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序章
4 抗う希望
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三日三晩、シルヴァレートはアトロポスを抱き続けた。彼がアトロポスを気に入ったというのは嘘ではなかったようだった。
食事とわずかな睡眠の時間以外、シルヴァレートは片時もアトロポスを離さなかった。浴室の中にさえ彼はアトロポスを伴った。
最初のうちは、アトロポスにとってその行為は苦痛以外の何物でもなかった。身を引き裂かれるような激痛に耐え、アトロポスは何度も唇を噛みしめて涙を流した。だが、体がその行為に慣れてくると、苦痛以外の感覚がアトロポスを襲い始めた。それは健全な女としての正常な反応だった。
アトロポスの変化に気づいたシルヴァレートは狂喜し、更に激しく彼女を責めた。アトロポスは心ではシルヴァレートを拒んだが、徐々に声を抑えることができなくなっていった。そして、ついには女としての最も恥ずかしい姿をシルヴァレートに晒した。
アトロポスにとって最悪だったのは、その一部始終を二人の護衛に見られていたことであった。二人はアトロポスに指一本触れなかったが、シルヴァレートに様々な体位で責められ、痴態の限りを晒す姿をアトロポスは見られ続けたのだった。
(もう死にたい……。こんなこと、耐えられない……)
昨夜から今朝にかけて何度昇りつめさせられたのか、アトロポスは分からなかった。ビクンッ、ビクンッと痙攣を続けている自分の体が、アトロポスには許せなかった。自分が女であることを呪いながら、アトロポスは屈辱の涙を流し続けた。
「久しぶりに父上の元に顔を出してくる。今日は戻らないが、逃げようなどとは考えるなよ。アルティシアの生命はお前の行動にかかっているのだからな」
寝台から降り立って衣服を整えながら、シルヴァレートが告げた。その言葉に無言で頷くと、アトロポスは裸身を翻してシルヴァレートに背を向けた。
シルヴァレートと護衛の二人が、部屋から出て行く音が背後から聞こえた。
(少し休もう……)
疲れ切っていた。処女を散らされ、そのまま数え切れないほどの行為を続けられた。まさに蹂躙と言っても過言ではなかった。腰の周りが痺れるように重く、全身が綿のように疲れ切っていた。重い瞼を閉じると、アトロポスは吸い込まれるように眠りについた。
背後に人の気配を感じて、アトロポスは目を覚ました。シルヴァレートたちが戻ったのかと思ったが、気配は一人だけだった。ゆっくりと振り返ると、メイド服に身を包んだ女性が部屋の片付けをしていた。
「お目覚めになりましたか?」
アトロポスの視線に気づいた女性が、笑顔で声を掛けてきた。
「あなたは……?」
毛布を引き上げて裸身を隠すと、アトロポスは観察するように女性を見つめた。
まだ二十代前半くらいの若い女性だった。赤茶色の髪と濃茶色の瞳を持つ可愛らしい顔をしていた。鼻から頬にかけてそばかすがあり、笑うと愛嬌に満ちていた。
「アトロポス様のお世話を仰せつかったミレーヌと申します。何なりとお申し付けください」
ミレーヌは左足を後ろに引き、両手でメイド服の裾を掴みながら挨拶を行った。きちんとメイドとしての教育を受けた所作だった。
「こちらこそ、よろしく。シルヴァレート公子は?」
人生で初めて自分のメイドがついたことに違和感を覚えながら、アトロポスが訊ねた。
「二、三日はお戻りになれないそうです。その間、アトロポス様にご不自由がないように、私がお世話申し上げます」
「そう……」
(二、三日というと、国王や王妃の処遇を決めるためかしら? 約束通り、姫様のお命は助けてもらえるのかしら?)
「ミレーヌさん、バスローブを取ってもらえますか? お風呂に入りたいので……」
毛布で裸身を隠しながら寝台に腰掛けると、アトロポスはミレーヌに頼んだ。
「はい。こちらをお使いください。お湯は張ってありますので、すぐにでもお入りになれます」
優秀なメイドのようだ。アトロポスが起きる頃合いを見計らってすでに用意していたようだった。
「ありがとう」
礼を言って手渡されたバスローブを身につけると、アトロポスは寝台から下りて浴室に向かった。
迎賓館として使われるだけあり、浴室も広く豪奢だった。二十平方メッツェはある部屋の中心に猫足のバスタブが設置されており、入浴剤で白く濁ったお湯が満たされていた。
手桶でお湯を汲み取り、掛け湯をしてからアトロポスは浴槽に体を沈めた。温めのお湯が気持ちよく、汗と一緒に疲れも流し出してくれるようだった。
十分に入浴を愉しんだ後、アトロポスは浴槽から出て頭髪用石鹸を手に取った。これは貴族の間で人気のある高価な石鹸で、通常の石鹸よりも洗浄力が強く油分が多めにできている。洗った後も髪がパサつかずにしっとりと滑らかになるのだった。
長い黒髪を洗い終えると、アトロポスは壁の給湯器から手桶にお湯を貯めて丁寧に髪を洗い流した。黒髪が艶やかさを取り戻し、燭台の灯りを受けて美しく光った。
姿見の前で石鹸を泡立てながら裸身を洗っているとき、アトロポスは首筋や胸元、乳房に違和感を感じた。燭台の灯りを近づけて鏡を見ると、あちこちに赤い痣がついていた。
数え切れないほどシルヴァレートに抱かれたことを思い出し、アトロポスは恥ずかしさと屈辱に顔を赤く染めた。赤い痣は石鹸で洗っても落ちなかった。
気を取り直して再び浴槽に体を沈め、十分に汗をかいてから掛け湯をして浴室を出た。更衣室にはミレーヌが新しい下着と着替えを置いてくれていた。下着はシルヴァレートの趣味なのか、黒い妖艶なものだった。アトロポスは眉をひそめたが、付けないわけにもいかずに嫌々ながら身につけた。
着替えに置かれていたのは、背中が大きく開いた白いドレスだった。アトロポスは先ほど着ていたバスローブを羽織ると、居間に戻ってミレーヌに声を掛けた。
「ミレーヌさん、私の第一騎士団の団服はありますか?」
「申し訳ありません。これから洗濯をするので、できれば他の衣装をお召しくださいますか? 先ほどの白いドレスがお気に召さなければ、他の物をお出しいたします」
バスローブ姿で出て来たアトロポスに驚きながら、ミレーヌが慌てて答えた。
「洗濯はしなくても構いません。団服を出してもらえませんか?」
「しかし……、かなり汚れが……」
ダリウスの部下たちを刺殺したときの返り血のことを言っているのだろう。せっかく、お風呂で身を清めたのだ。本来であれば、アトロポスも血で汚れた服など身につけたくはなかった。
だが、それ以上にシルヴァレートが選んだと思われるドレスに袖を通すことが嫌だった。
(あいつにはこの体を与えただけで十分だわ。あいつのために着飾るなんて、絶対にイヤよ!)
「構いませんので、団服を出してください」
「はい、ただいま……」
思いも寄らない強い口調で命じられ、ミレーヌは慌てて洗濯用の革袋から第一騎士団の団服を取り出した。
「ありがとう」
団服を受け取ると、アトロポスは黒ずんだ血の染みや鉄の匂いを無視して身につけだした。不快だが、ドレスを身に纏うよりは気が引き締まってマシだった。
レウルキア王国第一騎士団の団服は、黒が基調だった。上着は詰め襟で、肩から手首にかけて幅一セグメッツェの金色のラインが入っていた。そして手首には階級に応じて色分けされた線が二本引かれている。騎士になったばかりのアトロポスは朱線であった。小隊長になると銀線となり、隊長は金線だ。
ズボンは上着と同じ漆黒で、左右に腰から足首まで金色のラインが引かれている。そして、左胸にはレウルキア王国の国鳥である金色の大鷲が刺繍されていた。
アトロポスは数ある隊服や団服の中で、この第一騎士団の団服が一番好きだった。
「お食事の準備ができております。こちらにどうぞ」
居間の応接セットの上に、朝食が並べられていた。柔らかそうな白いパン、コーンが散りばめられたスープ、色とりどりの野菜サラダ、新鮮な果物から絞った果汁、そしてメインの子牛のソティだった。
三日間、まともな食事をしていなかったアトロポスは、急に空腹を覚えた。
「ありがとう。あなたも一緒にいかがですか?」
「いえ、私は別に用意しているので……」
メイドが主人と同じ食卓に座ることなど、この国ではあり得なかった。メイドとは名ばかりで、その実は一種の奴隷に他ならない。王宮のメイドについては良く知らないが、少なくても主人と同じメニューではないことくらいアトロポスにも想像がついた。
「私一人では多すぎます。残したら申し訳ないので、是非一緒に食べてもらえませんか?」
そう告げるとアトロポスは強引にミレーヌの腕を取り、ソファーに腰掛けさせた。孤児であるアトロポスにとって、食事の重要さは身に染みていたのだ。
「母なる女神シルヴィアーナよ。あなたの恩恵に感謝いたします」
アトロポスは胸の前で両手を組むと、豊穣の女神への感謝を述べてから食事を始めた。ミレーヌも同様に女神に感謝し、遠慮しがちに白いパンに手を伸ばした。
庶民が食べる黒パンとは違い、焼きたての白いパンは信じられないほど柔らかかった。黒パンは硬く、通常はスープに浸さないと食べられないのだ。
「美味しい……!」
白パンを一口食べた瞬間、ミレーヌが驚きの声を上げた。慌てて「失礼しました」と真っ赤になって頭を下げてきた。
「このスープも美味しいですよ。良かったらどうぞ」
アトロポスは小皿にスープを分けて、予備のスプーンと一緒にミレーヌに渡した。
「ありがとうございます。ホントに美味しいです」
そばかす顔に笑顔を浮かべながら、ミレーヌが嬉しそうに言った。
(思った通りだわ。メイドと言っても、生活は決して楽じゃない。奴隷に綺麗な服を着させているだけみたいね)
二人でほぼ半分ずつ朝食を食べ終え、食後のお茶も分け合って飲みながらアトロポスが訊ねた。
「ミレーヌさん、私はシルヴァレート公子と一緒にここに三日間いたの。その間、外の様子を何も聞かされていないわ。今、王宮はどうなっているか知っていたら教えてくれませんか?」
「王宮の様子ですか? あたしも詳しいことは知りませんが……」
気を許してくれたのか、ミレーヌの一人称が「私」から「あたし」に変わっていた。
「今までの王様に変わり、新しい王様が即位されたと聞きました」
「新しい王様? その王様のお名前は?」
さらりと重要なことを告げたミレーヌに、アトロポスは思わず身を乗り出しそうになった。
「たしか……アンドロなんとかとか……」
「アンドロゴラス王?」
「あ、はい。そんな名前でした」
「前の王様はどうなったか知っていますか?」
予想通りとは言え、思ったより動きが速いことにアトロポスは驚いた。今日、シルヴァレートがいないのは、アルカディア王たちの処遇と今後の対応を話し合うためだと思っていた。
「前の王様のご家族は、昨日公開処刑されました」
「王族が公開処刑って……?」
仮にも前国王を公開処刑などすれば、国民が黙っているはずはなかった。それよりも、ミレーヌは今、「ご家族」と言った。アトロポスは鼓動が速まるのを感じながら、身を乗り出してミレーヌに訊ねた。
「王様だけでなく、王妃様も処刑されたの? 王女様は? アルティシア様は無事よね?」
だが、ミレーヌの答えは、アトロポスを絶望の底に叩き落とすものだった。
「王様、王妃様、王女様のお三方とも、昨日処刑されました。城の外門に御首が並べられているそうです」
「うそ……。嘘よね? そんなこと……あるはずない……。アルティシア様が……?」
目の前が真っ暗になって、アトロポスはトスンとソファに腰を下ろした。
(シルヴァレートは、アルティシア様のお命を助けるって約束したはず……。証文だってある……。アルティシア様が処刑……? そんなこと、あるはずない……)
アトロポスの脳裏に、アルティシアの声が走馬灯のように蘇った。
『あなた、私よりもお姉さんですよね? 人の物を盗むのはいけないことだと教わっていないのですか?』
『心配しないでください。お姉さんの弟さんたちには、私がお腹いっぱい食べさせてあげますから……』
『アトロポスが本当に細剣を突き刺しても、私は許しましたよ』
『アトロポス……、大丈夫です、きっと助けが来ます……』
『アトロポス、知っているかしら? 運命の女神って三人いるそうよ』
(姫様……アルティシア様……)
眼を閉じると、瞼の裏にアルティシアの顔が浮かんでは消えた。
笑っている顔……
怒っている顔……
悲しい顔……
喜んでいる顔……
そして、国民のために決意をした表情……
『私は運命の糸を紡いでみたい。この国の民が幸せになれるような糸を紡いでいきたい。それが王家に生まれた者の務めだと思うの』
「姫様……アルティシア様……」
突然、虚ろな瞳で王女の名を呟き始めたアトロポスを、ミレーヌが心配そうな表情で見つめた。
「アトロポス様、だいじょう……」
「いやぁあああああああ!!!」
ミレーヌの言葉は、アトロポスの絶叫でかき消された。
食事とわずかな睡眠の時間以外、シルヴァレートは片時もアトロポスを離さなかった。浴室の中にさえ彼はアトロポスを伴った。
最初のうちは、アトロポスにとってその行為は苦痛以外の何物でもなかった。身を引き裂かれるような激痛に耐え、アトロポスは何度も唇を噛みしめて涙を流した。だが、体がその行為に慣れてくると、苦痛以外の感覚がアトロポスを襲い始めた。それは健全な女としての正常な反応だった。
アトロポスの変化に気づいたシルヴァレートは狂喜し、更に激しく彼女を責めた。アトロポスは心ではシルヴァレートを拒んだが、徐々に声を抑えることができなくなっていった。そして、ついには女としての最も恥ずかしい姿をシルヴァレートに晒した。
アトロポスにとって最悪だったのは、その一部始終を二人の護衛に見られていたことであった。二人はアトロポスに指一本触れなかったが、シルヴァレートに様々な体位で責められ、痴態の限りを晒す姿をアトロポスは見られ続けたのだった。
(もう死にたい……。こんなこと、耐えられない……)
昨夜から今朝にかけて何度昇りつめさせられたのか、アトロポスは分からなかった。ビクンッ、ビクンッと痙攣を続けている自分の体が、アトロポスには許せなかった。自分が女であることを呪いながら、アトロポスは屈辱の涙を流し続けた。
「久しぶりに父上の元に顔を出してくる。今日は戻らないが、逃げようなどとは考えるなよ。アルティシアの生命はお前の行動にかかっているのだからな」
寝台から降り立って衣服を整えながら、シルヴァレートが告げた。その言葉に無言で頷くと、アトロポスは裸身を翻してシルヴァレートに背を向けた。
シルヴァレートと護衛の二人が、部屋から出て行く音が背後から聞こえた。
(少し休もう……)
疲れ切っていた。処女を散らされ、そのまま数え切れないほどの行為を続けられた。まさに蹂躙と言っても過言ではなかった。腰の周りが痺れるように重く、全身が綿のように疲れ切っていた。重い瞼を閉じると、アトロポスは吸い込まれるように眠りについた。
背後に人の気配を感じて、アトロポスは目を覚ました。シルヴァレートたちが戻ったのかと思ったが、気配は一人だけだった。ゆっくりと振り返ると、メイド服に身を包んだ女性が部屋の片付けをしていた。
「お目覚めになりましたか?」
アトロポスの視線に気づいた女性が、笑顔で声を掛けてきた。
「あなたは……?」
毛布を引き上げて裸身を隠すと、アトロポスは観察するように女性を見つめた。
まだ二十代前半くらいの若い女性だった。赤茶色の髪と濃茶色の瞳を持つ可愛らしい顔をしていた。鼻から頬にかけてそばかすがあり、笑うと愛嬌に満ちていた。
「アトロポス様のお世話を仰せつかったミレーヌと申します。何なりとお申し付けください」
ミレーヌは左足を後ろに引き、両手でメイド服の裾を掴みながら挨拶を行った。きちんとメイドとしての教育を受けた所作だった。
「こちらこそ、よろしく。シルヴァレート公子は?」
人生で初めて自分のメイドがついたことに違和感を覚えながら、アトロポスが訊ねた。
「二、三日はお戻りになれないそうです。その間、アトロポス様にご不自由がないように、私がお世話申し上げます」
「そう……」
(二、三日というと、国王や王妃の処遇を決めるためかしら? 約束通り、姫様のお命は助けてもらえるのかしら?)
「ミレーヌさん、バスローブを取ってもらえますか? お風呂に入りたいので……」
毛布で裸身を隠しながら寝台に腰掛けると、アトロポスはミレーヌに頼んだ。
「はい。こちらをお使いください。お湯は張ってありますので、すぐにでもお入りになれます」
優秀なメイドのようだ。アトロポスが起きる頃合いを見計らってすでに用意していたようだった。
「ありがとう」
礼を言って手渡されたバスローブを身につけると、アトロポスは寝台から下りて浴室に向かった。
迎賓館として使われるだけあり、浴室も広く豪奢だった。二十平方メッツェはある部屋の中心に猫足のバスタブが設置されており、入浴剤で白く濁ったお湯が満たされていた。
手桶でお湯を汲み取り、掛け湯をしてからアトロポスは浴槽に体を沈めた。温めのお湯が気持ちよく、汗と一緒に疲れも流し出してくれるようだった。
十分に入浴を愉しんだ後、アトロポスは浴槽から出て頭髪用石鹸を手に取った。これは貴族の間で人気のある高価な石鹸で、通常の石鹸よりも洗浄力が強く油分が多めにできている。洗った後も髪がパサつかずにしっとりと滑らかになるのだった。
長い黒髪を洗い終えると、アトロポスは壁の給湯器から手桶にお湯を貯めて丁寧に髪を洗い流した。黒髪が艶やかさを取り戻し、燭台の灯りを受けて美しく光った。
姿見の前で石鹸を泡立てながら裸身を洗っているとき、アトロポスは首筋や胸元、乳房に違和感を感じた。燭台の灯りを近づけて鏡を見ると、あちこちに赤い痣がついていた。
数え切れないほどシルヴァレートに抱かれたことを思い出し、アトロポスは恥ずかしさと屈辱に顔を赤く染めた。赤い痣は石鹸で洗っても落ちなかった。
気を取り直して再び浴槽に体を沈め、十分に汗をかいてから掛け湯をして浴室を出た。更衣室にはミレーヌが新しい下着と着替えを置いてくれていた。下着はシルヴァレートの趣味なのか、黒い妖艶なものだった。アトロポスは眉をひそめたが、付けないわけにもいかずに嫌々ながら身につけた。
着替えに置かれていたのは、背中が大きく開いた白いドレスだった。アトロポスは先ほど着ていたバスローブを羽織ると、居間に戻ってミレーヌに声を掛けた。
「ミレーヌさん、私の第一騎士団の団服はありますか?」
「申し訳ありません。これから洗濯をするので、できれば他の衣装をお召しくださいますか? 先ほどの白いドレスがお気に召さなければ、他の物をお出しいたします」
バスローブ姿で出て来たアトロポスに驚きながら、ミレーヌが慌てて答えた。
「洗濯はしなくても構いません。団服を出してもらえませんか?」
「しかし……、かなり汚れが……」
ダリウスの部下たちを刺殺したときの返り血のことを言っているのだろう。せっかく、お風呂で身を清めたのだ。本来であれば、アトロポスも血で汚れた服など身につけたくはなかった。
だが、それ以上にシルヴァレートが選んだと思われるドレスに袖を通すことが嫌だった。
(あいつにはこの体を与えただけで十分だわ。あいつのために着飾るなんて、絶対にイヤよ!)
「構いませんので、団服を出してください」
「はい、ただいま……」
思いも寄らない強い口調で命じられ、ミレーヌは慌てて洗濯用の革袋から第一騎士団の団服を取り出した。
「ありがとう」
団服を受け取ると、アトロポスは黒ずんだ血の染みや鉄の匂いを無視して身につけだした。不快だが、ドレスを身に纏うよりは気が引き締まってマシだった。
レウルキア王国第一騎士団の団服は、黒が基調だった。上着は詰め襟で、肩から手首にかけて幅一セグメッツェの金色のラインが入っていた。そして手首には階級に応じて色分けされた線が二本引かれている。騎士になったばかりのアトロポスは朱線であった。小隊長になると銀線となり、隊長は金線だ。
ズボンは上着と同じ漆黒で、左右に腰から足首まで金色のラインが引かれている。そして、左胸にはレウルキア王国の国鳥である金色の大鷲が刺繍されていた。
アトロポスは数ある隊服や団服の中で、この第一騎士団の団服が一番好きだった。
「お食事の準備ができております。こちらにどうぞ」
居間の応接セットの上に、朝食が並べられていた。柔らかそうな白いパン、コーンが散りばめられたスープ、色とりどりの野菜サラダ、新鮮な果物から絞った果汁、そしてメインの子牛のソティだった。
三日間、まともな食事をしていなかったアトロポスは、急に空腹を覚えた。
「ありがとう。あなたも一緒にいかがですか?」
「いえ、私は別に用意しているので……」
メイドが主人と同じ食卓に座ることなど、この国ではあり得なかった。メイドとは名ばかりで、その実は一種の奴隷に他ならない。王宮のメイドについては良く知らないが、少なくても主人と同じメニューではないことくらいアトロポスにも想像がついた。
「私一人では多すぎます。残したら申し訳ないので、是非一緒に食べてもらえませんか?」
そう告げるとアトロポスは強引にミレーヌの腕を取り、ソファーに腰掛けさせた。孤児であるアトロポスにとって、食事の重要さは身に染みていたのだ。
「母なる女神シルヴィアーナよ。あなたの恩恵に感謝いたします」
アトロポスは胸の前で両手を組むと、豊穣の女神への感謝を述べてから食事を始めた。ミレーヌも同様に女神に感謝し、遠慮しがちに白いパンに手を伸ばした。
庶民が食べる黒パンとは違い、焼きたての白いパンは信じられないほど柔らかかった。黒パンは硬く、通常はスープに浸さないと食べられないのだ。
「美味しい……!」
白パンを一口食べた瞬間、ミレーヌが驚きの声を上げた。慌てて「失礼しました」と真っ赤になって頭を下げてきた。
「このスープも美味しいですよ。良かったらどうぞ」
アトロポスは小皿にスープを分けて、予備のスプーンと一緒にミレーヌに渡した。
「ありがとうございます。ホントに美味しいです」
そばかす顔に笑顔を浮かべながら、ミレーヌが嬉しそうに言った。
(思った通りだわ。メイドと言っても、生活は決して楽じゃない。奴隷に綺麗な服を着させているだけみたいね)
二人でほぼ半分ずつ朝食を食べ終え、食後のお茶も分け合って飲みながらアトロポスが訊ねた。
「ミレーヌさん、私はシルヴァレート公子と一緒にここに三日間いたの。その間、外の様子を何も聞かされていないわ。今、王宮はどうなっているか知っていたら教えてくれませんか?」
「王宮の様子ですか? あたしも詳しいことは知りませんが……」
気を許してくれたのか、ミレーヌの一人称が「私」から「あたし」に変わっていた。
「今までの王様に変わり、新しい王様が即位されたと聞きました」
「新しい王様? その王様のお名前は?」
さらりと重要なことを告げたミレーヌに、アトロポスは思わず身を乗り出しそうになった。
「たしか……アンドロなんとかとか……」
「アンドロゴラス王?」
「あ、はい。そんな名前でした」
「前の王様はどうなったか知っていますか?」
予想通りとは言え、思ったより動きが速いことにアトロポスは驚いた。今日、シルヴァレートがいないのは、アルカディア王たちの処遇と今後の対応を話し合うためだと思っていた。
「前の王様のご家族は、昨日公開処刑されました」
「王族が公開処刑って……?」
仮にも前国王を公開処刑などすれば、国民が黙っているはずはなかった。それよりも、ミレーヌは今、「ご家族」と言った。アトロポスは鼓動が速まるのを感じながら、身を乗り出してミレーヌに訊ねた。
「王様だけでなく、王妃様も処刑されたの? 王女様は? アルティシア様は無事よね?」
だが、ミレーヌの答えは、アトロポスを絶望の底に叩き落とすものだった。
「王様、王妃様、王女様のお三方とも、昨日処刑されました。城の外門に御首が並べられているそうです」
「うそ……。嘘よね? そんなこと……あるはずない……。アルティシア様が……?」
目の前が真っ暗になって、アトロポスはトスンとソファに腰を下ろした。
(シルヴァレートは、アルティシア様のお命を助けるって約束したはず……。証文だってある……。アルティシア様が処刑……? そんなこと、あるはずない……)
アトロポスの脳裏に、アルティシアの声が走馬灯のように蘇った。
『あなた、私よりもお姉さんですよね? 人の物を盗むのはいけないことだと教わっていないのですか?』
『心配しないでください。お姉さんの弟さんたちには、私がお腹いっぱい食べさせてあげますから……』
『アトロポスが本当に細剣を突き刺しても、私は許しましたよ』
『アトロポス……、大丈夫です、きっと助けが来ます……』
『アトロポス、知っているかしら? 運命の女神って三人いるそうよ』
(姫様……アルティシア様……)
眼を閉じると、瞼の裏にアルティシアの顔が浮かんでは消えた。
笑っている顔……
怒っている顔……
悲しい顔……
喜んでいる顔……
そして、国民のために決意をした表情……
『私は運命の糸を紡いでみたい。この国の民が幸せになれるような糸を紡いでいきたい。それが王家に生まれた者の務めだと思うの』
「姫様……アルティシア様……」
突然、虚ろな瞳で王女の名を呟き始めたアトロポスを、ミレーヌが心配そうな表情で見つめた。
「アトロポス様、だいじょう……」
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ミレーヌの言葉は、アトロポスの絶叫でかき消された。
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