魔王さま、今日も天然妻に翻弄されてます

かな

文字の大きさ
1 / 2
本編

魔王さま、今日も天然嫁に翻弄されてます

しおりを挟む
世界は今、恐怖に包まれていた。


遥か東の果てに君臨する魔王ヴィルド。 


その名は、恐怖と絶望の代名詞だった。


彼は冷酷無慈悲に敵を叩き潰し、数多の国々を滅ぼしてきた。


「魔王の軍勢がまた北の村を襲ったらしい。生き残った者はわずかだ」


噂は絶えず、世界中を駆け巡った。


ある国の城では緊急会議が開かれていた。
集ったのは、王国の重鎮と勇者一行。


宰相が重い空気を纏いながら口を開いた。


「状況は極めて深刻だ。情報によれば魔王軍の侵略による被害は過去最大だ」


周囲は静まり返っている。


「そしてやつは人間を人質として妻にしているという噂がある。表に現れる時は見せしめとしていつもその妻を連れているようだ」


側近の魔導士が声を潜めて続ける。


「彼女の姿を見たものは皆口を揃えて、あまりにも可哀想だと言うのだ。」


「何だと? そんなことが……」


会議室のざわめきが広がった時、国王がついに口を開いた。


「よもや看過できぬ。勇者一行よ、其方たちに魔王討伐を命じる───────」


勇者ライルは眉をひそめ、決意を固める。


「我々が行かなければ、この世界は彼の暴虐に飲み込まれてしまう。必ずや我らが打ち倒しましょう...!」


討伐の決意が固まった瞬間だった。


その日から、勇者一行は魔王の城へ向かう旅を開始した。


その噂の大半が大きく間違っているということも知らずに──────





**************************************************



黒雲が空を覆い、稲妻が夜空を裂いた。


「……いよいよか」


 ライルは、聖剣を握る手に力を込め、深く息を吐いた。   


 その刃は淡く光を帯び、まるで彼の覚悟に呼応するかのように脈打っていた。


 共に立つのは、聖女ミレーヌ、騎士バルド、魔導師クレハ。


 いずれも名の知れた英雄たちであり、幾多の戦いを潜り抜け、ついにこの地に辿り着いた。


「この奥に……魔王がいるのね」


ミレーヌが祈るように呟く。


その声に、誰もが無言でうなずいた。


「……やっと終わる。俺たちの、長い旅が」


ライルが聖剣を構え、黒曜石でできた巨大な扉を押し開くと、重たい空気が四人を包み込んだ。


玉座の間へと続く長い回廊。


青白い炎の灯る燭台が、石の壁にゆらゆらと影を落としている。


そして最奥の扉を開く─────


「ようこそ、勇者ども」


低く、威厳に満ちた声が、静寂を破った。


玉座の上に座すは、全身を漆黒の鎧に包んだ男。


艶やかな黒髪と、闇夜のように深紅の瞳。


整いすぎた顔立ちは、この世の物とは思えない美しさを宿していたが、全身から放たれる魔の気配が彼を“魔王”として確固たる存在にしていた。


「貴様が……魔王ヴィルド!」


「いかにも」


ヴィルドは静かに立ち上がると、重たい足音と共に階段を下りてくる。


その一歩一歩に、勇者たちの喉が自然と鳴った。
言葉にできぬ威圧感。まさに、“魔王”。


「ここに来るとは、無謀なことだな。命知らずの勇者ども」


「貴様の暴虐は、これで終わりだ!」


ライルが聖剣を構えた、まさにその瞬間――





「ヴィル~~~~っ! ご飯できたって~~~!」


 場違いなほど高く、明るい声が、玉座の間に響き渡った。


「……え?」


ライルたちが反射的に振り返る。


そこから現れたのは、ふわふわとした白金の髪を揺らしながら小走りで駆けてくる、少女だった。


白いワンピースに包まれた華奢な体。
ぱちくりと大きな瞳。透き通るような肌。
全身から漂う儚げな雰囲気――しかし、その行動はあまりに無邪気であった。


「あっ、ねえねえ! 今日お庭でこんなお花見つけたの!」


 少女は、両手いっぱいの花を差し出す。


 魔王はため息をひとつ吐くと、それを無言で受け取り、少女の頭を撫でた。


「アーリィ、危ないから来るなと言っただろう」


「だって、おなかすいたし……ヴィルが来てくれないと、ごはん食べられない……」


「……すぐ戻る。部屋で待っていろ」


その光景に、勇者一行の思考が停止する。


“冷酷無慈悲”、“血に飢えた化け物”――


すべてのイメージが、音を立てて崩れていく。


「じゃあぎゅーしてくれたら戻るね?」


「……ここで?」


「うんっ♪」


「…………」


沈黙の後、ヴィルドは諦めたようにアーリィの頭を抱き寄せ、そっと額に口づけた。


ミレーヌが顔を真っ赤に染める。


そのままアーリィは満足げに「待ってるね~」と手を振って、軽やかに去っていった。


残されたのは、勇者と魔王のみ。だが――


「……今のは、どういうことだ?」


バルドがつぶやくように言った。


魔王ヴィルドは剣を引き抜きながら、表情一つ変えずに告げる。


「戦いの時間を、少しずらしてもいい。食事のあとなら、あの子も落ち着いている」


「…………」


全く納得がいかず勇者ライルは、聖剣を構えたまま、更に質問をする。


「今のは誰なんだ......」


勇者が低く問うと、魔王はわずかに眉をひそめた。


「私の妻だが」


その言葉に、一行が一斉にざわついた。


「無理やり娶ったと聞いている!」


「洗脳か? 術を使って……」


「馬鹿な」


魔王は唇の端をわずかに吊り上げた。冷たい笑みではない。どこか、諦めにも似た優しさを帯びたものだった。


「……あれが、私の言うことを聞く術があるなら、私が教えて欲しいくらいだ」


言葉に皮肉が混じる。けれど、嘘ではなかった。むしろ魔王のほうが、彼女に振り回されているのだと、すぐに察する。


それでも勇者は、剣を抜いた。


「いや、関係ない!......俺たちは、おまえを倒すためにここに来た」


「そうか」


魔王が漆黒のマントを翻すと重い力が、空間を圧迫する。


「ならば――死ぬ覚悟で来たのだろうな?」


魔王の手がわずかに動いた瞬間、城の床が低く唸るように震えた。


魔力が集まり、空気が震える。


圧倒的な力に、勇者ライルたちは身を引き締めた。


「くるぞ……!」


ライルが構えた聖剣の刃が、魔力の圧に呼応して光を放つ。


聖女ミレーヌが祈りの構えをとり、魔導師クレハが詠唱を始める。


騎士バルドも盾を掲げ、構えを崩さない。


――それは、正真正銘の、決戦の幕開けだった。


……はずだった。


「ヴィールーーーーっ! やっぱり今すぐ来てぇぇぇぇぇぇ!」


扉が勢いよく開かれた。先ほどと同じ、いや、それ以上に元気な声。


パタパタと駆け込んできたのは、やはり、魔王の妻――アーリィであった。


ぴたり。


魔王の手が止まる。


渦巻いていた魔力が、ふっと静まった。


「……今度は、何だ」


「だって……! お腹がぺこぺこなの……! それにね!玉ねぎ炒めるの焦がしちゃって、なんか煙出てきてどうしたらいいかわからないのぉ~!」


目に涙を浮かべながら、両手をぶんぶん振るアーリィ


魔王は額を押さえ、深く、深く息を吐いた。


「……今の一瞬でどうしてそうなるんだ。というか使用人は何をしている。」


「細かいことは置いといて!早く来てどうにかしてよぉ!お腹も空いたし!」


「……戻るからとりあえず先に玉ねぎに水かけときなさい」


「はぁい、わかった!」


にこにこと満面の笑みを浮かべて、彼女は再び玉座の間を去っていった。


扉が閉まる音だけが、場に残る。


……数秒の沈黙。


 その間、ライルたちは一言も発せず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「……なあ」


ついに、バルドが静かに口を開く。


「俺たち、本当に戦うのか?」


それに答えたのは、魔導師クレハの、ぽつりとした一言だった。


「むしろ、あの奥様の機嫌を損ねないようにするべきなのでは……?」


ライルは、聖剣を握ったまま呆然とした表情をしていたが、ふと我に返る。


「いや……! 惑わされるな! これもきっと魔王の策略だ! 我々の精神を揺さぶって……油断させようと!」


「油断どころか、ご飯に呼ばれてただけじゃ……?」


ミレーヌも小さく首をかしげる。


その視線の先では、魔王ヴィルドが無言のまま出ていこうとしていた。


「……おい、待て、魔王! 」


「食事が先だ。……あの子の空腹は、色々と厄介なんだ」


静かにそう告げた魔王は、すぐに踵を返し、奥の扉に向かって歩き出す。


魔王が扉の前でぴたりと止まる。


「……一晩、客人として泊めてやろう」


「え?」


「夜明けと共に戦いの続きをする。それまでに、覚悟を固めておけ」


その言葉と共に、魔王は扉の奥へと消えていった。


残された勇者たち。


「……これ、本当に“討伐”できるのか...?」


ライルは小声で呟いた。


「ねえ、ミレーヌ。今、私たち……どうするべき?」


クレハが小声で訊く。


ミレーヌはしばらく黙っていたが、やがて目を伏せて囁いた。


「……カレーの匂い、してたわね」




**************************************************


 ……その夜、勇者一行は魔王夫妻と同じテーブルで夕食を囲んでいた。


誰も戦う気配はなかった。


「旅の疲れもあるだろう。今日はゆっくり休むといい」


魔王がすっかり穏やかな声で言う。アーリィはその隣でにこにこしながら、「この後温泉に入りに行けばいいよ!魔王城の裏に露天風呂があるの!」と無邪気に笑っていた。


翌日も戦いは始まらなかった。


その次の日も。


勇者は魔王と将棋めいた盤ゲームで真剣勝負を繰り広げ、ほかのメンバーはお喋りなアーリィの相手をしていた。


「……俺たち、何しに来たんだっけ?」
 

「魔王を倒しに……来たはずだったんだけど……」


「これじゃ、ただの休暇じゃねえか」


「ていうか、魔王城のごはんが美味すぎるのよ」


誰も“戦う理由”を思い出せなくなっていた。


国の危機も、目の前のほかほかごはんと笑顔の奥さまの前では、あまりにも遠い話だった。


そして――


1週間後、勇者一行は城門の前で魔王夫妻に手を振りながら、のんびりと帰路についた。


「また来てね~! 今度は私が唐揚げを作るから!」


「気をつけて帰れよ。」


「……本当に、“魔王”って何なんだろうな……」


勇者は馬に乗りながら、ぽつりと呟いた。


だが、その横顔はどこか穏やかだった。


――こうして、勇者一行による魔王討伐は、戦うこともなく、胃袋とぬくもりに包まれながら、まさかの「平和的撤退」という形で幕を下ろしたのであった。


世界は、今日も平和である。





-----------------------------




お読みいただき、ありがとうございます。


魔王の評判は壮大にねじ曲がった噂によるものです。


2人の会話が少なかったので今後いくつか番外編を上げる予定です。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断罪された私ですが、気づけば辺境の村で「パン屋の奥さん」扱いされていて、旦那様(公爵)が店番してます

さくら
恋愛
王都の社交界で冤罪を着せられ、断罪とともに婚約破棄・追放を言い渡された元公爵令嬢リディア。行き場を失い、辺境の村で倒れた彼女を救ったのは、素性を隠してパン屋を営む寡黙な男・カイだった。 パン作りを手伝ううちに、村人たちは自然とリディアを「パン屋の奥さん」と呼び始める。戸惑いながらも、村人の笑顔や子どもたちの無邪気な声に触れ、リディアの心は少しずつほどけていく。だが、かつての知り合いが王都から現れ、彼女を嘲ることで再び過去の影が迫る。 そのときカイは、ためらうことなく「彼女は俺の妻だ」と庇い立てる。さらに村を襲う盗賊を二人で退けたことで、リディアは初めて「ここにいる意味」を実感する。断罪された悪女ではなく、パンを焼き、笑顔を届ける“私”として。 そして、カイの真実の想いが告げられる。辺境を守り続けた公爵である彼が選んだのは、過去を失った令嬢ではなく、今を生きるリディアその人。村人に祝福され、二人は本当の「パン屋の夫婦」となり、温かな香りに包まれた新しい日々を歩み始めるのだった。

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

悪役令嬢(濡れ衣)は怒ったお兄ちゃんが一番怖い

下菊みこと
恋愛
お兄ちゃん大暴走。 小説家になろう様でも投稿しています。

周囲からはぐうたら聖女と呼ばれていますがなぜか専属護衛騎士が溺愛してきます

鳥花風星
恋愛
聖女の力を酷使しすぎるせいで会議に寝坊でいつも遅れてしまう聖女エリシアは、貴族たちの間から「ぐうたら聖女」と呼ばれていた。 そんなエリシアを毎朝護衛騎士のゼインは優しく、だが微妙な距離感で起こしてくれる。今までは護衛騎士として適切な距離を保ってくれていたのに、なぜか最近やたらと距離が近く、まるでエリシアをからかっているかのようなゼインに、エリシアの心は揺れ動いて仕方がない。 そんなある日、エリシアはゼインに縁談が来ていること、ゼインが頑なにそれを拒否していることを知る。貴族たちに、ゼインが縁談を断るのは聖女の護衛騎士をしているからだと言われ、ゼインを解放してやれと言われてしまう。 ゼインに幸せになってほしいと願うエリシアは、ゼインを護衛騎士から解任しようとするが……。 「俺を手放そうとするなんて二度と思わせませんよ」 聖女への思いが激重すぎる護衛騎士と、そんな護衛騎士を本当はずっと好きだった聖女の、じれじれ両片思いのラブストーリー。

「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!

野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。  私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。  そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。

なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた

いに。
恋愛
"佐久良 麗" これが私の名前。 名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。 両親は他界 好きなものも特にない 将来の夢なんてない 好きな人なんてもっといない 本当になにも持っていない。 0(れい)な人間。 これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。 そんな人生だったはずだ。 「ここ、、どこ?」 瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。 _______________.... 「レイ、何をしている早くいくぞ」 「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」 「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」 「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」 えっと……? なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう? ※ただ主人公が愛でられる物語です ※シリアスたまにあり ※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です ※ど素人作品です、温かい目で見てください どうぞよろしくお願いします。

この世界に転生したらいろんな人に溺愛されちゃいました!

キムチ鍋
恋愛
前世は不慮の事故で死んだ(主人公)公爵令嬢ニコ・オリヴィアは最近前世の記憶を思い出す。 だが彼女は人生を楽しむことができなっかたので今世は幸せな人生を送ることを決意する。 「前世は不慮の事故で死んだのだから今世は楽しんで幸せな人生を送るぞ!」 そこからいろいろな人に愛されていく。 作者のキムチ鍋です! 不定期で投稿していきます‼️ 19時投稿です‼️

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

処理中です...