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第14話 入院

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◆◆◆◆◆


弟が入院した。

正美は誰かに陵辱され、酷い怪我を負っていた。正美とおかゆを食べて、語り合ったのが土曜日の朝のこと。

日曜日の午後。

仕事を無断欠勤した正美を心配して、藤村がアパートを訪ねた。そして、傷付いた弟を発見した彼は、急ぎ病院に正美を運び込み、俺に連絡をくれた。

病院で会った藤村は青ざめていたが、俺に詳しい状況を説明してくれた。

正美は・・両手首と両足首を、ガムテープで一括りに巻かれ固定され、口には布が詰め込まれていた。そして、アナルにはバイブが押し込まれ、下肢は精液と血で濡れていた状態だった。

倒れ動かない正美を見て、藤村は弟が死んでいると思い衝撃を受けたようだ。それほど酷い状態で、正美は放置されていた。

正美に付き添いたいと藤村は言ったが、俺はその申し出を断った。その後、やや強引ではあったが、彼には病室を出てもらった。

藤村には感謝している。それでも、事は酷くデリケートな問題で、家族である俺が正美に付き添う事が当然だと思えた。

たとえ、藤村と正美が深い仲であったとしても。

藤村が正美の為に手配した病室は、広い個室だった。病室というより、高級ホテルの一室といった感じだ。その部屋の中央に置かれた広めのベッドで、正美が眠っている。

意識を失ったまま、まだ目覚めない。

俺は泣きたい気分だった。実際、俺は涙ぐんでいた。何があったのか知りたい。大事な弟をこんな目にあわせた人間を捕まえたい。

いや・・そうじゃない。
俺は殺したい。

正美を傷つけ放置した人間を許せるものか。そんな奴は殺す。父親のように殺す。焼け死ねばいい。灰になって、その存在すら無くなればいい。

正美・・正美・・

正美の顔を覗き込む俺の目から、涙が溢れて零れ落ちた。正美の頬に水滴が落ちて、俺は慌てて頬を手で拭った。
柔らかい頬だった。俺はそっと、弟の頬を撫で続けた。

「・・正美」

ぴくりと瞼が動いた気がした。

「正美?」
「んっ・・ぁ?」

唇が微かに動き、しわがれた声が漏れる。脱水症状に襲われていた正美には、点滴が施されていた。だが、喉までは潤してはくれないようだ。

俺は冷蔵庫を開けてミネラル水を取り出すと、キャップを開けて水を少し口に含んだ。そして、俺は正美の唇に自身の唇を触れさせ水を流し込む。

正美は目を瞑ったまま、口をパクパクとさせていた。再び水を口に含み唇に流し込んでやる。水が唇から零れ落ち、俺は自然とそれを目で追っていた。雫がベットのシーツに落ちた時、不意に俺の名を呼ぶ声が聞こえた。

「兄さ・・ん」

俺は、はっとして正美を見つめた。ゆっくりと開く正美の瞳が、俺の姿を映している。

「正美・・正美・・」

俺は正美を抱きしめていた。横たわった弟は身じろぎもせず、ただ俺に抱きしめられていた。



◇◇◇◇◇



目覚めたのは、病室だった。

兄さんが泣きながら、僕を抱きしめてくれている。兄さんの泣き顔を見ながら、僕はぼんやりと要の父親に陵辱されたのだと思い出す。

あの日、散々僕を弄び苛んだ要の父親は、放置プレイだと言って部屋を出ていった。そのまま僕は気を失ってしまったようだ。兄さんの話では、和樹が僕を見つけてくれたらしい。

和樹が心配して部屋に来てくれなかったら、僕はまた戻ってきたあの男に弄ばれていただろう。そう考えただけで吐き気がした。実際に、僕は病院で何度も吐いてしまった。

あの男に拘束され、口に布を突き込まれている時に吐かなくてよかった。もしも吐いていたら、喉に自身の汚物を詰まらせて死んでいたかもしれない。
そんな最後があってたまるか!
僕は・・僕は・・。

「正美、とにかく今日は休め。事情は話せる状態になってから聞く。だから、今は休んでくれ、正美」

事情?
要の父親に犯された。

そう告白すればいい。そして、あいつをブタ箱に送ってやるんだ。それで全てが解決・・。

僕はいつの間にか、兄さんの顔を見つめていた。

あの男は逮捕されても平気だと言っていた。実際そうかもしれない。なんの罪悪感を感じる事も無く僕を襲った。彼にとって拘束されることも、まして社会上の信用を失うことなんて、なんでもないことなのかもしれない。

あの男は警察に捕まったら、取調べでどんな事を話すのだろうか?ありもしない動機を語ったらどうなる?

兄さんと要の二人きりの写真。あれは不純な場面をとらえたものではない。それでも、親密さを伺わせる写真ではあった。

肩を寄せ合う二人。涙で濡れた要の頬を、兄さんが手で拭っている写真。

兄さんと要の関係を疑い、その報復として弟を襲った・・要の父親が、そう供述したらどうなる?

警察は事実を調べるために、兄さんや周辺の人に聞き込んだりするのだろうか?職場の人や、奥さんにも、事情を聞いたりするのだろうか?

人を強姦した罪で、あいつをどれだけ刑務所に入れておける?あいつから受けた行為を、裁判に出て話さないと駄目なの?全てをさらけ出して?

それに、僕の未来はどうなる?

やっと、夢が掴めそうなのに。漫画家の夢が遠のいてゆく。あんな男に穢されて・・僕の夢まで穢されなければならないのか?

「正美、どうした?寒いのか?それとも・・怖いのか?」

僕はいつの間にかぶるぶると震えていた。震えが止まらない。

「兄さん・・僕は・・」

「大丈夫だ、正美。もう心配ないから。俺が守るから、今は眠ってくれ」

「兄さん!」

僕は兄さんに抱きついていた。兄さんが優しく僕の背中を撫でる。涙がいっぱい溢れてきた。漏れる嗚咽が部屋に響いている。どうしたらいいのか、僕には分からない。

昔のように兄さんにしがみ付き、震えるぐらいしか僕にはできなかった。



◇◇◇◇◇



弟の入院の予定は一週間だったが、さらに一週間入院することになった。正美の傷が思ったより治りが悪かった事と、精神状態が不安定になったためだった。

俺はできるだけ仕事を休み、正美に付き添う事にしていた。それでもカバーできない部分は、妻のはるかがフォローしてくれた。

正美は陵辱した犯人について、心当たりはないと話した。覆面をしていて、人相も分からないと言葉少なに語った。警察に被害届を出すことも、頑なに拒んだ。

俺は警察官だが刑事ではない。刑事の勘なんてあるはずも無い。それでも、兄弟としての絆が、正美の態度の不自然さを嗅ぎ取っていた。

正美が俺に嘘をついている。
正美は犯人を知っている。

それは確信に近かった。正美は犯人を庇っている。いや、庇っているというより、言い出すことができないでいる。そのことで、正美が苦しんでいる事は明白だった。

どうして、酷い目に遭った正美が、さらに苦しめられないと駄目なんだ?あまりの理不尽さに、怒りで病院の廊下の壁を殴りつけたこともあった。

それでも、正美の前では何とか平静を保ち続けた。怒り狂う精神状態の中、俺は正美にできるだけ何時もどおりに接した。

俺の精神は、相当に疲弊していた。

だから、正美の病室の前で要を見つけたとき、俺のやり場の無い怒りが爆発した。俺は要の腕を掴むと強引に引っ張り、人気の無い病院の裏手に引き摺りこんだ。要は怯えたように俺を見つめていたが、俺は要を怒鳴っていた。

「いい加減に俺に付きまとうのはやめろ!お前に構っている暇は無いんだ、要!二度と目の前に現れるな!」

俺の叫び声に驚いて目を見開いた要は、それでもか細い声で俺に言葉を掛ける。

「俺は、ただ・・」

「もう帰ってくれないか。俺はお前と話している暇は無い。入院した正美の世話をしないとだめなんだ」

「正美さんはどうしちゃったの?何があったの?」

何があったかって?
そんな事は俺が知りたい。

「要には関係のないことなんだ。施設を抜け出して、俺に会いに来るのはもうよしてくれ。俺は・・お前の保護者じゃない」

「俺を救ってくれたじゃない!弘樹さんは、俺には特別な存在なんだ!役に立ちたい!何だって手伝うよ!正美さんの世話だってできるよ、俺には」

俺は眉を顰めて、ゆっくりと頭を振った。

「よしてくれ。お前に正美の世話を頼む義理はない。要・・今の俺は酷い精神状態なんだ。要にこれ以上酷い言葉を吐きたくない。だから、帰ってくれ。頼むから、要」

俺の言葉に要が黙り込む。潮時だった。俺は要の前から去ろうと身を翻した時、嫌な言葉が耳に響いた。

「正美さんは襲われたの?」
「え・・?」

俺が振り返ると、要は青ざめた顔で立っていた。唇が震えている。

「お前・・今なんて言ったんだ?」

「正美さんが誰かに襲われたのなら、その犯人は俺の父さんかもしれない」

「っ!?」

俺は要の襟ぐりを掴んでいた。

「要!お前、何か知っているのか!」
「苦しい・・・弘樹さん」

俺は構わず要の首元を締め上げる。

「言え!!」

「俺は・・前に聞いただけ。以前から父さんは、同じアパートに住む正美さんに興味を持っていて・・」

「興味・・?」

「抱きたいって。犯したいって言ってたのを聞いたことがあったから・・」

抱きたい?
犯したい?
男の正美を?

俺は血の気が引くのを感じながら、要の首元から手を放した。藤村から聞いた陵辱の凄惨な場面を思い出す。俺はしわがれた声で要に聞いていた。

「お前・・父親に犯されていたんだよな?どんな方法だった?あいつは、お前を拘束して犯していたのか?」

これは要を傷つける質問だろう。だが、構っている余裕は俺には無かった。要は顔を歪め、それでも口を開いた。

「抵抗すれば殴られた。それでも抵抗したら、ガムテープで両手を縛ってそれで・・」

ガムテープか。人間が犯罪を行うときには、慣れた手法をあまり変えない。正美もテープで拘束されていた。

俺は唇をかみ締めていた。

これは・・報復なのか?息子の要を施設に連れて行った俺への報復?そして、その矛先を弟の正美に向けた。犯して、脅して、その口を封じたのか?

怒りで視界がぐらぐらと揺れる。アパートを焼いた赤い炎が見えた気がした。激しい怒りは男の息子である要にも向けられていく。理不尽だと思いながら、どうしようもなかった。

「要、どうしてだ!警察に性的虐待を受けていることを、何故言わなかった!お前が訴えないから、あいつはいくらでも言い逃れができた!しつけの延長でちょっと殴っただけだってな!お前があいつに犯されていたことを訴えていれば、あいつは捕まったんだよ警察に!捕まっていたら正美は襲われなかった!そうだろ、要!」
「俺は・・俺は!!」

要が酷く傷ついた顔をしたので、俺ははっとして語気を弱めた。俺は酷い事を言っている。

「すまない、要。俺はどうかしている。お前が性的虐待を受けていたことを警察沙汰にしたくないと言った時に、俺は容認したのにな。要の責任にするなんて・・間違っていた。すまない、要。俺のせいだ。正美があんな目にあったのは・・俺の責任だ」

いつの間にか要は泣き出していた。俺は怒りを鎮めて、そっと要の肩を抱いた。

「悪かった、要。もう泣かないでくれ。それに、君の父親が弟を襲ったと決まったわけじゃないんだ。なんの証拠も無い。正美も何も言ってくれないしな・・」

それでも、俺はほぼ確信していた。要の父親が正美を犯したのだと。いや、ただ犯人を・・憎むべき相手を早く決めてしまいたいだけなのかもしれない。不安定な精神がぎりぎりと悲鳴をあげている。

俺の肩に抱かれた要が、震えながら言葉を吐き出す。

「俺・・殺してもいいよ。父さんを、殺してもいい」

俺はゆっくりと要を見つめた。

「復讐したいでしょ、弘樹さん?俺は弘樹さんの為ならできるよ。あいつ馬鹿だから。煽って罵ったら、きっと俺の事を殴って・・それで犯すはずだ。酷くね。あいつは、父さんは、俺のこと臆病だと思ってるから、油断しているはずだよ。まさか俺に殺されるとは思ってない。でも、違うから。もう、父さんは要らない!俺には・・俺には弘樹さんがいるから」

ぞくりとした。

要の目は尋常ではない。それは、以前にアパートに放火しようとしていた時の目とも違っていた。あの時の目には混乱と錯乱が混在していたが、明確な殺意は無かったように思う。

でも、今の要の目は違う。

何かを確信したような、あるいは覚悟を決めたようなそんな目。こいつの目を俺は知っている。過去に俺自身が、こんな目をしていたはずだ。

父親殺しの目。

「要、やめろ。そんなことは、俺は望んでない」

望んでない?

俺は嘘をついている。望んでいないなら・・どうして俺は、要の肩を抱きしめているんだ?こんなにも、強く優しく。俺は要の俺への執着を利用しようとしている。

殺してくれ、要。あいつを殺せ。

「頼むから・・そんな事は考えるな。俺が悪かったんだ、要。お前を責めるような事を言った俺が悪い。あれは本心じゃないんだ。俺は要を大事に思っている。だから・・俺の為に、犯罪を犯したりしないでくれ」

殺せ、要。お前なら、子供なら、少年法に守られる。それに、正当防衛になればお前は無罪だ。

無罪になる・・お前は。

「弘樹さんは、悪くない。俺は・・」

父親殺しの目が、俺を見つめる。その目に紅い炎が見えた。過去の幻。父親ごと燃えたアパートの炎が、今目の前でゆらゆらと揺れている。



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