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Ⅴ:神々とは如何に - ユキトの考証 -

故郷へ / END

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     ◇

 爽やかな風が吹き抜ける中を、一人、静かに歩いていた。
 空。
 もう日は落ちていて、既に、深く暗い闇が広がっている。

「闇の中で心が落ち着く。やっぱり。ボクは根っからの悪人なのだろうね」

 など、独り言つ、夜の道。
 星の降る世界を見上げながら、黒いコートを靡かせて、ユキトはゆっくりと歩く。
 目的の宿はもう目の前だ。

「さてさて。アリスはちゃんと大人しくしているかな。いや。怒っているかな」

 いくら一日を貰ったとはいえ、日が落ちるまでかかるとは、アリスにも言っていないのだから。
 怒られたとしても文句は言えない。
 罵詈雑言を浴びせられるか。
 ぷりぷり怒っているか。
 大体は二択だろう。

「どっちでも良いけど。ね」

 ユキトは小さく微笑んだ。
 どうせ、ひとしきりに怒った後にはユキトのコトを許すのだから、別に構わない。
 彼女はユキトを手放さない。

 ……――アリスが、ユキトを反故にする、そういう未来が訪れない限りは。

 ユキトの心は平穏で在り続けるだろう。


     ◇


「アリス。ただいま」
「……――あら。お帰りなさい。ユキト」

 ふわり、と、椅子に座った少女アリスは小さく笑う。
 あれ、と、ユキトは大きく首を傾げた。
 おかしいのだ。

「ねえ。アリス。どうかしたの?」
「ん……」

 問いかけるユキトに対して、アリスは特に感慨もなく、ただ、小さく首を傾けた。
 心、ここに、在らず。
 そんな状態のままである。

「アリス……?」
「ふふっ――……。そうね。あまり無茶も言っていられないわ」
「?」

 直後、少女は小さく笑みを零す、それはまるで嘲笑のようであった。

「なんでもないと。そう思うのだけれどね。どうしてかしら――……?」
「(……?)」

 瞬時にアリスの言葉が理解できず、かみ砕いてもなお、アリスの言葉は理解出来ないままである。
 奇妙。
 アリスが滅茶苦茶であるコトは言わずもがな、しかし――……、意味不明な言葉を繰り広げるような少女ではない。
 つまり――。

「……――悩みがあるのなら。言わなきゃ駄目だよ。アリス」
「――――」

 その沈黙はつまり、ほぼ肯定と同義であり、首肯である。
 悩みがある。
 言外にアリスはそう言ったようなものである。

「ボクはどんなコトがあったって。アリスの味方で在り続けるし。なにを言われても別に構わないのさ」
「そうかも知れないわね。貴方は。そういう人だもの」

 ふぅ、と、彼女は小さく息を吐く。
 観念。

「次の神託の街の名前。貴方にはまだ言っていなかったわね。キチンと教えないと。駄目だもの」

 溜めてから、ぽつり、それは短い一言であった。

「〝ローナ〟」
「…………」

 たった三つの言葉である、が、それは非常に重い言葉であった。
 
 ユキトが生まれ育ち、そして、すべてを失った街の名前。

「そう。私とユキトの始まりの地。貴方と私が出会った場所でもある」
「……――そうだね。ボクとしては。まあ。意外でもないんだけどさ」

 西方の地を旅していれば、いつかは足を踏み入れるコトになる、そう思っていたのだ。
 当然のコトである。
 〝ローナ〟は西方の地で最大の王国、その中央都市の名称であり、通称を〝帝都〟と呼ぶ。
 〝皇帝〟が座する希有な街。
 その権力は他国の内部事情にすら通ずるとさえ言われている。
 なればこそ。
 〝粛正〟の対象は山のように存在する。
 いつかは踏まねばならぬ地。
 そう思っていた。

 ユキト=フローレスが生まれ育ち、そして、半生を過ごしてきた土地。

 ローナの地にフローレス有り。
 今となっては。
 名残程度であるのだが。

「で。アリスが情緒不安定になっていたのは。ソレが原因かい?」
「…………」
「別に。ボクは昔のコトなんて引きずっちゃいないし。今さら自分の身内がどうこうと言うつもりもないよ。早い話。どうでも良いんだよね。そんなコトは」

 今やボクの顔を覚えている者がいるかどうか。
 そう呟くユキト。
 なにせ八年も昔の話だ、十五歳の青少年は、今や立派な青年になったのである。
 そうでなくても、血を浴びすぎて、色々と変わってしまったように思う。
 純朴な貴族の次期当主は、今や、ただの人殺しに堕ちている。
 没落貴族である。

「(いやいや。笑い話だよねえ……)」

 ウケる。
 ユキトは一人で小さく笑っていた。
 そう、つまり、その程度のコトなのだ。
 アリスと共にいる。
 その方が、よっぽど、愉しいじゃないか。
 と。

「ぷっ。ふふっ――……」
「ふむ?」

 なぜだろう。
 笑うユキトを見て、今度は、アリスが小さく吹き出すのだった。
 なぜ?

「ユキト。一緒にご飯を食べましょう?」
「ん……」

 そう問いかける前に、アリスは、部屋に備え付けてある椅子から腰を上げ、立ち上がった。
 すすっ、と、ユキトの側まで歩いてきて。
 きゅっ、と、手を握るのだ。

「ね?」
「(ふぅむ……)」

 少女に手を引かれ、そのまま、ユキトは部屋の外へ連れて行かれた。
 うやむやにされた。
 そう思わなくもないのだが。

「そうだねえ――……。じゃあ。なにを食べようか?」
「今日は特に美味しいものが食べたいわ。ユキト。ご馳走して頂戴」
「ああ。エスコートはボク持ちなのね」
「当然でしょう。貴方はジェントルメンで私はレディなのだから。エスコートはされて然るべきだわ」
「ふふっ。はいはい……。分かりましたよ」

 笑う青年、彼は少女に手を引っ張られながら、歩みを進めていく。
 その思惑、その内側、深くまでは聞くまい。
 彼なりの気遣いだった。


 ただ――。
 と言えば聞こえは良いものの、ソレは、言ってしまえばただのである。


 追求すれば、あるいは、未来は変わったかも知れない。
 だが。
 変えられない。

 すぐに。彼は後悔をするコトになるのだ。ソレは定められた運命さだめである。

 手に握った少女の温もり。
 それは。
 刹那の中にあるただの夢。

 いや。初めから。すべてが夢で在ったのか――。

 そう思う、いつの日か、そんな彼の姿があった。
 遠い未来。
 面影、薄れる、そんな世界の中で。

 彼は。
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