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第九話
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ルーフレッドはいつも食事の時間に家にいるわけではない。むしろ、外で遊び歩いているほうが多い。
アナベルはかれが何か仕事をしているところを見たことがない。
魔法使いとは、ふつう、〈王立最高魔法学院〉に属し、何かしら仕事をひき受けて暮らしているものらしいが、ルーフレッドにはそういう様子もない。とにかく自堕落な生活を送っている。
もっとも、〈グリフォンの翼亭〉の人が噂していた内容によれば、かれは〈学院〉の会長の孫だというから、〈学院〉と無関係であるはずもない。
とにかくよくわからない人だ。
その日の食事はたまさかルーフレッドが同席していた。
ちなみに、アナベルが使い始めるまで、台所は使用された形跡がほとんどなかった。
いままで何を食べていたのだろう? まさか生肉にそのままかじりつくわけでなし。きっと酒ばかり飲んでいたのではないか。
その夜は、簡単なステーキとサラダ、かぶのスープという平凡なメニューだった。
当然、サラダのなかにレタスは入れていない。入れたら怒るに違いない。試してみたい気もなくはないが、破門されたら困る。虎の尾は、踏まずに済ませるものだ。
平凡な取り合わせだが、それなりに手間がかかっている。美味しく食べてほしいのに、ルーフレッドは無表情で黙々と食べるばかりだった。楽しい会話をして食卓を盛り上げようという気持ちはかけらもないようだ。
過去の恋人たちとはどのような会話をしてきたのだろう。女を口説くときには、愛想が良いのだろうか。
愛想の良いルーフレッド。想像しただけで不気味だ。
「美味しいですか?」
何げなく訊いてみると、ルーフレッドは無表情のまま即答した。
「まずい」
アナベルはむっとした。べつに素直に美味しいと答えると思っていたわけではないが、即座にそのように断定されると、さすがに腹が立つ。
「悪かったですね! もう、まずいなら食べないでください。いっしょうけんめい作ったのに」
「まずいが、食えなくはない。だから食っている。悪いか」
「……素直じゃないなあ」
「何か云ったか?」
「何も」
アナベルは嘆息した。
「師匠のお嫁さんになる人は大変だろうと思っただけです。わたしはただの弟子で良かった」
ルーフレッドはじろりと弟子を睨んだ。
「おれは結婚したりしないぞ」
アナベルは首をかしげる。
「どうしてです? いつまでも女遊びを続けたいからですか?」
今度は即座には答えがなかった。ルーフレッドはしばらく黙ってスープを口に運んだあと、アナベルと視線を合わせず呟いた。
「女が嫌いなんだ」
「え? 何を云っているんです? 師匠、噂になるくらいの女たらしじゃないですか。みんな云っていましたよ、魔法使いのルーフレッドはどうしようもない女好きだって」
「そのみんなとはだれのことだ?」
ルーフレッドは不機嫌そうになった。もっとも、この男は機嫌が良いときのほうが少ないので、アナベルもその程度で委縮したりしない。
「みんなは、みんなです。とにかく、師匠が都でも一、二を争う女好きで女たらしなのはだれでも知っています。それなのに、女が嫌いってどういうことですか?」
「そのままの意味だよ」
ルーフレッドはいささか腹を立てたようだったが、反論はしなかった。
「おれにまとわりついてくる女たちは、おれが口説き落としたわけじゃない。みんな、向こうからおれを求めて来るんだ。だから、あいてをしている。それだけのことで、べつに女が好きなわけじゃない」
「前に胸と尻が大きな女が好きだって仰っていたじゃないですか」
「あれは、躰のことだ。おれが嫌いだと云っているのは、女の心だ。女はいつも嘘を吐くし、人を騙す。挙句の果てに裏切る。おれは女という生きものを信用しない。それでも、騙されることはあるがな」
アナベルは絶句した。
まったく納得はいかなかったが、ルーフレッドの、いつもよりもっと暗く沈んだ目を見ていると、軽々に反論もできなかった。
かれのまなざしには何か深刻な苦しみと憎しみが澱んでいて、ひどく傷ついた心を感じさせた。
このような一面を見たのは初めてだった。自分が立ち入ってはいけないものを見いださざるを得ない。
ただ、彼女はフォークを置いて、ひと言だけ云った。
「わたしも、女ですよ?」
ルーフレッドは真正面から彼女を見つめた。その美しく研磨された青玉さながら深く蒼いひとみが、このとき、複雑な陰影を宿して煌めいた。
「弟子は、弟子だ。男でも女でもどうでも良い。おまえを信用しているわけでもないしな」
「そうですか」
アナベルは少しだけ肩を落とした。衝撃を受けていることに気づかざるを得なかった。ただ両親の仇を討つため魔法を教わる、それだけのあいてだったはずなのに、不思議だ。
しかし、このとき、たしかに何か重苦しいものを感じた。食事が、一気に味がしなくなる。それで、ルーフレッドに少しずつ親しみを感じ始めていたことを悟った。
幽かに胸が痛い。
その後は、ふたりとも言葉少なに、ただ淡々と料理を食べる時間が続いた。
アナベルはかれが何か仕事をしているところを見たことがない。
魔法使いとは、ふつう、〈王立最高魔法学院〉に属し、何かしら仕事をひき受けて暮らしているものらしいが、ルーフレッドにはそういう様子もない。とにかく自堕落な生活を送っている。
もっとも、〈グリフォンの翼亭〉の人が噂していた内容によれば、かれは〈学院〉の会長の孫だというから、〈学院〉と無関係であるはずもない。
とにかくよくわからない人だ。
その日の食事はたまさかルーフレッドが同席していた。
ちなみに、アナベルが使い始めるまで、台所は使用された形跡がほとんどなかった。
いままで何を食べていたのだろう? まさか生肉にそのままかじりつくわけでなし。きっと酒ばかり飲んでいたのではないか。
その夜は、簡単なステーキとサラダ、かぶのスープという平凡なメニューだった。
当然、サラダのなかにレタスは入れていない。入れたら怒るに違いない。試してみたい気もなくはないが、破門されたら困る。虎の尾は、踏まずに済ませるものだ。
平凡な取り合わせだが、それなりに手間がかかっている。美味しく食べてほしいのに、ルーフレッドは無表情で黙々と食べるばかりだった。楽しい会話をして食卓を盛り上げようという気持ちはかけらもないようだ。
過去の恋人たちとはどのような会話をしてきたのだろう。女を口説くときには、愛想が良いのだろうか。
愛想の良いルーフレッド。想像しただけで不気味だ。
「美味しいですか?」
何げなく訊いてみると、ルーフレッドは無表情のまま即答した。
「まずい」
アナベルはむっとした。べつに素直に美味しいと答えると思っていたわけではないが、即座にそのように断定されると、さすがに腹が立つ。
「悪かったですね! もう、まずいなら食べないでください。いっしょうけんめい作ったのに」
「まずいが、食えなくはない。だから食っている。悪いか」
「……素直じゃないなあ」
「何か云ったか?」
「何も」
アナベルは嘆息した。
「師匠のお嫁さんになる人は大変だろうと思っただけです。わたしはただの弟子で良かった」
ルーフレッドはじろりと弟子を睨んだ。
「おれは結婚したりしないぞ」
アナベルは首をかしげる。
「どうしてです? いつまでも女遊びを続けたいからですか?」
今度は即座には答えがなかった。ルーフレッドはしばらく黙ってスープを口に運んだあと、アナベルと視線を合わせず呟いた。
「女が嫌いなんだ」
「え? 何を云っているんです? 師匠、噂になるくらいの女たらしじゃないですか。みんな云っていましたよ、魔法使いのルーフレッドはどうしようもない女好きだって」
「そのみんなとはだれのことだ?」
ルーフレッドは不機嫌そうになった。もっとも、この男は機嫌が良いときのほうが少ないので、アナベルもその程度で委縮したりしない。
「みんなは、みんなです。とにかく、師匠が都でも一、二を争う女好きで女たらしなのはだれでも知っています。それなのに、女が嫌いってどういうことですか?」
「そのままの意味だよ」
ルーフレッドはいささか腹を立てたようだったが、反論はしなかった。
「おれにまとわりついてくる女たちは、おれが口説き落としたわけじゃない。みんな、向こうからおれを求めて来るんだ。だから、あいてをしている。それだけのことで、べつに女が好きなわけじゃない」
「前に胸と尻が大きな女が好きだって仰っていたじゃないですか」
「あれは、躰のことだ。おれが嫌いだと云っているのは、女の心だ。女はいつも嘘を吐くし、人を騙す。挙句の果てに裏切る。おれは女という生きものを信用しない。それでも、騙されることはあるがな」
アナベルは絶句した。
まったく納得はいかなかったが、ルーフレッドの、いつもよりもっと暗く沈んだ目を見ていると、軽々に反論もできなかった。
かれのまなざしには何か深刻な苦しみと憎しみが澱んでいて、ひどく傷ついた心を感じさせた。
このような一面を見たのは初めてだった。自分が立ち入ってはいけないものを見いださざるを得ない。
ただ、彼女はフォークを置いて、ひと言だけ云った。
「わたしも、女ですよ?」
ルーフレッドは真正面から彼女を見つめた。その美しく研磨された青玉さながら深く蒼いひとみが、このとき、複雑な陰影を宿して煌めいた。
「弟子は、弟子だ。男でも女でもどうでも良い。おまえを信用しているわけでもないしな」
「そうですか」
アナベルは少しだけ肩を落とした。衝撃を受けていることに気づかざるを得なかった。ただ両親の仇を討つため魔法を教わる、それだけのあいてだったはずなのに、不思議だ。
しかし、このとき、たしかに何か重苦しいものを感じた。食事が、一気に味がしなくなる。それで、ルーフレッドに少しずつ親しみを感じ始めていたことを悟った。
幽かに胸が痛い。
その後は、ふたりとも言葉少なに、ただ淡々と料理を食べる時間が続いた。
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