、手術のリスクを承知してた。だからその前に手を打っておかなければならなかった。人生紹介バンクを利用して。
「母親は、僕に保険をかけたんです。自分に何かあった時、こはなちゃんが悲しまないように代わりの母親を探してくれと。自分の人生を引き継ぐにふさわしい人をお願いしますと。結果、未だに目覚めません。これからずっと眠ったままなのかどうかはわかりません」
「.......どうなるか、わからないんですね」
まだ小さい子どもにはいなくなるや死ぬの意味がわからない。でも本人を前に口に出すことはできなかったから言葉を濁した。
「こはなちゃんはこの1週間どうしていたんですか?」
「おばあさんの元で暮らしているんですが、そのおばあさんも高齢でこはなちゃんの面倒を見るのに限界があります。だから僕は時々様子を見に伺っていたんです。このままだと、児童養護施設に預けるしかない状況です」
宵ノ口さんは1冊の花柄のノートを手渡してきた。ずいぶんたくさんの付箋が貼ってある。
「ここには、こはなちゃんのことについて書き記してあります。好きな食べ物、嫌いな食べ物、泣いた時のあやし方、寝かしつけ、トイレの仕方、お風呂の入り方など。僕は読んでいませんが、事細かに書いてあるそうです」
「お母さんが作ったんですか?」
「はい、手術前の短い時間で作りました。新しいお母さんに渡してほしいと」
「もし私がお母さんの人生を引き継ぐことになったら、私は初めからいなかったことになるんですよね?」
「いなかったというよりは、人々の記憶から消えるだけです。だから生きていた形跡、物はそのまま残ります。そして永遠子さんがこの子の母親だと記憶が改ざんされます」
「つまりこれ、私が作ったってことになっちゃうんだ」
「それだけじゃありません。この子は永遠子さんが産んだことになるんです」
私が、子どもを産む。有り得ない言葉に反応して体が固まった。
「あくまで実際に産んだわけではありません。記憶と周りの環境がそうなるだけです。
あとは血液型、DNA情報もこんがらがることがないように根回しも必要になってきます。人生が変わっても体が変化するわけではありませんからね。
当然性格や持病や体質もそのままです。人生紹介バンクは警察、病院など多機関の協働によって成り立つものなので融通が効くんです、だから心配無用です」
「じ、じゃあ、物はどうするんですか? 初めから私が母親だって記憶が改ざんされたら、知らない女の人の物が身近にあれば不審に思うでしょう?」
「免許証等の写真類、靴や服のサイズが違えばおかしいですもんね。
基本的には契約前に依頼主と弊社スタッフと一緒に物の整理をしますが、今回のように依頼主ができる状況ではない時は弊社スタッフが全面的に整理整頓させていただきます。永遠子さんは必要最低限の物だけをとっておいて、不要なものを処分してくだされば大丈夫です。
ようは引越しと同じで前の住人が綺麗に片付けた部屋に住むイメージです。そうやって環境がきちんと整ったところで新しい人生のスタートというわけです。ね、不思議でしょう?」
「不思議過ぎて言葉を失います...........。夢なら覚めてほしいくらい」
「人の人生をもらったことは、本人と本人に関わる人間には決して勘づかれてはいけないですからね。
弊社で厳重に物のチェックはしますが、もしも処分しきれなかった母親の写真や永遠子さんの名前が書かれた物を誰かが見つけたとしても「この人は誰だろう?」と一瞬疑問に思うだけなので、つじつまが合わないものが多少あったとしても大した問題ではないんです。
お客様の新しい人生のセッティングは完璧に。その後のケアもしっかり。それが弊社のモットーですからそんなミスは起こさせませんけどね」
「その後のケアってことは、私が知らない裏で、生活が見張られるようになるんですか?」
「その通りです。他に質問は?」
「・・・・・・いえ、頭がついていかなくて」
人から人生をもらう、イコール、全てを忘れ嘘の記憶で監視付きの人生を歩むということ。なんとも不気味で奇妙な話だ。まだ夢を見ているんじゃないかと疑う。でも、紛れもない現実だ。
想いのこもった子育て参考書。自分の代わりに子どもを見てくれる相手のために作ったもの。
手術が絶対うまくいくと信じていたらこんなもの作らない。初めから自分の運命がわかっていたみたい。愛情をそそいで育てた子どもに忘れられるって、どれほど辛い決断をしたのだろう。
母親を思うとひしひしと胸が痛くなった。このノートは、私なんかが触れて良いものなのか。
「あくまで今日はお試し。でも、母親に万が一のことがあれば.......ま、とりあえずは今日1日の感想を聞かせてください」
「人生を引き継ぐかこのまま生きるか、ですよね?」
「はい。どう生きるかよく考えてください。全て自分のためを思って」
頭の中がぐるぐると渦巻く。高卒で独り生きていくとなった時よりも脳がオーバーヒートしている。
だけど子どもを守らなくてはという母性本能だけはしっかりしている。
私の生涯では、子どもの面倒を見る日が最初で最後かもしれない。
宵ノ口さんの膝の上に座っているこはなちゃんと目が合う。初対面の私を怯えないか心配していたら、てくてくと目の前まで歩み寄ってきた。じっと私の顔を見る。
「かわいいから、ママににてる」
そして、私の胸に飛び込んできた。ずっと欲しかった小さくて熱い体温。ふんわりとミルクの匂いがする。
「とても良い子でしょう? 永遠子さんを気に入ったみたいですし、これなら僕も安心です」
宵ノ口さんはすくっと立ち上がり真っ直ぐ玄関へ向かった。
「え、え? 帰るんですか?」
「夕方迎えに来ます。その時感想をお聞かせください。・・・・・・あ、うっかりしていた。これ、僕の連絡先のメモを渡しておきますので何かあったら電話してくださいね」
素早くメモを渡してからガチャリとドアを開け、宵ノ口さんはお辞儀をしながら「母子の時間をお楽しみください」と言い残して去っていった。
昔みたいに独りで生きるか、それとも他の誰かとして生きるか。
私はただ、家族が欲しかっただけなのに、唯一の人を不幸にしてしまった。いっそ酷い言葉で罵られて別れた方が未練が残らずに済んだのに。
少し涙ぐんで思い切り鼻を啜った。いつまでもうじうじしていられない、現実を受け止めなくては。
「ところで、その子は宵ノ口さんのお子さんですか?」
子連れで仕事をするなんて大変だ。面倒を見てくれる人がいないのだろうか。すっかり目が覚めて、宵ノ口さんの膝の上で小さな指をいじっている。
「違いますよ」
「え、じゃあ誰の子なんですか?」
「永遠子さんへ人生紹介するにあたり、キーパーソンとなる子ですよ。すでに現在あなたの中で独りで生きる選択をしているのなら、僕達は黙って去ります」
何となく、彼の狙いは予想できたが、あえて白々しくわからないふりをした。
「どういうことですか?」
宵ノ口さんは女の子を抱き上げて私の方へ近づけてくる。黒くつぶらな瞳には、子どもが欲しくて欲しくてたまらない1人の女が映っている。
盗賊が金塊に自分の顔を映したら、きっとこれと似たような表情をするんだろう。
「今日1日、試しにこの子の母親になってみませんか?」
女の子名前は、こはなちゃんと言った。まだ3歳で、母親はシングルマザー。
今まで2人で暮らしていた。しかし母親は脳の病気を患っていて、1週間前に大きな病院で手術を受けた。しかし、術後意識が戻らず眠ったままなのだそうだ。
ちなみに宵ノ口さんと母親は、病院内にあるレストランで知り合ったらしい。
なんでも宵ノ口さんがうっかり転んで右足を捻挫して受診した際、昼食をとったレストランでの席がたまたま隣同士だったという。
母親は、手術のリスクを承知してた。だからその前に手を打っておかなければならなかった。人生紹介バンクを利用して。
「母親は、僕に保険をかけたんです。自分に何かあった時、こはなちゃんが悲しまないように代わりの母親を探してくれと。自分の人生を引き継ぐにふさわしい人をお願いしますと。結果、未だに目覚めません。これからずっと眠ったままなのかどうかはわかりません」
「.......どうなるか、わからないんですね」
まだ小さい子どもにはいなくなるや死ぬの意味がわからない。でも本人を前に口に出すことはできなかったから言葉を濁した。
「こはなちゃんはこの1週間どうしていたんですか?」
「おばあさんの元で暮らしているんですが、そのおばあさんも高齢でこはなちゃんの面倒を見るのに限界があります。だから僕は時々様子を見に伺っていたんです。このままだと、児童養護施設に預けるしかない状況です」
宵ノ口さんは1冊の花柄のノートを手渡してきた。ずいぶんたくさんの付箋が貼ってある。
「ここには、こはなちゃんのことについて書き記してあります。好きな食べ物、嫌いな食べ物、泣いた時のあやし方、寝かしつけ、トイレの仕方、お風呂の入り方など。僕は読んでいませんが、事細かに書いてあるそうです」
「お母さんが作ったんですか?」
「はい、手術前の短い時間で作りました。新しいお母さんに渡してほしいと」
「もし私がお母さんの人生を引き継ぐことになったら、私は初めからいなかったことになるんですよね?」
「いなかったというよりは、人々の記憶から消えるだけです。だから生きていた形跡、物はそのまま残ります。そして永遠子さんがこの子の母親だと記憶が改ざんされます」
「つまりこれ、私が作ったってことになっちゃうんだ」
「それだけじゃありません。この子は永遠子さんが産んだことになるんです」
私が、子どもを産む。有り得ない言葉に反応して体が固まった。
「あくまで実際に産んだわけではありません。記憶と周りの環境がそうなるだけです。
あとは血液型、DNA情報もこんがらがることがないように根回しも必要になってきます。人生が変わっても体が変化するわけではありませんからね。
当然性格や持病や体質もそのままです。人生紹介バンクは警察、病院など多機関の協働によって成り立つものなので融通が効くんです、だから心配無用です」
「じ、じゃあ、物はどうするんですか? 初めから私が母親だって記憶が改ざんされたら、知らない女の人の物が身近にあれば不審に思うでしょう?」
「免許証等の写真類、靴や服のサイズが違えばおかしいですもんね。
基本的には契約前に依頼主と弊社スタッフと一緒に物の整理をしますが、今回のように依頼主ができる状況ではない時は弊社スタッフが全面的に整理整頓させていただきます。永遠子さんは必要最低限の物だけをとっておいて、不要なものを処分してくだされば大丈夫です。
ようは引越しと同じで前の住人が綺麗に片付けた部屋に住むイメージです。そうやって環境がきちんと整ったところで新しい人生のスタートというわけです。ね、不思議でしょう?」
「不思議過ぎて言葉を失います...........。夢なら覚めてほしいくらい」
「人の人生をもらったことは、本人と本人に関わる人間には決して勘づかれてはいけないですからね。
弊社で厳重に物のチェックはしますが、もしも処分しきれなかった母親の写真や永遠子さんの名前が書かれた物を誰かが見つけたとしても「この人は誰だろう?」と一瞬疑問に思うだけなので、つじつまが合わないものが多少あったとしても大した問題ではないんです。
お客様の新しい人生のセッティングは完璧に。その後のケアもしっかり。それが弊社のモットーですからそんなミスは起こさせませんけどね」
「その後のケアってことは、私が知らない裏で、生活が見張られるようになるんですか?」
「その通りです。他に質問は?」
「・・・・・・いえ、頭がついていかなくて」
人から人生をもらう、イコール、全てを忘れ嘘の記憶で監視付きの人生を歩むということ。なんとも不気味で奇妙な話だ。まだ夢を見ているんじゃないかと疑う。でも、紛れもない現実だ。
想いのこもった子育て参考書。自分の代わりに子どもを見てくれる相手のために作ったもの。
手術が絶対うまくいくと信じていたらこんなもの作らない。初めから自分の運命がわかっていたみたい。愛情をそそいで育てた子どもに忘れられるって、どれほど辛い決断をしたのだろう。
母親を思うとひしひしと胸が痛くなった。このノートは、私なんかが触れて良いものなのか。
「あくまで今日はお試し。でも、母親に万が一のことがあれば.......ま、とりあえずは今日1日の感想を聞かせてください」
「人生を引き継ぐかこのまま生きるか、ですよね?」
「はい。どう生きるかよく考えてください。全て自分のためを思って」
頭の中がぐるぐると渦巻く。高卒で独り生きていくとなった時よりも脳がオーバーヒートしている。
だけど子どもを守らなくてはという母性本能だけはしっかりしている。
私の生涯では、子どもの面倒を見る日が最初で最後かもしれない。
宵ノ口さんの膝の上に座っているこはなちゃんと目が合う。初対面の私を怯えないか心配していたら、てくてくと目の前まで歩み寄ってきた。じっと私の顔を見る。
「かわいいから、ママににてる」
そして、私の胸に飛び込んできた。ずっと欲しかった小さくて熱い体温。ふんわりとミルクの匂いがする。
「とても良い子でしょう? 永遠子さんを気に入ったみたいですし、これなら僕も安心です」
宵ノ口さんはすくっと立ち上がり真っ直ぐ玄関へ向かった。
「え、え? 帰るんですか?」
「夕方迎えに来ます。その時感想をお聞かせください。・・・・・・あ、うっかりしていた。これ、僕の連絡先のメモを渡しておきますので何かあったら電話してくださいね」
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