上 下
15 / 17

叫び声

しおりを挟む

暗闇の中、俺は歩いていた。


ずっとずっと。出口を探して。


もうどのくらい時間がたっているのかも分からない。暗闇の中で足を止め、両手を眺めた。闇に包まれ輪郭ぐらいしか薄っすらと認識することは出来ないが、自分の手はこんな形だったのだろうか。自分はどんな顔をしていただろうか。誰もいない時の中で、自分の声すら忘れてしまったのだ。

ああ、なんだろう。いつも苦しくて痛いあの感じが今日は少し小さい。

死が近いのだろうか。それならそれでいい。

何もないこの暗闇の中より、ずっといい。




目の前で瘴気を放った怪物が拘束をほどこうと藻掻きながら天に吠えている。
ガイルの血を媒介として作られたその細い糸は決して切れることが無い。だが、油断すると術が破れてしまうようで、ガイルは術を発している手の動きはそのまま力強く握りしめていた。


「さて、このままではな。こいつをどうするか・・・」


「斬っても殴ってもビクともしない。ただ攻撃するのではなく弱点が分からないことにはな・・・」


ガイルの問いかけにセペドも一息ついて、怪物を眺める。
斬撃も魔法も効かない故にセペドも流石に頭を悩ませているようだ。
大きさも攻撃力もアペプの方が断然上ではあるが、ここまで全く無効化するわけではなかった。何より切り落としたはずの腕が再生したことが不気味さを放つ。

俺はガイルにどのぐらい術に耐えきれるかを尋ねれば、このまま相手に変化なければ2、3時間くらいならば平気で持ちこたえるという・・・ならばと蓮人は口を開いた。


「こいつを城に連れていく」


「・・・正気か?」


「確かに、何もできなければ城にいる非戦闘員の人達にも被害が及ぶ恐れすらあることは分かっている。だが、このままでも消耗するだけでこの化け物は再生し続けることが可能なようだ。ならばこの状態で城に連れ帰り、他の魔法師達・兵士達に協力してもらって対処しよう」


「もし、対処できなければ?基本的に城の兵士達は俺より実力がみな下だ。隊長クラスならば問題なかろうが・・・それでも斬撃が効かないとなると・・・むしろここに閉じ込めておいて対策を講じてからまた来た方が無難だ。」


「まぁ、揉めるのも時間を喰うことを忘れないでくれよお二人さん。ひとまず蓮人の言う通り他の知恵を頼るのもよいだろう。まぁ、城の魔法師達に協力を仰ぐのはなんとも微妙な気持ちだがな・・・」


蓮人の提案にあまり乗り気でなかったセペドの反応に、ガイルがフォローをしてくれた。
今はガイルをこのままにしてはおけない。せっかく捕らえた凶暴なこの怪物を殺すのか、生かして謎を解くのかそれすらこの場の三人だけでは判断がつかない。危険も承知で協力を求めるのが最善であった。

来るときはセペドが森の周囲に張られた魔法を解除していたが、セペドが警戒にあたっている状態。よって帰りの魔法の開閉を行うのは蓮人になった。

城から手渡されたという特殊な魔法石をセペドから借りる。
一つ一つはプラムほどの大きさの石であり、ごつごつした表面は光の当たり具合で虹色に輝く。
魔法の壁に向かい呪文を唱えれば、障壁に埋め込まれていた魔法石と手元の魔法石が入れ替わるようになっている。そして入れ替えた魔法石を城に持ち帰って保管するのだ。言わば鍵のようなものである。
一見、誰でも出来てしまえるように思えるが魔力が無い物には扱えない前提の上に、魔法石と扉の中に使用する人間の名を事前に登録しておく必要がある。つまり偽物のような鍵を用意して埋め込んだとしても扉は反応しないようになっており、扉の開閉が行われれば履歴が残り誰が使用したのか、使用時間全てが記録される。例え本物を盗んできても、使用者の登録が必要であり履歴は消すことが出来ない。

石をしまって、森の外に待機させておいたナキを呼んだ。
ナキは蓮人の血の匂いを嗅いで少し唸っていたが、こちらも予期せぬことが起きてしまったのだ。化け物をナキに乗せ城に戻るには難しい。


「転移魔法使っていい?」


「・・・・・最果てに飛ばすなよ」


「俺そんなに危なく見える?」


冗談はさておき、しゃがみ込み砂漠に魔法陣を描き呪文を唱える。
戦闘向けの魔法は威力が強すぎるためになかなか実力を発揮する機会が無いのだが、他の魔法ならば強さはさほど関係なくなる。
全員が陣の中に入る大きさのそれを発動するには相当な魔力を消費するが、俺にはそんなに減った感じは無い。城の中庭辺りに飛べるようにして発動させれば、光の瞬きと共に一瞬で城内へ戻ってきていた。
目の前に急に化け物を伴った来訪者と、魔剣士と異世界人が現れて、書籍を運んでいたであろう文官が叫び声をあげていた。申し訳ない。そして申し訳ないついでに、言付けを頼み手の空いている魔法師達と宰相、兵達を早急に集めてほしいことを依頼した。


「さて、どうなることやら・・・」


結局三人とも何も考えていなかったのである。
宰相が頭を痛そうにして登場することも、魔法師達や兵達がその悍ましい化け物を見て怯んでいることなど自分たちがトラブルばかり持ち込みがちであることは承知ではあったが。


「宰相殿は戦経験が無いわりになかなか肝が据わっているようだな・・・」


「ああ・・・宰相はなんかもういろいろ凄いんで・・・」


「?」


ガイルは、ナジーブ宰相が他の人間とは違い少しも悍ましい化け物の姿を見ても、怖がることもせず、それよりも自分たちがトラブルを持ち帰ってきたことの方で頭を抱えてイラつかせている姿に妙に感心していた。普通の反応であれば腰を抜かして逃げ出してもしょうがない姿と匂い。まして血の糸で拘束されてもなお暴れ吠えている。切れることは無いとはわかっていてもいつその檻から抜け出して鋭い刃がとんできやしないかと思うのが普通だ。戦慣れした戦闘兵でもない限り見慣れない光景ではあるが、宰相はある意味で達観してしまった部分がある。ペルメル王が崩御してしまってたあと、その姿と意志を守り普通の生活を続けていたような人物だ。多少のことでは動じないのであろう。
その背景を知らないガイルは蓮人の言葉に頭を傾げてはいたが、説明するのは次の機会にしよう。


「我ら三名王宮所有の森より帰還。その森の中で本来いるはずのない怪物と対峙、始末を試みたが斬撃も打撃も無効。手足の一本、二本斬り落としたところで脅威の回復能力を持っております。捕獲には成功したものの、殺すにしろ生かして調査を行うにしろ、我ら三名では判断がつかぬ故皆にこうして集まっていただいた次第です。」


「なんと!?魔剣士殿が倒せぬ敵を我らが数人集まったところで倒せるわけがない!!何故連れ帰ったのだ!!!閉じ込めておけば良いものを!!!」


「これは、人間?いや魔物?魔人?・・・なんだこれは、見たことがない」


セペドが集まった人間達に簡易的に説明をすれば、動揺する者。目の前の異形に興味を示す者。反応は様々だった。
兵士達の批判は最もで、国一番の魔剣士が仕留められない怪物を連れ帰ったところでと思うのも当然。
蓮人は化け物を術で縛りあげているガイルの手をふと見れば、握りしめられた拳からは血が滴り落ち始めていた。巨大な魔力と血を媒介にしても数時間でこの術は消える。


「皆さん!動揺は最もです。連れてきた責任はあとでこの身で受けます。現に今は術によって縛り上げて抑え込めてはいますが、あと数時間後には術が解けまた自由に動けるようになってしまう。その前にこの怪物の処遇を決めるのに皆の意見を借りたいのです。封印をするのか、魔法師達の調査に引き渡すのか」


「再生し、攻撃も効かぬ化け物ですか・・・まず侵入できないよう魔で封じられた森にいたことも不可解ですが、それはあとにしましょう。そもそもにこの瘴気、二足歩行、魔物なのか人間なのかニルミーンはどう思いますか?」


「ふむ・・・・もう少し近くで視ないことには・・・」


「気配が一体じゃないのが気になるな」


蓮人が、時間は有限であること伝えさらに動揺が広がる中、冷静に状況を判断し始めているのはやはり宰相と魔法師の中でも年長者であるニルミーン、第二部隊隊長のディ・ラーディンである。
他の部隊長も同じく騒ぎ立てる新兵などを勇めながら、魔力のあるもの、剣の実力のあるものを均等に配置につかせだした。実戦経験があるとこうも差が出るものか。兵と魔法師がうまく化け物の周りに配置されたあたりでディが蓮人に尋ねた。


「なぁ、蓮人。その術は至近距離まで近づいても解けないよな?ニルミーンを近づけたいんだが・・・」


「かなり強力に拘束しているから大丈夫だけど噛みつかれたり、暴れた拍子に爪がかすってしまうこともあるかもしれないから、それを守りながらなら大丈夫だと思う」


「りょーかい、じゃあニルミーン行こうか。俺が守るよ」


ニルミーンがディに護衛されながらゆっくりとそれに近づいた。
化け物は唸りながら威嚇をするが、ニルミーンもディにも怯まず近づいていく。
皆が固唾を呑む中、化け物の瞳の奥のその先をただじっと老婆は見つめている。正体がこれでわかるといいのだが。


「これは・・・・・」


「どうだい?分かったか?」


ディがニルの顔を覗き込むようにして訪ねている。二人は一言二言かわすとこちらに戻ってきた。


「分かったそうだ。」


「して、あれは?」


「融合・・・していますね」


「融合?」


口々に訪ね、ニルの発言に自分たちは口をそろえて同じ言葉を発した。
結論としては、魔族なんてものではなく、人間と動物の融合体。そしてそれの成れの果てということだ。
それが瘴気も放ち、魔に近くなってしまい凶暴性も持ち、どれだけ長いことあの場所にいたのかかなり原形を留めないまでになっていると。


「瘴気をとってあげることは可能ですが、簡単にいくかどうか。それに瘴気を取ったとて、融合をどうするかなんてものは俺はやったことがありません。」


他者より瘴気を取り去り己に移すことは蓮人、もしくはガイルが行うことが出来る。だが融合はどうすることも出来ないと思うが、やはり殺すしか無いのであろうか。皆が黙りかけたときに、ニルは蓮人に向きなおりこう聞いた。


「蓮人様、その腕の傷、もしかしてあの者に傷つけられたのでは?」


「そうです。危うく腕が消えるところでしたが、二人に守っていただきました。」


「・・・そうですか。あの者の融合を解くのに蓮人様の協力があれば出来なくもありませぬ。ただ、この方法をしてよいのか・・・」


「それはどういう?」


「先ほどあの者へ近づき内を視たとき、体内に蓮人様の気配がありました。攻撃されたというならば納得です。あやつは蓮人様の血さえ融合の糧としたのです。恐らく長い時をかけ、森の中にいた動物を融合しそのあと糧とするものが居なくなってしまい、突然貴方達が現れた。吸収しようと襲い掛かってきたのでしょう。蓮人様の血が僅かではありますが既に体内に取り込まれておりますので、蓮人様の血をさらに注ぎ入れるのです。奴自ら吸収したのならば拒否反応は起きないはず。あれは既に人の形をほぼ忘れているようですが、死しているわけではない。注ぎ入れられた血の記憶を介してただの人間であったことを奴が思い出せれば・・・融合した獣達と一体化していることが難しくなり自然と離れるでしょう」


「え・・・・」


全員が己を見た。セペドとも目が合う。
それは賭けであった。あの化け物が人間であったことを思い出すまで自分が血を注ぎ入れるか、もしくは術が解け化け物が皆に襲い掛かるかそれは時間との勝負である。思い出さない可能性もあったが希望があるならばと蓮人が唾を飲み込み意を決したが、セペドが怒りの声をあげた。


「却下だ!!!時間がまだ数刻あるといっても血を流し入れる!?蓮人が死ぬ確率の方が高い話じゃないか・・・・・」


「そんなことここにいる誰もが承知ですよ。それに蓮人殿が失敗すれば来る時には、皆が不死身の化け物に殺されるのです。ここで殺すか食い止めるかできなければ結果は同じ。幼い国王にも危害が及びます。そもそもに城にコレを連れてきたのもお前達です。何も心配せずに解決したとでも?セペド、蓮人の身を案じる気持ちもわかります。ですが、現状他に方法もなさそうです。攻撃が効かぬのですから、対処できる方法は全て行うべきでしょう?それに蓮人が血を消耗したところで同時に貴方が命を繋げばいいだけです。それは元よりやるつもりだったのでしょう?ここで私情を挟む時ですか?貴方らしくもない、心を捨てなさい。」


「勿論理解はしている。っ・・・・・・、だが!」


セペドの葛藤する思いは表情によく表れていた。怒りと苦虫を嚙み潰したような顔。
その握る拳は震えていた。
それしか方法が無いことも、すべて理解したうえで蓮人にやらせたくなかったのだ。
そんな内なる心など宰相にはお見通しで、淡々と言葉でそれをねじ伏せた。

ニルは自分が発言した提案に申し訳なさそうにしていたが、彼女のせいでもない。
時間が無いため、もう行動に移さなければ。蓮人はガイルに引き続き術を保つことをお願いし、その化け物に近づいていく。
セペドの隣を横切りながら、今できる精いっぱいの明るい顔で魔剣士にお礼を述べたのだ。


「セペド、俺の命はお前が繋いでくれるだろ?」


「! ああ、血でも命でもいくらでも渡してやる。さっさとアイツをどうにかしよう。」


「ふっ、少しは落ち着いてきたか?」


「すまない、場を少々混乱させた。時折どうにも冷静な判断が出来なくなる。」


「・・・俺だと?」


「悪いか?」


「いや?」



セペドと蓮人は冗談をかわしながら化け物の頭上に飛ぶ。セペドが蓮人を抱え風魔法で浮いた状態を保ち、己はセペドの剣を借りて自分の腕を見た。つい先ほど前に出来た裂傷。血は止まったものの痛々しいままだ。噛みつかれた状態を無理やり引き剥がしたために傷跡は大きい。だが、もう少し遅ければ骨まで傷は達して切断せざるを得ない状況になったかもしれない。

その傷がちょうどよいと、もう一度同じ傷に剣の刃を当て斬りつけた。
腕が震え痛みと痺れが走るが歯を食いしばる。


「気をつけろ。鋭い刃だから力加減を間違えれば斬り落とすぞ」


「っ・・・、大丈夫さ、もともとの傷から血を出すだけだし、軽く引いただけ・・・」


「・・・・・」


腕を伝った赤い雫は下の怪物に当たり吸収されていく。周りに人間が大勢いるためにあちこちに威嚇しており、頭上にほとんど注意が向いていない。あとは時間との勝負である。
自分が倒れるか、時間が来て化け物が解き放たれるか。





一時間ぐらい経過しただろうか。
部屋に響く音は、化け物の唸り声と抵抗する音。
万が一術が破られてしまった際の予防策として、周りを囲む魔法師が結界の準備をしている音。
兵も特に攻撃魔法に特化した者達は、すぐに発動できるよう警戒を怠らない。その中心である化け物の頭上に滴り落ち続ける血と匂い。異様な空間となっている。
途切れてはいけないために血が止まりかければまた体に傷をつけ流し続ける。致命傷でもいけない。けれど軽傷でもいけない。あとで回復魔法で傷は塞ぐことは出来るとしても現状は皆見守ることしか出来ず、その有様は傷に慣れた兵でも口元をひきつって見ないようにした。

魔を寄せ付けない香をたくさん焚かれた部屋。
まるで生贄として捧げられた人間かのように顔は血の気が失せていき、息も荒くなり始め、それでもなお自身の身体に傷をつけ続けなければならない。それは化け物が反応するまで続けなければならず、成功するかも不明。ただ徒労に終わるかもしれずそれはどんなに辛かろう。傷はどんどん増え彼の服も、落ちてしまわぬよう抱き上げている魔剣士の服も真っ赤に染まっていく。
緊急の措置で無ければ誰が見たいと思うのか。


血を失い過ぎて、指先も足の先もすごく冷たい。
セペドがいなければ自分が立っているのか抱きかかえられているのかさえ分からなかったかもしれない。感覚が鈍り、傷口からの痛み。そちらに頭が支配され、体中が指令を無視していく。


「セペド・・・流石にちょっと剣を落としそうだ。代わりに斬ってくれないか?どこでもいい・・・死なない程度に・・・流血するほどの傷を」


「ああ。」


手が空いている兵達は最低限の警備を残し、全員この部屋に招集され、そして後悔した。
まるで公開拷問でも見せられている気分であった。異世界から来た人間を無表情で斬りつけていく護衛騎士。死ぬこともできない傷を定期的につけられて血を地の神に与えるがごとき様。
歯を食いしばって耐えてはいるようだが、無痛症でもない普通の人間が、我慢したところで限界はある。
下から見える脚は震え爪先に力が入り、護衛騎士に弱弱しく抱えられるも手は斬りつける男の服を握りしめて白くなっていた。顔なんて見ないでもわかる。目は限界まで見開き涙が溢れ、呼吸すら忘れる。血を失うにつれ冷えていく身体は意志と関係なくガタガタと震える。縋る者が自分を傷つける目の前の男だけ。食いしばりきれぬ口の端から漏れ出た耐えがたき声が室内に降り注いだ。
青年に頼まれて表情がピクリともしないまま彼を斬りつけていく魔剣士との対比に背筋が凍る。
護衛するべき対象を傷つける騎士の気持ちなんて考えたくもない。誰かが『悪魔だ…』とポツリ呟いてしまっても仕方がない。
得体も知れぬ化け物を連れてきた責任もあるとはわかってはいたが、顔をそむけざるを得ない。せめて成功し、早くこの化け物と苦しみからあの青年が解放されることを心の中で願うしかなかった。


目の前に落ちる刃を見るたびに震えた。
怖い。
握りしめる目の前の服を掴みなおしながらも、手は全く熱がこもらない。指先の力を緩めてしまえば意識を保つことが難しくなっている。流石にそろそろ血を分けて貰わなければ己の身が危険であった。死ぬことは許されない。今ここで死ねば方法が無くなる。掴んだまま固まってしまった右手の拳を指一本一本を何とか開き、一度セペドに静止の合図を送る。脂汗をかきながら大きく深呼吸を一度行えば唇さえ冷たい気がした。無意識に噛んで唇も切れてしまったか、もしくは血を失い過ぎて青くなっているか、そのどちらもか・・・。
口を開いて言葉にしたかったが、喉さえも乾燥し声が出なかった。だが、セペドは言わんとしていることが伝わったようで彼自身の手の腹を斬りつけたのだ。


「飲め。吸収しろ」



「・・・・・っ」



たくましい腕に抱えられながら手足に最早力はなく、いつものような掌を介しての移行能力で試す時間も無かった。よってセペドの血を直接飲み込んで体内で吸収させ己の血とするしかない。
全身が血だらけで、目だけ爛爛と。
抱える男の血を一心に飲み込み掌を舐めとる姿は異様だ。異様であるが、この非現実な部屋の中では至極似合いの姿であった。
血を啜られている魔剣士すら赤い瞳がどす黒く輝いてそれを見下ろし、この部屋のどれが最早化け物か分からぬ。ああ、美しき青年が男を喰らい、滴り落ちた青年の血をまた化け物が喰らう図式の全てが一つの恐ろしい絵画のようだ。
本来であれば、鉄臭いそれに嫌悪感すら感じるものの失ったものを取り戻すかのように蓮人は夢中で目の前の血を吸い舐めとった。不快感などとうに慣れてしまい、酸味を帯びたそれを柘榴を食べるそれのように貪り啜る。頬さえ汚れてしまっても気にならず荒い呼吸の最中、舌で舐めとって恍惚とした表情すら浮かべる青年と目が合った時、流石にセペドも動揺した。心を静め、淡々と行っていた行動が崩れそうに惑う。


「血が止まってきたな・・・もう少し斬るから少し待て」


「あぁ、まだ足りない・・・」


皆に晒されているこの青年の姿すら耐えがたく。
思わず握りしめて垂らしたそれを旨そうに飲み込むたびに動く白い喉。指の腹でなぞれば血の道が出来た。食らいついてしまいたい衝動に駆られる。これ以上惑わされてはいけない。
ただ青年の命を繋ぐことだけを第一にと、静かに息を吐いてゆっくり瞬きをした。
直接見続けないように視線を逸らしセペドは宰相に話しかけた。


「・・・変わりないだろうか?」


「あぁ、こちらから見ても残念なほどに効果を感じない。ニルミーンはどうであろうか?」


「・・・少しだけ、心に揺らぎが見られています。間違いなく蓮人様の血が入り込んだ影響は起きていますので、お辛いでしょうがそのまま続けてください。」


「そうか。ならいい」


宰相の言葉で少しショックを受けたが、ニルミーンにはそうは映らなかったようだ。
蓮人はセペドの血を飲み込んでいるが、失った血液全てを己から貰おうとしていない。蓮人の代わりにセペドが大量出血で死んでは意味が無いからだ。死なない程度の血を飲み込み、そして血を介してふんだんにあるセペドの生命力を増幅して貰っているのだ。つまり生命力のお陰で死なないが、回復もしない。乾いた砂漠に数滴水分を垂らしてやるのとほぼ変わりないが、無いよりいい。いつもとは違うやり方ではあるが、他人のモノを肉体に入れることで体が火照り、吸収にどうしてもむずがゆさを感じているのか膝をわずかにすり合わせている。どうにもその姿を下にいる部下たちに見せたくなくなり、自分の服で蓮人を覆いなるべく見えないようにした。だが、それも悪手であったと行った後で気づく。服の中で水音を立て吸いつく様は、褥のそれを想像するには十分であり、身体の一点の血が沸騰する思いだ。


魔剣士が奥歯を噛み耐えるその姿は、守るべき対象を傷つけなければならない悔しさと二人とも血を消耗して苦しいのだろうと大半が同情し、察しのいいものたちは冷ややかな目でセペドを見るしかなかった。


あとでからかってやろうと心で静かに思ったのは、セペドをよく知るディであった。
ガイルが不躾なことを口走りかけたので、ディはニルミーンに聞かれてはならないと慌てて口を塞ぎに走った。その瞬間であった。今迄変わりない動きであった怪物がひときわ大きな遠吠えを上げ暴れだしたのだ。


「何が起きた!!?まだ術が解けるには早すぎるだろう!」


「間違いない。現にこの手元も固定したままだ・・・これは」


化け物の身体が波のように唸り形を変える。藻掻く両手は兵達の目の前の空を抉っていく。血の糸で拘束している術はそのままであり、ガイルの拳は抵抗による反発で新しい血が滴っている。だからこそあり得ない。藻掻くほどに動けなくなっていく術であるのに、化け物は大きく膨らんでいくようにも見える。セペドもすぐに勘づきディと連携した。


「破裂か?」


「まっずいかなぁ・・・セペド!まずは蓮人を連れてそこを降りろ!!兵達は魔法師達と共に壁まで下がれ!!」


「魔法師達は防御魔法を展開!!2級以下の者の前に立ち陣を重ねがけしろ!!!急げ!!」


ディは近くにいた宰相とニルミーンを両腕に掴み部屋の隅まで引き下がり、ニルミーンに防御魔法を使用してもらう。そうして振り返れば動くことが出来ずその場でじりじりと後ずさりをしているガイルに気付き、すぐ様戻った。


「動けそうか?」


「ああ、だが素早くは無理だ。術が解けてしまう」


「ちっ・・・!仕方が無いか!!!」


そう言うとすぐさまディは剣を抜き、ガイルの横に立ち風魔法を発動した。
防御魔法ほど絶対的なものではないが、己とガイルの周りに強固な風の壁を巻き起こすことで少しでも緩和することであろう。ガイルが壁まで下がる時間は無い。
その発動動作とほぼ同じだっただろうか。
数日放置された腐りきった死体の腹かのようにぼこぼこと膨らんだそれが爆音と共に砕け散った。爆風は天井の飾りを吹き飛ばし、灯していた火はすべて消えた。
生暖かい風が去っていくことなく室内で円を描き彼らを襲う。砕けた肉片は周囲の陣に当たってはべちゃりと床に落ちた。閉じられた重い王宮の扉さえ吹っ飛んでしまいそうにガタガタ揺れる。

一瞬だったかもしれない。
数十分続いたかもしれない。
その爆風が収まり、静寂に包まれようやく皆が顔を上げた部屋の惨状は、金や宝石で彩られた美しい造りなど塗りつぶされて悪臭放つ肉と血と骨で一変していた。


「お、おい。あれを見ろよ・・・」


誰が呟いたかもわからぬ。その指さした部屋の中心に化け物はおらず。
ガイルが繋ぎとめていた術の赤い糸が散乱し落ちていた。
その糸に絡まるようにして一人の人間が倒れていたのだ。


セペドは手で合図をし、兵と魔法師達をそのままに警戒はとかず。息絶え絶えの蓮人をニルミーンに渡した。ニルミーンは、すぐさま蓮人をしわがれた細い両手で抱きしめて、頬の血を指で拭ってあげている。
彼女のそばならば安心だ。見た目はか弱い老婆であるが、魔法師達の中で一番実力がある。そのまま傷を塞ぐ治療をお願いし、セペドは倒れている人間にゆっくり近づいた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

魔族に捕らえられた剣士、淫らに拘束され弄ばれる

BL / 連載中 24h.ポイント:312pt お気に入り:75

冷酷な少年に成り代わってしまった俺の話

BL / 連載中 24h.ポイント:14,735pt お気に入り:2,328

公爵様は愛おしい人魚姫♂をアクアリウムへ閉じ込める

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:53

社畜サラリーマン、異世界で竜帝陛下のペットになる

BL / 連載中 24h.ポイント:170pt お気に入り:461

カントボーイな盗賊を懲らしめる話

BL / 完結 24h.ポイント:418pt お気に入り:91

その名前はリリィ

BL / 連載中 24h.ポイント:810pt お気に入り:46

貧乏な俺、お金持ち学校で総受け!?になる!

BL / 連載中 24h.ポイント:71pt お気に入り:30

雪豹くんは魔王さまに溺愛される

BL / 完結 24h.ポイント:986pt お気に入り:2,987

処理中です...