ナナイの青春生存戦略

しぼりたて柑橘類

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50.人ではないことを忘れてはならない

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 肝試しの騒動も終わった月曜日の放課後。俺は一人生物室に隣接する小部屋、いわゆる準備室に呼び出されていた。


 「悪いなぁ、急に呼び出してもうて」
 

 ドアから半身だけ出した大幣先生は、いつも通りの胡散臭い笑顔で俺を招き入れた。
  
 入口はドア一枚だけだと言うのに、部屋の中は想像より広い。白い壁には大きなガラス棚が所狭しにと並んでいる。おそらく中には標本、薬品、実験機材が並んでいるのだろう。
 
 中央のテーブルは一面が書類の山で埋め尽くされ、座面のスポンジが飛び出たパイプ椅子が立てかけてあった。まさかこれに座れと言うんじゃないだろうな。

 ちらりと大幣先生の方を見たが、相変わらず笑顔が崩れない。有無は言わせぬぞと目が語っている。

 俺は覚悟を決めて生物室準備室に足を踏み入れた。


 「……どうも、お邪魔します」

 「そないに固くならんでええって、とりあえず座りや。お茶しか出せへんけどゆっくりしてってな」
 
 「いえ、お構いなく」
 

 そう言ってはみたが、大幣先生は俺の前に茶の入った湯呑みを突き出してきた。いつの間に煎れたのだろう、湯呑みからは湯気と共に緑茶の青い臭いがたっている。


 「いやいやいや。もう湯呑みに入れてもうたから、受け取りなはれ。見ての通り、ここにはなんも置かれへんねん」
 

 遠慮の思いから向けた手のひらに、グイグイと白い陶器を突きつけてくる。それも書類の山の上でだ。見ているこっちがヒヤヒヤしてくる。

 
 「そんなに言うならわかりました。いただきます」

 
 とうとう俺は折れ、湯呑みを受け取った。手のひらを徐々に表面から焦がされる感覚は、絶妙に耐え難い。湯呑みはしばらくの間俺の右手と左手を行き来することになった。

 茶をこぼさぬよう、慎重に椅子を引っ張って腰掛ける。何とか無事に座れたが、座り心地はあまり良くない。座面からネジやら骨組みやらが露出しており、普通に痛い。


 「はぁーどっこい」


 しかし大幣先生は何食わぬ顔で熱い湯呑みをすすりながら、ガタガタの椅子に座った。この環境に慣れすぎである。他人の家に上がり込んだ時のような居づらさである。早々に要件を聞いて退散しよう。

 
 「それで、話って何ですか?ユーの制服の話なら、俺じゃなくてユーを呼ぶはずですよね」

 「せやねん。他でもなく、あんたに話があるんよ」


 大幣先生はズズズと3啜りほどしてから、顔を上げた。
 

 「あんた、何者なにもんや?化生の血ぃとか引いてへん?」

 「ただの人ですけど?コズハとかユーに比べたら真っ当に人間ですよ」

 「ほんまかぁ?僕は疑っとるで」

 
 大幣先生は白衣の内ポケットから写真を取り出して俺に投げ渡した。受け取って一目見た瞬間分かった、家庭科室で会った髪長の写真だと。写真の中のそいつも相変わらず、乱れ髪の隙間から細い目を覗かせていた。


 「そいつ覚えとるか?『ニア』言う化け猫なんやけど」

 「覚えてるも何も忘れられそうにないですよ。
 急に迫ってきたかと思ったら、人のことを罵るだけ罵って出ていきましたし、あいつなんなんですか?」

 「そいつな、人の欲望にとことん敏感やねん。それで人を誘惑したり利用したりするんやで」 

 「へぇ、でも先生とかユーも人の考えてること分かるじゃないですか」

 「それとはちゃうねん。僕らは考えてる中身を直接見られるだけであって、本人も考えてへんような深層心理までは探れへんねん」


 大幣先生は湯呑みを一気に傾けて空にすると、俺の目を見てきた。


 「ここからが本題なんやけど、そいつが『興味を失うた人間』はいーひんのや」


 脳みそを直接ぶん殴られたような衝撃が走って、肝が急に冷えた。


 「え、俺ってそんなに面白くない人間なんですか……」

 「いや、ちゃうねん。あいつ気分屋やろ?気に入られるかどうかはその時の運なねんけど、一度気に入った人間の興味を失うなんてあらへんねん」

 「……じゃあ原因って、俺の欲望が見えなかったからですか?」

 「せやね、誘惑出来ひん思て見限られたんやろな。普通の人間はまずそんなことあらへんのやけど……あんた心当たりあったんや?ちょっとだけ安心したわ」


 大幣先生は背もたれに寄りかかると、わざとらしく息を吐いた。そして俺に視線を落とす。


 「そこそこ受け入れてるみたいやけど、昔からそうなん?」

 「そうですね。コズハと出会った頃くらいから、俺はずっとこうでしたよ」
 
 「……そうか」
 
 
 さらに背もたれに体を預け、先生は背中を伸ばす。パイプ椅子がギィギィと悲鳴を上げた。

 大幣先生は押し黙り、俺も俺で湯呑みに口をつける気になれなかったので呆然と外を眺めていた。一体大幣先生は何を思っているのだろうか。準備室の中は静寂が続いた。

 しばらくして、ふと先生が口を開いた。


 「ユーのことはどう思てる?一時的に家で保護しとるらしいな?」

 「最近は家事も手伝ってくれるので助かるなって思ってますよ。コズハを起こすのも手伝ってくれますし」

 「……そうか。なら待たせんと、早う行かなあかんな」


 大幣先生はポツリと呟くと、俺の手から湯呑みを預かり、部屋に備え付けの流しに立った。
 

 「聞きたいことは聞けたわ。差し迫って問題は無さそうで安心したわ、ありがとな」

 「そうでしたか。それじゃ、また明日」
 

 俺が立ち上がろうとした時、


 「せやけどな」


 大幣先生はそう言って振り返った。


 「僕はユーのことを、少しは疑った方がええと思うで」

 「……どうしてですか?」

 「なんであんたの名前を知ってたかまだはっきりせえへんのやろ?あんたには記憶が無い訳やし」

 「それは……そうですけど。でも和唐ナナイって人間を探しに来たって」

 「仮にそうやったとして、ユーはこの星に居住する気満々やで?はるかに文明レベルが下の星に、その星の生命体に化けてまで長居する意味はあるんか?」


 確かに俺はユーと完全に友達になっていたので意識するのも忘れていたが、ユーがなぜこのタイミングで『和唐ナナイ』を尋ねて来たのかははっきりしていない。それに制服まで用意して貰っているのだから、来てから居住まで決断したということだ。

 ユーには、今でこそ壊れているが宇宙船がある。その気になれば帰ることだって可能だったはず。なぜ、そうしなかったんだ?


 俺が考え込んでいると、いつの間にか大幣先生が俺の目の前まで来ていた。


 「君ら僕の卑劣やなんや言うとったけど、これが人外のやり方や。野生の観察眼で日々つけ入る隙を探しては、理不尽な能力をふんだんに使こうてだまくらかすんや」

 「……っ」


 即座に否定したかったが、先生の目が静かに俺を目を見ていた。深呼吸して、続きを聞き入れる覚悟を決めた。

 
 「きっとまもなく、ユーの裏が分かる。あんたはそれ知って尚、ユーを信じられるんか?」

 「信じてなかったら、俺の一番大事な幼馴染を預けてませんよ」

 「うん、そうか。知っとるならええねん」

 
 大幣先生は気の抜けた笑みを浮かべて手を振った。


 「ほな、気をつけてな」

 「はい。次はちゃんとお茶飲みに来ますね」

 
 俺はそう言って、二人の待つ教室へと向かった。
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