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86.明日の約束
しおりを挟む――山田氏の手記より
『気付けば私も四十五歳になっていた。
最後に会った父の年齢だと思い至り、流れた月日を思う。
こちらに来てから十八年。きっともう両親は天寿をまっとうした事だろう。ついぞ死に目には会えなかった。私は親不孝者だ。
近頃、歳のせいか疲れやすい。
頼み込んでなんとか夜の回数を減らしてもらったが、それでもパォ殿は私に飽きる事も無く、手放そうとはしない。
こんな老体の何がそんなにと思わずこぼしたら、私であれば子供でも老人でも何でも構わないのだと返ってきた。
それを素直に嬉しく思う。』
『周りが私の事を “運命の糸” に逆らい続ける変り者だと、噂している事は知っている。
パォ殿は他人の言葉には何の意味もなく、側に居られればそれでいいのだと、周りの誤解を解くこともなく私の意に沿おうとしてくれている。
私の頑なな態度が、きっと誤解を招いているのだろう。
分かってはいるが、かといって違うのだと今更言って回って何になるというのか。
しかし、パォ殿に肩身の狭い思いをさせるのは本意ではない。』
『残された寿命の長さを考える。
私は四十七歳、パォ殿も早いもので三十六歳になった。
人生五十年と言われた日本とは違い、パォ殿は八十年ほど生きるらしい。
早いか遅いかの違いで、いつかは残して逝くのだと、パォ殿の事を想う。
何も形にせず、このまま一人残して逝くのは忍びない。
いや違う。
これは、私がいなくなってからもなおパォ殿を縛り付けておきたいと言う、私の利己主義的な考えだ。我儘だ。それでも、そんな私でも、きっとパォ殿なら変わらず受け止めてくれると分かっている。
夫婦に、なろうか。
随分と待たせてしまった。……今更だと、怒るだろうか。』
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施設職員はもう全員帰ったあとだったらしく、片付いたいつものキッチンで、ルルルフさんからハーブティーを振るまってもらった。
興奮して夜眠れなかったら大変だからね。ハーブティーを飲んで少し落ちつこうというわけですね。
静かに飲み終わって、じゃあ部屋に戻ろうかというタイミングで、ルルルフさんが口を開いた。
「そういえば、魔法の本の中にある山田さんの手記の内容は、どれくらい読めましたか?」
『うーん。山田さん自身にかかわる情報はあまり多くなかったから、たぶんもうすぐ読み終わると思う』
「そうなんですね。……山田さんは、その……幸せそう、でしたか?」
『うん。波乱万丈だったのに、戦争を生き抜いた人らしくて懐の深いかただったんだなぁって、いろいろと勉強になったよ』
「そうですかそうですか! サフィフ伯父さんの記録からするとそうだろうなぁとは思っていたのですが、山田さんの言葉でも幸せだと書いてあったのなら、本当に嬉しいです。
あの、急なのですが、明日は僕の実家に行きませんか? サフィフ伯父さんの記録を、ユーキ、あなたに確認してもらえたらって」
とくに断る理由もない。
俺は、さっそく明日ルルルフさんの実家に記録を見にいくことにした。
「僕の母もユーキのことを聞いて、すごく会いたがっていたんです。本来ならユーキが施設を出て、僕が担当ではなくなってから、ただの友人として家に招きたかったんですが。
母ももう年なので……。時間があまり残されていないんです。急な話ですみません。でも、僕のわがままに付きあってもらえると嬉しいです」
『いいよいいよ。毎日とくに用事もないしね。お母さん、そんなに体調がよくないんですか?』
「はい。最近は寝たきりで。死ぬまでに日本人に会って、謝りたいとずっといっていたので。
だからユーキがこのタイミングでこちらに渡って来たことも、僕が担当者になれたことも、ユーキが第一発見者と仲良くしていることも、すごくすごく嬉しいんです」
『俺、ルルルフさんのお母さんに謝られるようなこと、何もないですよ?』
「山田さん本人に謝る機会はもう望めないので……。母の最後の心残りなんです。山田さんの同郷のよしみで、なんとかお願いできませんか?」
お願いしますと、マナーブックに載っていそうなくらい綺麗な九十度のお辞儀を披露したルルルフさんからは、お母さんを大事に思っていることがひしひしと伝わってきた。
よく分からないけれど、それでルルルフさんのお母さんの心が静まるのなら、お安い御用だ。
こうして俺は、ルルルフさんのご実家に行くことになったのだった。
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