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エピローグ『悪魔の使者たちは黄昏時に天国の夢を見るか?』

最上志恩の場合ーその⑩

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「では、質問を変えます。志恩さん……ヒーロー番組って本当に必要なんでしょうか?」

「それはどういう事でしょうか?」

「だって、現実の世界にヒーローなんていないじゃあないか。それこそ怪人みたいな人間はいてもそれを助けるヒーローなんていない。怪人に肉親を殺されても救ってくれるヒーローなんて現れない……じゃあ、こんなもの無意味じゃあないですかッ!」

百合絵の目が半泣きになっている。過去に何かがあったのだろうか。
志恩はその理由が気になったが、半ば錯乱状態になっているのでその理由は問わずに逆に質問を与える。

「じゃあ、あなたは本当にヒーローがこの世界にはいないと思うんですか?」

「いませんよ。本当にヒーローが居るんだったらもっと多くの人がヒーローに救われている……そうでしょ?」

百合絵の両肩が激しく震えていく。
志恩はそんな百合絵を黙って見つめていた。哀れな姿を見て憐憫の情を抱きたくはなるが、それ以上に志恩からすれば彼女は兄の仇である。兄の秀明が死んだ時の事を志恩は今でも鮮明に思い出せる。
秀明は最後まで笑っていた。兄らしい高笑いであった。
最後まで自分を安心させるために笑っていた。そんな兄の姿が脳裏に焼き付いている。それでも志恩は百合絵を最後まで憎み切れなかった。
志恩はそのままテレビを観ていたが、隣にいた百合絵は先程の問答では足りなかったのか、隣にいる志恩に向かって話を進めていく。

「……じゃあ、質問を変えます。志恩さん……あなたがヒーローにならんとする理由は番組の影響からですか?」

「……違う」

志恩は小さい声で否定の言葉を述べた。

「そんな単純なものじゃあないよ。ボクなりの意見……ぼく自身の正義ってところかな?昔から人を救う人になりたかったんだ。ぼくは」

「……人を救う人か」

百合絵の脳裏に過るのは幼き日の無邪気だった頃の妹との記憶。ならず者たちが家に押し掛けてくるまでの古き良き日々。まだ祖母も両親も健在で妹とも仲のよかった頃の話だ。
その時に今志恩が見ている様な子供向けのヒーロー番組に夢中になりながら志恩の様な夢を語っていたのである。
百合絵はそんな幼き日の自分と志恩の姿が被るのが複雑だったのだ。
百合絵が同じ様に志恩が観ているヒーロー番組を見つめているとその中に幼い頃の自分が好きだった場面が登場した。
テレビ番組に登場する警察官の主人公が自己保身に怯える救命士に救助を訴え掛ける場面であった。
百合絵はそんな風に人を救う主人公に自分も憧れていた事を思い返す。
かつての記憶に縋りながらテレビを観ていると、扉が叩く音が聞こえた。
百合絵が身構えると、そこには仕事を終えたばかりで上機嫌な様子の真紀子が立っていた。

「志恩の面倒を見てくれてありがとうよ。けど、そろそろ時間なんだ。解放してくんねぇかなぁ?」

「は、はいッ!大変申し訳ありませんッ!」

「謝る必要はねーよ。それどころかあたしの代わりに相手をしてくれて感謝しかねーよ。代わりに御伽噺を聞かせてやる」

真紀子は口元に勝ち誇った様な笑みを浮かべながら百合絵に向かって告げていく。
彼女の話はとてもユニークであった。物語の舞台となるのは日本がまだ丁髷をしていた頃の話だという。
真紀子はそれを歩きながら二人に話してくれた。
真紀子によればとある地方のとある場所を一つの大名が治めていたのだという。そこの大名家には仲睦まじい姫君と若君が住んでいたという。二人は家の跡継ぎとして大切に育てられたそうだが、藩主の死と共にお家騒動に巻き込まれて別の藩の家に跡継ぎという形で追い出されてしまったのだという。
若君は優しい性分であったので追い出した者を恨まなかったが姫君は相当な執念を持っていたので追い出した者たちを酷く憎悪した。
復讐のために姫君は大奥へと入り、そこで成り上がった後に当時の御台所を追い出して大奥を牛耳った後には将軍の地位をも乗っ取り日本そのものを支配したのだという。
百合絵と志恩は真紀子が架空の御伽噺になぞらえて自身の過去とその思いを語っているのだと悟った。
そのお家騒動というのは話に聞く遠縁の親戚の事に違いない。百合絵がそんな事を考えていると、先程とは異なり真紀子が満面の笑みを浮かべてその後の話の続きを語っていく。
真紀子によると日本そのものを牛耳った姫君は最愛の弟である若君を取り返すためにその藩を救うための援助金を与えたのだという。

「こうしてお姫様はいつまでも大好きな弟と幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」

満足そうな顔で御伽噺を語る真紀子とは対照的に志恩の表情は見えなかった。
そこには様々な思いが巡り動いていたのだろう。
今の両親の元から自分は姉の元へと引き取られてしまうのかもしれない。
かつて鳥取の暮らしにいた時と同じ状況になるのだ。居ないのは既に他界した曽祖母だけである。
また姉と暮らせるのは正直に言えば嬉しいと思いもあった。
だが、今の両親も大切に思っている。今の両親が自分を手放してしまったらどんな事になってしまうだろう。
幼いながらにも志恩はその二つの感情に葛藤していたのだ。
志恩が真紀子と共に用意された部屋から料理を出す場所へと向かっていくと、そこには既に志恩の養父母も姿を見せていた。
スーツ姿の養父は気まずそうな微笑みを浮かべているのに対し、ドレスで着飾って養母は親の仇でも睨むかの様な目で降りてくる真紀子を睨んでいた。
志恩と真紀子が着席するのを待って、メイドたちが食事のオードブルを持って現れた。

「こちらオードブルでございます」

四人の前に差し出されたのは豚のリエットとイワシのマリネを載せたゼリーサラダであった。中には多くの野菜が入っている。
養父は初めて見る高級料理に思わず目を見張っていたが、養母はそのサラダを見つめた後に配膳を行ったメイドに向かって尋ねた。

「ねぇ、これはあの女が作ったものなの?」

「生憎ですが、これは家のシェフが作ったものとなります」

メイドは淡々とした調子で答えた。
それを見た真紀子が冷ややかな視線で義母を突き刺しながら言った。

「テメェ、どこまであたしが気に食わねぇんだ」

「全部だよ。あんたの事が何もかも気に入らない」

「奇遇だな。あたしもテメェみたいなババアは大嫌いだよ」

真紀子はそのまま机を叩かんばかりの勢いであったが、テーブルマナーを思い出したのかそのまま椅子の上に引っ込んだかと思うと、机の上に茶色の封筒に入った紙を出す。
真紀子は背後に控えていた百合絵に何かを耳打ちした。
百合絵は紙を持ったかと思うと、そのまま義母の前に紙を置く。
義母が封筒を開き、紙を取り出すとそこには思わず頭を抱えてしまいたくなる程の金額が記されていた。
義父も恐る恐るその金を手に取ったが、その額の大きさに思わず頬をつねっている。それから何度も何度も紙に記された額を眺めていた。

「こ、これは本当の額なのか?」

「あぁ、そこに書かれている金額はあたしが迷惑をかけた詫びの慰謝料と一年間あたしに代わって志恩を育ててくれた感謝の気持ち。それに手切れ金みたいなもんだ」

「手切れ金?」

義母の目が細くなる。それから彼女派刃物の様に鋭くなった瞳で真紀子を睨み付けた。

「あぁ、その金をやる。賠償金なりなんなりを払った後は残りの金で一生を過ごせる筈だ。召使いを雇うのも豪華な家を買うのも全部あんたらの自由だ。好きに使うがいい。その代わりに志恩には近付くな」

「……志恩をこの金で諦めろというの?あたしたちの子供を?」

「あたしの弟だ」

二人はそう言って睨み合って動かなかった。
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