調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

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2.黄金の夜鳴鶯

なにげない日常

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 クララとアリーナが入浴している間、ドーラは作業室にこもって翌日の準備をした。
「そういえば、今日、新しいフレグランスを作ったのか?」
 店頭の在庫の整理をしているときにミールがふらりとあらわれ、そう聞いた。
「うん。気付いたんだ」
 そういえば彼に香りのチェックをお願いするのを忘れていた、と思い出したドーラは作業室に慌てて戻ったが、あの試香紙は捨てたぞ、と言われちょっとミール、と彼に詰め寄ろうとした。

「あの試香紙は昼間っから出しっぱなしだったから、すでに匂いは飛んでた。それに明日の朝、チェックした方が互いにいいんじゃないか?」

 ミールの言葉にむう、と唸るドーラ。
 彼の言葉は間違ってない。
 作ったのは今日の午前中で、すでに匂いの成分はほとんど飛んでしまっているだろう。それに基本的に調香作業は午前中に行った方がいいもの事実だ。鼻が疲れてないときに嗅がないと、判断が鈍ってしまうから。

「じゃあ、明日の朝、この四つを試してみて」

 彼女はうん、と頷きながら頼んだ。その様子を見て、ミールは今日一番の優しい顔になった。
「ああ、分かった。ついでにポローシェ侯爵にも持ってくな」
 今は優しい色味を帯びている赤の瞳がドーラに落ち着きをもたらす。お願いね、そう言って手早く四つの空瓶に液体の一部を移し替え、彼に渡したドーラ。小瓶を受け取ったミールはりょーかい、と言って居住スペースに上がっていった。
 彼が去っていった後、ドーラは先ほどの続きをしようとして、商品棚の整理をしていた。できるだけ早く新作の準備をしなければ、と思っていてもなかなか思うように進まないときもある。そういうときは時間をかけて棚の整理をするのが一番だと知っている。

 今は社交シーズンなのだから、いざとなればフルオーダーでの注文に限れば良い。

 そう思えるだけの余裕がまだドーラにはあった。
「よし、今日はここまで」
 少し減った店頭商品を見つつ、満足そうに頷いた。さすがにクララたちが入っているので、浴室には向かわず、自室に戻った。

 自室にある椅子に座ったドーラはこちらにも置いてある香調大辞典を開き、ある項目を調べた。
「うーん、青臭さがあるのか。まだちょっと早いよね」
 そのページに書かれていた説明に唸る。本当は全ての精油を揃えたいが、なにせ一個あたりの値段が高いから、あまり希少価値の高いものは揃えにくい。今、調べているのは比較的安価だが、いつも使っていないので、常備しておらず、どういった匂いかも忘れかけていたのだ。
 違うページに移り、別の精油の説明を見て、ハッと気づいた。

「これだ」

 そこに書かれていたのは、比較的安価で光毒性もなく、アレルギー体質の人にも使いやすいものだった。
 クララのマッサージオイルにも最適であることに気づいたドーラは購入リストに書いた。
『おーい、先入れ』
 書き終わったと同時に外からミールに声をかけられたドーラは、それに返事をして、すぐさま着替えを持って浴室に向かった。

 浴室から部屋に戻ってきたドーラは明日することを確認して寝台に横になった。今日もいろいろあったが、昨日ほどの疲れはない。だけども体では感じていなかっただけで、かなり気を張っていたのだろう。目を閉じるとすぐに眠ってしまった。

 翌朝、すでにミールとアリーナは朝食をとり終わっていたようで、ドーラが居間にいくとクララが朝食をとり始めるタイミングだった。
「おはようございます」
 ドーラに気づいたアリーナは台所からミールの作った朝食を持ってきた。どうやらクララだけではなく、ドーラの給仕もしてくれるらしい。おはようございます、昨日は戸惑ったその一言をすんなりと言えた。

「今日はいつもの定番品にコレンルファ伯爵邸から取り寄せたイクラをつけさせていただきました」

 穀物で作った薄い生地の上に赤い粒がのっている。
 いつもは酸味が強いクリームやジャムで食べるけれど、クララを心配した両親が様子見ついでに届けてくれたのだろう。
 それを惜しげもなくドーラにものせてくれているので、ありがたくいただくことにした。
 ありがとうございます、そう言って受け取ると、こちらアリーナはニンマリしながらどうぞとと言った。

「ちょうど昨日、通いの商人からミュードラ大公国産のイクラが手に入ったとかで、奥様がお嬢様に是非ともと言われまして。もし、今度フェオドーラさんが望まれるのでしたら、是非とも奥様に申し付けてください」

 彼女の単刀直入な宣伝に思わずドーラは苦笑いしてしまった。隣を見るとクララも苦笑いしている。

「そういえば、たった一日経っただけですけど、少しだけすっきりした感じがします。今朝もアリーナがハーブティーを淹れてくれましたが、昨日と同じでさっぱりとした味でした」

 アリーナが台所に戻っていったあと、クララがそうこぼした。
 それはよかったです、とドーラは少し嬉しくなったが、すぐにその喜びは消えた。多分、クララがそう感じたのは、ハーブティーやバスソルトではなく、場所が変わったことによることのほうが大きいだろう。だから、油断はできない。

「今日からは私ではなくアリーナさんにハーブティーを淹れていただきます。私は日中、店の方にいますので、何かあったら呼んでください」

 生地を切り分けながらドーラが伝えた。クララははい、とニッコリ笑って食中のハーブティーを飲んでいた。

 昨晩の夜ご飯のときと同じようにドーラは手早く食事終え、店舗スペースに向かった。そこにはすでにミールがいて、昨日作ったフレグランスの試香をしていた。
「おはよう」
 彼女が声をかけるとああ、と彼は返した。

「昨日お前が作ったの、確認してた」

 相変わらず愛想のない顔でそう言うミール。

「やっぱりお前らしいな。どれもまとまりがある。たけど、このセージのフレグランスはないな。甘ったるさが好きな人にとっちゃ好きだろうが、嫌いな人にとっちゃ本当に最悪なもんだろう。ローズやマートルのは気持ちいいな。男にも好まれる匂いかもしれん。ハッカのは最初にくるすっとした感じが良いな。セージのにハッカオイルを入れてみるのもいいかもしれんな」

 同居人の処方箋レシピに意見していくミール。それを嫌な顔一つ見せず伝票に書き込んでいくドーラ。信頼ができるからこそ彼に聞ける。

「俺はこれくらいしか言えんから、ポローシェ侯爵にも一回、試してみる」
 ミールは出かけ間際だったようで、自分で小分けした瓶を四つ持ち、じゃあ行ってくると出かけていった。
 置いていかれたドーラは伝票に一通り書き込んだあと、開店の準備をした。

 その日は午前中、午後ともに大きな問題や事件もなく過ぎていき、気づけば夜になっていた。
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