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20.愛
①
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そうして訪れた初夜の日。
軽い夕食を早い時間に済ませ、女官の手によって初夜の準備が進められた。湯あみをしたあとで女官たちの手によってリオンの肌には念入りに花の香りのする香油が塗られている。甘くかぐわしい香りに包まれ、ぼんやりとしながらリオンは初夜用の白い着物に手を通した。
(本当にこれから初夜なんだ)
目に映るのは確かに現実だと理解できるのに、感覚は遠い。
七日前からドニの調合した薬を飲んでいるので、今のリオンは軽い発情状態だった。身体が熱くて、意識がふわふわと落ち着かない。だがエルに薬を使われたときよりは随分意識がはっきりしている。
これならオースティンの前で醜態をさらすことはなさそうだ。リオンは人知れずほっと胸をなでおろしていた。
やがて準備が整のい、リオンは先導の聖職者と二人の女官と一緒に自室を出た。
夜に沈んだ廊下には、赤い絨毯が引かれ等間隔にはランプが灯っていた。
リオンの前を歩く聖職者は、歩きながら鈴を鳴らしている。二人の女官は、ただ黙ってリオンの背後をついてくる。
どうやらそれが、王の寝室まで配偶者を連れて行くための初夜のしきたりらしい。ぼうっと鈴の音を聞きながら歩いていると、一番前方を進んでいた案内役の聖職者が「陛下?」と驚いたように声を上げた。
(え……?)
顔を上げると、廊下の先には、初夜用の白い長衣に身を包んだオースティンが立っていた。
どうしてここにいるのだろう。王は寝室で待っているのが普通の手順だと聞いていたけど……。
「ご苦労だった。ここで花守殿はもらい受ける。君たちは下がってくれ」
オースティンはリオンに向かって笑みを向けた後、案内役と女官たちにそう告げた。案内役の聖職者は手順が違うことに戸惑っているようだったが、後方に控えていた二人の女官とともに下がっていく。
静かな薄闇の廊下にはリオンとオースティンだけが残された。
「ようこそ、リオン。待ちきれずに迎えにきてしまった。許してくれ」
「……いえ。大丈夫です」
些細な手順などどうでもいい。どうあろうと、これから自分は彼に抱かれ、番になるのだから。
「さあ、行こうか」
オースティンがリオンの背中に手を添える。リオンは静かに頷いた。
無言でゆっくりとランプで照らされた廊下を進み、オースティンの自室の前に着く。
オースティンが扉を開け、リオンは俯きながら部屋に足を踏み入れた。
部屋の中は薄暗かったが、この部屋で以前晩餐を取ったことがあるので部屋の間取りはわかっている。大きな部屋の中央には大きなテーブルとゆったりした長椅子が置いてあって、そしてその向こうには寝室へと続く扉がある。
「え……?」
驚きに息を呑んだ。
オースティンの寝室に続く扉の前に二人の人間が控えていた。
扉の右には、白衣をまとった侍医のドニ。
――そして扉の左側には。
「……クレイド……」
騎士団の正式な制服に身を包み剣を腰に携えたクレイドが、扉の前に立っていた。
(え……? どうして? どうしてここにクレイドが……?)
思いもよらない光景に頭が真っ白になった。
それでなくとも軽い発情状態になっていて頭がうまく働かないのだ。心臓が狂ったように打ち、動揺のあまり身体がガタガタと震え始める。
初夜にはドニが見届け人として立ち会うとは聞いていた。番が正常に結ばれたか確認し、またリオンの身体に異常が出ないかを診るためだ。だからドニの姿には驚かなかった。
だけど――なぜ、クレイドがここにいるのだろう。
茫然と彼を見つめていると、クレイドがゆっくりと顔を上げた。灰色の瞳がリオンを捉える。
オレンジ色のランプの灯に照らされた灰褐色の瞳は真っ赤で、飢えた野生の獣のような危険な光を帯びていた。激情を薄い膜一枚でかろうじて抑えているような、いまにも決壊してしまいそうなほどに張り詰めた瞳だ。
(クレイド? どうして? どうしてそんな瞳をしているの?)
クレイドの強い視線に身体が雁字搦めにされたように、身体が少しも動かない。
「クレイドは護衛だよ」
すぐ隣でオースティンの声が聞こえ、リオンははっと我に返った。
オースティンはリオンの顔を見て、それからクレイドをじっと見据えながら言う。
「僕たちの初夜のために、扉を守る者が必要だろう。クレイドが最も信頼できるから、僕が選んだんだ」
「え……?」
クレイドに視線を戻すと、彼はじっとオースティンを見ていた。
息をするのを躊躇してしまうほどに、二人の視線には張りつめた緊張が宿っていた。今にも細い糸が切れてしまいそうで、胸が苦しくなってくる。
オースティンが静かに口を開く。
「ここから先はもう戻れないよ。本当にいいんだね?」
その言葉にクレイドが唇をぐっと噛み締めた。彼の視線が横にずれ、今度はリオンに強い眼差しが注がれる。
(――クレイド)
リオンは思わず呼吸を止めた。
クレイドの唇がわずかに動いた。喉が何度も上下に動き、そして意を決したように大きく息を吸い込む――。
『まさか』という思考が弾け、昏い水の底に深く沈んでいた心が上昇し始める。水面から差し込む明るい光が見え、リオンは瞬きを繰り返した。
ぶわっと抑えきれない期待が胸の中で膨らんでいく。
激情が溢れそうになる。
(クレイド……クレイド……)
「ク――……」
リオンが口を開きかけた瞬間、クレイドの瞳の中で燃えていた激情の炎がふっと消えた。クレイドが唇をかみ、そして絡まっていた視線はそっと外された。
浅ましい期待に膨らんでいたリオンの胸から、音を立てて空気が漏れていく。
(――ああ……。本当に……終わったんだ……。これがクレイドの答えなんだ……)
なんて自分は馬鹿なんだろう。最後の最後まで、未練も期待も捨てることが出来なかった。もうすべて何もかも遅いというのに。
「オースティン……」
一気に身体から力が抜けたリオンは、縋るようにオースティンの腕を掴んだ。
「お願い……もう連れて行って……」
「リオン……」
オースティンが躊躇したのは一瞬だけだった。
オースティンはすばやくリオンを横抱きで抱き上げると、大股で歩き、そして寝室の大扉を蹴り破るようにして開けた。
軽い夕食を早い時間に済ませ、女官の手によって初夜の準備が進められた。湯あみをしたあとで女官たちの手によってリオンの肌には念入りに花の香りのする香油が塗られている。甘くかぐわしい香りに包まれ、ぼんやりとしながらリオンは初夜用の白い着物に手を通した。
(本当にこれから初夜なんだ)
目に映るのは確かに現実だと理解できるのに、感覚は遠い。
七日前からドニの調合した薬を飲んでいるので、今のリオンは軽い発情状態だった。身体が熱くて、意識がふわふわと落ち着かない。だがエルに薬を使われたときよりは随分意識がはっきりしている。
これならオースティンの前で醜態をさらすことはなさそうだ。リオンは人知れずほっと胸をなでおろしていた。
やがて準備が整のい、リオンは先導の聖職者と二人の女官と一緒に自室を出た。
夜に沈んだ廊下には、赤い絨毯が引かれ等間隔にはランプが灯っていた。
リオンの前を歩く聖職者は、歩きながら鈴を鳴らしている。二人の女官は、ただ黙ってリオンの背後をついてくる。
どうやらそれが、王の寝室まで配偶者を連れて行くための初夜のしきたりらしい。ぼうっと鈴の音を聞きながら歩いていると、一番前方を進んでいた案内役の聖職者が「陛下?」と驚いたように声を上げた。
(え……?)
顔を上げると、廊下の先には、初夜用の白い長衣に身を包んだオースティンが立っていた。
どうしてここにいるのだろう。王は寝室で待っているのが普通の手順だと聞いていたけど……。
「ご苦労だった。ここで花守殿はもらい受ける。君たちは下がってくれ」
オースティンはリオンに向かって笑みを向けた後、案内役と女官たちにそう告げた。案内役の聖職者は手順が違うことに戸惑っているようだったが、後方に控えていた二人の女官とともに下がっていく。
静かな薄闇の廊下にはリオンとオースティンだけが残された。
「ようこそ、リオン。待ちきれずに迎えにきてしまった。許してくれ」
「……いえ。大丈夫です」
些細な手順などどうでもいい。どうあろうと、これから自分は彼に抱かれ、番になるのだから。
「さあ、行こうか」
オースティンがリオンの背中に手を添える。リオンは静かに頷いた。
無言でゆっくりとランプで照らされた廊下を進み、オースティンの自室の前に着く。
オースティンが扉を開け、リオンは俯きながら部屋に足を踏み入れた。
部屋の中は薄暗かったが、この部屋で以前晩餐を取ったことがあるので部屋の間取りはわかっている。大きな部屋の中央には大きなテーブルとゆったりした長椅子が置いてあって、そしてその向こうには寝室へと続く扉がある。
「え……?」
驚きに息を呑んだ。
オースティンの寝室に続く扉の前に二人の人間が控えていた。
扉の右には、白衣をまとった侍医のドニ。
――そして扉の左側には。
「……クレイド……」
騎士団の正式な制服に身を包み剣を腰に携えたクレイドが、扉の前に立っていた。
(え……? どうして? どうしてここにクレイドが……?)
思いもよらない光景に頭が真っ白になった。
それでなくとも軽い発情状態になっていて頭がうまく働かないのだ。心臓が狂ったように打ち、動揺のあまり身体がガタガタと震え始める。
初夜にはドニが見届け人として立ち会うとは聞いていた。番が正常に結ばれたか確認し、またリオンの身体に異常が出ないかを診るためだ。だからドニの姿には驚かなかった。
だけど――なぜ、クレイドがここにいるのだろう。
茫然と彼を見つめていると、クレイドがゆっくりと顔を上げた。灰色の瞳がリオンを捉える。
オレンジ色のランプの灯に照らされた灰褐色の瞳は真っ赤で、飢えた野生の獣のような危険な光を帯びていた。激情を薄い膜一枚でかろうじて抑えているような、いまにも決壊してしまいそうなほどに張り詰めた瞳だ。
(クレイド? どうして? どうしてそんな瞳をしているの?)
クレイドの強い視線に身体が雁字搦めにされたように、身体が少しも動かない。
「クレイドは護衛だよ」
すぐ隣でオースティンの声が聞こえ、リオンははっと我に返った。
オースティンはリオンの顔を見て、それからクレイドをじっと見据えながら言う。
「僕たちの初夜のために、扉を守る者が必要だろう。クレイドが最も信頼できるから、僕が選んだんだ」
「え……?」
クレイドに視線を戻すと、彼はじっとオースティンを見ていた。
息をするのを躊躇してしまうほどに、二人の視線には張りつめた緊張が宿っていた。今にも細い糸が切れてしまいそうで、胸が苦しくなってくる。
オースティンが静かに口を開く。
「ここから先はもう戻れないよ。本当にいいんだね?」
その言葉にクレイドが唇をぐっと噛み締めた。彼の視線が横にずれ、今度はリオンに強い眼差しが注がれる。
(――クレイド)
リオンは思わず呼吸を止めた。
クレイドの唇がわずかに動いた。喉が何度も上下に動き、そして意を決したように大きく息を吸い込む――。
『まさか』という思考が弾け、昏い水の底に深く沈んでいた心が上昇し始める。水面から差し込む明るい光が見え、リオンは瞬きを繰り返した。
ぶわっと抑えきれない期待が胸の中で膨らんでいく。
激情が溢れそうになる。
(クレイド……クレイド……)
「ク――……」
リオンが口を開きかけた瞬間、クレイドの瞳の中で燃えていた激情の炎がふっと消えた。クレイドが唇をかみ、そして絡まっていた視線はそっと外された。
浅ましい期待に膨らんでいたリオンの胸から、音を立てて空気が漏れていく。
(――ああ……。本当に……終わったんだ……。これがクレイドの答えなんだ……)
なんて自分は馬鹿なんだろう。最後の最後まで、未練も期待も捨てることが出来なかった。もうすべて何もかも遅いというのに。
「オースティン……」
一気に身体から力が抜けたリオンは、縋るようにオースティンの腕を掴んだ。
「お願い……もう連れて行って……」
「リオン……」
オースティンが躊躇したのは一瞬だけだった。
オースティンはすばやくリオンを横抱きで抱き上げると、大股で歩き、そして寝室の大扉を蹴り破るようにして開けた。
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