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妖鬼対策研究会編

逆転の賭博目録

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賭けは好きかと問われれば風太郎は嫌いと答える。
と、言うのも彼は今まで賭博の類には手を出した事がなかったし、当たった時の喜びも感じた事がないからだ。
だが、人生の危機的状況が舞い降りたとして、そこで命を無くすか、得るかの賭けを迫られた際には人は賭ける方、つまり、少しでも生存の確率が上がる方法を選ぶに違いない。
だとすれば、今、この瞬間がそうだろう。刀で首を取られるか、口先の話術で助かる可能性に賭けるのかならば、自殺志願者や覚悟できた人間ならばともかく、それ以外の人間ならば誰でも後者を取るだろう。
風太郎には自殺願望などなかったし、死ぬ覚悟はあったとしても、それは妖鬼に対してのみで、人間に殺される覚悟など持ち合わせてはいない。
だからこそ、彼は自分の口で説得を試みた。
「なぁ、海崎。お前、迷ってるんじゃあないのか?」
英治の手が一瞬の間止まる。だが、直ぐに首元に突き付けている刀の力を強めて、
「何の事だか分からないな。それよりも、さっさと首を刎ねさせてよ。妖鬼の味方をするんだったら、タダじゃおかないよ」
その言葉を聞いて生唾を飲み込む。間違いない。この後に出る言葉は自分の命運を賭けるものとなるだろう。
今、ここで下手な事を言っても直ぐに首を刎ねられて死亡してしまうに違いない。
風太郎はやっとの事で口から言葉を吐き出していく。
「いいや、お前は迷っている筈だッ!オレは妖鬼じゃあない!それはお前も感じているんじゃあないのか?」
海崎の腕が止まる。風太郎はようやく本調子が出てきたとばかりに、口元の端を緩めて呟いていく。
「それに、日向の件についてもお前には迷いが見える。本当はお前もいいや、お前の仲間も誰も日向を殺したくはないんだろう!?」
刀を持つ手から僅かな震えが見えていく。もう少しだ。彼は懸命に口を動かしていく。
「なぁ、思い出せよ。オレ達と過ごしたこの数週間をッ!一緒に風呂に行ったよな?一緒に喫茶店にも行ったッ!時には共に妖鬼を始末したよな!?」
情に訴えかける。古来より人間が相手を説得する際に使う手段。
彼もそれに乗せられたらしい。今、まさに刀を仕舞いかけた時だ。
隣で綺蝶と刀を斬り結んでいた桐生が叫ぶ。
「騙されるなッ!この男は詭弁を用いてお前を誘惑させようとしているッ!お前に妖鬼を狩らさせない気だッ!」
桐生の言葉に英治はあっと叫ぶ。それから、また刀を首元に突き付けていく。今度は力もこもっている。その証拠は風太郎の首元から微かに漏れていく真っ赤な血。
加えて、鋭い視線で風太郎を睨む海崎英治。
それでも、彼は説得の可能性に賭けていく。
「待てよ。お前、あいつの言葉に流されてそのままオレを斬っちまうのかよ?それが、対魔師がする事なのか?」
英治の片眉が動く。
「対魔師って言うのは昔でいうところの侍。侍なら、地面に倒れた無抵抗の男を斬り殺したりはしないと思うぞ」
「さ、侍……」
先程、風太郎が発した言葉を困惑した様子で復唱する英治。
更に嬉しい事が続いたと言えば、英治が今度こそ刀を引っ込めた事だろう。
桐生の静止する声も聞かずに、彼は刀を引っ込め、利き腕を抑えていた左手を引っ込める。
風太郎は刀を地面の上に置くと、両手をついて起き上がり、彼の肩を軽く叩いて、
「ありがとう。海崎……オレを信じてくれて」
「……別にお前のいう事を信じたわけじゃあない!ただ、お前をこのまま押さえ付けるのは不利なだけだから、起き上がらせてやっただけだよ。ここから、もう一度、刀でーー」
「いいや、オレはしない」
と、彼は真剣な表情で言った。あまりにも堂々とした態度に言葉を失って口を大きく開けてしまう英治。
だが、構う事なく風太郎は話を続けていく。
「なぁ、思い出さないか?オレ達とお前たちとで争う事によって利益を生じる奴がいる事を」
風太郎はそう言って空中に刀を突き付ける。英治は空中を眺めて、そこに背中から蝙蝠の翼を生やした女性がいる事を確認して首を縦に動かす。
「居るだろう?オレ達が本当に始末しなくちゃあいけない奴が。日向の事を巡って互いに斬り合っている場合じゃあねぇんだよ。オレ達の手であの蝙蝠女を始末しなくちゃあならねぇ」
「けど、日向を放っておく気?このまま放っておくと、日向はいずれーー」
「心配はいらねぇ!日下部さんがお守りを引き受けてくれるさ!」
風太郎はそう言うと、日下部暁人に向かってウィンクを行う。
それを見ると、日下部は複雑な笑顔を浮かべた。
だが、それからはやむなしとばかりに、日向を抑えるために、白い虎となり、阿波の手下を襲う日向の姿を垣間見る。
白い虎となった日向は阿波の手下を全て喰らい尽くすと、今度は充血した赤い目を向けて日下部へと襲い掛かっていく。
だが、日下部は彼の牙の前に横に構えた刀を入れる。その後に背後に回り込む。
これで、日向の抑えは取れた。
だが、長くは持たないだろう。日下部は風太郎や研究会の仲間、目掛けて叫ぶ。
「近作日向はオレが抑えたッ!後はあの蝙蝠女の首を斬り落とすだけだッ!」
それを聞いた海崎と風太郎は顔を見合わせると同時に互いに首を縦に動かす。
すると、阿波と海崎との位置が入れ替わる。
高い位置に移動した海崎は落下の衝撃で死んだかと思われたが、彼は自分の体が頑丈である事を自覚していたらしく、派手に地面の上で転んだ後に、Vサインをして見せた。
風太郎はそれを見ると、口元を綻ばせて目の前に落ちてきた海崎にウィンクを行う。
それから、突然、空中から地面に叩き落とされた阿波に向かって刀の刃先を向ける。
「な、何なのよ!もう!」
阿波は折角の余裕が崩れた事に驚きを隠せない様子であるらしい。
顔は既に泣き腫らしているが、同情の余地はない。
風太郎は刀を突き付けて、
「さてと、随分と卑劣な真似をしてくれたじゃあないか。このまま首を斬り落とすのも簡単だが、お前だってそんな汚名を被ったまま死にたくはないだろう?そこで、だ……」
風太郎はそれまで首に向けていた刀の刃先を彼女が持っていた赤色の槍に向けて、
「それを使って最後の決闘をしないか?宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島の上で行った決闘の様に堂々と決着を付けようじゃあねぇか」
追い詰められた阿波は槍を強く握り締めて、風太郎と向き合っていく。
彼女は一撃で風太郎を仕留めるつもりでいた。
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