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序.例えば、■■
救世
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ひとつエレヴィスがため息をついた。
「先程から、おまえは故郷に良い感情を持っていないように見える───私は、その理由を知りたい。わからないか?」
「……なんの面白みもありませんが」
「構わない。話せ」
なるほどこのひとは正真正銘王なのだ、と思った。冷徹ではあるが寛大、厳格ではあるが残酷ではない。不敬というだけで首を刎ねるようなものではないのだ。
ならばそれを信じてみるのも悪くないように思えた。息を吸って、なにから話し始めるべきか考える。
「神楽の島では、代々神に願うもの……早い話が神官ですが、その役職についたものが神の祝福を得ることができ、神へ祈ることで、雨を降らせたり、豊穣を祈願したりする風習がございます」
神への祈り、あるいは請願。それにろくな思い出などないからこそ、これ以上の無様を重ねないよう、できるだけ恬淡と喋り続ける。
エレヴィスは時折頷きながら聞いていて、なにかを見定めるような目をしていた。
「私に神の力がおりたのは、ずいぶん昔のことです。本来十二になったこどもに神の祝福が与えられるのですが、私のそれは、十年前───七つのときでした」
そのときのことを思い出す。ある日高熱を出して寝込んでしまって、起きたら髪と瞳のいろが変色していた───その恐怖といったらない。夢のなかで神の声を聞いたような気もしたが、もうそのころの記憶は曖昧だ。
父は目が合うなり気が触れたようになって、兄もそれは同じだった。
「私の兄は、三つ上、そのとき十歳でした。……兄は、とうぜん私を恨みました。本来ならば自分に祝福が下されるはずだったのだから当然です」
唯一絶対の支柱を、もとより嫌っていた弟などに叩き折られ。兄はなにがあってもヒューゴと会わないようにするために、ヒューゴを座敷牢めいた空間に閉じ込めた張本人である。
「もともと父は私を良く思っていませんでしたが、それが、私が祝福されたことで決定的になってしまった。私は、……だれにも望まれないまま、神の視線を受けるものになってしまったのです」
エレヴィスの目を見ていられなくなった。あまりに愚かで、どうしようもなくて、醜い話だったから。
「私たちは、血の穢れを厭います。それは神の白を穢すものですから。であれば───血さえ流れなければ、なんの問題もないでしょう?」
遺灰色の瞳に、一切の感情を揺らがせず。
「私はひとより頑丈でした。神の祝福があったのだから当然です。頬を張られど血は流れず、腹を蹴られども血を吐くことはない。父と兄は、私に……」
「折檻を、いや……的確ではないな、暴力、と言うべきか」
「その通りでございます。あの島で、私は人形でした。決して毀れぬ、よくできた、まがまがしいつくりもの。子などではない。……あとはお察しの通りかと」
そこまで話して口を閉ざせば、エレヴィスはひとつため息をついた。
「……そうか」
一瞬目を閉ざし、そして。
「では、裁定を。───おまえはそのままここで留め置くかたちとなる。構わないか?」
以前のヒューゴならば、それを一も二もなく受け入れていただろう。だってそうしなければ降ってくるのは暴力だからだ。
しかし、いまならば。今ならば、あるいは問い返してもよいような、ずっと昔に諦めてしまったものをしてみても良いような、そんな気がした。
「留め置く、でございますか……?」
「人質と言ったほうが分かりやすいか? 統治自体はおまえの血縁者に任せる形となるが」
問い返しても、やはり罰は与えられない。むしろ鷹揚に彼は頷いていて、それが明確に嬉しかった。
自分を抑えつけていた箍が緩んでいるような心地である。
「それでかまいません、どうぞよろしくお願い申し上げます。……私がそれに同意していると、お伝えください。父と兄以外になら、きっと私の託宣《ことば》は届くはず」
そう答えてから、かすかに微笑んだ。
「もう、私は、あそこには、戻りたくない」
◇◇◇
エレヴィスの裁定がくだって三日ほど経っただろうか。朝と昼は窓の外を眺めて過ごし、さてそろそろ日も暮れようかというころ、急に慌ただしい足音が聞こえてきた。
失礼いたします、とひと声かけて入室してきたトリスがいわく、エレヴィスが自分を呼び立てている、ということである。
次々と現れた侍女たちに、その場で召し替えさせられて、トリスが先に立って案内する、という。
「え、ええと」
「ヒューゴ殿ならば心配要りませんでしょうが、くれぐれも陛下の御前で粗相など働きませぬよう」
「それはもちろんですが……」
なるほど自分は彼のもとに引き出されるらしい。何故、とは思うものの、もう一度話す機会が訪れたのかもしれない、と思うと悪い気分ではなかった。
そうして、初めて纏う帝国風の衣装で、やたらときらびやかに飾り付けられたヒューゴは、エレヴィスの私室らしき場所へと連れ出されたのである。
扉からいちばん遠く、まっすぐ向かいに黒壇の机をおき、その後ろに窓を配した構図の部屋は、それ以外の調度はほぼないと言ってよかった。どうにか腰掛けられそうな布張りの長椅子、部屋全体を明るく照らしている灯があるのみである。
そして、部屋の主は、机の上のものと向き合っていた。
ちらと、白金色をした虹彩に目線を寄越される。すぐにそれは手元──書類と資料と押印らしきもの──に戻されてしまって、ヒューゴとしては拍子抜けである。
一礼してトリスが退出していくのを横目に見ながら、呆然としていれば。
「なにを突っ立っている? そこへ座れ」
「申し訳ありません、ただいま参ります」
「納得がいかないという顔だ。なにかあったか」
「いえ、その……てっきり、夜伽を仰せつかるものとばかり」
そういったことに関しての知識は全くないのだが、そういうことをするものだとは思っていた。父がそうであったので。しかしこの部屋には一分の閨の気配すらない。
そんなヒューゴの様子を前にして、エレヴィスはかすかに、嘲りの語調で笑い声をこぼした。
「は、まさか。会ってたかだか数日のものと眠るなど、私からすれば正気の沙汰とは思えない」
「それは、その通りでございますが」
「女子供ならば宮に入れるのだが。おまえはそれが難しいようだからな」
もう一度、エレヴィスの視線がヒューゴに向く。
「それともなにか? 私に抱かれたいのか、おまえは」
たしかに、なにかを判ずるような、つめたく冴えた目だとは思ったが、初めて見た時のような恐れは感じなかった。ゆえに、ヒューゴは口元を引き結ぶ心地で返す。
「……あなたがそうお望みなら、全てを曝け出す覚悟がございますが」
うすく、もはや口の端を上げるようにして。
「はは、冗談だ」
え、と思わず声をこぼしてしまう。はたしてふと笑ったエレヴィスは、ヒューゴの声を聞いて怪訝そうな表情を浮かべた。
「なにか?」
「いえ……陛下も笑うことがあるのですね」
「それはおまえもだ。──ここでの暮らしが、おまえにとって良いものだといいが」
ぽつりと、エレヴィスとヒューゴ以外には聞こえないような声で、彼は言う。
「ええ、良くしていただいております。それに、あなたは、私を救ってくれたひとだと思うと、なんだか……」
遺灰色のひとみが揺れている。
どうした、とでも言うように視線を細められ、ヒューゴは慌てて言葉を継ぐ。
「しかし、夜伽はいらないと仰せなら、なぜ私をお呼びになったのです?」
「おまえの話を聞きたいのだ」
「ええ、それは構いませんが」
ふ、とエレヴィスがひとつため息をついた。手元で絶え間なく動かしていた筆記具をとめ、資料を脇に片付けて。一瞬視線を彷徨わせて、一言。
「……我らの神が下した神託にはこうあった」
それからエレヴィスは、ヒューゴにはわからない言葉でなにかを言いかけ──その様子に気付いて言葉を切った。
「要約すれば、神楽の島を手に入れろ、という内容だ。さすれば我らの願いは叶う、と」
かすかに、皮肉げに口角を上げてエレヴィスが言う。すぐ会話を共通語に戻してくれた彼の、その配慮にまたひとつ心を溶かされつつ──後に気づいたことだが──、ヒューゴは頷いた。
「それはまた、ずいぶんなことがあるものですね」
「全くだ。つまり……我が国の伝承につたわる、海上の楽園というのが、その島なのではないか、と。そうまことしやかな噂が流れた」
エレヴィスは苦々しげに眉を顰めていて、おそらく彼とてそんな理由で侵攻などするつもりではなかったのだろう、と察せられる。
やはり、この土地でも神託は絶対か、とヒューゴは内心ひとりごちる。
「実際には、そんなことはなかったわけだが」
「ご期待に添えなかったようで、誠に遺憾ではありますが」
「良い。───血の穢れを厭うというのはそれらしいが、全くおまえの話を聞く限りでは違うようだ」
「それは……」
「責めてなどいないから、そう怯えた顔をするな。そもそもなにかを犠牲にしての安寧など、合理的な理由がない限りは認められないだろう」
エレヴィスの、ちょうど真冬のような白金色が、ひたとこちらに据えられた。
「おまえに振るわれていた暴力は、特段はっきりとした理由などあるまい。むしろ、おまえはなにより崇められるべき存在だったというのに」
「……それは、私に価値がないから、でしょう」
しずかに顔を傾けて、ヒューゴは思い返す。お前にはそれ以外の価値などない。神性を失ってしまえばただの穀潰しの、家長にとって都合の悪い次男である。
エレヴィスが眉を上げて、なにか思案するように瞬いた。
「では、おまえはなにか、望みはあるか」
「え……」
「なに、臣下に褒賞をやるのも皇帝の務めであろう」
そう言われてしまえば断るのも無礼である。すぐになにか思いつくものはないのだが、あまり躊躇していてはエレヴィスが会話を打ち切りかねない。
ヒューゴは困ったように視線を泳がせ──そして、思いついたそれを、口に出した。
「では、その、ひとつ、お願いをしても?」
なにかを願うことには慣れていない。
「構わないと言っている」
「陛下のお許しがあれば、ですが、私は、あなたの……この国の言葉を教わりたく存じます」
それは紛れもない本心だった。自分を救ってくれたひとたちと同じ言葉を話してみたかったのだ。その、どこか格調高さを持ちながら、しかし決して傲慢にはならない響きが、ヒューゴは気に入っていた。
エレヴィスはかすかに口元を緩めて、ひとつ頷く。
「それは良いことだ、無論構わない。明日にでも手配しよう」
「ありがとう、ございます」
「ああ。今後もなにか不便があったらトリスに申し付けるがいい。あれは存外気の利く男だ」
エレヴィスはそう言って、今度こそ明確に笑った。
「はい、承知いたしました」
「分かったならばよい。……もう月女神が顔を出す頃だ、帰途には十分注意せよ」
「ありがとうございます、気を付けます」
そのあとの頷きだけで下がることを許した皇帝は、また手元へと目線を落としてしまった。それを残念に思う気持ちがすこし新鮮だったことをよくおぼえている。
「先程から、おまえは故郷に良い感情を持っていないように見える───私は、その理由を知りたい。わからないか?」
「……なんの面白みもありませんが」
「構わない。話せ」
なるほどこのひとは正真正銘王なのだ、と思った。冷徹ではあるが寛大、厳格ではあるが残酷ではない。不敬というだけで首を刎ねるようなものではないのだ。
ならばそれを信じてみるのも悪くないように思えた。息を吸って、なにから話し始めるべきか考える。
「神楽の島では、代々神に願うもの……早い話が神官ですが、その役職についたものが神の祝福を得ることができ、神へ祈ることで、雨を降らせたり、豊穣を祈願したりする風習がございます」
神への祈り、あるいは請願。それにろくな思い出などないからこそ、これ以上の無様を重ねないよう、できるだけ恬淡と喋り続ける。
エレヴィスは時折頷きながら聞いていて、なにかを見定めるような目をしていた。
「私に神の力がおりたのは、ずいぶん昔のことです。本来十二になったこどもに神の祝福が与えられるのですが、私のそれは、十年前───七つのときでした」
そのときのことを思い出す。ある日高熱を出して寝込んでしまって、起きたら髪と瞳のいろが変色していた───その恐怖といったらない。夢のなかで神の声を聞いたような気もしたが、もうそのころの記憶は曖昧だ。
父は目が合うなり気が触れたようになって、兄もそれは同じだった。
「私の兄は、三つ上、そのとき十歳でした。……兄は、とうぜん私を恨みました。本来ならば自分に祝福が下されるはずだったのだから当然です」
唯一絶対の支柱を、もとより嫌っていた弟などに叩き折られ。兄はなにがあってもヒューゴと会わないようにするために、ヒューゴを座敷牢めいた空間に閉じ込めた張本人である。
「もともと父は私を良く思っていませんでしたが、それが、私が祝福されたことで決定的になってしまった。私は、……だれにも望まれないまま、神の視線を受けるものになってしまったのです」
エレヴィスの目を見ていられなくなった。あまりに愚かで、どうしようもなくて、醜い話だったから。
「私たちは、血の穢れを厭います。それは神の白を穢すものですから。であれば───血さえ流れなければ、なんの問題もないでしょう?」
遺灰色の瞳に、一切の感情を揺らがせず。
「私はひとより頑丈でした。神の祝福があったのだから当然です。頬を張られど血は流れず、腹を蹴られども血を吐くことはない。父と兄は、私に……」
「折檻を、いや……的確ではないな、暴力、と言うべきか」
「その通りでございます。あの島で、私は人形でした。決して毀れぬ、よくできた、まがまがしいつくりもの。子などではない。……あとはお察しの通りかと」
そこまで話して口を閉ざせば、エレヴィスはひとつため息をついた。
「……そうか」
一瞬目を閉ざし、そして。
「では、裁定を。───おまえはそのままここで留め置くかたちとなる。構わないか?」
以前のヒューゴならば、それを一も二もなく受け入れていただろう。だってそうしなければ降ってくるのは暴力だからだ。
しかし、いまならば。今ならば、あるいは問い返してもよいような、ずっと昔に諦めてしまったものをしてみても良いような、そんな気がした。
「留め置く、でございますか……?」
「人質と言ったほうが分かりやすいか? 統治自体はおまえの血縁者に任せる形となるが」
問い返しても、やはり罰は与えられない。むしろ鷹揚に彼は頷いていて、それが明確に嬉しかった。
自分を抑えつけていた箍が緩んでいるような心地である。
「それでかまいません、どうぞよろしくお願い申し上げます。……私がそれに同意していると、お伝えください。父と兄以外になら、きっと私の託宣《ことば》は届くはず」
そう答えてから、かすかに微笑んだ。
「もう、私は、あそこには、戻りたくない」
◇◇◇
エレヴィスの裁定がくだって三日ほど経っただろうか。朝と昼は窓の外を眺めて過ごし、さてそろそろ日も暮れようかというころ、急に慌ただしい足音が聞こえてきた。
失礼いたします、とひと声かけて入室してきたトリスがいわく、エレヴィスが自分を呼び立てている、ということである。
次々と現れた侍女たちに、その場で召し替えさせられて、トリスが先に立って案内する、という。
「え、ええと」
「ヒューゴ殿ならば心配要りませんでしょうが、くれぐれも陛下の御前で粗相など働きませぬよう」
「それはもちろんですが……」
なるほど自分は彼のもとに引き出されるらしい。何故、とは思うものの、もう一度話す機会が訪れたのかもしれない、と思うと悪い気分ではなかった。
そうして、初めて纏う帝国風の衣装で、やたらときらびやかに飾り付けられたヒューゴは、エレヴィスの私室らしき場所へと連れ出されたのである。
扉からいちばん遠く、まっすぐ向かいに黒壇の机をおき、その後ろに窓を配した構図の部屋は、それ以外の調度はほぼないと言ってよかった。どうにか腰掛けられそうな布張りの長椅子、部屋全体を明るく照らしている灯があるのみである。
そして、部屋の主は、机の上のものと向き合っていた。
ちらと、白金色をした虹彩に目線を寄越される。すぐにそれは手元──書類と資料と押印らしきもの──に戻されてしまって、ヒューゴとしては拍子抜けである。
一礼してトリスが退出していくのを横目に見ながら、呆然としていれば。
「なにを突っ立っている? そこへ座れ」
「申し訳ありません、ただいま参ります」
「納得がいかないという顔だ。なにかあったか」
「いえ、その……てっきり、夜伽を仰せつかるものとばかり」
そういったことに関しての知識は全くないのだが、そういうことをするものだとは思っていた。父がそうであったので。しかしこの部屋には一分の閨の気配すらない。
そんなヒューゴの様子を前にして、エレヴィスはかすかに、嘲りの語調で笑い声をこぼした。
「は、まさか。会ってたかだか数日のものと眠るなど、私からすれば正気の沙汰とは思えない」
「それは、その通りでございますが」
「女子供ならば宮に入れるのだが。おまえはそれが難しいようだからな」
もう一度、エレヴィスの視線がヒューゴに向く。
「それともなにか? 私に抱かれたいのか、おまえは」
たしかに、なにかを判ずるような、つめたく冴えた目だとは思ったが、初めて見た時のような恐れは感じなかった。ゆえに、ヒューゴは口元を引き結ぶ心地で返す。
「……あなたがそうお望みなら、全てを曝け出す覚悟がございますが」
うすく、もはや口の端を上げるようにして。
「はは、冗談だ」
え、と思わず声をこぼしてしまう。はたしてふと笑ったエレヴィスは、ヒューゴの声を聞いて怪訝そうな表情を浮かべた。
「なにか?」
「いえ……陛下も笑うことがあるのですね」
「それはおまえもだ。──ここでの暮らしが、おまえにとって良いものだといいが」
ぽつりと、エレヴィスとヒューゴ以外には聞こえないような声で、彼は言う。
「ええ、良くしていただいております。それに、あなたは、私を救ってくれたひとだと思うと、なんだか……」
遺灰色のひとみが揺れている。
どうした、とでも言うように視線を細められ、ヒューゴは慌てて言葉を継ぐ。
「しかし、夜伽はいらないと仰せなら、なぜ私をお呼びになったのです?」
「おまえの話を聞きたいのだ」
「ええ、それは構いませんが」
ふ、とエレヴィスがひとつため息をついた。手元で絶え間なく動かしていた筆記具をとめ、資料を脇に片付けて。一瞬視線を彷徨わせて、一言。
「……我らの神が下した神託にはこうあった」
それからエレヴィスは、ヒューゴにはわからない言葉でなにかを言いかけ──その様子に気付いて言葉を切った。
「要約すれば、神楽の島を手に入れろ、という内容だ。さすれば我らの願いは叶う、と」
かすかに、皮肉げに口角を上げてエレヴィスが言う。すぐ会話を共通語に戻してくれた彼の、その配慮にまたひとつ心を溶かされつつ──後に気づいたことだが──、ヒューゴは頷いた。
「それはまた、ずいぶんなことがあるものですね」
「全くだ。つまり……我が国の伝承につたわる、海上の楽園というのが、その島なのではないか、と。そうまことしやかな噂が流れた」
エレヴィスは苦々しげに眉を顰めていて、おそらく彼とてそんな理由で侵攻などするつもりではなかったのだろう、と察せられる。
やはり、この土地でも神託は絶対か、とヒューゴは内心ひとりごちる。
「実際には、そんなことはなかったわけだが」
「ご期待に添えなかったようで、誠に遺憾ではありますが」
「良い。───血の穢れを厭うというのはそれらしいが、全くおまえの話を聞く限りでは違うようだ」
「それは……」
「責めてなどいないから、そう怯えた顔をするな。そもそもなにかを犠牲にしての安寧など、合理的な理由がない限りは認められないだろう」
エレヴィスの、ちょうど真冬のような白金色が、ひたとこちらに据えられた。
「おまえに振るわれていた暴力は、特段はっきりとした理由などあるまい。むしろ、おまえはなにより崇められるべき存在だったというのに」
「……それは、私に価値がないから、でしょう」
しずかに顔を傾けて、ヒューゴは思い返す。お前にはそれ以外の価値などない。神性を失ってしまえばただの穀潰しの、家長にとって都合の悪い次男である。
エレヴィスが眉を上げて、なにか思案するように瞬いた。
「では、おまえはなにか、望みはあるか」
「え……」
「なに、臣下に褒賞をやるのも皇帝の務めであろう」
そう言われてしまえば断るのも無礼である。すぐになにか思いつくものはないのだが、あまり躊躇していてはエレヴィスが会話を打ち切りかねない。
ヒューゴは困ったように視線を泳がせ──そして、思いついたそれを、口に出した。
「では、その、ひとつ、お願いをしても?」
なにかを願うことには慣れていない。
「構わないと言っている」
「陛下のお許しがあれば、ですが、私は、あなたの……この国の言葉を教わりたく存じます」
それは紛れもない本心だった。自分を救ってくれたひとたちと同じ言葉を話してみたかったのだ。その、どこか格調高さを持ちながら、しかし決して傲慢にはならない響きが、ヒューゴは気に入っていた。
エレヴィスはかすかに口元を緩めて、ひとつ頷く。
「それは良いことだ、無論構わない。明日にでも手配しよう」
「ありがとう、ございます」
「ああ。今後もなにか不便があったらトリスに申し付けるがいい。あれは存外気の利く男だ」
エレヴィスはそう言って、今度こそ明確に笑った。
「はい、承知いたしました」
「分かったならばよい。……もう月女神が顔を出す頃だ、帰途には十分注意せよ」
「ありがとうございます、気を付けます」
そのあとの頷きだけで下がることを許した皇帝は、また手元へと目線を落としてしまった。それを残念に思う気持ちがすこし新鮮だったことをよくおぼえている。
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