悲隠島の真実

エピソード3：隠者

太陽の光

―――

「ところで陽子のお母さんの事はどう思ってるんですか？」
　外に出て船を待ちながら星美さんが坂井さんに向かって言う。坂井さんは風に髪を靡かせながら星美さんの方を向いて苦笑いをした。
「もちろん、一番憎いよ。元凶はあいつだからね。」
「それなら誰よりも早く手にかけますよね。でも陽子のお母さんが亡くなったなんて聞いた事ないです。それとももう……？」
「それが何処にもいないんだ。」
「え？どういう事ですか？」
「家も別荘も会社も、楢咲に関係する場所をくまなく探したんだが何処にもいない。行方不明なんだ。」
「流月君は？お母さんが何処にいるか知らないの？」
　星美さんがポツンと立っている僕の方に近づいて来る。僕は海を見つめたまま呟くように言った。

「……さぁ？陽子が消えてから母は少し情緒不安定でした。頑なに陽子の存在を否定して僕を今まで以上に可愛がり、仕事も手につかない状態で。僕と接している時以外はずっと部屋に閉じこもっていました。そんな状況なのでいつ母がいなくなったのか、僕にはわかりません。」
「そう……」
　肩を落とした星美さんの後ろに相原さんが見える。彼は何処か意味ありげに僕の方を見ていたけど、僕は何も言わずにまた海に目を向けた。
「捕まったら私は間違いなく死刑になるだろう。しかしその時まで自分のしでかした罪を懺悔し続けます。それが陽子にしてやれる唯一の事だと思いますから。」
「そうですな。私は帰ったら楢咲さんの裁判で下した判決を取り消し、全てを公表して己の間違いを正そうと思う。関係者が全員亡くなっているから意味などないかも知れんが、それが私の罪の償い方だ。」
「……ありがとうございます。相原さん。」
　迷いのないスッキリとした顔の相原さんに坂井さんが頭を下げた。

「高坂様、もし良かったら楢咲さんの写真を一つ私に送ってもらえませんか。息子の仏前に飾ってあげたいので。」
　小泉さんが遠慮がちに聞いてくる。僕は相変わらず海を眺めながら頷いた。
「必ず送ります。陽子も祥太さんと一緒にいられて喜ぶと思いますよ。」
「ありがとうございます。高坂様はこれからどうなさるおつもりですか？」
「どうって、今までと変わらず大学に通っていつも通り過ごすだけですよ。」
「お母様を探したりなさらないんですか？」
「坂井さんが探して見つからないなら僕が探したところで見つかりません。母はきっと何処かで元気にやってますよ。しぶとい人ですから。」
「心配じゃないの？」
　星美さんが表情を暗くしながら聞いてくる。僕はフッと笑った。

「あの人が陽子にしてきた事を思ったら、僕はあの人を『陽子の母親』だとは思いたくありません。陽子を虐待している時のあの顔……思い出しただけでもゾッとします。あれは化け物です。悪魔です。人間の皮を被ったね。」
「流月君……」
　何とも言えない顔をしている四人を尻目に、僕は口元に笑みを浮かべた。



―――

　タロットカードの『月』は、曖昧な状態を表すカードである。月明かりでは歩いていく方向、目標までの道のり、あらゆるものがはっきり見えない。その為、見通しの悪さや足元の状態を心配しながら歩いていかなくてはならない。

　僕は陽子が消えたあの日からいつも何かしら心配と緊張を抱えていた。母は今のところは僕の事を好意的に思っている。陽子にしたみたいに急に態度を変えて殴ってきたり聞くに堪えない暴言を加える事はない。だけどいつ豹変するかわからないものを抱えながら毎日を過ごすのは思ったよりも精神的に疲れる事だった。

　いつか自分も陽子の二の舞いになって死んでしまうのではないか。消えてしまうのではないか。そうしたらこの体はどうなるのだろう。『楢咲陽子』として生まれたのに、最期は『高坂流月』として死ぬのか。だとしたら陽子は本当に最初からこの世に存在していなかった事になってしまうではないか。

　そんな事にはしない。陽子の為に、絶対にそうであってはいけないんだ。
　だから――

　楢咲の家を出る前日、僕は母を殺した。



―――

「星美さん。」
「何？」
「『月』のカードの意味、わかりますか？」
　唐突に言われた言葉に一瞬呆気にとられていた星美さんだったが気を取り直したように息をつくと言った。

「月のカードの意味は正位置では『不誠実・秘密がある・不安・幻想・揺らぎ・不鮮明な状況・虫の知らせがある・悲観的になる』。逆位置だと『現実が見える・安定する・調和が取れる・心が晴れる・気づきがある・運気アップ・明確になる』よ。急にどうしたの？」
「そうですか。だったら僕は正位置という事ですね。」
「え？」
「独り言です。」
　振り返って星美さんに笑顔を見せると僕は海の方に歩いていった。

「来ないですね、船。」

　不意に晴れ間が訪れて目を細める。その向こうに見えた太陽の光がまるで陽子の笑顔のように見えて僕の目に何故か涙が溢れた。

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