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閑話 許凜風という女 その3 (皇帝・梓宸視点)

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 そわそわ。
 そわそわ。
 そわそわそわそわ。

 再会の場として用意された張のじいさんの隠居屋敷で俺は右を向いたり左を向いたり身体を揺すったりしてしまう。だって凜風だ。やっと凜風と会えるのだ。これで落ち着けという方が無理という話だ。

「陛下、落ち着きくだされ」

 かつての宮廷服に身を包んだ張のじいさんが呆れ顔でため息をついた。このじいさんは俺が皇帝になってから数年間丞相を務めていたが、その頃は凜風を迎えることに反対していた。

 だというのにこうして場を整えてくれたのだから……あのときの「まずは有力貴族の娘と後継ぎをこさえなされ。そのあとは好きにしてよろしいですから」という諫言に偽りはなかったのだろう。

 このジジイのことだから何だかんだで反故にすると思ったんだがな。

 そんなことより凜風だ。
 使用人が凜風の到着を告げ、張のじいさんは出迎えるために応接間を出て行った。

 さて、どうしたものか。
 今まで待たせていた分、一発殴られるのは確定だとして。

 文の一つも送らなかったことで一発。
 何の相談もなく別の妃を迎えたことで一発。
 結婚の約束をしておきながら他の女と子供を作っていたことで一発。程度は覚悟しておくべきか。

 あれ? 俺、やっぱり死ぬんじゃないか?

 期待と恐怖は……正直、恐怖の方が大きいかもしれない。

 いやしかし俺は皇帝だ。幾度となく戦場を駆け抜けたのだ。いまさら女一人に恐怖する必要など……。

 …………。

 うん、勝てる気がしない。
 幼い頃から刻まれた上下関係(?)はそう簡単に覆らないようだった。

 恐怖に打ち勝つために深呼吸をしていると――来た。来てしまった。じゃなくて来てくださった。

 凜風だ。

 凜風だろう。

 きっと凜風だ。

 いまいち自信が持てないのは彼女が頭纱(ベール)と面纱(フェイスベール)を身につけていたから。いかにも呪術師とか占い師っぽい服装。顔はもちろん見えないし長い頭纱のせいで目元も隠されている。

 頭纱の隙間から覗く髪色は――銀。

 あの美しい烏の濡れ羽色をした黒髪では、ない。

 彼女は本当に凜風だろうか?

 張のじいさんのことだから嘘はつかないと思う。だが、張のじいさんのことだから騙してきても不思議ではないと思う。

 声を聞けば分かるか。

 俺は座っていた腰掛けから立ち上がり、自分史上最も優しく最も甘い声を掛けた。

「久しぶりだな、凜風」

 俺の声を受けて凜風の動きがわずかに止まった。

 そして、そのまま、室内に入ってくることなく膝を突き、膝を『こつん』と床に叩きつけた。

 叩きつけたとはいえ、痛くはないだろう。彼女だってそのくらいの手加減はしたはずだ。

 だが、凜風が叩頭の礼をしたことに、『皇帝』に対する礼を取ったことに、俺の心が痛いほどに軋みを上げた。

「……凜風。そこまで畏まる必要はない。顔を上げてくれ。俺とお前の仲ではないか」

 12年。
 12年という歳月は俺と凜風の間に決定的な溝を刻んだのだろうか。埋められない亀裂を残したのだろうか?

 俺が頼んでも凜風は頭を上げることなく。

「いえいえ偉大なる皇帝陛下を前にして、庶民である自分が畏まらないわけにはいきませんわ。顔を上げるなどもってのほか。陛下のご威光によって目が潰れてしまいますもの」

 ……あ、こいつ楽しんでるな? 俺をからかって楽しんでいるな?

 そして声は間違いなく凜風だった。12年前とまったく変わらない。声色より先に返事の仕方で凜風と分かってしまったのがアレだが。

 相変わらずの凜風で安心した。
 しかし、気になることが一つある。
 ふざけている最中にも名前を呼んでもらえなかった。

 彼女にとって俺はすでに『幼なじみ』ではなく『皇帝陛下』でしかないのだろうか?

「……もう梓宸(ズーチェン)とは呼んでくれないのか?」


「…………………」


 あー、呆れられてる。
 ものすっごく呆れられてる。
 長い付き合いだから分かる。
 面纱で顔を隠していても分かる。

 白けた雰囲気が俺と凜風の間に充満する。
 これはまずい。
 12年ぶりの再会がこれというのは非常にまずい。

 なんとか。
 何とかこの雰囲気を打開しなければ!

「約束通り迎えに来たよ、凜風」

 呆れないで! そんな反応をされるくらいなら殴ってくれた方がマシだから!

 俺が少々引きつった笑みを浮かべながら右手を差し出すと、彼女は顔を上げてくれて――見えた。頭纱と面纱の間から。凜風の、煌めくような金色の瞳が。

 あの頃と同じ美しさ。
 あの頃と同じ気高さ。
 あの頃と同じ……獲物を狙うような獰猛な瞳。

 凜風は目を細めながら俺の手を取り、

 絶対に逃がさないとばかりにきつく握りしめ、

 これはヤバいと身を引こうとするが、握りしめられた手はびくともせず。

 踏み込みの音。
 を、脳が認識したときにはもう俺の腹部を凜風の拳が貫いた。……いやさすがに貫通はしなかったが、貫かれたと錯覚するほどの衝撃が俺の腹を襲った。

 凜風に会う緊張のせいでご飯を食べられなかったことが幸いした。普段通りの食事をしていたら吐き出していただろう色々と。

「然もありなん」

 張のクソジジイが訳知り顔でつぶやいていた。凜風をすぐ迎えに行けなかった原因の一つはお前だろうに……。


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