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Ⅷ:終わりの足音 - 災禍 -

敗北の剣王 / Side F

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     ***

 言葉もなく、ただ、立ちすくんでいるだけの男がいる。
 フリード=ヴェンルク。
 つい先ほどまで、ユキトと死闘を繰り広げ、その上で、敗北寸前にまで追い詰められ、自らの死を覚悟していた男である。

 一騎打ちの勝敗は、もはや、着く寸前だったのだ。

 ユキトの剣が、三度、フリードの薄い鎧を裂き、身体のいくつかからは出血が見られていた。
 そして――。
 最後、その銀の剣は、フリードの身体にある〝隙〟を貫く。
 致命的な一撃が決まる。
 圧倒的な剣才はフリードをも上回り、実力に経験も積み重なった、剣王すらも超える化物と化した。

 手をかける、最後、その瞬間に異変が起きたのだ。

 ユキトが攻撃を止め、そして、ただ事ならぬ表情で、アリスの方に目を送った。
 フリードもすぐに気付いた、ソレは、影に潜む重い殺気である。
 殺気の方向には、剣王のあるじの男性――ヴィル=プロイ――が、狙撃銃を手に立っている。
 殺気が向けられている先は、違う、此方ではない。
 つまり、狙いは、少女アリスである。

 大切な少女に、守るべき存在に危機が及んでいる、その事実をユキトは瞬時に悟ったのだろう。

 だからこそ、剣を棄ててまで、彼は一目散に少女の元へ奔った。
 騎士の命である剣を、フリードに投げつけ、時間を稼ぎ、決闘という絶対的な取り決めを反故にしてまで、捨て身、そう思わせるほどに清々しい行動を取った。
 結果、アリスは死を逃れ、対価として青年は血飛沫の中へ沈んだ。

 騎士として、負け、死を受け入れたフリードの胸中は、極めて、複雑そのものであった。

 敗者として立ち、そして、なお、生者として、この場に立つ。
 赦されざるコトだった。
 剣王として、否、騎士として。

 自害、その行為を取っても、彼の中では別段に不思議なコトではない。

 誇り高き騎士。
 故に。
 現状を彼は受け入れるコトができなかった。

「戦いに水を差すようで悪いが――。余は確実な勝利を望む者。故に。こうして手を下したまで」

 ザッザッ、と、フリードの元まで足を進める皇帝ヴィル
 狙撃をするための距離から、一転、交錯する程度の近い場所まで詰めてくる。
 安心感、皇帝からは、そんなモノが感じて取れた。
 殺戮少女の片割れを落とした。
 勝ったも同然である。

 片手には、まだ、硝煙の熱を放っている狙撃銃を持っている。

 戦の作法としては、別段に、間違ったコトはしていない。
 相手の隙を突き、そして、刈り取れる命を落としていく。
 そう、一つとして、間違ったコトはしていない。
 ただし。

「文句はあるまいな?」
「…………」

 返答はない、否、返す言葉を失っていた。
 そう問われても、剣王には、返せるだけの言葉を持っていないのだ。
 従者として、主の命令は絶対であり、逆らうコトは許されない。
 だが、受容できるかと言えば、それは別の話である。

 皇帝、ヴィル=プロイは笑っていた、嘲笑である。

 フリードの返答は待たない。
 ただ。
 狙撃銃を、ユキトの元へ走り出す、そんな少女の方へ向けるのみ。

「後は。。あの娘を始末すれば――。すべてのことは終わるのだ」

 チャキン、と、皇帝が狙撃銃を構えた。
 悲痛な面持ちで、駆ける、その少女を背後から撃ち抜こうとする。
 剣王、だが、それを止めるコトができない。

 命が終わる、その運命は、きっと避けられない。

 そう思っていた。

 〝神託通り……?〟
 と。
 そんな言葉が、何処からか、鳴り響いたように思う。

「「……――ッ!?」」

 直後。
 まるで、その世界のすべてが凍り付くような空気が、その場を瞬時に覆い被せた。
 発生の元。
 それは、口から血を流しながらも、意に介するコトすらないまま、皇帝を睨め付ける、青年、ユキト=フローレスの姿であった。
 深い。
 昏い双眼。

「……――っ、ぅ」

 歴戦の騎士、フリード=ヴェンルクですら、動くコトが叶わない。
 常軌を逸した、殺気、あるいは、憎悪であるのか。
 ぞわりっ、と、悍ましい狂気を直感させる黒眼。
 人間が出せるモノとは、到底、思えない。
 人の理を越えている、そう、フリードは直感的に理解をしていた。

 彼は、本当に、人間なのか――……?

 息も絶え絶え、後に控えるのは死であるハズなのに、なぜ、彼は動ける?
 そして――。
 そんな彼を目の当たりにして、なおも、死の予感を直感させる。
 当然、皇帝であるヴィル=プロイも、動けない。
 彼は騎士でも、なんでもない、ただの一人の貴族に過ぎない。
 そう、誰もが、動けない。
 時間が、そう、止まっている。

( コ ロ ス )

 身の毛もよだつような、双眼、その瞳でユキトはそう主張している。
 伝わる。
 それは、聴覚を超越した、感情の中に入り込む色だった。

 何処にいても。
 なにをしていても。
 ボクは。

『〝忘れない。――覚悟して待っていろ。必ず殺しに行ってやる〟』

 おかしい。
 彼は、口を開いていない、だが、言葉はフリードとヴィルの耳に届いている。
 青年は、もう、事切れる寸前だ。
 恐怖を覚えるには、あまりに、非現実的な状況である。
 だが、いつの日か確実に、フリードはユキトに殺されるという瞬間を確信していた。
 違う、何処かの世界で、いつの日か。

 ……――そうして、血を流しながら、ユキトは地に向かって堕ちていく。

 その身体を、アリスが、辛うじて最期に掴み取ったのだ。
 抱え込み、そして、抱きしめる。
 愛、想い、願い。

「ユキト……ッ」

 少女だけが、あの、止まった時間の中を動けていた。
 そう。
 彼が、愛する、殺意を向けるべくもない。

 最愛の人。

 命を擲ってまで、守った、騎士としての最高の姿である。
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