【宝の鍵~金の王子と銀の王子~】本編 元平凡女性のイケメン王子は執着心強めな兄に溺愛される

月城はな

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第七章 黄昏往く国

10-1 錯乱

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「ああああああああああああッ!」



 悲鳴を上げて倒れかける弟を咄嗟に腕の中に抱えると、レオンハルトは怯えるその体を抱きしめた。

「リュセル!?」

「リュセル殿!?」

 その場に跪いたレオンハルトの腕に抱かれた状態のリュセルの尋常ではない様子に、アルティスも慌てて傍に膝をつく。

「どうした? どうしたんだ!?」

 兄の宥めるような声も聞こえていないのか、リュセルはレオンハルトの腕から逃れようと暴れていた。

 そして、焦点の定まらぬ銀の瞳を、真っ直ぐにメルティスに向けて呟いた。


「化け物」


 その台詞に、メルティスの肩が小さく震える。

「申し訳ありません、メルティス様。対面はまた日を改めてお願致します。……では、御前失礼」

 レオンハルトは早口でそう言うと、錯乱している様子のリュセルの体を無理矢理抱え上げて、その場を後にした。

「お祖父様、我も行きます故」

 アルティスも、大股で歩き去るレオンハルトについて行く為、祖父に軽く頭を下げ、その場を後にする。



 それからしばらくして


「……ッ」

 出て行ってから、そんなに経たない内に帰ってきた三人を出迎えたローウェンは、現状を息を呑んで見守っていた。

「離せえええええっ! 離せ、この、化け物っーーーーー!」

 寝台の上に押さえつけられたリュセルが、錯乱したように、自分を押さえ込んでいる兄に爪をたてていた。

 弟の体を、自分の体でもって完全に押さえつけていたレオンハルトは、顔をひっかかれても髪を引っ張られても表情を変える事なく、根気強く、リュセルの精神が安定するのを待っていた。

「目の焦点が合っておらぬ。精神が安定するまで、かなりの時間を有するぞ」

 リュセルの目を反対側から覗き込んでいたアルティスは、ある提案をした。

「我が同調して、精神を落ち着かせよう」

 宝鍵ならではの提案だったが……。

「駄目だッ」

 リュセルの叫びに、アルティスは動き始めていた手を止めた。

 レオンハルトの髪を鷲掴みにしていた手を不意に止めると、リュセルはうつろな目をしたまま、独り言のように呟いた。

「見てはいけない、聞いてはならない。こんな……、こんな…………なんて、惨い」

 その言葉をやっと押し出すと共に、抵抗が止む。

 レオンハルトの髪と服を掴んでいた手がパタリとシーツの上に落ちると、今度はカタカタと震えだしたのだ。

 今だ精神は不安定のままだが、暴れる事のなくなったリュセルの様子を見て、レオンハルトはそのまま弟の腕をとった。

「っ!」

 ビクッと体を震わせて、霞のかかった目を恐怖に見開くリュセルの体を、強引に抱きしめる。

「嫌だ……。たすけて……、嫌だ、嫌だ…………」

「大丈夫、大丈夫だよ。リュセル……」

 ぶつぶつと呟き続ける弟の背を優しく撫でながら、レオンハルトは柔らかな声で宥め続ける。

 そうして、いつもなら安らぎを覚える半身の腕の中で、リュセルは恐怖に見開かれた銀の目を虚空に向けたまま、小さく震え続けていたのだった。

 アルティスはそれを見届けると、静かに寝室を後にして、ローウェンが待つ応接室の方へと移る。

「アル、リュセル兄さんは?」

 不安そうに顔を曇らせた侍女姿の弟にアルティスはリュセルの現状を伝えた。

「あいかわらず精神は不安定なようだが、状態は落ち着いておる。レオンハルト殿に任せておけば、大丈夫であろう」

 ローウェンと共に長椅子に座ると、アルティスは眉をしかめる。

「一体、何があったの?」

「わからぬ。お祖父様と会った途端、あのような状態になったのだ」

「……じゃあ、メルティス様の中に何かを見たんだろうね。リュセル兄さんは感知能力が桁外れに高いって話だし。ティアラ姉さんよりも高いみたいだよ」

「何? ティアラ姫よりもか!?」

 驚きに漆黒の目を見開く兄の顔を見返し、ローウェンは小さく頷いた。

 宝鍵の歴史の中で、最も感知能力が高いと今まで認められていたのは、実はティアラだった。物に触れるだけで記憶を読み取り、邪気を正確に感知するその能力は、高く評価されていた。

 そのティアラよりも、高い能力。それは……。

「触れる事なく感知したというのか? 会っただけで。何という事だ」

 アルティスも、宝鍵であるから、感知能力は高いが、ティアラ程ではない。どちらかというと、彼が得意としたのは、精神同調という感知能力の応用技の方だった。

 それ故、リュセルの精神を落ち着かせる為、同調しようとしたのだが。

「一体、何が惨いというのだ……?」

 アルティスはそう言うと、静かに瞑目した。

 一体、あの青年は、何を感知したというのか。

「とりあえずは、精神が落ち着かぬ限り、話を聞く事も出来まい」

 アルティスのその言葉に、ローウェンは心配そうに寝室の扉を見つめた。

「リュセル兄さん」



 一方カタカタと恐怖に震え続けていたリュセルは、自分を包み込む確かな温もりを感じていた。それは、とても暖かくて、恐怖と寒さに震える自分の背と髪を、優しく撫でてくれている。優しく名を呼び抱きしめてくれる、その存在のおかげで凍えた精神が安定していく。まだ、目には霞がかかり、幻影に惑わされそうになるが、この温もりだけが真実だという事を自分は知っていた。

「レオン」

 名を呼ぶと同時に、涙がこぼれる。

 頬に、柔らかい温もりを感じた。おそらく唇だろう……、涙を優しく拭われて、我慢出来ずに、目の前の温もりに縋って、子供のように泣きじゃくった。

 情けないが、それしか出来なかったのだ。

 レオンハルトは自分に縋って泣く弟を強く抱きしめながら、ずっと繰り返しその名を呼び、大丈夫だと繰り返した。

 まるで悪夢に怯える子供のようだったリュセルは、だんだんと落ち着きを見せ始め、最後には精神がもたなかったのか、ほとんど気絶するように意識を手放し、この拷問のような苦しみから解放されたのだった。

「リュセル」

 意識を失った弟の顔を見ると、ようやく苦痛から解き放たれたのか、安らかな表情になっていた。涙の残る頬を指で拭ってやり、シーツを引き上げ、そのまましばらく添い寝してやる事にする。
 高い感知能力を保持する弟は、メルティスの中に何を見たのか。この異常なまでの精神の揺るぎようは、彼の見たものが尋常ではない事を意味する。

「化け物……?」

 確か、メルティスを見た瞬間、そう言っていたはずだ。

 様子のおかしくなったリュセルに気を取られ、一瞬しかわからなかったが、メルティスは、確か、驚きと畏怖に満ちた顔でリュセルを凝視していた。まるで、自分の、決して誰にもわからないと核心していた秘密を、予期せず見られてしまった。そんな雰囲気だったのだ。

 メルティス・サンジェイラ。

 サンジェイラ国の前国王であり、今だその影響力が強いとされる陰の権力者。

 彼の中に、一体リュセルが何を見たのか。

 それは想像もつかないが……。

「私がいる限り、お前を傷つけるものなど、この世にありはしないのだよ」

 涙の痕の残る弟の頬を撫でると、レオンハルトは眠る彼の唇に、ゆっくりと己の唇を重ねたのだった。



 深い眠りについたリュセルは、そして、不思議な夢を見た。


 穏やかな夢だった……。


 夢の中で、自分は、最近通い詰めていたあの地下の蔵書室の椅子に腰掛けて、うとうととまどろんでいる。

 ー吾子ー

 聞き覚えのある、印象強い声が優しく響き、額に口づけを受けるのを感じた。

「ジュリナ殿……?」

 よく似たというより、ジュリナの声、そのものだ。

 しかし、うっすらと目を開いた自分の目に映ったのは、これまたよく見知った者だった。

「ティアラ姫?」

 可憐な美貌の、麗しの婚約者。

 目の前の少女は、しかし、ティアラと顔形は相似しているが、容姿が異なっている。

 足元まで流れる月の光を集めたような、銀糸の髪。
 妖しく輝く、金の瞳。
 滑らかな、褐色の肌。

 神々しいまでに美しい容姿の中、左目の下にある小さな泣き黒子が、可愛らしい印象をかもし出していた。

「その紋様……」

 少女の額に浮かぶ、不可思議な紋様に覚えがある。

 創世の女神の力の源とされる、剣、鏡、玉。三つの宝に、それぞれ刻まれているものと同じものだった。

「久しいな。わらわの愛し子よ」

 そう言うと、少女は、リュセルの、女神の子供内では禁忌とされている唇に口づけをした。現在、少女を腕の中に抱いた状態のリュセルは、大人しく目を閉じて、その口づけを受け入れる。

 そういえば、前にもこの少女に会った事があるような気がする。もうずいぶんと前の出来事のようだが……。そう、この世界に帰還したばかりの頃、このように、夢の中で。

「レイデューク?」

 口づけが解かれた後、ため息のように名を呼んだリュセルに、少女は優しくも妖しい微笑みを浮かべたのだった。

「ふふふ、この世界にも馴染んできたようではないか? のう、綾香」

 揶揄するような響きと共に、過去の自分の名を呼ばれ、リュセルは激しい違和感に眉をしかめた。

「もう、この名は嫌か?」

「嫌じゃないが、違和感を感じる」

 リュセルの言葉に、レイデュークは嬉しそうに頷く。

「そうか。……では、リュセル、今回は、つらい思いをさせて、すまなんだ」

 気遣わしげに目を細める彼女の言葉に、リュセルは気を失う前の、狂おしいまでの苦しみを思い出し、顔を強張らせた。

「ああ、すまぬすまぬ。嫌な事を思い出してしもうたな。配慮の足らぬ母を許しておくれ」

 そんな言葉と共に、優しくも慕わしい柔らかな腕に抱かれ、リュセルは落ち着く為に息を吐き出した。
 そのまま優しく背をさすられ、リュセルは、意識を手放す前、同じように背をさすってくれていた、この手よりも大きな手の事を思い出した。

「レオンがお前を落ち着かせてくれたようだな」

 リュセルの心の内を読み取ったようなレイデュークの言葉にも、不快感はまったく感じない。

「あの子は、お前の事が、愛しくて愛しくて、たまらぬようじゃ」

 クスクスクスと笑う、その笑みは、少女のようでもあり、慈愛深き母のようでもある。

「すっかり仲良くなってしもうて、わらわは少し妬けるがのう」

 そこで言葉を切ると、レイデュークは笑みを深くしたまま、ゆっくりと目を閉じた。

「それに、心配しておった、ローとアルも距離を縮めつつある。嬉しいこと……。子供達には仲良くしていて欲しいと、いつも思っておるのだよ」

 目を閉じたまま、レイデュークは一旦言葉を切った。

 そして、ささやくように告げたのだった。

「わらわの罪。……見たな、リュセル。ローの中に」

「ああ。綺麗な菫色だった」

「そう、優しい色じゃったろう?」

 閉じていた金色の目を開くと、憂うような眼差しを向けてくる彼女にリュセルは無言で頷く。

 それに悲しそうに微笑むと、レイデュークはゆっくりとリュセルから身を離した。そして、まだ自分達が調べていない、奥の本棚を指差す。

「お前達の探している情報は、ここにある」

 その言葉と共に、レイデュークは、真っ直ぐにリュセルを見つめる。

「わらわは、あの、人間の子供が創った国が滅ぶのを見たくはないのだ。誰よりも優しく、賢かった子。サンジェイラの、愛した国を……」

 その声は悲しく、いつまでも胸に響いた。


 そして、そのまま、リュセルの視界は白く染まったのだった。

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