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第一部『人界の秩序と魔界の理屈』

カワックの街 気の毒なゴブリンを憐れむ歌

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「魔界執行官、コクラン・ネロスだ。テメェらだな。カワックの街で騒動を起こしているクソ野郎どもは」

 やはりコクランだった。コクランはいつも通りに淡々とした口調で言い放っていた。その隣には弓矢を構えた彼に仕えるメイド、レイチェルの姿が見えた。
 てっきり城で例の怪物に喰われたか、もしくはリーデルバウム国王の正当なる裁きを受けて死んだと確信していた二人はコクランの生存が不思議でならなかった。
 しばらくの間は呆然とした顔でコクランを見つめていたが、フロイドはすぐに忍び笑いを漏らして問い掛けた。

「フッ、魔界執行官?なら、ちょうどいい。なら、このカワックの街にいる忌々しいゴブリンどもを掃除してくれ」

 フロイドの台詞には皮肉が混じっていたものの、魔界執行官としての役割そのものに関しては何ら間違ったことを述べていないことは注目するべきだろう。
 それに同調してシモーヌも叫んだ。

「そうですよ! 私たち人間はこいつらに仕事を奪われ、その上で生活までも脅かさそれそうになっているんですよ! 」

 シモーヌは新たに作り出した槍の穂先を使って部屋の隅で震えている罪のないゴブリンたちを指しながら叫んだ。

 だが、コクランは笑っているばかりだ。
「な、何がおかしいの!?」

「やかましいやッ!この野郎ッ!」

 シモーヌの悪意に満ちた問い掛けを聞いてコクランは声を張り上げた。

「さっきから黙って聞いてれば好き放題抜かしやがってこの野郎がッ!だいたいテメェらはこの街に住んだこともねぇじゃあねぇか! それなのに罪のないゴブリたちを虐めやがってッ! あいつらがお前らに何かしたのか!?」

「フフフッ」

 コクランの激昂を聞いてフロイドは急に笑い始めた。不気味なほどの大きな笑い声であった。コクランが思わず身構えていると、両目を見開いて叫んだ。

「ふざけているのはそちらだ!?我々は確かにここの住民たちから迫害を受けていると聞いたんだッ! 間違っているのはそっちなんだよォ! 」

「間違ってるのはテメェらの方だろうがッ! 」

 コクランは強い口調でフロイドの言い分を否定した。反論にあげた言葉の中にはコクランの強い意思が含まれていた。

 コクランはフロイドや人界防衛騎士団の面々が無責任に吐き散らす憎悪やデマが許せなかったのだ。そしてそれを信じた人々によって傷付けられる罪のないゴブリンたちが産まれることはそれ以上に許せなかった。

 それ故に力強い言葉で言ってのけたのだ。こういう話の通じない人種にはこれくらいの強い口調で臨まなくては会話の全身を望むことはできないだろう。
 コクランの話を聞いたフロイドは現に対話を放棄してコクランに向かって剣を振り上げていく。

 この時コクランは『吸収』の魔法を込めた弾丸をフロイドに向けていた。相手は光魔法を用いる男。そんな男の魔力や生命力を吸い上げれば自身の体がどうなるのか分かったものではない。

 だが、それでもコクランは目の前にいる男の存在が許せなかった。男が平然とオークたちに憎悪を撒き散らしているという事実はそれだけコクランの気を害したのだ。

 迷うことなどない。このまま引き金を引けばいいだけのことだ。コクランがゆっくりと引き金を引こうとした時のことだ。

「やめてッ! パパッ! 」

 という声が背後から聞こえてきた。慌ててコクランが背後を振り向くと、安宿の入り口前で小さなゴブリンが今にも暴れようとしているゴブリンを抑えている姿が見られた。

「離せッ! 息子よッ! 私はもう我慢ができないッ! 今の今まで人間どもに不当な賃金でこき使われ、その挙句に迫害されるなんて……私は抗議してやるぞッ! 」

 それを見た群衆たちが次々と悲鳴を上げていく。その姿を見たシモーヌはここぞとばかりにわざとらしい金切り声を上げた。

「やはりゴブリンどもは暴力に訴えるような汚らわしい存在なのですッ! みなさんッ! ゴブリンどもはこのように野蛮な雄叫びを上げて無垢な人々を襲うような存在なんですッ! 根本的に我々人間とは違う生き物なんですよッ! 」

 シモーヌの言葉を聞いた人々は手に持っていた棍棒や包丁といった庶民でも扱えるような武器を掲げてゴブリンたちへの憎悪を口に出していく。

「その通りだッ! 我々人間が生き延びるためにゴブリンどもは皆殺しにしなければいけないんだッ! 」

 暴徒の一人が自身に言い聞かせるように叫んだ。それに同調して同じように集まった人々がゴブリたちに向かって憎悪を吐き散らしている。

 コクランはそんな人々を何か汚らしいものでも見る時に使う侮蔑するような目で見つめていたが、一番厄介であったのはこの暴徒たちを止める立場にあるはずの騎士団の面々までもがそうした憎悪に突き動かされかけていることだろう。

 ルイスは側にいた騎士たちが不穏な噂話をしていたことに気が付いた。

「そうだよ。ゴブリンどもがもしオレの家族に手を出したら……」

「お、オレには年頃の妹がいるんだ。もし、妹がゴブリンどもの手に掛かったらと思うと……」

「やめてくださいッ! あなた方は皇帝陛下から混乱を収めるためにここに派遣されたんでしょう!?混乱に加担したら本末転倒じゃあないですかッ! 」

 ルイスは声を張り上げた。それこそ寝ぼけている頭を正常に動かさせる時に使うような大きな声だ。耳元でハッキリと聞こえるように言ったつもりだった。
 だが、彼らが耳を貸す様子は見せなかった。そればかりか、何人かの男たちが持ち場を離れて暴徒たちの元へと合流していく姿さえ見えた。

 冷静さを失い、ゴブリンたちへの憎悪を唱える人間たちの姿を見て絶句したのはレイチェルだった。レイチェルは種族的に分類するのならば当然人間に入る。
 それ故に彼らの言い分も分かってしまうのが悔しかった。それでもこうしてゾロゾロと騎士団の人たちが持ち場を離れてしまうというのは衝撃的であった。

 一応貴族出身であったレイチェルは騎士たちが持ち場を離れて職務を放棄してしまうようなことはないと習っていた。
 というのも、何があろうとも任務に忠実であるというのが騎士たる者に課せられた任務であったからだ。

 レイチェルが唖然としていた時だ。例のゴブリンが子どもの静止を振り解いて騎士団や暴徒たちの前へと突っ込んでいく。

 この時突っ込んでいったゴブリンはすっかりと我を忘れていた。それに加えてこのゴブリンは武器を持っていない。
 当然だろう。身を休めることができる唯一の場所の前で憎悪を受け、それに抗議の言葉を掛けるためだけにきたのだから武器など持っているはずがないのだ。

 しかし彼の怒りは限界を超えてしまった。それ故に無防備にも突っ込んでしまっていた。そのためゴブリンは丸腰であった。
 それでも群衆にとってゴブリンは侮蔑の対象であるのと同時に恐怖の対象であった。醜い緑色の小鬼が敵意を剥き出しにしながら向かってきたのだ。

 人々は恐怖に駆られた。同時に本能にも駆られていた。人間ならば誰しもが持つ防衛本能という本能に……。

「寄せッ! やめろッ! 」

 コクランは防衛本能という厄介な怪物に憑依された群衆たちに向かって宙の上に向かって拳銃を放って威嚇したが、ゴブリンからの恐怖に駆られた人々はコクランの忠告に気が付かなかった。

 このままでは不味い。ゴブリンも人間も今や緊張が高まり、危険な状態へと陥ってしまっている。そんな状態にある両者がかち合うようなことになれば、どのようなことになるのかは火を見るよりも明らかだった。
 危機を感じたコクランは拳銃を構えた。ゴブリンと人間たちのとの間に拳銃を撃ち込み、ゴブリンを静止させる予定だったのだ。

 それはコクランのメイドであるレイチェルも同じだった。彼女は今矢をつがえていた。ゴブリンたちと人々の間に矢を放って事態の収拾を試みようと考えていた。

 だが、それは最悪の事態で裏切られることになった。炎の剣を構えた騎士がゴブリンに負けないような雄叫びを上げたかと思うと、自身の目の前から迫ってきたゴブリンを勢いよく斬り上げていった。
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