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第十一話
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「――と、こういうことがあったの」
アナベルは寝台に半身を起こしたリザベルタに向かって一連の出来事を説明し終えた。
ところ変わって、リザベルタの自室である。いかにも女の子の部屋というか、可憐な内装がほどこされた一室であった。自分の部屋と比べるつもりにもなれない。
「大変だったね。手は大丈夫なの?」
「うん。一瞬で治っちゃった。ハイポーションって、凄いんだね」
「そうね。ルーフレッドさまが持っているようなものは、特に質が高いのでしょうね」
リザベルタはおっとりと笑った。
知り合ってまだひと月ほどでしかないが、アナベルは、もうリザベルタにつよい親しみを感じるようになっていた。
バーナードもそうなのだが、リザベルタには人の心の障壁を溶かしてしまうところがあった。
彼女の前にいると、自分の心のかたくなに凝り固まったところが、しゅるしゅるとかってにほどけていくように思うのである。
あるいは、その優しい、かぎりなく柔らかな笑顔がそうさせるのかもしれない。
アナベルはわずかな間に、この病弱な少女のことをすっかり好きになっていた。
人と人との縁とは、そのようなものだろうか。
「師匠ってよくわからない。女好きの女たらしなのかと思えば、女は嫌いだって云うし、不機嫌で気むずかしい人なのかと思ったら、やけに優しい態度を見せたりもする。いったいほんとはどういう人なんだろ」
アナベルには、いまだ、ルーフレッドの本心が見えていない。いったい何を考え、何を思い、何をめざして生きているのか、まったくわからない。
あるいは、そのようなことを知る必要はないのかもしれない。
師弟とは云っても、つまりは他人であり、ただ、互いの目的のため利用しあっているとも云える。
それを寂しいと思う自分は子供じみているだろうか。
「ルーフレッドさまは、善い人よ」
リザベルタは、不思議な、夢みるような眸で、どことも知れない遠いところを見つめるようだった。
「ご自分で思っているより、ずっと善い人。いろいろな辛いことがあって、感じやすいお心に怪我をされているけれど、それでも、怒りや憎しみや、そういう昏い想いに支配されずに、いまでもまだ、どこかに柔らかいところを残している、そういう人。ルーフレッドさまの本心は、その、傷つけられてしまった優しさのほうにあるの。でも、あまりにも酷く苦しい目に遭って来たものだから、自分自身の優しさにすら怯えているのだと思う。それは、哀しいことね」
「何か知っているの、リザベルタ?」
「うん……。そうね、わたしが知っていることもある。知らないこともたくさんある。そういうことだと思う」
やけにあいまいな云い方だ。しかし、それは、べつだん、はぐらかそうとしているわけでもなく、何かそのような云い方でしか伝えられないものがあるらしかった。
納得するしかなかった。どうやらリザベルタは自分には話せないような、あるいはあいてがだれであれ軽々しく語れないことを知っているらしいと察したが、むろん、あえて語れと強要することはできなかった。
知りたくてたまらなくはあったが、一方で、知らないままでいたほうが良いのかもしれないと思えたのである。
「うーん。ほんとに善い人なのかな」
アナベルは少々懐疑的だった。
「どうしようもない意地悪だし、食べものの好き嫌いは激しいし、カエルのことが跳びあがるくらい苦手だし――悪い人だとは思わないけれど、善い人というのもためらっちゃう。うん、変な人って感じかな」
「そうね、変な人ね」
リザベルタは、いかにも可笑しくてたまらないように笑いだした。
あまりに笑い過ぎ、ついには咳が止まらなくなってしまった。アナベルは、彼女に近寄っていって、薄い背中を優しく撫ぜた。それでようやく、咳は止まった。
「ありがとう、アナベル。ほんとうに、わたしのこの躰は、どうしてこうなのかしら。生まれてからいままで、一度も思い通りになったことがないみたい。もし、自由にどこにでも走っていけるのなら、そのかわりにわたしの持っているもの何でもあげるのだけれど」
リザベルタは忌まわしそうに云った。
「とにかく、ルーフレッドさまは、悪い人じゃないわ。昔から、わたしにはとても優しくしてくれるし、いっしょに遊んでいたときは、熱を出したわたしを家まで運んでくれたこともあった。ほんとうはとても優しい人なの。女性に対する偏見は良くないと思うけれど、それもただ不器用なだけだと思う。そう、善い人よ。少なくとも、わたしにとっては」
このとき、アナベルはリザベルタの表情を眺めているうちに、ようやくそのことに気づいて、びっくりと眼をまたたかせた。
「え、もしかして、リザベルタって、師匠のことを好きなの?」
「え? それは――」
リザベルタは、病んだ白皙の頬を薄っすらと赤く染めて、もじもじと指先をもてあそんだ。その反応が、どんな言葉よりあきらかな答えであった。
「えーっ、そうなんだ。あんな人、そんなに良いかなあ。それは、美男ではあるけれど、女嫌いで妙な偏見を持っているし。ああ、でも、リザベルタのことだけは特別みたいね」
「う、うん」
リザベルタの病的に白い膚は、いまや、あきらかに紅潮していた。アナベルのほうまで照れてしまうような初々しい反応である。
可愛い子だな、とあらためて思った。女嫌いのルーフレッドがこの子ひとりを特別扱いするのも当然に感じられる。
自分も、ひとり弟子として、ある意味では特別扱いを受けているのかもしれないが、それはリザベルタとはまったく意味が違うだろう。
いくらかうらやましく感じている自分に気づいて、アナベルは意外に思った。
あるいは、ついに、師匠と向き合うべきときが来たのかもしれない。いつまでも逃げてはいられない。
とはいえ、ほんとうは、いつまでも逃げつづけていたかった。きびしいようで、どこか甘い時を、いっしょに味わっていたかった。
しかし、どうやら、それはもう、不可能になってしまったのかもしれない。アナベルはひとり、悩みつづけた。
アナベルは寝台に半身を起こしたリザベルタに向かって一連の出来事を説明し終えた。
ところ変わって、リザベルタの自室である。いかにも女の子の部屋というか、可憐な内装がほどこされた一室であった。自分の部屋と比べるつもりにもなれない。
「大変だったね。手は大丈夫なの?」
「うん。一瞬で治っちゃった。ハイポーションって、凄いんだね」
「そうね。ルーフレッドさまが持っているようなものは、特に質が高いのでしょうね」
リザベルタはおっとりと笑った。
知り合ってまだひと月ほどでしかないが、アナベルは、もうリザベルタにつよい親しみを感じるようになっていた。
バーナードもそうなのだが、リザベルタには人の心の障壁を溶かしてしまうところがあった。
彼女の前にいると、自分の心のかたくなに凝り固まったところが、しゅるしゅるとかってにほどけていくように思うのである。
あるいは、その優しい、かぎりなく柔らかな笑顔がそうさせるのかもしれない。
アナベルはわずかな間に、この病弱な少女のことをすっかり好きになっていた。
人と人との縁とは、そのようなものだろうか。
「師匠ってよくわからない。女好きの女たらしなのかと思えば、女は嫌いだって云うし、不機嫌で気むずかしい人なのかと思ったら、やけに優しい態度を見せたりもする。いったいほんとはどういう人なんだろ」
アナベルには、いまだ、ルーフレッドの本心が見えていない。いったい何を考え、何を思い、何をめざして生きているのか、まったくわからない。
あるいは、そのようなことを知る必要はないのかもしれない。
師弟とは云っても、つまりは他人であり、ただ、互いの目的のため利用しあっているとも云える。
それを寂しいと思う自分は子供じみているだろうか。
「ルーフレッドさまは、善い人よ」
リザベルタは、不思議な、夢みるような眸で、どことも知れない遠いところを見つめるようだった。
「ご自分で思っているより、ずっと善い人。いろいろな辛いことがあって、感じやすいお心に怪我をされているけれど、それでも、怒りや憎しみや、そういう昏い想いに支配されずに、いまでもまだ、どこかに柔らかいところを残している、そういう人。ルーフレッドさまの本心は、その、傷つけられてしまった優しさのほうにあるの。でも、あまりにも酷く苦しい目に遭って来たものだから、自分自身の優しさにすら怯えているのだと思う。それは、哀しいことね」
「何か知っているの、リザベルタ?」
「うん……。そうね、わたしが知っていることもある。知らないこともたくさんある。そういうことだと思う」
やけにあいまいな云い方だ。しかし、それは、べつだん、はぐらかそうとしているわけでもなく、何かそのような云い方でしか伝えられないものがあるらしかった。
納得するしかなかった。どうやらリザベルタは自分には話せないような、あるいはあいてがだれであれ軽々しく語れないことを知っているらしいと察したが、むろん、あえて語れと強要することはできなかった。
知りたくてたまらなくはあったが、一方で、知らないままでいたほうが良いのかもしれないと思えたのである。
「うーん。ほんとに善い人なのかな」
アナベルは少々懐疑的だった。
「どうしようもない意地悪だし、食べものの好き嫌いは激しいし、カエルのことが跳びあがるくらい苦手だし――悪い人だとは思わないけれど、善い人というのもためらっちゃう。うん、変な人って感じかな」
「そうね、変な人ね」
リザベルタは、いかにも可笑しくてたまらないように笑いだした。
あまりに笑い過ぎ、ついには咳が止まらなくなってしまった。アナベルは、彼女に近寄っていって、薄い背中を優しく撫ぜた。それでようやく、咳は止まった。
「ありがとう、アナベル。ほんとうに、わたしのこの躰は、どうしてこうなのかしら。生まれてからいままで、一度も思い通りになったことがないみたい。もし、自由にどこにでも走っていけるのなら、そのかわりにわたしの持っているもの何でもあげるのだけれど」
リザベルタは忌まわしそうに云った。
「とにかく、ルーフレッドさまは、悪い人じゃないわ。昔から、わたしにはとても優しくしてくれるし、いっしょに遊んでいたときは、熱を出したわたしを家まで運んでくれたこともあった。ほんとうはとても優しい人なの。女性に対する偏見は良くないと思うけれど、それもただ不器用なだけだと思う。そう、善い人よ。少なくとも、わたしにとっては」
このとき、アナベルはリザベルタの表情を眺めているうちに、ようやくそのことに気づいて、びっくりと眼をまたたかせた。
「え、もしかして、リザベルタって、師匠のことを好きなの?」
「え? それは――」
リザベルタは、病んだ白皙の頬を薄っすらと赤く染めて、もじもじと指先をもてあそんだ。その反応が、どんな言葉よりあきらかな答えであった。
「えーっ、そうなんだ。あんな人、そんなに良いかなあ。それは、美男ではあるけれど、女嫌いで妙な偏見を持っているし。ああ、でも、リザベルタのことだけは特別みたいね」
「う、うん」
リザベルタの病的に白い膚は、いまや、あきらかに紅潮していた。アナベルのほうまで照れてしまうような初々しい反応である。
可愛い子だな、とあらためて思った。女嫌いのルーフレッドがこの子ひとりを特別扱いするのも当然に感じられる。
自分も、ひとり弟子として、ある意味では特別扱いを受けているのかもしれないが、それはリザベルタとはまったく意味が違うだろう。
いくらかうらやましく感じている自分に気づいて、アナベルは意外に思った。
あるいは、ついに、師匠と向き合うべきときが来たのかもしれない。いつまでも逃げてはいられない。
とはいえ、ほんとうは、いつまでも逃げつづけていたかった。きびしいようで、どこか甘い時を、いっしょに味わっていたかった。
しかし、どうやら、それはもう、不可能になってしまったのかもしれない。アナベルはひとり、悩みつづけた。
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