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【第四十三話】とある一日
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新田義貞・楠木正成連合軍を破った足利尊氏はそのまま京に攻め上った。
この頃には、島津貞久も足利勢に加わるために薩摩から上洛していた。
光厳上皇は、尊治に比叡山への同行を迫られたが、病と偽り京に留まっていた。
6月14日、足利尊氏は上皇を奉じ京に入った。
「尊氏よ、余は比叡山に逃げた先の帝が制定した延元という元号を無効とし、建武に戻したいと思う。
また、皇位は我が弟の豊仁親王に授けたいと思うがどうか」
「上皇さまの御心のままに。しかし、三種の神器は先の帝と共に比叡山にあります。比叡山は現在新田勢が守りを固めており、取り返すのは至難の業かと思われます」
「であるな。何かよき方策はないものか‥」
尊氏は、屋敷に戻るとすぐに自室に篭った。
「殿、お食事の用意が整っております」
「うるさいうるさい!あー、もういやだ。この世は闇じゃ。今生の果報はすべて直義に賜り、直義が安寧に過ごすことを願う」
「‥」
「また、殿のご病気が始まったようじゃ、直義さまにご報告せよ」
尊氏は、すべてを投げ出したかった。なぜ自分はここにいるのか。何のために生きているのか。
何のために生まれてきたのか。
戦の惨状を見たであろう。
楠木正成の最期を見たであろう。
次は自分がああなるのだ。
人間は必ず死ぬ。早いか遅いかはその人生次第。
すがるものは神仏しかない。
すがって何になるのか。
わしは一体何者じゃ?
「‥上、兄上!」
「なんじゃ、直義か」
「兄上に再び遁世願望が出たと伺い急ぎ参上いたしました」
「遁世願望じゃと!直義よ、この世は闇ぞ。わしはすべてを其方に任せ隠居する」
「兄上!しっかりなされませ!やっとの思いで、京を奪還したのですぞ。ここまで、必死に戦ってきた皆は何のために戦ってきたと思っておるのですか?
兄上が天下の頂点に立つことを望んでいるものがここまでついてきているのですぞ」
「天下の頂点などに興味はないわ」
「何を今更申されます。何のために北条得宗家を倒したのですか?何のために先の帝を追いやってまで京を奪還したのですか?すべては兄上が天下を治めるためにございましょう!」
「直義よ、今はそのような話は聞きとうない。下がれ」
「‥かしこまりました。しかし、これだけは言わせてもらいますぞ。足利尊氏は皆の希望なのです。そのことだけはお忘れなきよう」
「‥」
「直義さま、いかがでございましたか」
「‥だめじゃ、あの分ではしばらく時がかかるであろう。幸いにして京は今落ち着いておる。折を見てまたわしが説得に参ろう」
直義は、言葉少なに尊氏の屋敷を後にした。
島津貞久は嫡男の宗久と共に高師直のもとを訪れていた。
「師直どの、こちらは我が嫡男の島津宗久にございます」
「島津宗久にございます。父同様よろしくお引き立ての程よろしくお願い申し上げます」
「宗久どの、高師直にございます。貞久どのとはもう数十年の付き合いになります。こちらこそよろしくお願い申し上げます」
貞久が話を切り出した。
「師直どの、此度は湊川の一戦お見事な勝利でございました。実は、あの一戦で自害して果てた楠木正成どのとは正成どのが幼い折に一緒に旅をしたことがござってな。その最期の様子などを伺いたくこうして参上した次第にございます」
師直は、はっと息を飲み込んだ。
「左様でございますか。そのような繋がりがおありでしたか。楠木どのは素晴らしい戦ぶりでございましたよ。わずか700騎で数千の相手に四半刻も奮戦したのでございます。彼が数千の部隊を指揮していたら、やられていたのはこちら側だったかもしれません」
「さすが正成どの見事な戦ぶりだったようですな」
貞久は目を細めながら笑みを浮かべた。
「父上、楠木正成さまとはどのようなお方だったのですか」
宗久が貞久に尋ねた。
「そうよのう、例えるならばまさに風のような男であったのう。そして、信義に篤いまさに武家の鏡のような男であったわ。わしも以前一戦交えたことがあったが、なんとも爽やかで清々しい男であった。そしてとてつもなく強かった」
「貞久どの確か、赤坂城での戦いの時でしたかな。それがしどもはまだ援軍として到着しておりませんでしたが、お話は聞いておりますぞ」
「尊氏どのも、正成どののことは高く評価されておられましたの」
「そうですね。我が殿は自分の郎党にほしいと何度も洩らしておりました」
「して、最期は‥」
「‥弟の正季どの相互いに差し違えてご立派な最期を遂げられたとうかがっております」
「‥」
貞久は目を閉じ、静かに手を合わせた。
宗久もそれに倣った。
「師直どの、わざわざお時間を作っていただきかたじけのうござった。ときに、尊氏さまは達者でおられますかな」
師直は言いにくそうに少し口籠った。
「‥貞久どのだから申し上げますが、我が殿は遁世願望が折々ごとに首をもたげる時がございましてな。今回は、新田・楠木勢との激戦の後遺症と申しますか‥。とにかくそのような状態にございまして」
「なんと!左様でござったか。尊氏どのにそのような持病がおありだったとは‥。しかし師直どの、それがしはそれを聞いて逆に安心しましたぞ。尊氏どのは全く隙の無いとんでもない怪物かと感じておりました故、そのようなところがあると聞いて、同じ人間なんだと安心いたしました」
「左様でございますな。殿は我々の計り知れない重圧の中でここまで戦ってきておられる。そのような一面があってもよいのかもしれません」
「味方に動揺が走るといけませぬ故、このことはここだけの話として聞いておきます」
「さすが貞久どの、お気遣い痛み入ります」
貞久と宗久は、高師直の屋敷を後にした。
「宗久、どうであったか」
「それがしには雲の上の方同士のお話のように聞いておりました。世の中というものは興味深いことで満ち溢れておりますな」
「よいよい、其方はまだ若い。しかし、これからの島津を背負っていかなければならぬ人間じゃ。できる限り機会を逃さず、さまざまなことをこれからもどんどん吸収していくのじゃぞ」
「はっ、畏まりましてございます」
貞久と宗久は日暮れの京の町を屋敷に向けて歩いていった。
この頃には、島津貞久も足利勢に加わるために薩摩から上洛していた。
光厳上皇は、尊治に比叡山への同行を迫られたが、病と偽り京に留まっていた。
6月14日、足利尊氏は上皇を奉じ京に入った。
「尊氏よ、余は比叡山に逃げた先の帝が制定した延元という元号を無効とし、建武に戻したいと思う。
また、皇位は我が弟の豊仁親王に授けたいと思うがどうか」
「上皇さまの御心のままに。しかし、三種の神器は先の帝と共に比叡山にあります。比叡山は現在新田勢が守りを固めており、取り返すのは至難の業かと思われます」
「であるな。何かよき方策はないものか‥」
尊氏は、屋敷に戻るとすぐに自室に篭った。
「殿、お食事の用意が整っております」
「うるさいうるさい!あー、もういやだ。この世は闇じゃ。今生の果報はすべて直義に賜り、直義が安寧に過ごすことを願う」
「‥」
「また、殿のご病気が始まったようじゃ、直義さまにご報告せよ」
尊氏は、すべてを投げ出したかった。なぜ自分はここにいるのか。何のために生きているのか。
何のために生まれてきたのか。
戦の惨状を見たであろう。
楠木正成の最期を見たであろう。
次は自分がああなるのだ。
人間は必ず死ぬ。早いか遅いかはその人生次第。
すがるものは神仏しかない。
すがって何になるのか。
わしは一体何者じゃ?
「‥上、兄上!」
「なんじゃ、直義か」
「兄上に再び遁世願望が出たと伺い急ぎ参上いたしました」
「遁世願望じゃと!直義よ、この世は闇ぞ。わしはすべてを其方に任せ隠居する」
「兄上!しっかりなされませ!やっとの思いで、京を奪還したのですぞ。ここまで、必死に戦ってきた皆は何のために戦ってきたと思っておるのですか?
兄上が天下の頂点に立つことを望んでいるものがここまでついてきているのですぞ」
「天下の頂点などに興味はないわ」
「何を今更申されます。何のために北条得宗家を倒したのですか?何のために先の帝を追いやってまで京を奪還したのですか?すべては兄上が天下を治めるためにございましょう!」
「直義よ、今はそのような話は聞きとうない。下がれ」
「‥かしこまりました。しかし、これだけは言わせてもらいますぞ。足利尊氏は皆の希望なのです。そのことだけはお忘れなきよう」
「‥」
「直義さま、いかがでございましたか」
「‥だめじゃ、あの分ではしばらく時がかかるであろう。幸いにして京は今落ち着いておる。折を見てまたわしが説得に参ろう」
直義は、言葉少なに尊氏の屋敷を後にした。
島津貞久は嫡男の宗久と共に高師直のもとを訪れていた。
「師直どの、こちらは我が嫡男の島津宗久にございます」
「島津宗久にございます。父同様よろしくお引き立ての程よろしくお願い申し上げます」
「宗久どの、高師直にございます。貞久どのとはもう数十年の付き合いになります。こちらこそよろしくお願い申し上げます」
貞久が話を切り出した。
「師直どの、此度は湊川の一戦お見事な勝利でございました。実は、あの一戦で自害して果てた楠木正成どのとは正成どのが幼い折に一緒に旅をしたことがござってな。その最期の様子などを伺いたくこうして参上した次第にございます」
師直は、はっと息を飲み込んだ。
「左様でございますか。そのような繋がりがおありでしたか。楠木どのは素晴らしい戦ぶりでございましたよ。わずか700騎で数千の相手に四半刻も奮戦したのでございます。彼が数千の部隊を指揮していたら、やられていたのはこちら側だったかもしれません」
「さすが正成どの見事な戦ぶりだったようですな」
貞久は目を細めながら笑みを浮かべた。
「父上、楠木正成さまとはどのようなお方だったのですか」
宗久が貞久に尋ねた。
「そうよのう、例えるならばまさに風のような男であったのう。そして、信義に篤いまさに武家の鏡のような男であったわ。わしも以前一戦交えたことがあったが、なんとも爽やかで清々しい男であった。そしてとてつもなく強かった」
「貞久どの確か、赤坂城での戦いの時でしたかな。それがしどもはまだ援軍として到着しておりませんでしたが、お話は聞いておりますぞ」
「尊氏どのも、正成どののことは高く評価されておられましたの」
「そうですね。我が殿は自分の郎党にほしいと何度も洩らしておりました」
「して、最期は‥」
「‥弟の正季どの相互いに差し違えてご立派な最期を遂げられたとうかがっております」
「‥」
貞久は目を閉じ、静かに手を合わせた。
宗久もそれに倣った。
「師直どの、わざわざお時間を作っていただきかたじけのうござった。ときに、尊氏さまは達者でおられますかな」
師直は言いにくそうに少し口籠った。
「‥貞久どのだから申し上げますが、我が殿は遁世願望が折々ごとに首をもたげる時がございましてな。今回は、新田・楠木勢との激戦の後遺症と申しますか‥。とにかくそのような状態にございまして」
「なんと!左様でござったか。尊氏どのにそのような持病がおありだったとは‥。しかし師直どの、それがしはそれを聞いて逆に安心しましたぞ。尊氏どのは全く隙の無いとんでもない怪物かと感じておりました故、そのようなところがあると聞いて、同じ人間なんだと安心いたしました」
「左様でございますな。殿は我々の計り知れない重圧の中でここまで戦ってきておられる。そのような一面があってもよいのかもしれません」
「味方に動揺が走るといけませぬ故、このことはここだけの話として聞いておきます」
「さすが貞久どの、お気遣い痛み入ります」
貞久と宗久は、高師直の屋敷を後にした。
「宗久、どうであったか」
「それがしには雲の上の方同士のお話のように聞いておりました。世の中というものは興味深いことで満ち溢れておりますな」
「よいよい、其方はまだ若い。しかし、これからの島津を背負っていかなければならぬ人間じゃ。できる限り機会を逃さず、さまざまなことをこれからもどんどん吸収していくのじゃぞ」
「はっ、畏まりましてございます」
貞久と宗久は日暮れの京の町を屋敷に向けて歩いていった。
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