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第二部
突然の別れ⑧(静留side)
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あの後claimの話はうやむやになって、3日間練習をしていないと聞いた梨花が血相を変えて迎えにきて、今に至る。
静留は今、病院の近くのスタジオでピアノを借りて練習している。
ピアノを触るのは久しぶりだったが、東弥が目覚め、さらにこれからも一緒にいられると分かったから、今はとても気分が良くて音の調子もいい。
なにより梨花が4時まで練習したら東弥のところへ連れて行ってくれると約束してくれたのだ。
しかし基礎練習をして梨花に渡された新しい楽譜を開き、静留は一瞬驚いた。
__音符、おおすぎる…。
確か3年前に西弥が弾いていた曲で、聞いた時にとても格好いいと衝撃を受けたことがある。
特に左手の音の飛びが多く、いわゆる超絶技巧と呼ばれる類の曲だ。
3年前の静留には弾けなかった曲。今ならできるだろうか。
__がんばろう。
もしも静留が無理だと言えば梨花がどうにかしてくれるだろうが、何かをなすことで成長したいという思いがあった。
まずは左手を重点的に。
完成までの道のりは途方もなく思えたが、きっと不可能ではない。
「和泉君。」
肩を強く掴まれ、驚いて手を止めると梨花の声が聞こえてきた。
時計の針は4時半を指している。
集中していて梨花が来たことすら、全く気がつかなかった。
「曲、変える?色々あったし。」
ふと梨花の方からそう尋ねられ、静留は首を横に振った。
「かえない。頑張る。」
「そっか。…とりあえず東弥君のとこ行こう。」
「うん。」
外に出ると、空が綺麗なオレンジ色にそまっている。
「西くん…。」
空を染め上げた橙色の太陽を見て、静留はついそう口ずさむ。
東弥が遠いところへ行ってしまわなくて本当に良かったと、この感謝を誰に伝えればいいのかわからなかったから空に伝えた。
そこにはきっと、西弥がいるから。
____
「東弥さん、ただいま。」
「おかえり。静留におかえりを言うのって、なんだか新鮮だね。」
病室のドアを開けると、東弥が笑顔で迎えてくれた。
相変わらず格好いいし、そんな風に言われるとくすぐったい気持ちになる。
しかし彼の顔を見た途端claimの話を思い出し、静留は少し苦しくなった。
話を聞いてなおclaimをしたいと言ったのは、その行為自体に興味があったからではない。
むしろ行為自体は怖い。そんなことが本当にできるのだろうかと、不安に思う気持ちもある。
それでも東弥の印が欲しかった。
自分が東弥のものでいると言う印をもらう方法がそれしかないのなら、してほしい。東弥にされることであれば怖くてもきっと辛くはない。
「静留、こっちにおいで。」
ぽんぽんと東弥が自らの太ももを叩く。
そこに座れと言うことだろうか。
怪我をしている彼の上に乗ることなどできないからと隣の椅子に腰かけると、東弥がいつものように静留の脇の下に手を入れ、ひょいと持ち上げ、彼の太腿の上に座らせた。
「けがしてるのに、だめだよ…。」
降りようとするのに優しい力で止められる。
結局向かい合わせに座らされ、息がかかるほど顔を近く寄せられた。
「静留。」
少し掠れた低い声がゆっくりと耳元で囁く。
その声の優しさに涙が出そうになって、静留はぴたりと固まった。
「そんなに悲しそうな顔をしないで。」
大好きな大きな手が静留の頭を撫で、そのままうなじをゆるく擦って。
そして静留の手に何かを握らせる。
「…?」
「本物のcollarはまだ先になっちゃうけど、その代わりにどうかなって思って。」
手元を見ると、握らされたのは触り心地の良い黒いリボンだった。
太めのしっかりとしたリボンの端には、金色の糸で英字の刺繍が施されている。
リボンなんてどうするのだろうと、静留は首を傾げた。
「もしも静留が俺とずっと一緒にいてくれるなら、それを俺に渡して。仮のものだとしても、collarは必ずSubから渡すことになっているから。」
東弥の言っている意味がわからない。
わからないけれど、東弥と一緒にいることを望むから、彼にそのリボンを手渡す。
「ありがとう。」
ダークブラウンの瞳が柔らかに細められ、少し潤んで、綺麗に揺らいだ。
彼は何故だかそのリボンを静留の首に緩く巻き付け、きゅっと結ぶ。
「??」
東弥の行動の意図が読めない。
依然として混乱したままでいる静留の目の前に、東弥が鏡を広げて見せた。
鏡に写る自分を見て、静留は驚きで目を見開く。
静留の首元には綺麗に黒いリボンが蝶結びにされていた。
そしてそれはとてもcollarに似ていて。
「東弥さんの、しるし…。」
喜びでいっぱいで、涙が溢れてきた。
お腹の傷に触れないように気をつけながら彼の胸に顔を埋めると、とんとんと優しく背中を叩かれる。
「これから退院するまで静留がここにくるたびに結んで、退院したら解けるたびに結ぶ。いつだって心を込めて丁寧に。
俺の全てを静留にあげる。
だからゆっくりいろいろなことをして、初めてのこと全部、俺で知ってほしい。」
__くるしいよ…。
洪水みたいに涙が溢れてきて、これ以上ないと思うのに、東弥が言葉を重ねるたびにさらに溢れてきた。
泣きすぎて何も言葉を紡げず、静留はただこくこくと頷き続ける。
嬉しかった。
会うたびに静留にこれを結ぶというその面倒な過程を、東弥が幸せそうに伝えてくれたことが。
彼が静留に自分をくれると言ってくれたその言葉が。
なにより東弥の印をもらえたことが。
「あり、がと…。」
「うん。俺こそありがとう。」
涙がおさまったあと、静留から唇を重ねた。
東弥は一瞬驚くそぶりを見せたが、すぐに優しく目を細め、その口づけに応じてくれる。
このまま時間が止まってしまえばいいと思うほど、幸せな瞬間だった。
静留は今、病院の近くのスタジオでピアノを借りて練習している。
ピアノを触るのは久しぶりだったが、東弥が目覚め、さらにこれからも一緒にいられると分かったから、今はとても気分が良くて音の調子もいい。
なにより梨花が4時まで練習したら東弥のところへ連れて行ってくれると約束してくれたのだ。
しかし基礎練習をして梨花に渡された新しい楽譜を開き、静留は一瞬驚いた。
__音符、おおすぎる…。
確か3年前に西弥が弾いていた曲で、聞いた時にとても格好いいと衝撃を受けたことがある。
特に左手の音の飛びが多く、いわゆる超絶技巧と呼ばれる類の曲だ。
3年前の静留には弾けなかった曲。今ならできるだろうか。
__がんばろう。
もしも静留が無理だと言えば梨花がどうにかしてくれるだろうが、何かをなすことで成長したいという思いがあった。
まずは左手を重点的に。
完成までの道のりは途方もなく思えたが、きっと不可能ではない。
「和泉君。」
肩を強く掴まれ、驚いて手を止めると梨花の声が聞こえてきた。
時計の針は4時半を指している。
集中していて梨花が来たことすら、全く気がつかなかった。
「曲、変える?色々あったし。」
ふと梨花の方からそう尋ねられ、静留は首を横に振った。
「かえない。頑張る。」
「そっか。…とりあえず東弥君のとこ行こう。」
「うん。」
外に出ると、空が綺麗なオレンジ色にそまっている。
「西くん…。」
空を染め上げた橙色の太陽を見て、静留はついそう口ずさむ。
東弥が遠いところへ行ってしまわなくて本当に良かったと、この感謝を誰に伝えればいいのかわからなかったから空に伝えた。
そこにはきっと、西弥がいるから。
____
「東弥さん、ただいま。」
「おかえり。静留におかえりを言うのって、なんだか新鮮だね。」
病室のドアを開けると、東弥が笑顔で迎えてくれた。
相変わらず格好いいし、そんな風に言われるとくすぐったい気持ちになる。
しかし彼の顔を見た途端claimの話を思い出し、静留は少し苦しくなった。
話を聞いてなおclaimをしたいと言ったのは、その行為自体に興味があったからではない。
むしろ行為自体は怖い。そんなことが本当にできるのだろうかと、不安に思う気持ちもある。
それでも東弥の印が欲しかった。
自分が東弥のものでいると言う印をもらう方法がそれしかないのなら、してほしい。東弥にされることであれば怖くてもきっと辛くはない。
「静留、こっちにおいで。」
ぽんぽんと東弥が自らの太ももを叩く。
そこに座れと言うことだろうか。
怪我をしている彼の上に乗ることなどできないからと隣の椅子に腰かけると、東弥がいつものように静留の脇の下に手を入れ、ひょいと持ち上げ、彼の太腿の上に座らせた。
「けがしてるのに、だめだよ…。」
降りようとするのに優しい力で止められる。
結局向かい合わせに座らされ、息がかかるほど顔を近く寄せられた。
「静留。」
少し掠れた低い声がゆっくりと耳元で囁く。
その声の優しさに涙が出そうになって、静留はぴたりと固まった。
「そんなに悲しそうな顔をしないで。」
大好きな大きな手が静留の頭を撫で、そのままうなじをゆるく擦って。
そして静留の手に何かを握らせる。
「…?」
「本物のcollarはまだ先になっちゃうけど、その代わりにどうかなって思って。」
手元を見ると、握らされたのは触り心地の良い黒いリボンだった。
太めのしっかりとしたリボンの端には、金色の糸で英字の刺繍が施されている。
リボンなんてどうするのだろうと、静留は首を傾げた。
「もしも静留が俺とずっと一緒にいてくれるなら、それを俺に渡して。仮のものだとしても、collarは必ずSubから渡すことになっているから。」
東弥の言っている意味がわからない。
わからないけれど、東弥と一緒にいることを望むから、彼にそのリボンを手渡す。
「ありがとう。」
ダークブラウンの瞳が柔らかに細められ、少し潤んで、綺麗に揺らいだ。
彼は何故だかそのリボンを静留の首に緩く巻き付け、きゅっと結ぶ。
「??」
東弥の行動の意図が読めない。
依然として混乱したままでいる静留の目の前に、東弥が鏡を広げて見せた。
鏡に写る自分を見て、静留は驚きで目を見開く。
静留の首元には綺麗に黒いリボンが蝶結びにされていた。
そしてそれはとてもcollarに似ていて。
「東弥さんの、しるし…。」
喜びでいっぱいで、涙が溢れてきた。
お腹の傷に触れないように気をつけながら彼の胸に顔を埋めると、とんとんと優しく背中を叩かれる。
「これから退院するまで静留がここにくるたびに結んで、退院したら解けるたびに結ぶ。いつだって心を込めて丁寧に。
俺の全てを静留にあげる。
だからゆっくりいろいろなことをして、初めてのこと全部、俺で知ってほしい。」
__くるしいよ…。
洪水みたいに涙が溢れてきて、これ以上ないと思うのに、東弥が言葉を重ねるたびにさらに溢れてきた。
泣きすぎて何も言葉を紡げず、静留はただこくこくと頷き続ける。
嬉しかった。
会うたびに静留にこれを結ぶというその面倒な過程を、東弥が幸せそうに伝えてくれたことが。
彼が静留に自分をくれると言ってくれたその言葉が。
なにより東弥の印をもらえたことが。
「あり、がと…。」
「うん。俺こそありがとう。」
涙がおさまったあと、静留から唇を重ねた。
東弥は一瞬驚くそぶりを見せたが、すぐに優しく目を細め、その口づけに応じてくれる。
このまま時間が止まってしまえばいいと思うほど、幸せな瞬間だった。
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