オドゥールは君のなか

えいぬ

文字の大きさ
3 / 5

オドゥールは君のなか3

しおりを挟む

 「よろしくお願いしますっ」

 街を離れて以来ぶりにキョウと再会した数日後、紅茶の香りが微かに染み付いた更衣室には、明るい声が心地よく響いていた。
 「よろしくね、楠木(くすき)くん。改めまして、当喫茶『フレグラ』へようこそ。店長の田丸(たまる)です、面接したから覚えてるよね」
 「もちろんですよ~!よろしくお願いします。あと……先週は無理言ってお店での勤務の様子を見学させてもらって、ありがとうございました」
 高校生らしいソフトな敬語ではあるが、明るく快活なキョウの性格と人柄もあり、言葉遣いには違和感や嫌な感じはしない。店長も微笑んだまま、どういたしまして、とやや小柄な猫人の高校生に返答する。
 「諒ちゃん!よろしくお願いします」
 華がパッと開いたような笑顔で、キョウは諒にも声をかける。先週、再会した時のようなくしゃりとした笑顔に、諒は思わずして安心感と、それとはなにか別の──暖かい気持ちを感じた。
 「よろしく、キョウくん」
 少しばかり照れくささを感じながらも、諒も目の前の猫人の幼馴染に返答する。諒の尻尾が優しく左右に揺れた。

 今日からしばらくの間、諒はキョウの教育を任されている。教育、といってもさほど難しいことはなく、レジの打ち方、オーダーのとり方、食器類のバッシング、接客時の注意などの基礎的な事がメインである為、さほど難しくはないだろう。ゆっくり覚えてもらえれば良いのだ。
 「じゃあまずは、制服に着替えよっか~。サイズが合わなかったら声かけてね~」
 店長はそう言うと、白いドレスシャツと黒いスラックスパンツ、スカーフタイ、エプロンを、ほいとキョウに手渡した。
 「僕は厨房の様子見てくるから、諒くんは楠木くんに制服の着方、教えてあげてね」
 「了解です」
 店長は諒の返答を確認し、焼き菓子の香りが充満するであろう、厨房へと足を向かわせていった。

 「さて……じゃあ着替えようか」
 「はーい!」
 更衣室には、店長の作業デスクもあるため、やや広めに間取りされている。他のスタッフは既に厨房やホールに出ているため、今は更衣室は2人の姿があるだけだ。2人が着替えるには十分すぎる広さである。
 制服を手にしながら、他にどんなスタッフがいるだとか、平日の客層はどうだとか、そんな話を交わしつつ、二人は普段の装いから、喫茶店仕様の装いへと変化していく。諒は私服のパーカーから、キョウは学校指定のブレザーから、テキパキと。
 
 ひと足早く着替え終えた諒は、ふと何気なく、キョウの着替える様子に目を移した。
 肌気を着ているが、細くしなやかな体幹に、うっすらと筋肉がついているのが見てとれる。昔から活発で体を動かす事が好きなキョウだ、何か部活でもしているのだろう。ああ、そういえば昔、放課後とかにはサッカー︎とかフットサルとかを仲の良いヤツらとやっていたっけ。
 ぼんやりと昔の事を思い出しながら、キョウをぼうと見ていると、不意にキョウがこちらに振り向いた。
 「ねね、諒ちゃん。このスカーフなんだけど、どうやってつけたらいいかな?」
 シャツまでは着用したキョウは、支給のスカーフタイの扱いに困っているのか、ヒラヒラとスカーフを胸元で遊ばせながら、諒に助けを求めてきた。
 「あぁ、スカーフタイか。俺が巻くの見せるから、真似してみて」
 諒はそう言うと、既に着用したスカーフタイを解いた。しゅるりとした感触が音に聞こえてくるようだ。
 「ほら、こんな感じで」
 解いたスカーフタイを手に、諒はキョウの横に並ぶと、いつもの手馴れたスピードよりもゆっくりと、自らの首元──シャツの襟にスカーフタイを巻き付けていく。程なくして、シックな色合いのスカーフタイは、まとまりよく諒の首元を飾りつけた。
 「こんな感じ。見てるから一度やってみて」
 「うん。でもそんな上手くできるかなあ~……」
 少しだけ、自信なさげにキョウはそう呟くと、ゆっくりと、手元のスカーフタイをシャツの襟に滑り込ませた。ぎこちない手元に、初々しい不馴れさが垣間見てとれる。

 「……こんな感じ?」
 そう呟いたキョウの首元には、黒いスカーフタイが、不格好ながらもその襟元を飾りつけていた。初めてにしては綺麗にまとまっているのは、高校でネクタイを着用しているからだろうか。
 
 「……惜しい。ちょっとだけごめんね」
 諒はそう言うと、キョウの首元に手を伸ばし、不格好なスカーフタイを軽く整えていく。
 少し見下げたほんの目の先には、顎を引いたキョウの顔。茶色の耳が時折、まるでこちらの様子を探るかのように、ピクッピクッと震える。
 諒は無意識のうちに、鼻をスンと鳴らすと、真新しい衣類の独特な匂いが鼻を通り抜け、そのあとを追うかのように、甘く懐かしい匂いが鼻腔に広がる。手直ししている間、静かな空気が2人を包むが、別段気まずいわけではなく、妙に心地良い空気だと諒は感じた。
 
 ……

 間も置かずに、スカーフタイは不格好さを陰に潜め、諒と同じような、まるでお揃いと言わんばかりの形で、キョウの襟元を飾り付けた。
 「さっすが諒ちゃん、ありがとう!昔から手先器用だもんね~。へへ、見て見て、似合う?」
 キョウはその場から一歩だけ後退し、制服姿でくるりと回転し、自慢げに諒に見せつけた。翻る黒いエプロンと彼の茶色い尻尾が、軽やかに舞いを踊るかのようだ。

 「サマになってるじゃん。サイズもぴったりそうだけど、苦しくない?」
 「平気~!ちょうどいいサイズだよっ」
 嬉しそうな笑顔からは、初勤務の緊張は少しも感じられない。ウキウキとした初々しさが、諒には眩しく、華やかに目に映った。
 「ん、それならよかった。それじゃあそろそろ、ホールに出よっか。覚えることがいっぱいあるぞ」
 諒の一言で、キョウは一旦の落ち着けを見せ、にこりとした顔で頷く。そんな光景を知ってか知らずか、キョウの後ろに見える茶色の長い尻尾は、大きくゆっくり振れていた。
 
 店内に続くレトロチックな扉は、いつものように諒を、そして初めの一歩を踏み出すキョウを、華やかな香りの漂う空間へと、キイっと少しばかりの声をあげて見送った。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

定時後、指先が覚えている

こさ
BL
職場で長く反目し合ってきた二人。 それでも定時後の時間だけは、少しずつ重なっていく。 触れるはずのなかった指先。 逸らさなかった視線。 何も始まっていないのに、 もう偶然とは呼べなくなった距離。 静かなオフィスでゆっくりと近づいていく、 等身大の社会人BL。

人並みに嫉妬くらいします

米奏よぞら
BL
流されやすい攻め×激重受け 高校時代に学校一のモテ男から告白されて付き合ったはいいものの、交際四年目に彼の束縛の強さに我慢の限界がきてしまった主人公のお話です。

処理中です...