婚約破棄された俺の農業異世界生活

深山恐竜

文字の大きさ
29 / 32

第29話 祖先のこと

しおりを挟む
 楽器隊が明るい音楽を高らかに奏でる。
 人々はわっと歓声を上げ、中心を通る兵士たちに花を捧げようと手を伸ばす。
 馬は蹄の音を立てて歩き、騎乗する兵士たちもいつもより念入りに髭を剃り、髪をなでつけている。
 人の数も歓声の熱量も、旅が進むにつれどんどん大きくなっていった。

 ハンローレンが皇都に凱旋を決めたのは雪がまだ残る頃だった。
 レニュ穀倉地帯には続々とハンローレンを支持する貴族たちとその配下が集まってきていて、大規模の宿泊施設がないレニュは大混乱に陥っていた。
 それを見たハンローレンは配下に揃いの服を与えると、すぐに隊列を組んで出発した。
 隊列の先頭はハンローレン、そして中心に俺だ。

 俺は兵士たちに前後を守られながら道を進む。
 俺が乗せられたのは屋根のない大きな馬車で、8頭の馬がそれをひいている。
 民衆が俺に向かって「賢者様!」「キフェンダル様!」と呼びかけるのを、最初はこわごわと聞いた。しかし、それも皇都に入る頃にはすっかり慣れ、手を振り返す余裕さえできた。
 
 皇都の通りに面した家の窓は飾られている。
 その窓から花びらが降って来る。
 俺はそれを見上げて、PRGの最終回みたいだ、と思った。

 隊列は大神殿の前でとまる。
 神官たちが大神官であったハンローレンの帰還を言祝ぐ。
 ハンローレンは馬からマントをひるがえして降りると、俺の馬車へと歩み寄った。

「さあ、こちらに」
「降りるの?」
「ええ」

 侍従たちが俺の長い裾を持ち、地面に広げる。
 頭を覆うベールと、引きずるマント。
 白の絹をふんだんに使ったその衣装は、いわゆる婚礼衣装であった。

 同じく白い衣装――こちらは俺のものよりも裾が短い――を纏ったハンローレンに手を引かれて大神殿に入る。
 大神殿の中にはすでに多くの貴族が立ち上がって待っていた。
 俺たちはその中心を歩く。

 外の明るい音楽とは対照的に、室内には荘厳なパイプオルガンの音が響いている。

 ――俺たちはいよいよ結婚するのである。


 ――俺の儀式の完了が告げられたのは、レニュ出発の少し前のことであった。

 ハンローレンは朝起きてきた俺を見て「ああ、終わったんですね」と告げた。
 俺は最初、何のことかわからなかった。
 ハンローレンは続けた。

「我々の同胞となったのです。神の眷属に」

 続く彼の説明によると、神の眷属になったというのは、皇族から見ればすぐにわかるのだという。
 第一皇子と俺が婚約していたとき、ハンローレンが俺の儀式の補助についていたのは、俺の儀式完了を彼が見極めるためだったのだという。
 
 俺は自分の足を見て、手を見て、首をかしげる。

「変わったか?」
「ええ」

 ハンローレンは自信ありげだ。
 俺は半信半疑であった。しかし、すぐにその意味がわかった。

 俺の体は変わっていた。
 ずっと塩素ガスの後遺症で話しにくかった喉は何の苦もなく声を出せるようになった。
 体は軽く、目はどこまでも遠くを見ることができた。
 そして、もう一つ。

「……思い出せる」

 俺はつぶやいた。
 前世の記憶が鮮やかによみがえってきたのだ。
 あいまいだった――俺の名前――まではっきりと思い出せる。

 この変化が何を意味するのか、俺にはよくわからなかった。
 しかし、これで俺という存在が「神の眷属」に生まれ変わったということだけは理解した。




 そうして、いまこうして結婚式を挙げるにいたったわけである。
 
 ハンローレンの跡を継いで大神官になった男が、俺たちの結婚の宣誓を読み上げる。
 そして、同意する場合は沈黙でもって答えるようにと言い渡す。
 俺たちはその宣誓に沈黙でもって答えた。

 その沈黙は一瞬であったが、それでも俺には永遠に感じた。
 脳裏には俺の人生がうつった。
 死、転生、婚約、婚約破棄、それから畑の賢者としての人生、そしてハンローレンとの再会――。

 顔を上げると、ハンローレンと目が合った。
 彼は静かに俺のベールを上げる。
 彼の手が俺の頬に触れ、そして唇が重ねられた。

 この瞬間、俺たちは正式に結婚を認められたのである。





 大神殿の最奥には主神モアデルスを模った像が安置されている。
 その像は厳重に鍵がかけられた扉の奥にあった。
 モアデルスは偶像崇拝を禁じ、この像を見ることを許されるのは皇族だけであった。

 いま、皇族となった俺は初めてその神の姿を見た。
 結婚の挨拶をするために謁見する、ということで俺はさんざん作法を練習してきたというのに、そんなものすっかり頭から抜け落ちるくらいの衝撃であった。

「――侍?」

 それが、その像を見た俺の最初の感想だった。

 モアデルスは右側が男で左側が女であると言われていた。
 しかし、その像を見た俺の感想は、どちらも男である。

「左側、侍に見えるんだけど……」

 左側の頭は剃られ、侍らしく髪が結われている。そして着物と袴を着ている。
 右側は神官たちが着ている足元まである衣装だ。

「さむらい?」

 ハンローレンが尋ねる。
 彼にとっては耳慣れない言葉だったようだ。

「違うの?」
「さて?」
「ハンローレンのご先祖様なんだよな?」
「ええ」
「その神様が、あっちの人間と、こっちの人間の間の存在ってこと?」

 わざわざ体の右側と左側で異なる衣装と髪で作られた像が意味すること。
 俺は急速に頭が回転するのを感じた。

 あちらの世界にしかないはずの次亜塩素酸ナトリウム、こちらの食べ物を減らす行為、そしてそれにより体が神の仲間になる――この世界とあちらの世界の間の存在になるということ。

 俺は口を開く。

「俺がいまから言うのって、おかしなことかもしれないんだけど……こっちの世界で生まれた人間が、あっちの世界のものに触れて、こっちの世界のものを体の中に入れないようにして……儀式って、そうして間の存在をつくるってことか……?」

 そう考えれば、おかしな禊と、おかしな食事制限の意味が通る気がした。
 どんどん黒くなる髪と瞳も、あちらの――日本人に近づいていると考えれば――。
 そうだ、塩素ガス――聖水を吸い込んだとき、俺はあちらに近づいていたじゃないか――。
 あちらのものを食べなかったことで、俺はこちらに戻れた――。

 それらはすべて推測でしかない。
 しかし、それは正解であるように思えた。

 俺は主神モアデルスを見つめた。
 俺の心の中では、その像が俺に、転生者である俺に彼が何か特別に話しかけてくれるのではないかと期待した。
 しかし、そのような奇跡は起きなかった。

 俺はハンローレンに促されるまま、主神モアデルスに結婚の報告をした。
 たどたどしい作法でようやく報告を終え、部屋を出る。
 主神モアデルスは沈黙したままであった。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【完結】顔だけと言われた騎士は大成を誓う

凪瀬夜霧
BL
「顔だけだ」と笑われても、俺は本気で騎士になりたかった。 傷だらけの努力の末にたどり着いた第三騎士団。 そこで出会った団長・ルークは、初めて“顔以外の俺”を見てくれた人だった。 不器用に愛を拒む騎士と、そんな彼を優しく包む団長。 甘くてまっすぐな、異世界騎士BLファンタジー。

りんご成金のご令息

けい
BL
 ノアには前世の記憶はあったがあまり役には立っていなかった。そもそもあまりにもあいまい過ぎた。魔力も身体能力も平凡で何か才能があるわけでもない。幸いにも裕福な商家の末っ子に生まれた彼は、真面目に学んで身を立てようとコツコツと勉強する。おかげで王都の学園で教育を受けられるようになったが、在学中に両親と兄が死に、店も乗っ取られ、残された姉と彼女の息子を育てるために学園を出て冒険者として生きていくことになる。  それから二年がたち、冒険者としていろいろあった後、ノアは学園の寮で同室だった同級生、ロイと再会する。彼が手を貸してくれたおかげで、生活に余裕が出て、目標に向けて頑張る時間もとれて、このまま姉と甥っ子と静かに暮らしていければいいと思っていたところ、姉が再婚して家を出て、ノアは一人になってしまう。新しい住処を探そうとするノアに、ロイは同居を持ち掛ける。ロイ×ノア。ふんわりした異世界転生もの。 他サイトにも投稿しています。

【完結】壊された女神の箱庭ー姫と呼ばれていきなり異世界に連れ去られましたー

秋空花林
BL
「やっと見つけたましたよ。私の姫」  暗闇でよく見えない中、ふに、と柔らかい何かが太陽の口を塞いだ。    この至近距離。  え?俺、今こいつにキスされてるの? 「うわぁぁぁ!何すんだ、この野郎!」  太陽(男)はドンと思いきり相手(男)を突き飛ばした。 「うわぁぁぁー!落ちるー!」 「姫!私の手を掴んで!」 「誰が掴むかよ!この変態!」  このままだと死んじゃう!誰か助けて! ***  男とはぐれて辿り着いた場所は瘴気が蔓延し滅びに向かっている異世界だった。しかも女神の怒りを買って女性が激減した世界。  俺、男なのに…。姫なんて…。  人違いが過ぎるよ!  元の世界に帰る為、謎の男を探す太陽。その中で少年は自分の運命に巡り合うー。 《全七章構成》最終話まで執筆済。投稿ペースはまったりです。 ※注意※固定CPですが、それ以外のキャラとの絡みも出て来ます。 ※ムーンライトノベルズ様でも公開中です。第四章からこちらが先行公開になります。

ヒロインに婚約破棄された悪役令息

久乃り
BL
ギンデル侯爵子息マルティンは、ウィンステン侯爵令嬢アンテレーゼとの婚約を破棄されて、廃嫡された。ようするに破滅エンドである。 男なのに乙女ゲームの世界に転生したことに気が付いたとき、自分がヒロインに意地悪をしたという理由だけで婚約破棄からの廃嫡平民落ちされ、破滅エンドを迎える悪役令息だと知った。これが悪役令嬢なら、破滅エンドを避けるためにヒロインと仲良くなるか、徹底的にヒロインと関わらないか。本編が始まる前に攻略対象者たちを自分の懐に入れてしまうかして、破滅エンド回避をしたことだろう。だがしかし、困ったことにマルティンは学園編にしか出てこない、当て馬役の悪役令息だったのだ。マルティンがいなくなることでヒロインは自由となり、第2章の社交界編で攻略対象者たちと出会い新たな恋を産むのである。 破滅エンド回避ができないと知ったマルティンは、異世界転生と言ったら冒険者でしょ。ということで、侯爵家の権力を利用して鍛えに鍛えまくり、ついでに侯爵子息として手に入れたお小遣いでチートな装備を用意した。そうして破滅エンドを迎えた途端に国王の前を脱兎のごとく逃げ出して、下町まで走り抜け、冒険者登録をしたのであった。 ソロの冒険者として活動をするマルティンの前になぜだか現れだした攻略対象者たち。特にフィルナンドは伯爵子息であるにも関わらず、なぜだかマルティンに告白してきた。それどころか、マルティンに近づく女を追い払う。さらには攻略対象者たちが冒険者マルティンに指名依頼をしてきたからさあ大変。 方やヒロインであるアンテレーゼは重大なことに気がついた。最短で逆ハールートを攻略するのに重要な攻略対象者フィルナンドが不在なことに。そう、アンテレーゼもマルティンと同じく転生者だったのだ。 慌ててフィルナンドのいる薬師ギルドに押しかけてきたアンテレーゼであったが、マルティン大好きフィルナンドに追い返されてしまう。しかも世間ではマルティンが聖女だと言う噂が飛び交い始めた。 聖女になることが逆ハールートの必須条件なのに、何故男であるマルティンが聖女だと言う噂が流れたのか。不審に思ったアンテレーゼは、今度は教会に乗り込んで行った。 そして教会で、アンテレーゼはとんでもない事実を目の当たりにした。そう、本当にマルティンの周りに攻略対象者たちが群がっていたのだ。しかも、彼らは全員アンテレーゼを敵視してきたのだ。 こんなの乙女ゲームじゃないじゃない!と憤慨するアンテレーゼを置いてきぼりにして、見事マルティンはハーレムエンドを手に入れるのであった。

【完結】生まれ変わってもΩの俺は二度目の人生でキセキを起こす!

天白
BL
【あらすじ】バース性診断にてΩと判明した青年・田井中圭介は将来を悲観し、生きる意味を見出せずにいた。そんな圭介を憐れに思った曾祖父の陸郎が彼と家族を引き離すように命じ、圭介は父から紹介されたαの男・里中宗佑の下へ預けられることになる。 顔も見知らぬ男の下へ行くことをしぶしぶ承諾した圭介だったが、陸郎の危篤に何かが目覚めてしまったのか、前世の記憶が甦った。 「田井中圭介。十八歳。Ω。それから現当主である田井中陸郎の母であり、今日まで田井中家で語り継がれてきただろう、不幸で不憫でかわいそ~なΩこと田井中恵の生まれ変わりだ。改めてよろしくな!」 これは肝っ玉母ちゃん(♂)だった前世の記憶を持ちつつも獣人が苦手なΩの青年と、紳士で一途なスパダリ獣人αが小さなキセキを起こすまでのお話。 ※オメガバースもの。拙作「生まれ変わりΩはキセキを起こす」のリメイク作品です。登場人物の設定、文体、内容等が大きく変わっております。アルファポリス版としてお楽しみください。

目撃者、モブ

みけねこ
BL
平凡で生きてきた一般人主人公、ところがある日学園の催し物で事件が起き……⁈

BLゲームのモブに転生したので壁になろうと思います

BL
前世の記憶を持ったまま異世界に転生! しかも転生先が前世で死ぬ直前に買ったBLゲームの世界で....!? モブだったので安心して壁になろうとしたのだが....? ゆっくり更新です。

神様の手違いで死んだ俺、チート能力を授かり異世界転生してスローライフを送りたかったのに想像の斜め上をいく展開になりました。

篠崎笙
BL
保育園の調理師だった凛太郎は、ある日事故死する。しかしそれは神界のアクシデントだった。神様がお詫びに好きな加護を与えた上で異世界に転生させてくれるというので、定年後にやってみたいと憧れていたスローライフを送ることを願ったが……。 

処理中です...