調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

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2.黄金の夜鳴鶯

過去からの逃避

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 それからアレクサンドルはじゃあ、僕は仕事があるから、伯爵家の馬車に迎えに来てもらうね、といって帰っていった。
 最後まで爽やかな笑みを崩さず、クララにとってまるで理想の兄のようだった。


 ドーラはその後、クララにどんな症状があるのか――例えば、眠れないとか、食欲がないとか、など――を尋ねていった。

 ついでに彼女の顔色や肌つやも確認しながら。

「そうですね」

 問診票に記入したものをもう一度見返しながら、頭の中で今後の治療方法を考えていった。

「今後の治療の仕方として二つ方法があります」

 さらさらっと提案する治療方法をまとめたドーラは、それをクララに提示した。
 クララは少しいぶかしげにそれを見た。

「まず、こちらに何回か通ってもらう方法。これから社交シーズンですし、お茶会や夜会もあるでしょう。ですので、クララさんと私の時間があうときにゆっくりとして治療していく方法。ずっとは診てあげられることはできませんが、ご家族の方ともお過ごしいただけるので、いつも通りの生活を送っていただけます。
 それに比べて、こちらの案は数週間、ここに泊まり込んで治療していく方法。もちろん、私がこの店を営業しているときは何をしていただいてもかまいませんし、お茶会や夜会にも参加していただいてかまいません。もちろん、ご自宅のメイドさんたちを呼んでいただいても結構ですよ。泊まり込んでの治療のメリットとしては、私がクララさんの様子を細かく診てあげられることです。何かあったときにはすぐに対応できるというものです」

 彼女の提案にクララは迷っていた。

 もちろん家には帰りたいし、いつも通りの生活を送れるというのならば、その方がいい。けれども、多分、あの家にいたら絶対に彼のことを思い出してしまう。

 それに、同年代の仲のいい友達はいるけれど、あの話のせいで、お茶会や夜会に出れば他の人たちにはきっと言われる。
《瑠璃色の夜鳴鶯》と。

 誰が言い出したのかわからない。
 だけれど、夜鳴鶯はその名前の通り夜を告げる鳥。

 おそらくは自分が婚約者のいる彼を誘ったのではないかと、思われたのだろう。
 私たちの家と彼らの家のことは社交界では知られていないから、そう思われても仕方がない。

 だから、夜会はもちろん、お茶会にも出たくない。

 それに、きっと父親は新しい婚約者を探せと言ってくるだろう、
 でも、今はそんな気分ではないし、見つからないだろう。

 それくらいの醜聞なのだ。
 だからこそ、今まではずっと家に引きこもっていた。


「しばらく、こちらに泊まらせていただけませんか?」
 クララが出した答えは『泊まり込んで治療してもらう』ものだった。

 ドーラははい、とにっこり笑い、先に書いたほうのメモを破って捨てる。パラパラと紙片が落ちていく様子は、まるで後戻りができない道と同じようにみえた。



「本当は先に治療方法を説明したほうが良いのですが、一度、荷物を持ってきていただくためにクララさんは戻られますよね」

 彼女の確認にはい、と頷くクララ。

「では、そのときにお母さまがいらっしゃるところでお話ししましょう」

 続けられた言葉に驚きをみせた。しかし、その提案に反対はしなかった。

 ちょうどそのとき。ドーラは何か気づいたようで、立ち上がった。応接間の外に行き、玄関を見に行ったドーラは来たようですね、とクララに馬車の到着を告げた。


「クララ! 待っていたわ」

 コレンルファ伯爵邸でドーラたちを待ち構えていたのは彼女の母親であるアンナだった。クララと同じ瑠璃色の髪の毛を綺麗に結えていたが、その艶は少しなくなっていた。
 やはりスキャンダルのせいか、短時間の外出、しかも、自分のいきつけの店へ行くだけなのに、待ちわびていたようで、かなり心配した様子だった。
 彼女の後ろにいたメイドたちも同じようにクララを気にかけていた。


「ただいま、お母さま」

 クララは勢いよくアンナに抱きつき、アンナも大丈夫だったみたいね、と強く娘を抱きしめた。



「ドーラさんも娘を気にかけてくれてありがとう」

 応接間に案内されたドーラの前に紅茶と菓子が運ばれ、一口飲んだところで、アンナが感謝の言葉をかけた。
 クララは本調子ではないのか、深くソファに腰掛けて、ひとりの年かさの侍女、もしくは乳母に支えられていた。

「いえ、ハヴルスク公爵子息さまに教えていただけなければ、クララさんのことを知りませんでした」

 しょうがないことだが、ドーラの店で貴族の噂を聞くことはほとんどない。顧客のプライベートの話はお茶会や夜会以外では聞き流す。
 それにこの手のスキャンダルは当然だが、身内以外に話せない。だから、普段、来店するアンナから聞いていなくても、仕方ないものであり、アンナもドーラの言葉にいいえ、とかすかに首を横に振った。

「それで、今日は娘のためになにかしてくれるの?」
 いかにも貴族らしい、少し見定めるような言葉をドーラにかけた。

「はい」

 彼女は真剣な眼差しで頷いた。

「アンナさんはご存知だと思いますが、私がおこなっているのは本物の医学ではないので、『薬』ではありません。そのことをクララさんもご承知おきください」

 ドーラの説明に頷く二人。

「では、治療方法について説明いたします。今回、クララさんは私の店『ステルラ』で泊まり込みでの治療をさせていただきます」

 メイドたちに治療方法を書いた紙を預け、伯爵夫人にそれを渡してもらった。
 アンナはそれを軽く読むと、ドーラをしっかり見た。

「まずは軽めにハーブティーと芳香浴からはいります。不眠もありますので、ハーブはあまり強くないものを使わせていただきます。数日間から十日ほど経過を見て、症状が変わらないようでしたら、もうしばらく続け、良くなりそうでしたら、次の段階に入らせていただきます」

 ドーラはそこでひと呼吸おいた。
 アンナもメイドたちもなにも言わず、ただ真剣な目をして彼女の説明を聞いている。
 それだけクララのことが心配だったのだろう。

「次の段階ではハーブティーや芳香浴とともに、オイルマッサージを取り入れていきます。それでよくなればよいかと思います。もちろん、先ほども言いましたけれど、これは医学的なものではありませんし、なによりも根本的な原因は私ではなんともしようがありません。だから私ができない部分はよろしくお願いいたします」

 しっかりとした説明に深く頷いたアンナやメイドたち。
 彼女たちには精油の説明をしなかったが、アンナと同じ治療をしていたし、処方をしていたせいか、効果などについては身をもって実感しているのだろう。

 それに彼女が落ち込んだ原因は明らかだ。だから、おそらく伯爵夫人自身が動くに違いない。ドーラひとりだけのはたらきだけではクララの不調は治せない。
 そういう気持ちを込めて訴えた。

「分かりました。あなたの『香り』の効果は十分に私も分かっています。だから、それをクララにもしてあげてちょうだい。その間に、こちらでやれることはやっておきましょう」

 ドーラの気持ちが十分に伝わったのだろう。
 アンナも覚悟を決めた言葉で応えた。メイドたちも何度も頷いていた。

「では、クララさん。よろしくお願いします」

 今まで一言も喋らなかったクララにドーラは手を差し出した。少し間があったものの、クララはその手を弱々しく握り返した。

 よろしくお願いします、と微かな声だったが、聞こえた。
 けれども、その声はしっかりと何かを決めている、そんな覚悟の声にも聞こえた。
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