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第九章 怪盗イチゴミルク
10-3 必然の出会い
しおりを挟むそして、数刻後。
「何て事だああああああっ!!」
デコレート商会本店前に出来た、長蛇の列の最後尾。リュセルは悲痛な叫び声を上げていた。
兄と共に城を抜け出し、ようやく店に到着したと思ったら、まさに目の前で黒猫ノンちゃんシリーズ最新刊購入に必要な整理券が終了してしまったのである。
ヒュールリー。
抜けがらのようになって風に吹かれて立ち尽くす弟に、それをずっと見守っていたレオンハルトは諭すように言った。
「整理券が終了してしまったのでは、仕方ないだろう? 購入はあきらめなさい。ローウェンに頼めば分けてもらえると思うし……、いいね?」
その言葉を聞いたリュセルは渋々頷く。
(すべては今回の騒ぎの所為で発売日を忘れていた自分の責任だしな)
泣く泣く諦めたリュセルの頭をレオンハルトがよしよしと撫でていると、柔らかな声が響いた。
「突然すみません。勝手ながら、先程からお話を聞かせていただいておりました」
「……?」
突然声をかけられて、リュセルはクマ吉を腕に抱いたまま、声のした方へ振り返る。
「こんばんは」
真夜中という時刻の為、周りは暗いのだが、世界的に有名な小説の発売日の前日という事もあり、長蛇の列が出来る事を予測していたデコレート商会の者が店前にたくさんのランプを設置していた為、リュセルのいる周囲は明るかった。その為、目の前の背の高い青年の顔がよく見えた。
翠緑の短髪をした彼は、盲目なのか、固く目を閉じたまま、持っていた一枚の紙をリュセルに渡した。
「え?」
「本の購入の為に待っていたのですが、実は戻らなくてはいけなくなりまして。よろしければ、これをお譲りしますよ」
渡されたそれは、まさに黒猫ノンちゃん初回限定最新刊購入に必要な整理券。
「そんなっ、いいのか……、じゃなくて、いいのですか? ずっと待っていたのでは?」
リュセルは喉から手が出る程それが欲しかったが、ずっと今まで待っていただろう、その青年の苦労を思い、そう言った。
「ええ、まあ。でも、整理券をもらっても、ここで待つのが条件のようですし、自分はここで待てませんので、これがゴミになるよりは、あなたのような方に受け取ってもらった方がいいと思いまして」
「しかし」
迷うリュセルににっこりと微笑みかけると、青年は持っていた整理券をリュセルの手に握らせた。
「ここであなたのような方に出会えたのも、創世の女神の思し召しです。どうぞ、遠慮なさらずに受け取って下さい」
ずいぶん柔和な話し方をするなとリュセルが思っていると、それもそのはず。その青年の格好を見て気づいた。
「あなたは神官ですか?」
リュセルが気づいたようにレオンハルトもそれに気づき、そう尋ねた。
「ははっ、まだ新米ですケドね。では、私はこれで……。整理券を受け取ってもらい、助かりましたよ」
そう言うと、一礼して、青年は実に清々しくその場を立ち去って行った。
「なんという素晴らしい方なんだ」
柔和な印象の新米神官の青年の姿が、盲目だとはわからない程、しっかりとした足どりで遠ざかるのを感謝の念を込めて見送っていたリュセルは、こんな場所で感じた人との触れ合いの素晴らしさに感動していた。
そうして、ウキウキな気分で歩き出した、その時。
(なんだか、見られている?)
券を譲られて感動していた為、気づくのに遅れたが、周囲の人々がチラチラと自分を見ているのにリュセルは気づいた。
何故だ!? 変装眼鏡はしているのに。設定は兄に任せたが……。もしや、それが原因か?
「レオン」
リュセルは先程の神官の青年が並んでいた場所に並ぶと、固い声で隣のレオンハルトに呼びかけた。
「なんだい?」
外出着である長い黒コートがキマっている麗しのお兄様は、弟の呼びかけに普通に返事を返してくる。
兄のコートと対比するような白いケープを羽織っていたリュセルが疑問を問いただそうとした時、列の前の方からポットを持った店の者がまわってきた。
こんな真夜中から長い時間をかけて黒猫ノンちゃん初回限定最新刊の為に並び続けるお客様の為に、デコレート商会が用意した温かい紅茶のサービスである。
「暖かいうちにどうぞ」
リュセル達の番になり、目の前でカップに紅茶を注いでくれた中年の女性が、にっこりと笑って、それを差し出す。
「ありがとうございます」
レオンハルトが自分と弟の分と二人分受け取るのを笑って答えると、次の瞬間、女性は隣のリュセルに目を向け、心配そうに顔を曇らせた。
「本当なら、若い娘さんがこんな真夜中に外を出歩くなんて感心しないんだけどねぇ。いくらそんな男みたいな格好していてもさあ~」
「は?」
そして、呆気にとられるリュセルの隣のレオンハルトに視線を戻して、彼女は安心したように笑う。
「でも、頼りになりそうな恋人と一緒なら平気だね。彼から離れてはいけないよ」
そう言い残して、リュセルの後ろに並んでいる人達に紅茶を配りに移動して行った女性を見送ると、リュセルは嫌な予感が当たったような気がした。
「レオン。お前、一体、変装眼鏡の設定をどんな風にしたんだ?」
庶民用の安い紅茶をまるで香り高い高級紅茶のように飲んでいる兄にそう聞くと、レオンハルトは首を傾げた。
「お前の要望通りに、十七歳程の平凡な容姿にしたよ」
「性別は?」
「女性だ」
やっぱり。
あっさりと答えたレオンハルトにリュセルは詰め寄る。
「何故にだ!?」
「それは……」
レオンハルトは一旦言葉を切ると、隣に座るリュセルの手を握る。
「こうしていても不自然じゃないようだからね。別に見た目など、私はどうでも良いのだが……」
お前は気にするんだろう? そう聞かれてリュセルは顔を引きつらせる。
当たり前だ。
城内ならともかく、街中でいい年した男同士で手を握り合うなんて絶対嫌だ。目立つ事間違いない。
(なら、手なんて握らなければいいだけの話なのだが……)
リュセルはそう思いながらも、暖かい兄の手を握り返した。
そして、数刻後、夜明けと共に開店した店にて、リュセルは待ち望んでいた初回限定版小説(黒猫ノンちゃん設定画集付き)を無事ゲット出来たのだった。
欲しかった本を苦労して手に入れ、清々しい朝の街の中をレオンハルトと手を繋いで帰りながら、リュセルは思った。
(嘘をついて城を抜け出すよりも、正直に言ってうまく甘えた方が楽だな)
今回の騒動でリュセルはまた一つ学んだのだった……。
そして、今回の出来事で一番のとばっちりを受けた形になる、怪盗イチゴミルクこと、ミルフィンとその従者兼弟子のハミルは、それからしばらくして無事ディエラ国に到着する事になる。
そう、怪盗イチゴミルクは姿を消した…………はずだったのだが。
ディエラ王都を一望出来る、ある丘の上にて。
「さあ。行くよ、お前達!」
勇ましいその声の主は、朱金の髪をなびかせて後ろの子分達を振り返った。
「はい、姐さん!」
「もう、つっこむのも疲れてきたが、誰が姐さんだい」
オレンジ色の髪の子分にそう言うと、彼の隣にいた気弱そうなもう一人の子分は軽く震えていた。
「が……、頑張ります」
「まったく、しっかりしろ! 行くぞっ」
「「ヘイっ姐御!」」
「…………」
二人の返事に無言になると、彼女は深紅のマントを翻して、迫力ある美貌をテディベアの仮面で隠す。
ある時から、芸術の都として名高いディエラ王都では、悪名高い高利貸し達の屋敷や貴族連中の屋敷から、有名な美術品などが一組の怪盗によって盗まれるようになる。
盗まれた絵画など美術品のほとんどが悪どいやり方で不正に手に入れたものばかりで、被害届けは出される事はなかった為、彼らが認知されるのは遅かった。
裏ルートや闇取引などで奪われたそれらを奪い返し、元の持ち主に返すという、義賊めいた事を繰り返す彼らは、弱き者達の味方であったのだ。
夜目に鮮やかに翻る、深紅のマント。
薄いピンク色のスーツ。赤いネクタイ。
趣味が悪い……、いやいや、目立つ格好を更に印象づけているのが、顔を覆うテディベアのお面だ。
彼らの名は
「今宵も月が美しい」
予告通り現れた三人の怪盗の中の一人が、そうお決まりの台詞を言うと、盗むと予告された名画を奪われまいと両腕に抱えた屋敷の主人は、半泣きになりながら叫んだ。
「お、お前達は!?」
「怪盗テディベア仮面、見参」
三人の中で中央にいた朱金の髪の女性はそう名乗ると、仮面の下でニヤリと笑った。
彼女が黒革の鞭をビシッと床に叩きつけるのを見た屋敷の主人は、恐怖と混乱のあまり、泡を吹いて倒れてしまう。
こうして、メルヘンな怪盗イチゴミルクに代わり、正義の怪盗テディベア仮面が誕生したのである。
遠く離れたアシェイラに、この怪盗の噂が届くのはしばらくしてからだったという…………。
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