三州の太守

芙伊 顕定

文字の大きさ
25 / 54

【第二十五話】楠木正成

しおりを挟む
 笠置山で帝を捕らえた幕府軍は、一旦京へ向かった。
 未だ、討幕勢力として、河内国下赤坂城に籠る楠木正成が残っていた。

「楠木正成とはいかなる人物か」
 足利高氏は執事の高師直に問うた。
「高氏さま、記憶にございませんか?10数年前に鎌倉で遠乗りをしていた際に一緒に賊退治をした青年でございます。我々よりも10歳ほど年上だったので、現在は30歳半ばほどかと思われます」
「おう、あの時の多聞丸どのか!それは手強そうじゃの」
「はい、武芸の腕は確かなものがございました。その後の噂では、用兵にも優れていると人伝てに伺っております」
「なるほど、幕府軍もその噂を知っておるということか」
「敵勢小なりといえども、やっかいな相手にございます」

 下赤坂城。河内平野の南東に位置し、金剛山地の麓にある。背後は山に囲まれ、一方向しか攻め手がない。
 こちらも天然の要害であった。

 幕府軍は、楠木正成という名前を初めから警戒していた。
 幕府正規軍、全四軍が京に集結してからの出陣の予定としていた。
 11月中旬、笠置山攻めをした軍と、鎌倉からの増援軍が合流し、一斉に京を出陣した。
 大仏貞直は宇治方面から大和国方面に東進、金沢貞冬は石清水八幡宮から河内国讃良郡へ南進、江間越前入道は山崎から淀川を沿って四天王寺へ出る西南方面へ進軍、足利高氏は伊賀路を西進した。

 翌日には、各方面軍が下赤坂城に到着し、万全の包囲を固めた。
「相手は500人程度かの?師直」
「左様ですな。しかし、油断はなりませぬぞ」
 足利高氏は感心していた。
 笠置山が落ち、捕らえられなかった護良親王が合流しており、すでに帝が捕えられたことは承知しているはずである。
 そして、味方は500人程度の小勢。
 1万を超える幕府軍に完全に包囲され勝ち目があるわけがなかった。
 よく見ると、急造の城らしく、まだ普請の最中であるように見える箇所もあるが、要所は固めているようである。
 楠木正成という男。やはり、自分の直感は間違っていなかった。このような男が現れるのが乱世である。
 高氏は、胸の鼓動の高まりを感じずにはいられなかった。

 楠木正成は、城から大軍に囲まれているのを眺めていた。
 先日までは、先遣隊のような小部隊が攻めてくる程度で、この程度の相手であれば何の問題もなく退けられると思っていた。
 しかし、どうやら笠置山が落ちて、残っているのはこの下赤坂城だけになったようである。
 幕府正規軍の軍容は衰えたりといえどもさすがであった。
 自分が暴れるのに相応しい舞台が整えられたのである。
 正成は雄叫びを上げたいほど気持ちが高揚していた。
 せっかく、舞台は整ったにも関わらず惜しいかな、下赤坂城は急造の城であり、兵糧も一月もつかもたないか程度の量しか運びこめていなかった。

 戦いは、幕府軍の攻勢から始まった。しかし、圧倒的な人数差で勝利が見えている戦で、大軍側の兵はなかなか死に物狂いになれない。勝つのは目に見えているので自分も生き残って勝利の美酒を味わいたいと考えてしまうからだ。
 そんな気弱な攻撃に、正成は全く動じていなかった。
 城門を開くと、攻め寄せる幕府軍に向けて一大突撃を敢行したのである。
 幕府軍は大いに崩され、正成は悠々と引き揚げていった。
 幕府軍には打つ手がなくなっていた。

「師直、これは、落とせぬぞ」
 高氏は、まるで他人事のように呟いた。
「左様でございますな。あんな攻撃をしているようでは、何回攻めても埒があきません」
「何か打つ手はないか」
「そうですな、このような場合は、策など弄せず、大軍をもって多少の犠牲は覚悟の上で城を揉み潰すしかないと思われますが、現状の幕府軍では、それだけ骨のある兵は全くおらぬでしょうな」
「ということは、打つ手なしか」
「敵方にどれほど兵糧があるかわかりませぬが、この場合は兵糧攻めが上策と考えます」
「であるな、冬も近づいていることであるし、兵糧攻めが妥当な策か。
 しかし、楠木正成という男、おもしろい、おもしろいぞ!」
 高氏は高揚する自分の気持ちを抑えることができなかった。

 楠木正成は初回の大勝利で、敵にさほどの戦意がないことを知った。しかし、こちらも、兵糧がない。
 勝ことは不可能でも、負けぬ方法を考える必要があった。
「護良親王さま、条件さえ整っていれば、このような腑抜けた幕府軍など恐るるに足らずといったところですが、いかんせん、こちらには兵糧がありません。一旦それぞれ落ち延びて潜伏し、再度の機会をうかがうのが上策と心得ますがいかがでございましょう」
 正成は、護良親王に状況説明を行った。
「うむ、正成がそのように申すのであれば致し方あるまい。して、どのようにこの場を落ち延びる?」
「それにつきましては、一案ございますのでご安心ください。いずれにしましても、帝は捕えられてしまいましたが我らが戦い続ければ必ず他にも立ち上がるものが出てくるはずです。その者らと連携できるようになれば、今の腑抜けた兵の幕府軍などあっという間に蹴散らせましょう」

 楠木正成の生涯をかけた戦いの火蓋は切って落とされたばかりであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

処理中です...