背中合わせの

狭雲月

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エンデ編 2

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 とある夫人の主催する夜会に、友人のアミールはよく出席していた。

 そこで珍しい人物にエンデは出くわす。
 オーエング=アールモート卿。
 彼とエンデもアミール同様、同じスクールの同級生だが仲良くはない。
 エンデは彼に一方的に嫌われている。

 社交は貴族の義務だ。
 兄はファンボルト家主催の夜会への招待状を、アールモート卿へと向かって儀礼としてだしているし、彼も礼儀に反しない程度は招待を受けているようだった。もし顔を会わせると、敵意のこもった眼差しと言葉を向けられるが、エンデには別に気にすることでもない。
 だが、今回のオーエングの悪意の言葉は、聞き捨てならないものだった。
 その言葉を吐かれた瞬間、エンデはここがどこだということも忘れて、オーエングの胸倉につかみかかる。
 アミールに相談するために人目につかない場所だったのが幸いし、親友に羽交い絞めにされ止められてやっと我に返る。

 気がつけば、オーエングは口から血を流して床に座り込んでいた。
 腕は怒りの為震えて収まらない。

 ――彼はよりにもよって、リエルを陵辱したといったのだ。

 リエルが娼婦のように誘ってきたと言った時は、取り合わなかった。
 そんな事はありえない事だ、と一笑に付した。

 しかし何故、彼女の名前を彼が知っているのか、エンデはいぶかしむ。
 そのまま彼女の体のことを、下卑た視線で語られる……作り話にしてもそれはリアルで。
 極め付けに証拠だと言いたげに、オーエングがエンデに投げつけたもの。
 それは彼女のリボンだった。
 お仕着せの制服を着せられる屋敷のメイド達に許された、ちょっとしたお洒落である胸元を飾るリボン。彼女のだとすぐに分かったのは、それを彼女に贈ったのはエンデだったからだ。

 彼女はいつまでも変わらず屋敷にいる、そう安心しきっていた。
 その自分の迂闊さに唇をかむ。
 彼女のあの変貌は……。

 頭に血が上ったまま、夜会を退出すると、一目散に屋敷に戻ることにした。
 距離がもどかしくて馬車の中で立ち上がりかけるほど、エンデは落ち着きをなくしている。心配して付いてきたアミールが車中で声をかける。正直彼が居なかったのなら、正気を保てなかったかもしれない。
 夜通し馬車を飛ばし屋敷に戻ると、エンデの部屋を掃除していたリエルに、一目散に詰め寄ろうとして口を開こうとした瞬間。彼女は恐れ慄いた瞳を向けると、糸が切れたようにふつりと意識を失った。人形のように倒れる彼女にさらに我を失う。

 ――彼女を抱き上げると驚くほど軽い。

 エンデは自分のベッドに彼女を横たえると、アミールを客間に置いてきた事をやっと思い出した。
 彼に彼女の事を託すと、部屋の外でまんじりもせずに、診察の結果を待つ。ドアが開いて顔を見せたアミールの表情は暗い。
 アミールの診断は更にリエルを絶望に落とすものだった。
 彼女は子供を宿している、と。
 彼女の様子からすると、そのことには気づいていない。
 リエルは凌辱された今だけでも消えてしまいそうな程傷ついているのに。
 もしあの男の子供がお腹の中に育っていると……忘れられない証拠が確かにあるとわかったら。彼女の心痛は計り知れない。
 
 どうするべきかと考えて、人として非道とも言える考えが、エンデに浮かぶ。
 アミールに言った。

「この子は自分の子供だ」

 案の定オーエングとのやり取りを見て、真実を知っていたアミールは面食らった顔をする。
 が、エンデが怖いほど真剣な表情だと分かると、彼はその言葉の意味を察したようだ。

 ――妊娠時期を誤魔化し、生まれてくる子供をエンデの子供だと思い込まさせる。

 アミールは一度だけ「それでいいんだな」と確認したきり、深くは聞かず、ただリエルの体調に気をつけるようにと言って帰っていった。
 リエルは妊婦に接する機会は、殆どなかったはずだ。
 少しの疑問が浮かんだとしても、経験と知識のない彼女を医者アミールことばで無理矢理誤魔化せるはずだとエンデは考える。

 その為にも、今すぐにでも"事実"を

 まるで死んだように眠る彼女の側に付き添いながら、このまま死んでしまうのではないかと心配で。じっと顔を見つめてしまう。彼女の胸の上下の動きが、彼女が生きていると知らせるサイン。そのぐらい、彼女の顔色は真っ白だった。
 やっと目を開いたリエルの瞳をみて、ほっとすると。
 彼女の口から全てを聞きたかった。
 彼女の口ぶりでやはり妊娠していることを自覚していないらしい。体調不良は心労のせいだと思っているようだと確信する。
 自分は汚れてます……と、エンデを愛するが故に拒否する彼女に告白し、かまわず組み敷いた。

 本当に汚れているのは、エンデの方だ。

 そうしてエンデは拒否しつづけ衰弱している彼女を……手つきだけは優しく無理矢理抱いた。
 「いけませんと」腕を押し返すリエルの力、それは体調が悪いせいで弱々しい仕草だった。そんな力しか出せない彼女を、陵辱する非道な行為。
 いつものエンデならばそんなリエルの姿をみれば、罪悪感の方が勝り手出しできないだろう。
 でも今のエンデには「待つ」という選択肢はない。
 出来るだけ早く……彼女の子供の父親だと言い張れる根拠をというのを建前に。これから行う行為は「彼女の未来を考えて」と言い訳すればきりが無いが……。

 彼女を――抱きたい。

 強い劣情に塗れ、彼女を自分のものにしたいという、ただのエゴだと頭の片隅ではわかっている。
 その浅ましさはオーエングと何も変わらない。
 今すぐにでも彼女と繋がりたい、そしてあの男との行為を塗り替えてしまいたいその欲求を押さえ込むのは並大抵の苦労ではなく。
 服を脱がせる、そこに現れるのは彼女の素肌。
 毎日見慣れているメイド服の下の肌は――あまりにも痩せていた。
 あばら骨が浮き上がるほどに、そして普段の彼女ならメイド服を押し上げていた豊かな胸が、手にも余るぐらいの頼りない感触をエンデの手に伝える。

 それでも止まらない、感情。

 彼女の心にも体に負担にならないように、性急にならずに優しくするのが精一杯で。ゆっくりと身体を開いてくれる彼女に喜びが隠しきれない。一方のリエルはそんな行為を拒否するが一言も「嫌」とは言わない。
 今のエンデには「駄目」と「嫌」の違いはとても大きい。

 ――そして、エンデは彼女を捕まえた。

 事後に、本当は彼女をいつまでも見つめていたくて寝たふりをしていると、彼女の本心がこもったようなキスをされた。
 屋敷を出て行こうとする彼女を、強く引き止めず納得した返事を返せたのは、彼女が出て行けなくなると分かっていたからだ。
 もし彼女をつなぎ止る理由が無かったら、こうも穏やかではいられなかっただろう。
 本来なら彼女に本当のことを話して……彼女にこれからのことを決めさせるのが筋だ。
 その為にはどんな力添えもエンデは厭わないが、たった一度の陵辱を負い目に思いエンデを拒否するというのに、子供を生んだら……絶対にエンデの気持ちには答えないだろう。あの庭園で求婚を頑なに受けなかったように。それでは彼女を永遠に失ってしまう。そんな事は耐えられない。
 でも、彼女の子供の父親がエンデだと主張すると、彼女は逃げられない。

 子供を利用する――不道徳な行為。

 生まれる子供が誰の子供でもかまわない。
 自分の子供よりも彼女の子供だということの方が、エンデには重要だった。
 彼女を愛するからこそ、選択して、もう戻れない。


 リエルが部屋を出て行った時。
 彼女を手に入れた幸福感と、罪悪感が同じほど胸を苦しめる。
 そして何故かふと、オーエングの顔が思い浮かんだ。
 冷静になった今、その瞳はエンデと同様。嫉妬に狂った男の浮かべるものだと、今更に気づく。

 子供の父親は誰なのか……。

 一番知られてはいけないのはリエルではなく、もしかしたら彼なのかもしれない。


 
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