調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

文字の大きさ
2 / 69
1.少女のハンドクリーム

女大公

しおりを挟む
 ユーゲンビリツ五大公国南部、エルスオング大公国の最大都市、ベルッディナの昼。
 夏の暑さに加え、湿った風が吹いていることで、気温よりも暑く感じられていた。


「いらっしゃいませ」
 陽気な声で客に声を掛けたのは、鮮やかな赤い髪を持つこの店の女あるじ、ドーラだった。


「ねぇ。キミの力で私の手を直してほしいんだけど」

 ここは総合調香店『ステルラ』。
 普段から様々な悩みを抱える人たちがやってくる。
 もちろん、街角には癒身師や紅茶師、粉黛師などもいるが、彼らのように専門的な店ではなく、彼らの行っている業務を広く行うのが総合調香店だ。

 そのため、普段、来店するのは予約客でほとんど埋まっている。

 だが、開口一番、そう言った女性のように飛び込みの客もいる。少々ドーラよりも年上だろうか、店に現れた短い黒髪の彼女は、この国ではあまり見かけないような恰好だった。しかも、この季節にそぐわない分厚い手袋をしていた。
「えっと?」
 ドーラは彼女を見て、首を傾げた。その様子に女性はフフと笑う。

「ああ、悪かったね。今、この街を散歩していたんだけれど、ここの看板が目に入ってね。予約優先とは書いてあったものの、どうやって予約すればいいのか、わからなくてさ」

 男っぽい口調で話す彼女に、ああ、そういう事だったんですね、と納得したドーラはこちらへどうぞ、と彼女を応接室に案内した。客人を座らせてから、ちょっとお待ちください、と言って部屋から出たドーラは、手早く紅茶を淹れて、応接室に戻った。
「お待たせしました」
 彼女は客人の手元に紅茶を置き、正面に座った。

「いいや、こちらこそ急に来店してしまって申し訳ない。すまないが、まずはこれを見てくれないか」
 客人はテレーゼと名乗り、手袋を外した。そこにあった両手とも、この湿気っている季節とは真逆の状態、乾燥してさかむけ・・・・、真っ赤になっていた。その様子に絶句したドーラに対し、どうしてこうなったのか、説明しはじめた。

「私には昔から使っているハンドオイルがあるんだ。それも、小さい時から同じ専属の癒身師に処方されたものを、ね。
 ずっと彼に作ってもらっているんだが、半年前に作ってもらったものを使い始めてから、荒れ始めてね。その時に奴に見てもらって、別のハンドオイルを処方してもらったんだけれど、どうにも治らなくてね」

 テレーゼがここに飛び込んできた理由が分かった。
 彼女曰く、ハンドオイルを使うのをやめたが、治っていないという。

 彼女の職業はよく分からなかったが、どのような形であれ、彼女専属・・の癒身師――アロマを使ったマッサージ師や整体師――となれば、相当な腕を持っているはずである。
 だが、その人でも肌荒れの原因を見落とすことがあるようだ。ドーラはそれに興味を持つとともに、それぐらいの腕利きの人がなぜ、見落とすのだろうかと疑問に思った。だが、そんな疑問はおくびにも出さずに、テレーゼに微笑んで、応えた。

「そうでしたか。それで私のところに来られたのですね」

「ああ。ここに来るまでもいろんな癒身師に診てもらって、こうでもない、ああでもない、といろんなものを押し付けられたが、全く治る気配が見えない。だから、そろそろ諦めたくなってきたよ。
 キミも無理なら無理って言ってくれて構わないよ。
 別にそう言われたところで、この店の評判を落とすようなことは一切しないと誓うからさ」

 テレーゼは半ば諦めた声でそういった。だが、ドーラは笑顔で大丈夫ですよ、と言い切った。

「治せないものなんてありません。必ず、どこか原因はあるのですから」

「本当にできるのかい?」
 ドーラの宣言にテレーゼから、疑うような視線を向けられた。ドーラはその探るような視線に一瞬、圧力のようなものを感じたが、それでも目を逸らさなかった。
「はい」
 ドーラの言葉には迷いが全くなかった。そう言い切った時の顔は、いつもの柔らかい笑みはなく、一人前の調香師としての顔だった。
「早速、診せていただけますか?」




 今までの癒身師たちと同じように、テレーゼの生活面や健康面について詳しく尋ねた。
 その際にテレーゼの正体が五大公国の最北部に位置するアイゼル=ワード大公国の君主、女大公であることに気付いて、畏まろうとしたが、彼女から一人の患者として接してほしい、と懇願されたので、少しためらったものの、そう接することにした。

「では、ご専属の方から渡されたオイルの処方箋レシピはありますか。それと、各地の癒身師に渡されたケア用品の処方箋レシピを持っていますか」

 一通り聞き終わった後、ドーラはある考えに到り、質問した。
「え? レシピってどういったものなんだい?」
 だが、テレーゼには質問の意味が分からなったようで、目を瞬きながら聞き返された。
「――――――ああ、すみません。癖で処方箋レシピって言ってしまいました。ええっと、そうですね。今、使われているハンドオイルや軟膏、クリームの現物をお持ちでしょうか」
 テレーゼの様子に、処方箋――アロマクラフトの中に含まれる精油やキャリアオイルの成分表――を患者である彼女が持っているはずもないこと思い出し、別の質問に変えた。
「それならあるよ。ちょっと待ってくれるかい」
 今回の質問は伝わったようで、鞄からガラス製の小瓶を何個か取り出しはじめた。ドーラは机の上に置かれた小瓶を手に取り、次々と蓋を開けて中身を確認していった。


「その瓶が奴に出してもらったハンドオイルだ」

 ドーラはテレーゼが指した瓶を取り、光に透かした後、軽く振ったり、蓋を開けて匂いを嗅いだりした。ほかの瓶はそれぞれ一回ずつだったが、そのハンドオイルの瓶だけは何回も同じことを繰り返していた。

「何かおかしなことでもあったのかい?」
 テレーゼはドーラの様子が気になっていた。
「い、いえ。なんでもありません」
 ドーラは少し焦ったように言った。その顔も先ほどまでと違い、拙いものを見てしまったようなこわばりが出ていたが、テレーゼはそれを追及する気にはなれなかった。

「――――――テレーゼさんはこの街にどれくらい滞在されますか?」

 ドーラがテレーゼに訊ねた瞳は今まで以上に真剣なものだった。

「いくらでもいるさ」

 そう答えたテレーゼは、先ほどまでの弱った雰囲気ではなく、大公としての威厳がそこには溢れ出ていた。
「そうでしたか。では、しばらくの間、こちらに通っていただけませんでしょうか」
 ドーラは少し不安になりながら尋ねた。さすがに一国の主をこんなセキュリティの薄いところに通わせてよいものかと。だが、その不安はテレーゼ自身によって取り除かれた。
「もちろんだ。見た目通り、警護は僅かだが、腕に覚えのあるものばかりだ。いざとなれば私自身が戦えばいいから」
 ドーラを安心させるために、テレーゼは片目をつぶっておどけた。その様子に安堵したのか、こちらこそお願いします、と頭を下げたドーラの顔には、先ほどまでのこわばりは消えていた。






「で、お前は何だと思ったんだ」

 夜。
 店舗兼住居の住居部分で同居人のミールとともに夕ご飯を食べているとき、昼間にあった出来事を話した。
 彼は幼馴染であり、この店の共同経営者でもある。そして、何より彼女と同じ調香師であるので、相談するのには頼もしい相手だ。

「テレーゼ様の生活面も健康面も問題ない。仕事柄、多少ストレスは抱えられるでしょうけれど、あの方だったら間違いなく、過負荷にはなっておられないはず。
 そして、手が荒れ始めてから処方されたっていう軟膏やクリームは単純処方だったし、素地の匂いもほとんどなかったから、おそらく一級品の素材を使っている」

 この世界におけるアロマクラフトは単純処方と複合処方に分かれる。
 単純処方とは一つの製品の中で精油(エッセンシャルオイル)を一種類のみを使用したものであり、複合処方とは一つの製品の中に複数種類の精油を使用しているもののことを指す。
 ドーラのような調香師になるためには、単純処方か複合処方かを嗅ぎ分けることが出来なければならなく、素地――キャリアオイルや水など――の匂いや手触りなども分かっていなければならない。昼間、彼女はテレーゼの目の前で、それを調べていたのだ。


 香りを思い出しながら、そうドーラは言い切った。
 だが、あのハンドオイルには謎だらけだった。


「あのオイル、いろいろ気になることがあるの。まず、ブレンドされている精油をすべて当てられない。この件に限らないけれど、ブレンドオイルにかかわる相談は非常に難しいのは知っているよね。
 それに、キャリアオイルも、比較的さらさらで、精油の隙間から臭う独特な香りがないっていう事は分かるけれど、ただそれだけ・・・・

 ミールの問いに、ドーラは答えつつ深く考え込んだ。

 テレーゼのハンドオイルを処方したのは隣国の公邸癒身師。その人は少々変わり者であるが、テレーゼを害すことは恐らくないはずだ。

(でも、『新しく処方された』ハンドオイルを使うと荒れ始めた。ということは――――)

 二つの考えが頭をよぎる。今の段階でそのどちらかを断定するのは難しい。

(私には外国での調査権がある。だけど、本格的に調査しようと思うと――――)

 ドーラは認定調香師の中でも、第一級認定調香師という上級の資格を持っている。
 第一級認定調香師は、国内での調香に関わる仕事以外にも外国での『香り』に関する調査権が与えられている。それは、非常に大きな諸刃の剣であった。

 もちろん、利点は外国でも調香師という立場を活かせること。
 その反面、調香師たちの身柄は所属国が保障する。そのため、あまり派手な動きができないことだ。

 特例として秘密裏に動くことも可能ではあるが、今回の場合、相手は仮にも一国の君主の専属癒身師だ。いくら大公直々の頼みといえども、調査は難しいだろう。

「なぁ、ドーラ」
 不意にミールの顔が近づいてきた。
「お前、またぐちゃぐちゃ悩んでいるな」
「あ、うん。そうね――――」
 ドーラはふぅ、と息を吐いた。彼の前では強がりを言えない。

「お前には外国での調査権が与えられている。だが、全てを背負う必要はない。こういう時の俺がいるんだし、何よりこの店のスポンサーはポローシェ侯爵様だ」
 
「だから、この店に何かあれば、あの人は黙っちゃいないさ。お前は全力でテレーゼ殿下を治療しろ。その間に内偵ぐらいはこちらでやっておく」

 彼の言葉は正鵠せいこくを得ていた。ポローシェ侯爵はこの国、エルスオング大公国の筆頭公爵。その彼が後ろ盾となっている『ステルラ』に何かあれば黙っていることはないだろう。なにより他国に顔の利く侯爵ならば、ドーラが動く前にある程度の情報を仕入れてくれるだろう。ドーラもその案に賛成だった。
「分かった。じゃあ、任せる」
 その返事にミールはニヤリと笑い、了解、と言った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

処理中です...