背中合わせの

狭雲月

文字の大きさ
4 / 8

エンデ編 1

しおりを挟む
 

 名門貴族ファンボルト家の三男エンデは恋をしていた。
 相手は屋敷の使用人のリエルだ。

 使用人といっても彼女はファンボルト家のランドスチュワードである父をもち、中流階級並みの身分を持っていて、親子二代に渡り仕えているのという事で信頼も厚く優遇されている。
 にも関わらず、彼女は未だ一般的には下級使用人として分類されるハウスメイドだった。
 次期女中頭候補であったが、まだ女中頭が現役な事と、長い付き合いの所為かエンデの事をよくわかっている彼女は、屋敷での生活を快適に保つのに最も適した存在で、エンデが手放せなかったせいでもある。

 そんな当たり前のようにいつもそばに居てくれた彼女。
 家族のように大事な存在……な筈だった。

 彼女が好きだと気がついたのは、自分以外の男の使用人と楽しそうに話しているのを目撃した時。
 用事を言いつける兄達にも感じる、たわいのない嫉妬。

 ――それが段々とひどくなるにつれ、思いを自覚した。

 彼女がエンデに献身的なのはそれが彼女の仕事だからだ。
 それを分かっていても、勘違いしてしまいそうになる。なぜならば彼女の自分を見つめる瞳が、他の使用人とは違って敬意だけでなく好意が宿っているように見えるから。
 それはエンデの願望が強くあらわれた自惚れだったのかもしれない。
 自分の気持ちを諌めつつ、彼女をこの腕に抱きたいと何度思ったことだろうか。夢の中では、理性という抑止力が働かない所為で、彼女に不埒な事をしてしまって、後悔の気持ちで起きることもしばしばで。
 そんな夢を見た後に、清楚で穢れなき笑顔を……こんな欲望を抱く男に、無防備にも向けてくる彼女。
 エンデは自身の胸の内を知られ、失望されたくなくて悶々としたものを抱えていた。

 ある日庭の一角で、フットマンと話しているリエルを屋敷の窓から見つけた。
 嫉妬心を抑え切れぬままに、エンデは二人の側に近づいて行く。
 会話が聞こえるほど近くの植え込みにくると、散歩を装い植え込みの影から二人の前に出ていこうとした。

 瞬間。
 彼女が本気で口説かれている事に気づき、愕然となった。

 どう答えるのか、エンデは凍り付いたように動けなくなる。
 しかし幸いにも彼女の答えは"ノー"だった。
 男の方はため息を吐くと「そういわれると思っていた」といい更に「エンデ様が好きなんだろう?でも無駄なことは止めた方がいい」エンデの予想外の事を更に口走った。

 その言葉にリエルはなんと答えるのだろうか。
 じりじりとした時間が流れる。

 彼女の気持ちをこんなフェアじゃない場所で、聞いてしまうのは紳士らしくないのではないか。そう思っている癖に。立ち去るべきなのに、足が地面に吸い付いたように動かない。
 やっとなけなしの矜持で、この場を離れようとした瞬間に、彼女の静かな声がエンデに届く。

「それでもいいんです。私はお側にいられるだけでも幸せなんです」

 それでもなお考え直してくれという男に、頑として彼女は首を縦に振ろうとはしなかった。
 気がつけばエンデはいつの間にか自分の部屋に居た。
 どうやって帰ってきたのだろうか?

 ――お側にいられるだけでも幸せ。

 その言葉が、何度も頭の中を巡っていく。
 彼女から「好き」と言う確定的な言葉は聞けなかったが、それだけで十分で、夢のような、幸福のあまりに地に足がついていないようなふわふわとした感覚だった。
 彼女が自分を思ってくれているというだけで、なんて世界が変わって見えるのだろうか。
 すぐにでも彼女に自分の気持ちを打ち明けたい。そう考え彼女を呼び出そうとしてふと我に帰る。
 男がリエルに考え直すように、彼女とエンデが結ばれない理由をしつこく説いた。

 それは、確実にある身分差。

 「好き」とは言わず、「側にいるだけで幸せ」という言葉からわかる通り、彼女は気にしている。それを解消出来ないかぎり彼女はエンデがいくら好きだといっても、首を縦に降ってくれないだろう。あの男に返事をしたように。
 幸いにもエンデは三男で爵位を持たないからこそ、自分の身を立てるために事業を起こしている。
 彼女を手に入れる為には。家の誰に何を言われても、妨害されても、揺らぐことのない力を身につけなくては。
 彼女に自分の気持ちを伝えるのは、それからだとエンデは決意する。
 今までリスクが少しでもあると、手出ししていなかった方面にまで、積極的に投資の幅を広げて行った。
 勿論。全てを失っては何もならないので、慎重さも忘れずに。

 寝食を忘れて仕事に没頭する日々。
 それにともなって、彼女と共にいれる時間が激減した。
 でも彼女が自分を思ってくれている……その希望を支えにエンデは頑張れた。
 時折屋敷に帰ってきて、会う彼女は寂しそうで。でも仕事に忙殺されているエンデの体調を、心配そうに気遣いながら応援してくれる。
 彼女の気持ちが分かった今となっては、その態度は使用人のものではなく、一人の女性としてのもので。エンデには彼女の気持ちが、痛い程伝わってきて、会う度に自分の気持ちを口にだしそうになる。
 が、今はその言葉を出すだすことは、無責任だと全力で自重した。
 この胸に抱えている気持ちを打ち明けた時の彼女の顔を想像し、そしてこれからの時を共に過ごしてくれと告げるその日を夢みて。


 ――それはなんて、自分本位な考えだっただろう。
 ある時期から彼女が大変な思いを抱えていたとは気づかずに。




 もう少しで大きな事業が一段落しそうになり、時間が出来るとエンデは取るものも取りあえず屋敷に戻った。
 久しぶりに会った彼女は体調が優れ無いようだった。
 それは彼女をよく見ているエンデだから気づくささいな変化。
 体を気をつけるように言ったが、真面目な彼女の事だ仕事に手を抜かないだろう。しかし、初夏の暑さのせいだと笑顔でいわれたので、大したことがないというその言葉のまま受け取ってしまった。

 それは大きな間違いだった。
 次に会った彼女は、目に見えるほど……痩せていた。
 まるでそのまま消えてしまいそうな雰囲気に、事態を深刻に受け止める。


 しかし、やはり彼女の答えは「暑気中りで……」で。
 痛々しく微笑まれれば無理強いは出来ないが、そのままにしておけるはずもない。
 リエルの父親にさりげなく聞いても、特に思いあたる様子はないとのことだった。そして、気にかけますと、管理する側の目線としての返事を貰う。彼も家令としての仕事が忙しいし、リエルは娘と言っても顔を合わすことが少ないのだから、その回答は仕方ないのかもしれない。彼の家族関係は、娘がファンボルト家の使用人になると言う選択をしてから、父親としてよりは家令としての立場を貫いていた。
 事業の拡張のため長期間、領地に行く外せない予定があったが、その前にリエルの事を信頼の置ける医者に頼んでおこうと考える。
 パブリックスクール時代からの親友。アミールに相談しようと、彼が出席するであろう夜会にエンデは出ることにした。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...