調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

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2.黄金の夜鳴鶯

治療用と嗜好用

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 ちょうどそのとき、できたぞ、と言って、ミールが夕食を盛り付けた皿を両手に持って、部屋に入ってきた。

「美味しそう」
 皿が目の前に置かれたクララは、湯気の立っている料理に目を輝かせた。
「ええ、ここの料理人は我が家の料理人に負けないくらいの腕のようですねぇ」
 彼女の隣にちゃっかり座ったアリーナが評価に同意する。

「お前、一応メイドとして来たんだよな?」

 ミールは給仕もしないアリーナに咎める視線を向けるが、彼女はびくともしない。それどころか、ええ、料理はお任せしますと伝えましたよね、とニッコリ言い切られていた。
「信頼できるものが作ってない以上、メイドである私が相伴させていただくのは筋ではありません?」

 アリーナはそう告げた。
 これにはミールも諦めたようだった。さすがは貴族相手のメイドだな、とあきれ交じりにため息をつく。

「分かったよ」
 彼はすっきりとした顔ではなかったものの、それ以上の反論をしなかった。
「じゃあ、食べるか」
 席につき、神への祈りを捧げたあと、食事をはじめた。

 今日の夜ご飯のメニューは小麦粉で作られた皮で肉や野菜を混ぜこんだ餡を包んだものときのこがたっぷり入ったスープ。どちらもディルと呼ばれる香草が使われている。
「やはり美味しいですねぇ、お嬢様」
 アリーナは食べながらそうクララに言う。主人に言っているだけにも聞こえるが、ミールにも十分、伝わっているようで、たりめぇだろ、と睨まれていた。もちろん彼女が嫌いというわけではないだろう。おかわりするかと聞くあたり、伯爵家の舌を満足させれたことに嬉しいのだろう。
 食事中、クララはだいぶミールにも慣れてきたようで、ミールとも少しずつだけども話すのが聞こえ、ドーラはホッとした。

「じゃあ、お先に」
 フェオドーラは他の三人よりも一足早く食事を終えた。
「あれ、もう何かされるのですか?」
 まだ食事途中のアリーナは自分も何かしないといけないのかと焦りながら尋ねた。

「ええ、少しこの後の準備をしようと思いまして」
 ドーラはにっこりと笑いながら、焦らなくて大丈夫ですよと、慌てるアリーナを制した。
「二人ともゆっくりと食事を召し上がってください。そうですね、アリーナさんには湯あみのときに手伝ってほしいことがあるので、そのときはお願いできますか?」
 この予定を頭の中で組み立てながら、アリーナにお願いをする。

 ええ、もちろんですよ、アリーナは二つ返事をして、よろしくお願いしますとクララも頷いた。

 食器を流しに持っていったドーラは階下の作業室に向かった。
 鍵付きの棚から白い粉が入ったボトル、石蝋でできた乳鉢と乳棒、そして、数個の褐色の小瓶を取り出した。白い粉をスケールで測り、乳鉢に入れ、小瓶から精油を数滴たらし、よく乳棒ですりつぶして混ぜ合わす。
 混ぜ合わす時間はごくわずかだが、力強く、そして均一になるように何度も乳鉢を回転させる。
 できたものを金属製の深皿に移して、もう一種類、似たようなものを作った。

 そして、白い粉といくつかの褐色瓶を棚に戻し、今度は透明な液体が入った瓶を二本と別の褐色の小瓶、そして液体をはかるための目盛付きのガラス器具を二本、そして空の霧吹きを二つ取り出した。
 目盛付き付きのガラス器具に透明な液体をそれぞれ規定量加え、三種類の褐色の小瓶から精油をそれぞれ数滴加えた。それを霧吹きに入れ替えて、ふたを締めた後、しっかりと振った。
 同じ作業を精油を変えてもう一度行った。

 器具や瓶類を片づけた後、出来上がった物を持って二階へ上がった。
 すでに三人とも食事が終わっていて、居間にはアリーナがテーブルの掃除をしているだけで、ミールは片づけのために流しの前に、クララは客間に行ったようだった。
「おかえりなさい、ドーラさん」
 彼女が戻ってきたことに気付いたアリーナが声をかけた。

「ただいま、ですね」
 普段、あまりミールとはこういったやり取りをしないからか、何故だか少し気恥しくなったドーラはアリーナが自分の手元に向けた視線に気づいて、ああ、と説明し出した。もうほとんど終わっていたのか、彼女はクロスをテーブルの上に置いて、メモを取り出して、ドーラの説明に耳を傾けた。

「今日は初日だったので、ハーブティーを淹れるのもすべていたしましたが、基本的にこれからは私が出した処方箋レシピをもとにあなたにも手伝っていただきます」

 そう言いつつ持ってきたものを置き、台所から数種類のハーブと大きな空のガラス容器をテーブルの上に置いた。
「まずはハーブティーの説明をします。今回クララさんに飲んでいただくのはパッションフラワーとジャーマンカモミール、バレリアン、そしてリコリスをブレンドしたものです。配合割合ですが、パッションフラワーとバレリアンをそれぞれ一とするのならば、ジャーマンカモミールを四、リコリスは〇・二五です」
 そう説明しながら瓶にドライハーブを入れていくフェオドーラ。
 アリーナはドーラの手とガラス容器の間を行ったり来たりしていた。

「ここにお二人がいらっしゃる間は原則、私がブレンドいたしますが、結構汎用性の高いブレンドなので、伯爵邸に戻られたのちでも単品でドライハーブを買っていただければ、こうやってブレンドすることは可能ですので、ぜひ覚えて行ってください」

『香り』を扱うのには厳しい試験を通った認定調香師しかできないが、ドライハーブや精油を作る原材料となる植物を育てること、そして嗜好品としてのハーブティーのブレンドは調香師としての免許がない人でも条件さえそろえばできるという例外がある。
 ただし、薬としてのハーブティーは調香師の免許を持つ人間がブレンドしなければならないという但し書きもあるのだが。
 だから、ドーラはせっかくならばと、アリーナにハーブティーの淹れ方を教えたかったのだ。

「そして、茶葉を普段使っているティーポットに大さじ一杯入れて、沸騰してほんの少しだけおいたお湯を八分目まで注ぎます。そして、蓋をして二、三分待って、カップに注ぎます」

 実践しながら説明するドーラ。ちなみにお湯はちょうどいいタイミングでミールが持ってきてくれたものを使った。
 アリーナは必死にメモを取って、カップに注がれたハーブティーを見つめていた。
「先ほどと色が変わりませんねぇ」
 どうやら注がれたハーブティーの色が変わらないのが驚きの原因のようだった。

「確かにお湯をポットの中に入れてから時間が経ちすぎたり、使うハーブの種類によっては色が変わったりすることもありますが、基本的には変わりませんよ」

 アリーナが言いたいことがなんとなくわかったドーラは、あえてそのことには触れずに苦笑いしながらはい、どうぞとカップを差し出す。しかし、カップを差し出されたアリーナは取って良いのか迷った挙句、手を少し動かしていた。何故彼女が迷っているのかという理由に気付いたドーラは大丈夫ですよ、と言う。
「これは緊張の緩和に効果的なハーブティーなので、誰が飲んでも問題ありませんよ」

 ドーラの言葉に勇気をもらったアリーナはじゃあ頂きます、と言って受け取って飲んだ。
「なんか口の中でお花が開くよう。ちょこっと苦みもあるけれど、そのあとからくる甘さが良いですねぇ」
 彼女の感想は少し独特だったが、なんとなく言いたいことは伝わった。

「ええ、そう言っていただけて嬉しいです。できれば朝昼晩の三回、少なくともここにいるときは毎日、伯爵邸に戻られてからも続けて飲まれることをお勧めします」

 カップを置いたアリーナは再び必死にメモを取る。

「これでハーブティーの説明は終わります。次は入浴時におけるトリートメントです」
 そう言ってハーブティーを置き、先ほど作った白い粉末の皿を手前に持ってきた。
「普段は体にお湯をかけて、汚れを落とすくらいでしょうか」
 フェオドーラの質問に頷くアリーナ。

「であれば、この方法はかなり効果的だと思います」
 と言いつつ、皿を持ちながら彼女を一階の浴室に案内した。ミールがすでに火を焚きだしていたようで、いつでも入れるようになっていた。
「これはバスソルトと言って、粗挽きされた岩塩に精油を加え、しっかりと混ぜたものです。ただし、作り置きはできませんので、毎日作らせていただきます。アリーナさんはこれをお湯の中に入れてしっかりとかき混ぜてください。体を洗った後に、このお湯に半身だけ、そうですね、十分くらいつかっていただくと、お湯の温度との相乗効果で汗をしっかりとかくことができると思います」
 そう言いつつ、アリーナに皿を渡す。
「もちろん、今日はじめての治療なので、どこまで効くかは分かりませんが、もし途中で気分が悪くなったりしたらすぐに私を呼んでください」

 説明にはい、と頷くアリーナ。彼女はクララを呼びに行くために居住スペースへ戻ろうとした。
 ああ、そういえば、とドーラは慌ててアリーナを呼び止めた。
「アリーナさんもよければこちらをお使いください」
 と言って、戻ろうとした彼女に紫色の皿を渡した。まさか自分に渡されるとは思わなかったらしく、驚いた様子を見せた。
「だいぶお疲れのようなので、アリーナさんもクララさんと同じ方法で入浴してください」
 ドーラは彼女の驚きぶりに動じずに続けた。当のアリーナはその皿をじっと見つめているだけで、はいともいいえとも言わなかった。
 しかし、何か言うことをまとめたのか、キュッと顔を上げてドーラに告げる。

「あの、私のことは気にされなくて良いんですよ、ただのメイドですし。どうせお嬢様と違って伯爵邸に戻ってからはこんな贅沢な入浴方法はできませんし。それにあとからお金をドーラさんにお支払いできませんから、残念なことにここの客にはなれませんよ」

 その返答になるほど、と納得したドーラ。
 しかし、そんな些細なことを求めている彼女ではない。

「ええ、分かっていますよ、アリーナさん」

 ドーラもまたきっぱりと答えた。

「アリーナさんがただのメイドであることは十分、承知しておりますよ。だから、治療ではなく、ただの嗜好品としてこちらを使ってください、と言っているのです。それに、これをずっと使ってほしいわけではなく、わざわざこちらに来られているのですから、せめてここにいる間だけでも使っていただければ、と思ったんです。だから無理してここの客にならなくてもいいです。もしそれで心苦しいのであれば、他の人に勧めるだけでも良いんですよ?」

 彼女のお茶を濁さない言葉に虚をつかれたような表情になるアリーナ。
 少しの間、考えていたのだろう。やがて最終的に、ではありがたくいただきますね、と彼女は折れた。
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