政略結婚の作法

夜宮

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純真な恋人

01. 白い結婚

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 アニエスは近頃気が付けばいつもそうしているように、ぼんやりと窓辺に佇み、見るとはなしに綺麗に整えられた庭を眺めていた。

 半年前にアニエスの実家とは比べるのも烏滸がましいような格上の裕福な伯爵家に嫁いできてからというもの、何不自由のない贅沢な暮らしをさせてもらい、夫となったクロードをはじめとして、使用人や下働きの一人一人にいたるまで皆アニエスを大切に扱ってくれている。

 満たされない思いなど感じるべきでないことはよくわかっていた。

 この結婚はアニエスにとって必要なこと。自分だけでは考えることすらできなかったような待遇を受けさせてもらっているのだから感謝しこそすれ不満など抱くべきではないのだ。

 わかっている。わかってはいたがアニエスはたまらずに先ほどから何度もため息をついているのだ。

 アニエスの生家である子爵家は困窮しているというほどではなかったがさほど裕福であるわけでもなかったため、これまでアニエスは慎ましい生活を余儀なくされていた。

 それでも家族仲は良く、両親や兄はアニエスを愛してくれていたのでずっと幸せに暮らしてきた。

 アニエスは愛らしい容姿と素直な心根をもっていたため、まわりからずいぶんと可愛がられて育った。

 もちろん、アニエスだって若い娘らしい憧れからくる嫉妬や不満を抱かなかったわけではない。

 いつも最新のデザインの綺麗なドレスや小物を持っているような令嬢たちを見て羨ましがったり、大きなお屋敷で大勢の使用人に囲まれて過ごすことを当然のようにしている高位貴族の生活を夢見たこともあった。

 それから、現実にはアニエスを望んでくれるような男性は、やはり同じような家格の、実家と変わらないような経済状態の家の平凡な子息だろうというのが少し物足りないような気持ちにもなったものだ。

 若い娘なら颯爽とした素敵な男性と恋に落ちて、沢山の豪華な贈り物をされたり、オペラや観劇に連れ出されたり、食べたことのない美味しい食事をご馳走になったりと夢のような経験をしながら遂には皆に祝福されて結ばれる、という空想に浸るのも無理からぬ話だった。

 だが、アニエスは本心から多くを望んでいたわけではなかった。

 夢は夢として、現実には愛し愛される伴侶を得て慎ましくても大きな幸せを掴むこと、それがアニエスの心からの望みであったからだ。

 自分の両親のように平凡だが互いに信頼しあい、愛し合えるような関係を築けるような人と穏やかな幸せを分かち合えるようなそんな結婚ができればいい。

 元より政略結婚などする必要もないような家に生まれたのだから、互いに相手に好意をもった結びつきが自然と結婚へと向かうようなそんな恋をしてほしいというのが両親の願いでもあった。

 だが、そんなアニエスに想像もできないような出会いが訪れた。

 そしてアニエスは一目で恋に落ちてしまった。激しい恋に。

 お相手はアニエスとは身分が釣り合わない、この国で最も高貴な身分を持つ王子様だ。

 王子とアニエスはある夜会で知り合った。

 それは本来なら王子が参加するような立派なものではなかったが、王子曰く、悪友に誘われてお忍びで参加していたのだという。

 アニエスはその容姿からか夜会などではよく男性の目を惹いた。

 彼らは愛らしく、素直なアニエスに優しくしてくれる良い人たちで、決して邪な思いでアニエスに声をかけてくるような人ばかりではなかったのだが、その日はいつもと少し勝手が違っていた。

 ダンスに誘われた後、そのまま静かな場所で少し話をしていたまではよかったのだが、何を思ったかその男性は急に強引にアニエスに迫ってきたのだ。恐れ、戸惑っているところに王子が現れた。

 文字どおり白馬に乗った王子様のように現れて、あっという間に不届きな男を追い払い、困っていたアニエスのことを助けてくれた。

 そして、その後も優しく気遣ってくれた。

 その日はすぐに別れの時間がきてしまったが、次にアニエスが出席した夜会で再会した後、王子様に誘われてアニエスは何度か彼と会うことができた。離れた場所に何人もお伴の人達はいたものの、ほとんど二人きりでだ。

 そして、そして、とてもとても信じられないことに、王子のほうでもアニエスに好意をもってくれたのだ!

 二人の思いは瞬く間に燃え上がり、アニエスと王子は秘密の恋人になった。 

 なぜこの素晴らしい恋心を秘密にしなければならなかったのか。

 それは王子には既に婚約者がいたためだった。

「私は国のためにどうしても有力貴族の娘である彼女と結婚しなければならない。だが、私の心は未来永劫、君だけのものだ」

 王子の立場や、己の恋が妻という地位を得るという結末を決して迎えられない事を知ったアニエスは二人の運命を呪った。

 夢のような恋が現実になった瞬間だった。
 辛くて、それ故に甘美な本物の恋。

 ある瞬間には愛し合っているのに引き裂かれなければならない辛い現実に打ちのめされ、またある瞬間にはそれでもともにいたいと願う甘くてとても苦い気持ち。

 そんな思いを繰り返すうちに恋人の王子を愛しいと思う気持ちが燃え上がっていく。

 夜も眠れなくなくらい、側にいるだけで天にも昇るような気持ちになるくらい、王子に愛を囁かれたらそのこと以外何も考えることができなくなるくらい、愛しい人のことを考え、アニエスは幸福だった。

 一方で、政略結婚については考えず好いた相手と婚姻すればよいと言われて育ったアニエスに染みついていた常識から、どうやっても正式な形では結ばれない二人であることが、やはり悲しかった。

 王子の妻は正妻となる婚約者ただひとり。それでも愛を貫こうとするならば日陰の身として生きるしかない。

 だがそれは茨の道だ。

 王子への愛は本物で、王子もまたアニエスを本気で愛してくれているのが痛いほどわかっていたが、しがない下級貴族の娘が王子の愛人として生きるというのは並大抵の覚悟ではできないことであるのは初心なアニエスにも想像できた。

 公妾という制度があることも知ったが、王子の婚約者の実家である公爵家への配慮から、王子のほうもアニエスの存在を大っぴらにはできないという事情があった。

 婚姻後、圧倒的な権力をもってアニエスを囲うための力をエドワード王子が持てるまで何年かかるかわからない。

 だからアニエスとエドワード王子はせめて彼が婚約者と結婚するまではこの恋を大切にしようと、寸暇を惜しんで逢瀬を積み重ねることしかできなかった。

 恋人の結婚後は関係を絶つのだからせめてそれまではと大切にその日々を愛おしんだのだ。

 運命を呪い、それでも互いを愛する気持ちを捨てきれず、会える時間だけを支えに過ごす日々は、悲しみと隣り合わせではあったが二人の愛をさらに深めた。

 アニエスとエドワード王子は確かに愛し合い、互いに相手を唯一無二だと知っていた。

 離れがたいほどに高まる想いと、これほどまでに愛し合っているのに、期日がくれば離れる事ができるのがという不安。

 しかし、悲壮な覚悟を決めていた二人に青天の霹靂とでもいうようなことが起こった。

 運命の女神は愛し合う二人を見捨てなかったのだ。
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