女たらし魔法使いの弟子

草部昴流

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第二話

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 アナベルはあせった。

「お金を用意すれば弟子にしてくださるって約束です。いま、がんばって銀貨を貯めているんです。決まった額になったら、魔法を教えていただけますよね?」

 ルドウィンは呆れたようにアナベルのあどけない顔を直視した。陰気な顔を歪め、小刻みに笑いはじめる。何かひどく可笑しなことを云われた、と云わんばかりであった。

「これはしたり。わたしとしたことが、すっかり忘れていた。たしかに先日、この店で約束したな。随分と太陽酒を飲んでいたせいか、記憶があいまいだが、たしかに憶えているぞ。だが――」

 ルドウィンは元通り暗い目つきになり、嘲けるように付け加えた。

「そなた、まさかその約束を本気にしたわけではあるまい?」

「え?」

 アナベルはきょとんと目を見開いた。

「だって、約束です」

「ふん」

 魔術師は鼻を鳴らした。

「酒席の約束を真に受けるのは愚かだと思わぬか? そもそも、おまえのような市井の娘が魔法を学ぶだと? 莫迦も休み休み云え。魔法とは、そのように容易に身に着つけられるものではない。多くの男女が〈学院〉に入り、何年も身を削るように修行に励んで、ようやくわずかに使いこなせるか、どうか。それが魔法だ。それを、十七か八の小娘が習いたいと? このような笑止な話、ひさしぶりに聞くわ」

 アナベルは華奢な躰を震えさせた。

「だって、約束してくれたのに」

「くどい! だから、その約束は酒の席の戯言だと云っておるのだ!」

 魔術師は激高した。鋭い目つきでアナベルの顔をにらみ据え、卓子テーブルに拳を叩きつけ吐き捨てる。

「くだらん。そもそも、魔法を身に着けて何をするというのだ? どうせ、惚れた男の心を自由にしたいとか、その程度のことだろう。魔法とは、そのようなものではない。自然界の四大精霊の力を借り、奇跡とも云える神秘の門を開く、そのための学問なのだ。おまえごときが使いこなそうとするなど、僭越も良いところよ!」

 アナベルの顔色はいまや青白くなっていた。彼女はふらふら揺れながら呟きつづけた。

「だって、だって約束……」

 男は仕打ちした。

「帰る。このような店の酒はまずくて飲めぬ」

 そうして、不機嫌さをあらわにしながら店を出て行った。あとには、いまや蒼白のアナベルひとりが残された。

「大丈夫かい」

 心配したなじみの酔客が声をかけてくる。

「ひどい奴だな。たしかに約束していたはずなのに」

「ううん、大丈夫。お金を取られなかっただけ、まだ良かったよ」

 その客は沈痛そうに少女を見つめた。

「それにしても、アナベルちゃん、あんた、どうして魔法なんて身に着けたいんだい? くやしいけれど、あいつが云うとおり、そんなに簡単に使えるものじゃないと思うよ。そりゃあ大変な修行がいるんだろうし、勉強だってたくさんしなきゃならないはずだ。それでも、どうしても魔法を習得したいのかい?」

「うん」

 アナベルはこくりとうなずいた。

「どうしても魔法がいるの。魔法じゃなきゃ解決できないことがあるんだ」

「そうか。まあ、がんばれよ」

「うん」

 小さくひとつ吐息すると、仕事に戻った。

 店主が痛々しそうな顔で見ていることには気づいていたが、あえて声はかけない。このことに関して、もう何度も話しあってきたのだ。

 しかし、どれほどきびしい道のりであるとしても、彼女の意思は変わらなかった。

 魔法を習う。そして、目的を遂げる。いま、彼女は、そのために生きていると云っても良いのであった。

 数日が過ぎた。その夜、店の扉を開けたのは、ひとりの、冷たい目をした黒髪の若者であった。

 背が高く、精悍な躰つきの上、めったにないほど秀麗にととのった風姿である。

 星空をそのまま切り取ったような漆黒の双眸は世界を拒絶し、重苦しく閉ざされた薄いくちびるはだれとも話したくないと告げているように見えた。

 その胸には七芒星のしるしが煌めいていた。かれもまた、魔法にたずさわる者なのだ。

 無言のまま椅子に座って、アナベルのほうを見やるでもなく、ただひと言、口にする。

「酒!」

 美貌に、いまにもだれかに噛みつきそうなほど不機嫌な表情が浮かぶ。

 気心の知れた者と飾らないやり取りを楽しむため店へ来たわけではないことはあきらかであった。

 アナベルは、黙ってひと組の月光酒と硝子杯を持っていった。かれは黙ったまま受け取り、手酌で飲みはじめる。

 どんな気の利かない者でも、よほど気に入らないことがあったのだろうと悟るような態度である。

 しかし、アナベルはしばらくその姿を凝視してから、そっと近寄って声をかけた。まわりの客が、ああ、と頭を抱える。

「あの」

 若者はその場に杯を叩きつけた。

「何だ!」

 アナベルは、ちょっと肢体を震わせた。かれの態度は乱暴だった。だが、それでも彼女には話しかけなければならない理由があったのだ。
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