女たらし魔法使いの弟子

草部昴流

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第十四話

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 その日、ルーフレッドは、アナベルが出て行った部屋で、ひとり、冷めた食事をスプーンでかきまわしていた。

 もともと、食が細く、酒ばかり飲んでいるほうではあるが、いまはなおさら、食欲が湧かない。それでも、昨日から何も食べていないため、食べなければならないことはわかっていた。先ほどから、わずかな肉料理が少しも進んでいないのだが。

 何気なく室内を見つめる。アナベルが、弟子としてこの屋敷にやって来て、ふた月に満たないほどだろうか。あれほど汚れ切り、荒れ果てていた部屋が、見違えるように綺麗になっていた。

 しかし、これからふたたび荒れていくだろう。もう、アナベルがここを訪れることはないのだから。

 脳裏に、アナベルが口にした言葉が、さざ波のように響きわたる。

(だれだって苦手なものはありますよね)

(ねえ、師匠、この魔法薬ポーション、めちゃくちゃ高いんじゃないんですか?)

(まるで蛇のように見えるでしょう?  そのとき、その男に長刀で刻み込まれた傷です)

 そのような言葉のひとつひとつを、自分がまだ憶えていることが、ルーフレッドは意外だった。ひと月以上もいっしょにいて、自分で思っている以上に、心を許していたのかもしれない。

 少しでも女に気を許すことなどありえないと、自分ではそう思っていたのだが。

 ずっと、ひとりで生きてきた。孤高を気取るわけではない。むしろ、ひとりでしか生きられなかったのだ。

 それは、自分の魂の歪みを示しているのだと思える。幾人もの女たちと浮き名を流し、抱き、抱かれ、求め、求められてきた。しかし、そのあいだ、女という生きものたちと、そんな女を必要とする自分自身への嫌悪は募るばかりだった。

 その背景にあるものも、わかっている。子供の頃は、べつだん、女たちを嫌ってはいなかったのだから。

 かれは、幼少期から、その秀でた才能で知られていた。〈王立最高魔法学院〉の会長を祖母を持ち、幼少にして四大精霊と、さらなる上位存在を巡るこの世の摂理を、ことごとく読み解いた天才児。

 あの頃、かれは、自分こそが〈複層世界理論〉を解き明かし、世界の秘密を暴き立てるのだと信じて疑わなかった――「あの女」がやって来るまでは。

 自分は「あの女」への憎しみを、女性一般へ広げているに過ぎないのかもしれない。そうも思うことはあった。

 しかし、それでも、面白くもないことばかり話し、やたらに白粉おしろいと香水くさい女たちへの嫌悪は変わることはなかったのだ。いまのいままでは。

 初めて弟子を取ったのときも、すぐに出て行くだろうと思った。魔法修行は楽なものではない。そこに、さまざまな家事仕事が加われば、なおさらだ。きっとそのうち投げ出し、逃げ出すに違いない。そうあたりをつけていた。

 ところが、アナベルは、かれがどれほど冷たくあたろうとも、その陽気さを崩すことはなかった。

 能天気な女なのだと、そう思っていた。愚かにも。

 いったい、能天気だったのは、どちらだったのか。あの、胸に残された、深い傷。彼女もまた、心に傷を負って生きている者だったのだ。しかも、彼女はそれをほとんど表に出すことがなかった。

 彼女は、つよい。自分よりも、ずっと。いや、あるいは勁く見せているだけなのだろうか。とにかく、その彼女を、自分は、見放し、見捨てた。

 魔法を復讐に使うことが許せないというのは、本心ではない。ただ、これ以上、彼女と関わることで、自分自身が変わっていくことが恐ろしかった。それだけなのかもしれない。

 自分は、いったい何から逃げているのだろう――?

 ふと、酒が切れたことに気づいて、ルーフレッドは舌打ちした。かれは近くに何げなくかけられた上着を手に取ると、いま着ている服の上に羽織った。

 それもまた、かれの弟子が洗濯したものだった。見えないだれかに、やわらかく抱かれたような気がした。

 そのまま、外へ。

 ◆◇◆

 アナベルは、扉をひらき、外に逃げ出していた。しかし、そこへあの男が追いすがって来る。

 必死に逃げたが、ついに追いつかれ、地面に組み伏せられた。衣服が破れ、下着がまろび出る。絶体絶命。アナベルは、思わず、その人物の名前を叫んでいた。

「ルーフレッド師匠っ!」

 男はせせら笑った。

「こんな辺鄙へんぴなところ、だれも来やしねえよ!」

 しかし。

 その、刹那であった。かれは突然、苦しそうに躰をひねった。上半身を起き上がらせ、躰全体をありえない方向へねじっていく。

 否、自分の意思でねじっているというよりは、あたかも、巨大な何者かの見えない腕にひねり上げられているかのようだった。

「――そうだな、だれも来ないだろうな。このおれひとりを除いては」

 そこに、ひとりの黒衣黒髪の若者が立っていた。随分と長いあいだ走り回ったように、ひどく呼吸が荒れている。

「師匠!」

 それはむろん、ルーフレッドであった。かれは呼吸を整えながら、小さくひとつ、嘆息した。

「おれの見ていないところで、魔法を使うなと云っただろう、アナベル? だが、よくやった。ほうぼう探し回ったが、おまえの魔力を感知できたおかげで、どうにか間に合った」

 アナベルは、もはや暴漢のことは一顧だけにせず、その場に立ち上がると、思い切りルーフレッドに抱きついた。あやうく、ルーフレッドがその場に倒れ込んでしまうような勢いだった。

 彼女は、師の腕のなかで、子供のように泣きじゃくった。

「ありがとうございます、師匠。かってなことを云ってしまって、ごめんなさい」

「いや――」

 ルーフレッドはアナベルの頭の後ろに、おずおずと自信なさげに手をまわし、そこをゆっくりと撫ぜた。何か、とても大切なものを撫ぜるように。かれとしてはめったにないほど、優しく。

「謝らなければならないのは、おれのほうなのかもしれん。その、まあ、何だ。おまえの気持ちを一方的に切り捨てて、悪かったな」

「はい」

「もういちど、話しあうか」

 アナベルは、大きくうなずいた。

「はい!」

 ふたりは、そうして、一方は遠慮がちに、一方はだれはばかることもなく、抱き合っていた。静かな、優しい時が流れてゆく。

 ルーフレッドの魔法の犠牲となった暴漢は、気絶してその場に倒れていたが、だれもかれのことを気に掛ける者はいなかった。

 ◆◇◆

 ルーフレッドとアナベル、師と弟子、ふたりは、互いに会話の糸口を見つけ出せないまま、とぼとぼと小路を歩いていた。

 アナベルは、破られてしまった服の上に、ルーフレッドの上着を羽織らせてもらった。それが、とても暖かい。

 彼女は、無言のまま鼻をかいたりしている師へ向け、正面を向いたまま、語りかけた。

「師匠」

「ああ」

「わたしは、どうしても復讐をあきらめられません」

「そうか」

 ルーフレッドはそっけなくうなずいた。アナベルは続ける。

「わたしにとって、〈蛇の男〉への復讐は、人生そのものです。いいえ、〈蛇の男〉を殺すか、あるいは少なくとも捕まえなければ、わたしの人生は始まらないんです。そのために魔法を使うことが間違えているかもしれないことはわかります。でも、魔法がなければあの男への道へつながらない。そんな気がします。わたしは、いったいどうすれば良いのでしょうか――?」

「そうだな」

 ルーフレッドはしばらく黙り込んでから、続けた。

「おれには、何が正しいのかはわからん。復讐を続けろとも、やめろとも云えん。それはおまえが考えて決めるべきことなんだろう。ただ、その、おまえがいないと、おれは困る。このふた月ですっかりおまえのまずいスープに慣れてしまったからな。おまえがいないと、いったいだれがおれの食事を作るんだ?」

 アナベルは、思わず吹き出していた。

可笑おかしい。師匠、それ、最低の口説き文句ですよ。都の女の子はそんな言葉じゃときめいたりしません」

「だれがおまえなんかを口説いたりするもんか。そもそも、おれは女を口説いたことなどない。女たちのほうがおれのところに寄って来るだけだ」

「はいはい、わたしも師匠のところに寄せてもらうとしますよ。あっ、そこ、カエル!」

「うわっ」

「嘘です」

「……おまえ、次にやったら今度こそ破門だからな」

「ええっ、師匠、ひどい!」

 師と弟子とは、何となく寄り添い合って、そのまま王都の路を、ふたり、歩きつづけた。遥か頭上に輝く白貌はくぼうの月だけが、かれらのその姿を、ひたすらに優しく見下ろしていた。

 第一章 完
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