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第2章 頭を抱える国王
頭を抱える国王Ⅱ
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ちらりともこちらを見ない。
「国王陛下」
数歩前へ出て、膝をつく。それでも国王はまだ私の存在に気付いていないようだ。小さな溜め息まで吐く。
「あの、国王陛下」
二度目の呼びかけに、ようやく国王の眉がピクリと動いた。空色の澄んだ瞳がこちらを見遣ると、国王の顔には笑みが広がっていった。
「エレナ・アーデンと申します」
「ああ、よく来てくれた」
物々しい警備とは裏腹に、国王の表情からは温厚な性格が滲み出ているようだ。
「まずは……貴女に無礼を働いたことを謝りたい。申し訳なかった」
「いえ、仕方のないことですから」
昨晩のことを許したわけではない。だとしても、建前を立てておこう。返答すると、国王は背中を玉座へと預けた。
「貴女を呼んだのは他でもない。我が息子、リュシアンの妃になってもらいたい。貴女はかなり人望があるようではないか」
「人望……?」
これと言って、私に思い当たることはない。領地に閉じこもり、領民と共に慎ましく生活していた私に人望なんて――。
「領民から山のように手紙が届いてね。『是非、ノワゼル伯爵令嬢を妃として迎えてください。私たちが推薦します』とね」
そうか、慎ましく生活していたことが、今回は功を奏したらしい。領地に帰ることがあれば、領民たちに感謝を伝えなくては。
「それがなければ、貴女を呼んでいなかっただろう。しかも、貴女は彼の……いや、なんでもない」
含みのある物言いに疑問符ばかりが浮かぶ。国王は咳ばらいをし、その場を取り繕った。
「今回は伯爵令嬢のみを招いている。貴女がノワゼル伯爵令嬢だということは伏せよう。その代わり、他の伯爵令嬢の身の上も詮索しないように」
「心得ております」
これは願ったり叶ったりな展開だ。私も他の令嬢と対等な立場で渡り合える。誰に臆する必要もない。心の中でガッツポーズを決め、国王の次の言葉を待つ。
「貴女は知らないかもしれないが、リュシアンにはほとほと困り果てていてね。気の強すぎる公爵令嬢ではリュシアンは委縮してしまうし、侯爵令嬢はリュシアンを見ようともしない。まあ、それも私の罪の一つでもあるのだが」
「罪?」
「あぁ……貴女には関係のない話だ。ともかく、リュシアンを立ててやってくれないか? 頼む」
言われるまでもない。私にその気がなければ、この舞台には立っていないのだから。
「勿論です。私にお任せください」
「うむ」
国王は満足そうに微笑むと、再び思案を始める。
「先日、あやつは何と言っていたか。確認しないといけないな」
ぶつぶつと独り言を呟き、口をへの字に曲げた。
「国王陛下、用はこれだけでしょうか」
「ああ、下がって良いぞ」
「では、失礼致します」
ゆっくりと立ち上がり、なるべく独り言の内容は聞かないように努める。私にはきっと関係のないことだ。
開かれた扉をくぐろうと前方を見据えた時――。
「済まないことをした」
国王の凛とした声が耳に届いた気がした。振り返ってみても、そこには閉ざされた扉が立ち塞がるばかりだった。
今の謝罪は何だろう。昨夜の出来事は許すと言っているし、他に謝られることはない筈だ。私ではない別の誰かに対しての言葉だったのだろうか。
まあ、良い。今は居室に戻ろう。大分気を張っていたせいか、疲れてしまった。
誰が見ているか分からない。気を抜かずに姿勢を正して廊下を歩いていると、一組の男女が正面からこちらへと向かって来た。立ち居振る舞いや容姿からして、王太子と王女だろうか。再び緊張が走る。
立ち止まることも出来ず、自然を装って二人とすれ違った。
「お兄様、弱いフリをしていては駄目ですよ」
「いや、フリなんかじゃ――」
「私を救ってくださったではありませんか」
これ見よがしに、王女は声を張っていたように思う。
はっきりとは見られなかったけれど、金の癖っ毛に空色の瞳、端正な顔立ち、透き通った声――黙っていれば、もてはやされていてもおかしくはない。
あの方と恋の駆け引きを繰り広げることになるのだ。あの方の心を落とせなければ、私の家が落ちる。無意識のうちに頬の温度は上昇し、喉は干からびていく。
駄目だ。思考を別の方向へもっていかないと。そうだ、この城に図書室はあるのだろうか。一日を読書の時間に充ててみたいという小さな夢が叶えられるかもしれない。
居室に戻るとソファーに座り、用意されていた紅茶を嗜む。屋敷で飲む紅茶よりも香り高く、雑味がない。高級な茶葉を取り寄せているのだろう。父と母にも飲ませてあげたいな、と物思いに耽る。気の済むまで故郷に思いを馳せた後、テーブルの隅に置いてあったベルを鳴らした。
数分も経たずに扉が開き、セリスが頭を下げる。
「お呼びでしょうか」
「この城に図書室はある?」
「ございますよ。行かれますか?」
行って良いのなら、是非とも行きたい。大きく頷いてみせ、セリスの後に続いた。
辿り着いたのは、天にも届きそうな程に高く見える天井と、それに負けないくらいにうず高く積まれた本棚だった。こんなに沢山の本を見るのは生まれて初めてだ。
「迷われるといけませんから、私もお供いたします。お探しの本はございますか?」
「とにかく小説が読みたい」
「こちらでございます」
この図書室で一生暇を潰せるのではないだろうか。王太子妃になれば、それも夢ではない。高鳴る胸を押さえながら、何時間も、何日も図書室に滞在するのだった。
「国王陛下」
数歩前へ出て、膝をつく。それでも国王はまだ私の存在に気付いていないようだ。小さな溜め息まで吐く。
「あの、国王陛下」
二度目の呼びかけに、ようやく国王の眉がピクリと動いた。空色の澄んだ瞳がこちらを見遣ると、国王の顔には笑みが広がっていった。
「エレナ・アーデンと申します」
「ああ、よく来てくれた」
物々しい警備とは裏腹に、国王の表情からは温厚な性格が滲み出ているようだ。
「まずは……貴女に無礼を働いたことを謝りたい。申し訳なかった」
「いえ、仕方のないことですから」
昨晩のことを許したわけではない。だとしても、建前を立てておこう。返答すると、国王は背中を玉座へと預けた。
「貴女を呼んだのは他でもない。我が息子、リュシアンの妃になってもらいたい。貴女はかなり人望があるようではないか」
「人望……?」
これと言って、私に思い当たることはない。領地に閉じこもり、領民と共に慎ましく生活していた私に人望なんて――。
「領民から山のように手紙が届いてね。『是非、ノワゼル伯爵令嬢を妃として迎えてください。私たちが推薦します』とね」
そうか、慎ましく生活していたことが、今回は功を奏したらしい。領地に帰ることがあれば、領民たちに感謝を伝えなくては。
「それがなければ、貴女を呼んでいなかっただろう。しかも、貴女は彼の……いや、なんでもない」
含みのある物言いに疑問符ばかりが浮かぶ。国王は咳ばらいをし、その場を取り繕った。
「今回は伯爵令嬢のみを招いている。貴女がノワゼル伯爵令嬢だということは伏せよう。その代わり、他の伯爵令嬢の身の上も詮索しないように」
「心得ております」
これは願ったり叶ったりな展開だ。私も他の令嬢と対等な立場で渡り合える。誰に臆する必要もない。心の中でガッツポーズを決め、国王の次の言葉を待つ。
「貴女は知らないかもしれないが、リュシアンにはほとほと困り果てていてね。気の強すぎる公爵令嬢ではリュシアンは委縮してしまうし、侯爵令嬢はリュシアンを見ようともしない。まあ、それも私の罪の一つでもあるのだが」
「罪?」
「あぁ……貴女には関係のない話だ。ともかく、リュシアンを立ててやってくれないか? 頼む」
言われるまでもない。私にその気がなければ、この舞台には立っていないのだから。
「勿論です。私にお任せください」
「うむ」
国王は満足そうに微笑むと、再び思案を始める。
「先日、あやつは何と言っていたか。確認しないといけないな」
ぶつぶつと独り言を呟き、口をへの字に曲げた。
「国王陛下、用はこれだけでしょうか」
「ああ、下がって良いぞ」
「では、失礼致します」
ゆっくりと立ち上がり、なるべく独り言の内容は聞かないように努める。私にはきっと関係のないことだ。
開かれた扉をくぐろうと前方を見据えた時――。
「済まないことをした」
国王の凛とした声が耳に届いた気がした。振り返ってみても、そこには閉ざされた扉が立ち塞がるばかりだった。
今の謝罪は何だろう。昨夜の出来事は許すと言っているし、他に謝られることはない筈だ。私ではない別の誰かに対しての言葉だったのだろうか。
まあ、良い。今は居室に戻ろう。大分気を張っていたせいか、疲れてしまった。
誰が見ているか分からない。気を抜かずに姿勢を正して廊下を歩いていると、一組の男女が正面からこちらへと向かって来た。立ち居振る舞いや容姿からして、王太子と王女だろうか。再び緊張が走る。
立ち止まることも出来ず、自然を装って二人とすれ違った。
「お兄様、弱いフリをしていては駄目ですよ」
「いや、フリなんかじゃ――」
「私を救ってくださったではありませんか」
これ見よがしに、王女は声を張っていたように思う。
はっきりとは見られなかったけれど、金の癖っ毛に空色の瞳、端正な顔立ち、透き通った声――黙っていれば、もてはやされていてもおかしくはない。
あの方と恋の駆け引きを繰り広げることになるのだ。あの方の心を落とせなければ、私の家が落ちる。無意識のうちに頬の温度は上昇し、喉は干からびていく。
駄目だ。思考を別の方向へもっていかないと。そうだ、この城に図書室はあるのだろうか。一日を読書の時間に充ててみたいという小さな夢が叶えられるかもしれない。
居室に戻るとソファーに座り、用意されていた紅茶を嗜む。屋敷で飲む紅茶よりも香り高く、雑味がない。高級な茶葉を取り寄せているのだろう。父と母にも飲ませてあげたいな、と物思いに耽る。気の済むまで故郷に思いを馳せた後、テーブルの隅に置いてあったベルを鳴らした。
数分も経たずに扉が開き、セリスが頭を下げる。
「お呼びでしょうか」
「この城に図書室はある?」
「ございますよ。行かれますか?」
行って良いのなら、是非とも行きたい。大きく頷いてみせ、セリスの後に続いた。
辿り着いたのは、天にも届きそうな程に高く見える天井と、それに負けないくらいにうず高く積まれた本棚だった。こんなに沢山の本を見るのは生まれて初めてだ。
「迷われるといけませんから、私もお供いたします。お探しの本はございますか?」
「とにかく小説が読みたい」
「こちらでございます」
この図書室で一生暇を潰せるのではないだろうか。王太子妃になれば、それも夢ではない。高鳴る胸を押さえながら、何時間も、何日も図書室に滞在するのだった。
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