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第十二章 月華の乙女
1-2 事件後のリュセル
しおりを挟むそんな日々が五日程続き、体調が完全に戻り回復すると同時に悪夢も見なくなったのか、リュセルは自分が夜にうなされていた事すら忘れてしまったようだった。悪夢にうなされ、邪神の名を呼んでいたという事実を記憶の中から抹消したのだ。
それはもしや、女神の仕業か?
自分自身であり、異なる者。
自身の転生体たる愛し子に、負担をかけぬ為……。
レオンハルトの記憶がそのままなのは、相手方の動きを警戒せよ。との事なのだろう。
あれ以降、世界中に放つ密偵の数を増やし、邪気の動きもいつも以上に警戒してきたレオンハルトからすると、いつも通りの日常を送っている様子のジュリナやリュセルがうらやましいような気もしてくる。
「気持ちは分かるがさ、レオンハルト。あんまり根をつめるんじゃないよ」
そんなレオンハルトの考えが伝わったのか、ジュリナは顔を正面に向けたままそう言った。
「ジュリ」
「お前は一人じゃないんだ。少しは頼れ」
そんな風に優しく諭されたレオンハルトは、あの騒ぎの折、リュセルにも同じような事を言われたのを思い出す。
「ああ」
柔らかな声音で小さく笑ったレオンハルトを横目で見ると、ジュリナは凛々しい美貌に微笑を浮かべた。
こんな時だからこそ、同胞の存在は心の支えになるのである。
*****
レオンハルト兼リュセルの自室の扉を開けた瞬間、ジュリナの耳に飛び込んできたのは、朗々とした響きの若々しい声だった。
「”この国を、お前の言うような灰色の世界になんてさせないぞ! 魔王ラグドゥール!”」
その髪は月の祝福を受けたかのように儚い銀の色。
鋭く凛々しい、薄い銀の瞳。
白磁の肌と、素晴らしく均整のとれたバネのような肢体。
絶世の美男子然とした、その姿。
それは、ジュリナもよく見慣れたものだった。
数多の女性を虜にし、その魅力の中に閉じ込めてきた、凛々しく甘やかな美貌。どんなに男勝りな女でも彼の前では乙女に変化してしまうであろう驚異的な威力。
体調を悪くし倒れる前よりも格段に、男ぶりが上がっていた。しかし、そんな彼が片手に持っているのは、黒い背表紙の小説。
小説の題名は、黒猫ノンちゃんシリーズ第十五巻”黒猫ノンちゃんと古の王国”。リュセルが真面目な表情で先程言った台詞は、この小説内の台詞のようだ。
片手に開かれた小説を持ったリュセルがキリリとした凛々しい顔で向かい合っているのは、翠緑の髪をした盲目の神官。
「”お前はまだ何も知らぬのだな、ノン……。この国の、この大地の下に眠る、王国の存在を”」
穏やかにそう言う盲目の神官、セフィの方は小説を持っていない。彼は小説の内容をすべて暗記しているようだった。
ノンちゃん役になりきったリュセルと、魔王・ラグドール役になりきったセフィは、二人しばらくの間、無言のままにらみ合う。
「”一体、何の話だっ!?”」
リュセル(ノン)の言葉に対し、セフィ(魔王)は小さく悪魔的に笑う。
「”いずれ、お前も知る時が来る。そうしたらお前は、自分の運命を呪う事になるであろう……。この私のように”」
クスクスと笑うセフィ(魔王)に、リュセル(ノン)が怪訝な顔をした瞬間。
「え……えっと、えっと、”ノンっ、どこにいるの!? ノンッ!?”」
二人(リュセル&セフィ)から少し離れた場所に緊張の面持ちで立っていたティルは、小説を両手で大切そうに持ったまま、自分の持ち役の台詞を言う。
「”シャム姫様!”」
途端に自分から意識を逸らしたリュセル(ノン)に、セフィ(魔王)は面白そうな声をかける。
「”ほう。噂に名高いシャム姫か”」
「”やめろっ、シャム姫様に手を出すな!”」
途端に響くリュセル(ノン)の声。
「”麗しのシャム姫、灰のハル王子、黒き騎士ウルフ、紅の魔術師ラヴィ……。お前の大切にしているこの者達をすべて私が闇に堕としてくれようか?”」
残酷なセフィ(魔王)の言葉を耳にし、リュセル(ノン)が唇を噛みしめた瞬間。
「あ、おかえりなさいませ。レオンハルト殿下」
レオンハルトの姿を目にすると同時に素に戻ったティルが、慌ててもう一人の主の元へと駆け寄っていた。
「…………な~にしてるんだい? お前達は」
今までの光景を幼なじみと共に黙って見学していたジュリナは、なりきりポーズのまま固まっているリュセルとセフィにそう話しかけてみた。
「最近ずっとこんな感じなのだよ」
ため息まじりのレオンハルトのその言葉から、ジュリナは弟に付き合わされてこの黒猫ノンちゃんなりきり劇場を彼自身がやらされていた事を察する。
「まあ、元気になったんなら、それに越したことはないけどね」
なんだか病み上がりにしては元気過ぎる様子のリュセルをレオンハルトが持て余している事だけは確かのようだった。
「あ~、いい汗かいたな。なあ、セフィ殿」
”黒猫ノンちゃんシリーズ小説朗読会”を一時中断したリュセルは、渇いた喉を潤す為にティルが用意した果実水を飲む。
「私のような者が剣鍵様と剣主様のご自室に招かれるなど、本当に恐れ多いです」
リュセルが座る向かい側のソファに腰を下したセフィは、先程までの不敵な魔王っぷりはどこへやら、瞼に閉ざされた両の目をわずかに伏せて恐縮しきっている。
彼が怯える……ではなく、恐縮しまくるのも無理はない。
現在、セフィは華美ではないが一見して高価だとわかる調度品に囲まれた豪華な王子の部屋で柔らかな質の良いソファに居心地悪そうに座り、その右横にレオンハルト、向かいにジュリナ、斜め右前にリュセルという、ゴージャスメンバーに囲まれていたのだ。
「すまなかった、アルターコート神官。忙しいだろうに、この子の相手をさせてしまったね」
レオンハルトの謝罪の言葉にセフィは慌てて首を横に振る。
「いえ、本日は午前に剣主様への定期報告が済みましたら、午後は休みをいただいておりましたので大丈夫です」
今日も今日とて、神殿からの使者として、レオンハルトへ邪気に関する事柄や来月に迫った二人の生誕式典に関する事柄の報告・確認にやってきていたセフィだったが、午前中に用事は済ませ、帰ろうとしたところを暇を持て余したリュセルに捕まってしまったのだ。
「寝込んでるのかと思って心配していたんだが、元気そうで良かったよ、リュセル」
用意された本日のお茶菓子たるチーズケーキをムシャムシャと豪快に食べながら、ジュリナは瞳を和ませた。
「心配かけてすまなかった、ジュリナ殿。近い内にティアラ姫にも会いにディエラに行こうと思って……、ああ、いやいや、レオンの許しが出たらな」
話の途中で兄の向ける視線が気になったリュセルは、言おうとした内容を少し変更する。
「まったく、過保護だねぇ。いくら病み上がりだからっていってもさ~」
「そうなんだ、聞いてくれるか? ジュリナ殿!」
リュセルは隣の姐御に顔を向けると、そう叫ぶ。
「よしよし、何でもお話よ。また、そこの鬼畜王に監禁されていたのかい?」
頭を撫でられ、子供扱いされたリュセルは、一瞬ムッとしたような表情を浮かべるが、すぐに捲し立てるように言い募った。
「具合が悪い時ならまだしも、体調が万全に戻ってからも寝室に縛りつけられていたんだぞ。例の手枷と鎖でな。ようやく一昨日、寝室から出られるようになったと思ったら、今度は部屋から出してもらえず、いい年した若者が、ずっと自室に引きこもり状態だったんだ」
レオンハルトを恨みがましそうに睨みながらそう言うリュセルと、そんな視線をものともせずに涼しい顔で紅茶を飲むレオンハルトを交互に見たジュリナは肩をすくめる。
「部屋に閉じ込めておきたい気持ちはわかるが、そろそろいいんじゃないかい? レオンハルト」
「お前に言われるまでもなく、明日から勉学の授業も再開させ、リュセルの生活を元に戻すつもりだったよ」
淡々とした声音で発せられた言葉を聞き、リュセルはこの病人生活(監禁生活とも言う)から解放されるという事実に胸を撫で下ろした。
リュセルの具合が悪い時、兄はとても優しく、厳しさの欠片もない、まるで母親のような甲斐甲斐しさで看護してくれたのだ。まさに、完全看護。リュセルの回復が早い要因の一つがレオンハルトの看護の的確さだったと言えよう。
しかし問題が、その後である。
体が回復した後も、リュセルの身を襲った邪気の影響を慮ったレオンハルトの指示により、病人扱いを余儀なくされた。体が元に戻ると同時に、ベッドの上の住人でいる事が苦痛になったリュセルが脱走をたびたび図った為、例の鎖でベッドに繋がれてしまったという訳なのだ。
「お前があまりにも文句を言うから、きちんと例の黒猫の朗読につきあってやっただろう?」
何が不満なんだ。と、嘆息まじりにレオンハルトが話した内容。それを聞いたジュリナは仰天した。
「え? あれをやったのか? ……レオンハルト、お、お前が????」
え…………?
ちょ、ちょっと……。
想像すると…………、本気で笑える。
「お前とやっても、表情を変えずに淡々としゃべるだけだから、つまらないんだよ」
リュセルの不満そうな言葉を聞いた瞬間、淡々とした口調で、無表情に黒猫ノンちゃんシリーズに出てくる無駄にテンションの高い登場人物達の台詞を口にするレオンハルトを想像してしまい、ジュリナは吹き出してしまった。
いくらなんでも、そんな事にまでこの男がつき合うとは溺愛が過ぎる。
「あははははははははははははっ! 馬鹿だ~っ、お前らっ! あはははははははっ」
瞬間、豪快なジュリナの笑い声が部屋中に響き、初めてそれを耳にしたセフィは、驚きのあまりビクッとして、ソファから落ちかけたのだった。
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