調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

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2.黄金の夜鳴鶯

妬み嫉みは怖いもの

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 翌朝、ドーラは『ステルラ』の店の外にある看板に臨時開店と書いた。
 普段の夜会の翌日は疲れる上に寝不足になるので、午後にしか開かないことが多いが、今日は昨日、アレクサンドルから頼まれた客人がやってくるので、早めに開けておいたのだ。

「今日は珍しく早いな」

 今からポローシェ侯爵のもとへ行くらしいミールが、開店準備をしていたドーラに声をかけた。

「うん。今日はお客さんがくる予定なんだ」

 昨日、頼まれたことを話すと、ミールは難しい顔をして、そうか、とだけ言った。
 彼の様子に何かあるのかと思ったが、彼は何も言わずにそのまま出かけていってしまった。
 もしかしたら、彼が今、ポローシェ侯爵の屋敷で行なっている仕事と関係があるのかもしれないが、ドーラが一人で深く考えても仕方がないことだと思ったので、客がくるまでのしばらくの間、新作の準備をすることにした。

 今は秋。
 もうすぐ冬になり、社交シーズンが本格的に始まる。

 そうすると売れるのは香水や化粧品。

 叔母のエリザベータが健在のときは、叔母の象徴でもある薔薇の香水が主力商品だったけど、ドーラが店主となってからは、柑橘や百合の香りを多く使用した製品が多い。

 今シーズンの香水のテーマを何にしようかと思ったとき、ふと、先だっての『調査』を思い出した。

 アイゼル=ワード大公国の白亜の大公邸。
 遠い雪国の建物は堅実さとともに、寂しさを覚えるものだった。

「メインとなる匂いにはセージ、かな」

 いくつかの香りを嗅いで、あの白亜の宮殿に一番合いそうな香りを記入した。

 そして、ハーブ系の香りであるセージの精油と相性が良いといわれるハーブ系、樹脂系、樹木系の精油からピックアップしていくことにした。

「トップで香らせるのはセージとローレル。そして、その次のミドルにはニアウリとロザリーナ――でも、多分それだけだと華やかさが少ないから、ラベンダーでまとめる。
 最後にフランキンセンスとブルーサイプレスで、甘さを出す」

 そう呟きながら、処方箋に書き込んでいくドーラ。

 そして、書き上げた処方箋をもとに実際に調合していく。

 小さいガラス瓶に精油を一滴ずつ落とし、全部のものを入れ終わるとガラス棒でかき混ぜる。
 そうして出来上がったブレンドオイルをムエットと呼ばれる試香紙につけて、匂いを嗅ぐ。

 すぐに揮発する成分が多いトップノートやミドルノートの香りを中心に足りないと思った香りを足していき、その滴下数を処方箋にメモしていく。

 そうしてあの白亜の宮殿、そしてそこで生活する人々を想像させるような香りを作り上げた。

 もちろん、あとからじっくりと香るベースノートの存在も忘れていない。
 少し時間をおいてからもう一度、嗅ぐことができるように、端っこに日付やどのような精油を入れたかなどを記した後、クリップにとめて窓際においた。
 そうすることによって、人がつけた状態と同じ条件にしておくことができる。


 当然ながら一シーズンに売り出す香水は一種類だけではない。

 他にもローズの精油やマートルの精油、ハッカの精油を中心とした香水をそれぞれ作り上げた。
 もちろん、試作品である。

『ステルラ』の香水を一人で作り上げられる調香師はドーラ一人だけだが、一人で作れない調香師なら、ミールだっている。だから、彼の意見や彼らの後見人であるポローシェ侯爵にサンプルをつけてもらうこともある。

 一つの商品を作るのには、まだまだ時間がかかる。

 いくつかの試作品を作った後、時計を見ると、もうすぐ昼だった。
 臨時回転だったから、午前中は客が来なかったようだけれど、さすがにアポイントメントをしている客人がそろそろ来る。

 簡単な食事を済ませると、店の看板を『午後は予約のみ』と書き換えた。

 午前中に作った試作品の香りを再び嗅いだ。

 最初に作ったセージを中心としたブレンドオイルからはフランキンセンスやブルーサイプレスの香りが、ローズを中心としたものからはオークモスやミルラの香りが、マートルを中心としたものからはベチバーやベンゾインの甘い匂い、ハッカを中心としたものからはスギやヒノキの柔らかい香りが漂ってきた。


「どれも決められない、かな」

 ドーラは息をつきながらそう呟いた。

 ちょうどその時、店の扉が開く音がした。
 そちらへ向かうと、昨日会った青年、ハヴルスク侯爵の子息であるアレクサンドルと、紺色の髪をした少女――コレルンファ伯爵令嬢クララが来ていた。

「ごきげんよう、『ステルラ』の女主人殿」

 相変わらずの笑顔でアレクサンドルが挨拶をした。
 一方、クララは少し元気がなさそうに見えた。

「いらっしゃいませ、お二人とも」

 ドーラはアレクサンドルの挨拶にごきげんよう、です、と言って、彼らを応接間に案内した。



「じゃあ、僕から状況説明を軽くしておくね」

 ドーラが二人に紅茶を差し出した後、アレクサンドルがそう切りだした。彼女としては昨日、依頼をされたときに『コレンルファ伯爵令嬢を救ってほしい』としか聞いていなかったので、大歓迎だ。
 一方のアレクサンドルに連れられたクララはそれに微かな頷きをしただけで、ずっとうつむいていた。

「君も知っていると思うけれど、彼女の父親であるコレンルファ伯爵、というのは、うちの遠縁でさ。その関係もあって、しょっちゅうこちらから奥さんを出したり、向こうから奥さんをもらったりという関係があるんだ。
 んで、彼女も例に漏れず、僕たち兄弟の奥さんになるように昔から仲良くしていたんだ」

 そういうとますますクララはうつむいた。
 アレクサンドルも彼女の様子に気づいているのだろうが、気にする様子もない。

「僕とあの馬鹿――ドミトリーは性格が正反対でいろいろと苦労を彼女にもかけちゃったんだ。彼女はいつのまにか、あの馬鹿を好きになってね。
 もちろん、僕はそれについて文句はないさ。それが僕たちの家族の関係だからね」

 アレクサンドルはやれやれと肩をすくめながら説明を続けた。
 ドーラにはその関係がよく分からなかったが、顧客のプライベートなところまでは踏み込まない、という調香師としてのスタンスを守った。


「でも、ドミトリーもクララのことが気に入ったようだったから、僕としちゃあ、安心だった」

 アレクサンドルはそこで不意に言葉を切った。
 クララもその言葉でより一層、深く沈んだような面持ちになった。

「ハヴルスク侯爵家としても公認のことだから、クララがデビューしてからの舞踏会だって、ずっとあいつから離れなかった。
 僕はあいつに近づく女どもをただ、ひたすら追い払った。それなのに」


 彼はそこで、拳を強くテーブルに打ちつけた。

「あいつは先月のシーズン最初の夜会が終わってから、なんて言ったと思うか? 『俺は永遠の愛を見つけたから、クララとは結婚できない』って言いやがったんだ」

 怒りが治らないアレクサンドルはプライベートなことを話し始めた。自分たちのことを話されているのに、隣のクララは黙ったままだった。

「しかも、そんとき、隣に誰がいたか分かるか? エンコリヤ公爵んところのあばずれだよ」

 ドーラは彼の口から出た名前は聞いたことがなかった。
 エンコリヤ公爵、ということはポローシェ侯爵よりも大公に近い存在だから、もしかしたら大公邸ですれ違ったことがあるかもしれないが、正式な対面はない。

 アレクサンドルはますますヒートアップしていく。

「なんのために今まで、うるさくつきまとう女どもを追い払ってきたのか、労力を考えろっていうもんだよ」

 そこでようやく、クララがアレクサンドルの服をつかんだ。
 彼はここがどこだか、そして、誰に向かって言っているのか、気付いたようで、すまない、とドーラとクララに謝罪した。

「ううん。怒ってくれてありがとう。私じゃあ、彼に強く言えないから」

 クララは首を横に振った。ドーラもアレクサンドルの説明で彼女が落ち込むのは無理もない話であり、普通の婚約破棄でさえ女性にとっては醜聞になるものだ。二人の手助けをしていた実の兄にとっては怒りが治らないだろうと理解できたので、軽く首を横に振った。
 アレクサンドルは二人の返答にもう一度、申し訳ない、と言って机の上に置かれた紅茶を飲んだ。
 少し落ち着いたのか、赤かった顔色が元になっていた。

「まあ、その、なんていうのかね。結局のところはクララが落ち込んで、夜も寝れやしないって言ってるから、なんとかできないかっていうその、事情を説明したかったんだ」

 アレクサンドルは先ほどまでの激情に恥じているのか、少しどもりながら説明した。

 ドーラはふう、と息をついた。
 三人の事情は分かったし、彼の彼女に対する気持ちは分かった。

 
「分かりました。では、クララさん、あなたは眠れなかったりする不調をなんとかしたいですか?」

 もちろん、彼女がそれで苦しんでいるのは分かっていたが、彼女の口から直接は聞いていない。
 医学的な治療ではないが、患者自身の同意が必要だ。

 まさかドーラに聞かれるとは思わなかったのか、クララもアレクサンドルも少し驚いた顔をした。

「――――はい」

 それでも彼女はしっかりと頷いた。


「きちんと眠りたいし、起きているときもあの人のことばっかり考えたくない。すごくいらいらするし、ずっと不安なままも嫌だから」


 ドーラはその言葉を聞いて、わかりました、と大きく頷き、

「だったら、全力で手伝いましょう」

 そうにっこりと笑った。ドーラの笑みに少し驚いた顔をした二人だったが、やがてにっこりと互いに笑みを浮かべた。
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